(1)
露西亜によるウクライナ侵攻以来間もなく1年が経過する。ウクライナ国民が置かれた想像を越える苦難に心を痛めると共に、同国民の発揮した不撓不屈精神に世界は感銘を受けた。如何なる戦争にも終わりが訪れる。当月フォーリン・アフェアーズ誌巻頭論文は、当該戦争終結のシナリオを示し、「戦後」に備える提言である。(投稿論文『失墜瀬戸際のプーチン ~露西亜敗戦によって生じる便益と危険~』リアナ・フィックス、マイケル・キメジ共著)(当ブログ邦訳参照)
(2)
又、今年初、米シンクタンクCSIS(国際問題研究所)から台湾有事の図上演習(war games)結果が公表され、一部日本メディアでも話題となった(台湾本土、米グアム基地及び在日米軍基地に対する先制攻撃を伴う、台湾上陸作戦を中国が敢行し、米、台、日が連合し抗戦した場合、中国の台湾占領は失敗、しかし、同連合軍は1万人の死者と米空母2隻を含む、艦船、航空機の甚大な損害が避けられないとする試算)。扨(さ)て、斯様に緊迫感が高じる昨今の状況を「うすっぺら」であると批判するのはジュード・ブランシェットとライアン・ハスだ。彼らは当誌に寄稿し、台湾問題は「先送りするに如(し)くはなし」の論調展開をする。一考の価値ある主張である。(投稿論文:『長く続く台湾問題 ~ 敢えて決着を急がぬ策が最善策である理由 ~』(当ブログ邦訳参照)
(3)
一方、昨年2022年、独逸(ドイツ)では『時代転換(Zeitenwende)』と云う言葉が流行語大賞に輝いた。これはショルツ同国首相が昨年2月露西亜ウクライナ侵攻を受け、その3日後の議会演説で宣言した言葉が流布したものだ。その施策は防衛政策積極化とエネルギー政策(対露依存を脱っしつつ環境目標両立への)方針大転換を示すものだった。当号には同首相当人が『世界的な時代転換 ~多極化時代に新冷戦を回避する策~』と題し、上述独逸政策転換を含む世界環境認識を論文投稿した。昨今話題に賑った「レオパルト2」戦車対ウクライナ供与への流れの起点ともなる基本指針が述べられる。
(4)
米国政策の論客、ロバート・ケーガンもウクライナ案件で当月寄稿。『自由な世界。その維持は米国次第だ ~ウクライナ問題と米国の利害~』と題し、米国が百年に亘り自由主義を守る為に、二つの世界大戦と冷戦を闘った歴史を検証する。
彼曰く、戦争には「(生存権防衛の為に)開戦已むない」ものと「(その気なら)避けられる」ものと二種類あると。米国は、結局それらが「避けられる戦争」であっても、世界の自由主義覇権を守る役を買って都度参戦した。この間、外交政策の紆余曲折はあったものの、その背景にあるのは、大国間「権力均衡」を重視する”現実主義“の思想であり、換言すれば”新自由主義“の概念に立脚するものだ。彼の結論は、人類史には闘争と独裁が大半を占める事実が存在し、斯かる必然に抗し「自由主義の覇権」を維持するには、当面米国の力が不可欠とするものだ。
ウクライナ戦争、及び台湾問題に関し、プーチンと習を糾弾する一方、其処(そこ)には、著者の鋭い歴史洞察力と複眼視点が光る。即ち、「米国人は真珠湾攻撃(12月7日)と3日後の独逸宣戦布告を記念日として記憶するが、日独を追い込む政策を自ら講じたことを忘れている」又「冷戦下に、米国が世界中で赤化防止を画したのも又、覇権主義である」との指摘は慧眼だ。
又、米国の勢いが永遠に続く保証はないと達観する彼は、何れかの時点では、米国の力に支えられた自由主義覇権に代わるべき形態とし、非戦争、非専制、非混乱的な、より解放化された平等な平和よ来たれと切望するのだった(機は未だ熟さぬが)。
(5)
