【読者投稿欄】『イスラエル「二国制度」による解決は尚も可能なのか? ~“イスラエル「一国制度」の現実”に関する論戦掲載~(識者5人からのそれぞれ反応意見と、元論稿著者の再反論)』(原典:Can the Two-State Solution Be Saved? ~Debating Israel’s One-State Reality~、Foreign Affairs 2023 July/August号、P196-209)

識者からの反論5篇と、それに対する著者再反駁 合計6篇掲載。

<最初の反論者>

投稿者:マイケル・オレン(Michel Oren)

肩書:元イスラエル国会(クネセト)議員、イスラエル首相府副大臣。又、米駐在、イスラエル大使の経験を持つ。『2048年 ~再活性化するイスラエルの将来像~』の著者(2048: The Rejuvenated State)。

(投稿文)『論者達の危険な妄想』(Dangerous Delusions)

米国中東外交の失敗(特にイスラエル・パレスチナ問題)事蹟を訪ねたい者は、著者達の論稿を読めば、此処に全てが在る。

ワシントン政府は真実に向き合う態度を自ら否定したその代償に、アフガン戦争、イラク、リビア介入等の何れも大失敗した戦役へと突入する羽目となった。更に米国政府は、思想的上の偽(にせ)妙薬を熱心に処方し、独裁者を改革者に祭り上げ、同盟国を不可触民へと仕立てる手法を常に採用して来た。著者達の論稿は、正に米政府の、この現実逃避とお決まりの偽思想喧伝術をそのまま反映したものに過ぎない。

論稿は、出鱈目にイスラエルを非難し、「二国家制度の“死”」の責任は全て同国にお仕着せ、米国の親密な友、サウジとの関係断絶を進言し、イスラエル国民には、ユダヤ人としての出自と矜持を捨てよと迫るものだ。

著者達は、イスラエルに関し人目を引く学術的中傷をぶり返し、パレスチナ機構を否定する一方、自らは、平和解決への策を一切提示しない。

「二国制度の解決案」なるものが、抑々(そもそも)、有効に存在した時期があったのか? それすらも疑わしい。就いては、謂わば「適切な検死」作業そのものが行われるべきだろう。この点に関し、私の見解を述べれば、二国制度は死んだのでなく、「実は、一度も生きた験(ため)しがない」と云うのが答えだ。

45万人のイスラエル人が1967年設定の国境線を越え入植した事や、イスラエル人の権利が向上した事よりも、寧ろ、二国制度が死んだ根本原因は、パレスチナ自身の反対によるものだ。

一国家制度による解決手法が打ち立てられる遥か以前の、1937年と1947年に、パレスチナは暴力的な拒否行動を起こした。その後も、アラブ側は二国家制度を拒絶する事が、2000年、2001年、そして2008年に及び、最早(もはや)、斯かるお決まりの対応こそ、パレスチナ政策によって歴年の長きに亘り幾度も繰り返えされた事なのだ。

パレスチナ人は、ユダヤ人が人民を組成する事自体を否定する。更に、パレスチナ指導者達は、米国が提案した「二民族の為の二国家」案には嘗て一度も合意した事実がない。

パレスチナ人達には、「彼らの主張を収め、相互の紛争を終わらせる」為の原則を話し合いで決めようとの歩み寄りが全く見られない。この態度なくしては、如何なる平和合意にも辿り着く可能性はないのだ。更に、何百万人ものパレスチナ人難民の帰還によりイスラエルのユダヤ人の存在を破壊する試みを決して止めようとしない。

これ迄、パレスチナ人指導者は只の一度も、ユダヤ人独立国家との調停を図ろうとする意思も、又その能力も指し示した実績もないのだ。その理由は、もし、その意を示す指導者が居たとしたら、彼は間もなく暗殺されてしまうからだ。

