【書評】『習近平が体験した誤った教育 ~権力抗争に翻弄された父から学んだ権力の代償~』(原典:『The Miseducation of Xi Jinping ~How a Father’s Struggle Revealed the Price of Power ~』、Foreign Affairs 2025年11月・12月号、P146-154)

評者:オーヴィル・シェル (Orville Schell)

肩書:亜細亜ソサエティ(the Asia Society)米中関係センター所長。元カルフォルニア大学バークレー校大学院(ジャーナリズム)学部長。

対象図書: 『習近平の父、習仲勲 ~共産党に捧げた生涯~』

著者:ジョゼフ・トリジアン(Joseph Torigian) 

2025年6月、スタンフォード大学出版 718ページ (原題『The Party’s Interests Come First: The Life of Xi Zhongxun, Farther of Xi Jinping』)

<書評>

 近年、中国の関連書籍が書店に溢れる結果、同国の挑戦的な性格は世界に既に十分認知されたと考える人は多いだろう(少なくとも当の中国を除き)。

然し、中国が西欧的思想に従うことに抗(あらが)いつつ、歴史的進化を尚も大きく続ける中、同国指導者達に関しては、依然、多くが興味深い謎に包まれた儘で、特にその典型が、中国共産党総書記兼中国人民共和国国家主席の習近平と云える。

 私は、公用で、彼を間近に観察する機会を幾度か得た。一度目は2015年、当時の副大統領ジョー・バイデンに同席した際、次は2017年、第一次政権下のトランプ大統領に同行し中国訪問した時だ。其処で、私が感じたのは、顔の表情や所作(ボディーランゲージ)からその心の内に何を考えているのか、これ程迄に掴めぬ指導者に遭遇した他の例を思い起せなかった    ことだ。モナリザのような微かな微笑みを仮面の如く刻み付けた、彼の表情からは何事も読み取るのが不可能だった。

 この「曖昧性」は習が子供の頃に身に付けた習性かも知れないと、ジョゼフ・トリジアンは、膨大な調査研究によりものにした、彼の大作『習近平の父、習仲勲 ~共産党に捧げた生涯~』に云う。トリジアンは中国の歴史家高文謙を引用し、「父が共産党内で、栄誉ある要職から転落するのを間近に目撃した習は、“自身の意図を一切表に出さず隠蔽し、そして忍従する”術を身に付けた」と指摘する。 

毛沢東の親しい同僚だった、習の父親、習仲勲は、共産党と革命に熱烈な忠誠を尽くしたにも拘わらず、その後、政治的弾圧、虐待、投獄、そして公職追放という仕打ちを受けた。 これが、習が物心ついた頃に過ごした環境なのだ。

 中国共産党内部の権力抗争の歴史は、学者達、殊(こと)、中国出身でない者達にとり、世界で最も探求困難な研究課題の一つとして立ちはだかって来たのは、著者トリジアンが見立る通り真実である。彼らが直面するのは手強い言語の壁に止まらない。中国共産党は、自身の恥部が公けになることに極度に敏感な為、総力を挙げ史実を捻じ曲げ世論誘導に徹する一方、不都合な書類を門外不出とする。その結果、残されるのは、完璧に洗浄され、過ちが何一つ見い出されぬよう整えられた公的歴史記録である。

 然し、ヴェールの裏を垣間見れば、異なる真相が自ずと浮かび上がる。即ち、食うか食われるかの権力闘争、策略、傲慢、裏切り、そして二枚舌の世界――更に、それにも況(ま)し膨大な量の犠牲が払われた事実、等々だ。

トリジアンは、習仲勲の生涯を、途方もなく詳細に描き出すことによって、読者がヴェールの裏を伺い知り、そして、父子自身が共に屡々(しばしば)語った言葉を借りるならば、革命下の苦難と生存闘争を通じ彼らを正に“鋳造”した、政治の坩堝(るつぼ)に関する理解を深める手助けをして呉れる。

 「習仲勲の転落は、中国の歴史の正に転換点に生じた」とトリジアンは記述する。それは、又、習一家にとっても、その後、悲劇の連鎖へと導かれる転換点でもあった。

毛沢東政権の上級幹部だった習の父が、1962年に複数の濡れ衣を着せられ政治追放処分――罪状は、彼の嘗ての先輩同志で指導者だった人物を扱った小説出版を許可したことも含む――された時、習近平はまだ9歳の子供だった。習の父は16年間に及び政治的排斥と肉体への暴力に晒され――酷く殴打され片耳の聴力を失った――斯かる状況が、1978年、鄧小平の台頭と文化革命の終焉を見るまで続いたのだった。 

 嘗て彼の同僚だった人物が回想する通り、政治追放により習仲勲は「精神的打撃」を受けた。然し、これ程に虐待されたにも拘わらず、習は「自身の生涯を共産党に捧る」ことを唯一の望みとして固執し続けた。読者は、これは如何なる理由によるのか、そして、斯くも多くの不公正で侮辱的な行為が習一家に与えられたことは、彼の子供達へ如何に影響したのか、と云う点に就いて、強い興味をそそられるだろう。

 習近平の少年時代は余りに精神的苦痛に満ちていた為、文化革命下の1969年、農村へ「下放」され、其処で7年間を極貧下に過ごし、そして「農民生活から学ぶ」暮らしは、彼にとり寧ろ救いだった。然し、この間、彼は父親に纏わる耐え難い屈辱の影から逃れることは決して出来なかった。父の負う「反革命分子」と云うレッテルは、中国共産党則が定める政治的非難の内でも、最低最下層の範疇に相当したからだった。

トリジアンが記述するには、習近平は、彼の父親が原因で尋常ならぬ虐待を被った上、更に、習は自ら父親を批判するよう強要された。加えて、当時10代だった習は、中国共産主義青年団への入団申請を8回迄も却下され、その際の屈辱感が如何ばかりであったかは、同団に席を置くことが将来共産党へ入党する前段とされ、少年なら誰もが恋焦がれたことに鑑みれば、想像に難くない。

そして、この頃、文化革命が未だ完全終結しない段階で、習の姉は自身の絶望感を苦に首を縊り自死したことが一層の追い打ちを掛けた。

 如何なる逸脱をも許さぬ、トリジアンの厳格なる学識が、通俗心理学の微かな匂いによって、その輝きを損なうことのなきよう、彼自身が「当書は、父子の物語をフロイト派の精神分析対象とするのが目的ではない」旨を執拗に主張する。彼は執筆意図を自ら説明して曰く「特異な一個人の人生を取り上げることで、20世紀の共産党の姿を炙り出すこと」にあったと。トリジアンは、新たに中国、及び、英国、仏国、そして露西亜等の中国以外を主とする諸出典を猟歩し、彼の目的を見事に遂げたのみならず、読者へ更なる恩典を提供した。父親の影響を免れ得る息子は滅多に居ない。トリジアンは、習親子の物語を読者の前に開陳することによって、習近平が青年に至る過程での体験が、如何に今日の彼を築くに資したか、より深く理解する助けをなして呉れるのだ。

(第一章 翻訳了)

文責:日向陸生

*尚、当ブログ翻訳文章は生成AI機能一切不使用です。

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