パンデミック対応への戒めとして『感染爆発は再び起こる ~感染症発生がパンデミックへ拡大するのを防ぐ方法~』は米国の著名医師、免疫学者のラリー・ブリリアント等による投稿だ(マーク・スモリンスキー、リサ・ダンジグ、イーアン・リプキン共著)。世界が新型コロナ禍から脱しつつあり、本邦も諸規制緩和化に向かう今日に、噛み締めるべき警鐘だ。即ち、今般、人類は100年に一度の世界的大感染症蔓延を経験した訳だが、これであと百年は無事に済むと考えるのは大きな錯覚だ。近代の劇的環境諸変化、例えば人の地球規模の移動増加と病原体を保菌する野生動物との接点増加等でリスクは寧ろ増大している。次なる感染症発生は必ず生じるが、問題はそれを世界的大感染(pandemic)に至らせぬよう封ずる事が重要で、それには各国協力姿勢に加え何よりも相互「信頼感」構築が重要と説く。
(6)
中国が自国経済規模を盾に貿易を武器として振り翳(かざ)す横暴に対し、その抑止には自由主義圏諸国が集団で経済的圧力を掛けるべきと提案するのが、ヴィクター・チャの論文、『中国の抑圧を止める方法 ~集団保障が発揮する強靭性研究~』である。
2019年10月、香港民主化支持のツイートがNBAプロバスケット選手から発せられた報復に、中国政府は同リーグ国内放映を2年間半中止(2022年3月再開)、斯様に同国政策上の意図から貿易を武器化する事例は、その後もフィリピン産バナナ輸入禁止、韓国向け中国人旅行客差し止め等、多発するが、その巨大な経済力に対し一国で抗するのは不可能だ。
対抗策として提案されるのは、中国が各国の輸入に大きく依存する品目を有する点を逆手に取り、集団で結束しこれを人質に圧力を掛け、予め抑止力を維持する策だ。そのエッセンスは、中国の輸入依存度が高い品目数と取引金額を国別で表したグラフと図に集約されている(誌上掲載)。即ち、中国への総供給量の内、単独で7割以上を担う輸出品目を数多く持つ国は、日本、米国、独逸、韓国、仏国、ニュージーランド、豪州等でこれらが連携し、WTOルール違反にならぬ範囲で運用実施を呼び掛けるものだ。(中国が各国に7割以上の供給依存する商品取引総額は年間312億ドル)。
此処で注目すべきは、同策のレバレッジを最大に効かせる立場にあるのは、断トツで日本という現実だ。対中国供給量の内、70%以上を供給する商品の品目数は、日本が一位でその数114品、合計金額は62億ドルだ。同じく90%以上を供給する商品の品目数は、これも日本が一位で47品、金額17億ドル。何れも2位の米国を凌ぐ(同国は、70%以上が94品目、60億ドル、90%以上が43品目、15億ドル)。
日本から見て、この輸出品目と金額実績は民間諸企業と先人達が商業で流した汗と苦労の結晶である。これらをより大きな大儀に用いるのは、結構な事ではあるが、当然、当事国として国策・外交方針に照らし日本の取るべき方向性を打ち出す事案である。中国から最大依存される位置にある、我が国に於いてこそ、同案を含め対中策に関し、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)も含め様々な観点から活発な諸議論が国内に湧き、近々本邦識者からフォーリン・アフェアーズ誌への対案論稿が掲載される事を期待したい。当誌は全世界で購読される。此処で当国から何らかの見解が出て来ぬと、日本国民は「悩めるソクラテスではなく、幸せな豚」(ジョン・S・ミル)と嘲笑され兼ねない。
(7)
今日、ネット社会に住む我々は、イーロンマスクによるツイッター買収の空騒ぎやら、対グーグル広告事業分離を訴える米司法省独禁法規制の諸事から決して無縁では居られない。そんな中、ロナルド・ダイバートによる寄稿は、『あなたのスマートフォンに潜む独裁者の影 ~市販傭兵型諜報ソフトが民主主義を脅かす~』と題し、個人行動を監視する、所謂“スパイソフトウェア”が今や社会に拡散する、ネット時代の暗黒面に焦点を当て警鐘を発する論文だ。