パレスチナ人達の実態はこうだった。つまり、PLO憲章に謳う処の「“非宗教的で、民主的な政策”を創立する事を尚も義務として背負いつつ、近代国家設立を形成する為に、安定的で透明性のある機構を打ち立てる」と云う意思を、彼ら自身が身を以って示した事は、露ぞなかったのだ。

更に、彼らに割り当てられた如何なる土地に於いても、主権を維持し保持する能力を彼らが保持する点を、自らが行動で証した事はない。彼らが取った行動は、混乱を引き起こす事だけだったのだ。

これら諸事実を悟り、多くのイスラエル左派の人々もパレスチナが「実際は二国家制度を望んだ事がなかったのだ」と結論付けるの已む無きに至ったのだ。つまり、「パレスチナ人は、イスラエル人の消滅を願っているだけなのだ」と彼らも理解したのだ。

「二国家制度が死亡した旨」を明確に証する検分に就いては、1990年代初期から今日までの世論調査推移を辿れば確認出来る。即ち、前者の頃は大半のイスラエル人が二国家制度を好んだのに対し、後者では同制度の支持者は激減した。

イスラエル政府は平和を期待し、2000年のレバノン撤退と2005年ガザ撤退を実行したにも拘わらず、結果は、テロリスト達から何千発ものロケット砲弾によりイスラエル市民が標的化されたのだった。

1990年代中盤のオスロ合意による期待に満ちたムードは、同様に、2000年から2005年に掛けて発生した第二次インディファーダによる数々の自爆テロにより、完全に水を差されたのだ(米国が被った9/11テロに比較し、人口比率で見れば10倍以上となる、1,000人以上のイスラエル犠牲者が発生)。

著者達は、イスラエル選挙による右翼政権誕生をあげつらうが、パレスチナ側には、法的裏付けを持ち主導力を有する、全うな政権すら存在していない。中道イスラエル人は、テロで殺され、イラク、レバノン、シリア同様に破綻国化し、その混乱の中に死ぬよりは、それに多少欠陥があり乍らも56年続く現状方式に甘んじ、死なずに生存する道を選んでいるに過ぎない。之が非難されるべき行動だろうか?

パレスチナ人がイスラエル入植者に憤懣と云うなら、我々イスラエル人はパレスチナの教科書がユダヤ人を殺せと子供に教える事に対し憤懣を覚える。

ミカ・グッドマン(イスラエル哲学者)のキャッチ-67(同人の書籍名)が訴える通り、パレスチナ国家が現在不在である故に、イスラエルユダヤ人は攻撃を受け、民主主義的信条へ疑問符を付けられはするが、もしも、パレスチナ国家が創立されれば、ユダヤ人の存続自体が脅かされる事になるのだ。

著者達の分析は間違っており、提言も又、的外れだ。対イスラエル援助の停止提言(年間38億ドルとされる)の話だ。米国は、嘗て、イスラエル国防予算の半分に相当する援助を行ったが、現在は1/5以下だ。更に、対イスラエル援助は米国世論の後押しも強く、米国が補助する産業に従事する何千人もの米国人も含め(訳者注:軍需産業を示唆か?)恩恵を受けている。

更なるお笑い草は、米国が国連でイスラエル擁護を止めた途端、イスラエル人民はユダヤの矜持を捨てるとでも考えているのだろうか? 我々の民族は国連でいくら叩かれても、ユダヤ人の出自を決して捨てない。又、米国が、国連で同盟諸国を威嚇したとて、中東での自らの影響力の回復を期する事は出来ず、何の役にも立たぬだろう。即ち、2023年初旬、中国にイラン・サウジ国交回復を仲介され、米国はさぞ泡を喰っただろうか、それが今の米国の実力と知るべきだ。

 一方、外国策上行き詰まっている現況下にも、米国が尚も平和構築への手助けをする策を、著者達には検討、追求する余地がまだ残っている筈なのだ。即ち、パレスチナ経済やインフラの強化を手助けし、技術開発計画や経済基盤整備計画を発足させ、日々、イスラエルへ入国するパレスチナ労働者数の増加に寄与する事が出来るだろう。

同時に、米国は「現状変更」には強く抵抗する方針を取る事が可能で ―之は丁度、バイデン政権が選択しようとする方針でもあり― より強い指導力発揮が許される政治環境が整う時迄、時を稼ぐ良策と云える。

一方、二国家制度に替わり得る、代替策も、例えば、連邦国家方式、共同統治国制、信託統治形式等、尚、検討の余地が存在するのだ。

著者達は、これらの選択肢全てを無視する一方で、「代替案」が必要だと強調して見せる。其処で、彼らが追求しようとする計画は、到底、実現不可能だと明々白々に判り切った手段だけなのだ。

イスラエルの複雑な実情の理解に努める代わり、彼らは「ユダヤ人の優越性」と云うスローガン、この考えが後にナチスやKKKが採用した概念と裏腹なものと位置付け、それに対し対抗する路線を敷こうと画策するものだ。即ち、こうして、暗黙裏に、反イスラエルの、ボイコット、投資引き揚げ、制裁適用を支援する意図なのだ。

つまり、イスラエルを「アパルトヘイト」国家とラベルを貼り、あからさまな反イスラエル勢力であると世間からも認知される、アムネスティー・インターナショナル(人権擁護組織)、人権監視団(Human Right Watch)、中東学界の教授陣、と云った諸団体から、著者達は恣意的な引用を行っており、甚だ不公正な手法である。

又、「イスラエルとそれ以外の国際社会の関係」に関し、著者達は偏向した次の主張を行う。つまり「占領地在住パレスチナ人が完全に平等な市民権をイスラエルから付与されない限り、イスラエル国家自身が複雑化し国際的孤立を招くだろう」と。然し、之は、イスラエルが中国、印度、及びアフリカ諸国と有する強固な絆を無視した誤った見解だ。

パレスチナ人は、和平提案を拒否し、テロ行為を尊重し、ユダヤ人殺しで服役中の囚人に資金援助を続ける。それにも拘わらず、著者達はこれらパレスチナ人達に対しては、実質、何一つとして責任負担を求めていない。

即ち、イスラエルに関する“道徳劇場”の中で、パレスチナ人達はほんの小道具の扱い程度にも登場させていないのだ。

当該論稿は、米国の中東外交策の悲劇的事例としては、様々な視点から有用な読み物と云える。

又、筆者達と類似の発想を共有した、米国政策策定者達が「民主主義を力によって海外地域に根付かせる事が出来るのだ」と信じ、如何に思い上っているか、その実情理解の助けとなるだろう。

彼らは、「シリア独裁者のアル-アサドが平和の構築者で、イランは域内で責任ある地域勢力になり得る」と云った詭弁迄も信じ込むと云う始末なのだ。この事が示唆するのは、米国が中東の実情と真摯に向き合わない場合、平和が遠のく丈に止まらず、悲劇的惨事を招来すると云う点だ。

(了)

<二人目の反論者>

投稿者:マーティン・インディク (Martin Indyk)

肩書:外交問題評議会名誉会員。ビル・クリントン大統領下に駐イスラエル米国大使勤務。又、バラック・オバマ大統領下、イスラエル-パレスチナ交渉に於いて米国特使を務めた。

(投稿文)『“二国家制度”を見限るのは時期尚早だ』(Don’t Abandon Two States)

 著者達は「イスラエル人とパレスチナ人が、今やイスラエルの支配地全領域に於いて“一国制度の現実”の中に暮らす」実態を強く訴える。確かに、イスラエルがパレスチナ領土を占領して56年が経過、同論稿を引用すれば、事態は“両民族の優勢と劣勢の関係に従い、徐々に醜悪化”しつつあり、「二国家制度」に向けた解決交渉への望みはすっかり翳ってしまった状況だ。

 この現状は如何にすれば打破できるかは見通し困難だ。然し、第三次インティファーダ発生の危機が迫る中、仮に更なる暴動激発によりイスラエルが、自国現行政策の費用対効果の計算を見直す可能性は確かにある。然し、斯かる見通しよりも優先し、為されるべき事は「二国家制度」を現実的解決策として、復活する道を再度探る事ではないだろうか?