昨年3月、ウクライナ政府は露西亜との諜報戦に対抗すべく、“ペガサス”と命名されたスパイソフトウェアをNSO社(在イスラエル企業)へ購入申し入れたが、対露関係に配慮したイスラエル政府が許可を拒んだ事案が海外メディアで話題になったのは記憶に新しい。当稿は、このペガサス(上述イスラエル企業グループNSO開発販売)やベルトロックス社(BellTroX:インド企業)によるソフト等を始め、民間諸企業が開発・販売するスパイソフトウェアの市場がこの10年に急成長の結果、今や年間120億ドル規模に上り、多くの国々で官民問わず愛用される現状を報告する(タイ、サウジアラビア、UAE、ルワンダ、スペイン、メキシコ、ギリシャ、ハンガリー、ポーランドでの実績、更には米国FBIでの使用疑惑、等)。著者曰く、今やこの手のソフトは「アマゾンでイヤホンを注文するが如く」手軽に入手できるのだと。
当ソフトが恐ろしいのは、利用者が一切端末操作せずとも、ペガサスが侵入し全ての情報が自覚ないまま、相手方へ筒抜けになる点だ。同ソフト利用事蹟は枚挙に事欠かない。サウジアラビア人ジャーナリスト、ジャマル・カショギが在トルコ、サウジ大使館内で殺害されると云う前代未聞の暗殺事件(カショギ氏の妻や周辺知人の携帯がペガサスに感染。同氏本人携帯の感染有無はサウジ側沈黙により不明)、スペイン政府によるカタロニア地方独立派陣営に対する諜報、及びアルゼンチンで政府高官汚職捜査に関わった、ニースマン検事暗殺事件、等々。更に、政府と対立する人権団体やジャーナリストに対する諜報に利用されている状況だ。
著者提言は、政府自身によるスパイウェア規則・規制の枠組み、ソフト輸出規制、被害者による法的訴訟支援、国連による規制力(地雷禁止に類する)等、前向きで貴重な提案だ。読者諸氏は、その道程容易ならざると感じるかも知れない。然し、論稿は空恐ろしい、近未来の暗黒図も示唆する。即ち、スパイウェアは、個人の健康データのみならず、やがて潜在意識を含む精神や脳への侵入をも可能とし、ソフトによって個人そのものが操られるSF世界も登場し兼ねないのだ。最早(もはや)当件ソフトの繁栄を野放しにする訳にはいかず、各自強い問題意識を持つ必要があるだろう。
(8)
ウクライナ戦争を含み、国家間情報戦争等がデジタル革命で進化を遂げる現況説明と、それを踏まえた米国家諜報体制の改革提言が、エイミー・ゼガートによる『秘密が公然化する時代 ~ウクライナ戦争と今後の情報戦革命~』だ。
論稿中、デジタル革新を証する具体数字には改め目を見張らされる。世界のオンラインアクセスは、1990年代中盤には全人口の1%未満だったのが、今や66%に至り「南極の果てから砂漠のヴェドウィンのキャンプ迄」繋がっているのだ。この3年にオンラインに新規参加した人口はのべ10億人以上。地球上のデジタルデータ蓄積量は24時間毎に倍増中。地球を周回する人口衛星は今や5,000個に上り、その中で小型式のものは僅かパン一斤分のサイズ(性能に於いても、商業用衛星含め各段に向上)。AI発達は、25年後には現在の人間の雇用の4割を奪うとの試算、等々。
これらに伴う諜報戦の変化は、ウクライナ戦争で米国が採用した、露西亜側の侵攻作戦情報を事前に世界に開封・公開する新手の作戦にも現れた(相手を牽制し効果を挙げた)。然し、より大きな特徴は、所謂、民間諜報活動による情報公開- open source intelligence-の存在により、国家の諜報プロと素人集団の境界は曖昧化した点だ。例えば有志者集団ベリングキャット(Bellingcat)による情報貢献(ロシア政府の諸悪行暴露‐元スパイのクリスパル毒殺未遂犯人、マレーシア航空17便墜落事故原因(撃墜)解明、及び欧州内のISIS支援先を特定等)が得られた半面、米国民の40%は中国製動画共有アプリソフトのティックトック(TikTok)をスマホにダウンロードしている現況は、「今日の情報戦では、武器とは見えないものが実は武器」になる、危うい、謂わば両刃の刃の状況なのだ。
また、更なる特徴は、情報戦に求められる許容反射時間が技術進化に伴い劇的に縮小した事だ。大統領が決断迄に使える時間は、「1962年のキューバ危機に際し13日、2001年9/11のテロに対し13時間、そして、一瞬にして甚大なハッキング被害が生じる今日に於いては、それは13分或いは13秒」かも知れないのだ。
斯かる環境変化により米国諜報能力が限界に至る中、著者の論稿主張は、その解消には、従来の秘匿情報を取り扱う局とは切り分け、利用可能な公開情報分析を専門に扱う諜報組織を新規創設すべきと云う提案だ。尚、諜報の神髄とは、相手の出方を予知する業で、この為、人的諜報(生身のスパイ潜入)の役割は不滅だとも云う。
その他以下二つの論文を収録。
(9)
『王国サウジと大国米国 ~米国-サウジアラビア関係修復の提言~』は、F・グレゴリー・ゴーズ三世が、拗(こじ)れた二国間関係の分析と今後の改善を提言するものだ。
米ソ冷戦下、サウジアラビアは米国と政策目標を共有(力関係から共有余儀なくされた)が、抑々(そもそも)、片や人権主義と片や保守イスラム主義という不釣り合いなイデオロギーを持つコンビが、共通の敵の存在(対ソ連アフガン戦争、対イラク湾岸戦争等)と石油開発を含む経済上の双方便宜によって互いの結束が可能だった背景がある。
ソ連崩壊後、世界多極化に連れ、サウジの重心も米国一本鎗から移動、今や、原油生産は「OPEC プラス」体制下、同カルテルの日量全体生産4千万バレルの内、サウジと露西亜が協調し同二国でその半分を占めるに至り、更にサウジ原油販売の最大得意先が中国(米国の3倍)という関係に変じた。原油価格安定を求める米国と、世界のクリーン・エナジー転換完了前に化石燃料収入を稼ぐ命題を抱えるサウジとの利害衝突に加え、ムハンマド王子のサウジジャーナリスト、カショギ殺害疑惑に関わる人権問題対立が尾を曳き、バイデン民主党政権とは一層関係冷却化し、現政権下に二国間戦略協議は2年間未開催と云う異常事態が発出している(共和党トランプは同王子と関係維持)。
同王子が独裁者であっても次期国王の地位にある者である限り、関係改善すべきで、その為には、双方、狭い乍らも共通利益(イラン核問題、ジジーハドテロ問題、軍事諜報協力、対イスラエル関係改善、等)に絞り相互関係修復に着手すべきを提案する。(尚、サウジ原油の輸出先は、筆頭中国に印度が次ぎ、日本が第三位)。
(10)
『新産業時代 ~製造大国を再度目指すべき米国~』は、シリコンバレー選出の米国下院議員ロー・カンナの政策提言。1998年以来、中国輸出攻勢を受け、米国は貿易赤字拡大と国内製造工場閉鎖に伴う雇用喪失を被る状況下、対中貿易赤字削減目標設定、人民元安誘導政策問題を含め同国と二国間交渉により是正促すと共に、国内製造業支援実施し雇用改善を訴える。
ブログ責任者、謂(おも)えらく、この論は、恰(あたか)も1980年代中盤、対日貿易赤字を巡る日米摩擦時の論法焼き直しで、壮大なタイトルの割には、21世紀の問題に旧世紀の対処法を用いるが如く、他の9篇論稿に比べ品質が劣るが、有権者の心に訴え掛ける内容は今昔東西普遍と云うことだろうか?
以上が当1月・2月号掲載、10本の投稿論文概要である。冒頭の二篇は当ブログに全文邦訳を別掲したので参照されたい。
(了)
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