即ち、イスラエルとパレスチナ双方に新しい指導勢力が生まれ、両国間の信頼を回復し、イスラム派ハマス機構とパレスチナ機構との調停が為され、暴力、煽動、及び入植拡大へ終止符を打つ手を模索するのだ。著者達の論稿に、これらの観点から解決策は示されない。

 何かしらの変革が是非とも必要なのだ。その理由は「パレスチナ人が“安全、自由、機会と尊厳に於いて平等”を享受するに値する」との、アントニー・ブリンケン国務長官が屡々(しばしば)宣言した経緯のみに止まらない。

寧ろ、最大の理由は、この現状が、イスラエル系ユダヤ人達の人格と民主的土壌を損い、更に、米国に於いては、対イスラエル支援の衰えが、急進派の人々の間、特にユダヤ系米国人社会と民主党の中に顕著になっている事態が危惧される為だ。

 然し、「二国家制度」による解決策を放擲してしまう事が、問題に対する答えではない筈だ。それに代えて、二国家制の中に於いてパレスチナ人達にも等しい諸権利が確保される道が引き続き追及されるべきである。

パレスチナ人達は、自分達の国家を自らで決める権利に就いて、国際的に揺るぎない認知を今日、勝ち取るに至る迄、長く辛い歳月を闘争の中に費やして来た。従い、今般、この問題を「パレスチナ人個人の人権確保」にすり替え、国家自決の為に従来注がれて来た尽力を、すっかり捨ててしまうのは誤りだ。

もしも、それを捨てれば、パレスチナ人達は、今後決して終わる事のないイスラエルのユダヤ人達との紛争の渦中に投じられる事となるだろう。何故なら、イスラエルのユダヤ人達は、アラブ人が体験したと同様の苦労を以って漸く建国に至ったユダヤ人国家を、アラブ人と共存する二国並存国家へと転換させる事に対しては、全く同意する意向がないからだ。(斯かる二国並存国家では、アラブ人が人口の多数を占める事態が生じる為、尚更ユダヤ人達は同意しない)。

「二国家制度」を放擲すれば、入植者達が増加するのみならず、入植策を支援するイスラエル内の右派と極右派の双方に利する事となる。彼らは長きに亘りパレスチナ国家樹立の阻止に心血を注ぎ、寧ろウエストバンク全領域を彼らの領土と主張するのに、益々好都合と考えるからだ。

更に、これは、イランとハマスをも利する事となる。彼らは、それぞれの都合で「一国制度」による解決を利用しようと狙っているからだ。

 もしも、米国やそれ以外の国際社会が「平等な権利」をイスラエルに強く求めれば、これらの力が紛争当事者達を動かし、彼ら自身の将来に於いて別の選択肢を真剣に考慮するよう促す可能性がある点は、著者達も認める処だ。この場合、理論的に在り得る可能性として、一つは「二国制度」の復活であり、もう一つはイスラエルによるパレスチナ軍事支配の終了である(二国家制度による解決を実行する場合、実は、後者が如何なる形態であれ、前提条件となる)。従い、実際には著者達は、上述の二つの可能性の双方共の実現を願う立場に居るに等しい、と云えるのだ。

 処が、著者達は寧ろ、現在喫緊に為されるべき課題として「イスラエル在住パレスチナ人に等しい権利(投票権を含む)を獲得させる」事に異常に固執する。そして、この実現を図る策として、彼らが提唱するのは、イスラエルを国際社会の中に非難し、孤立させる為の一連の過酷な手法だ。即ち、イスラエルを「アパルトヘイト的な国家」と烙印し、同国向け米国の軍事及び経済援助を条件付けで制限し、或いは大幅に削減し(実際には経済援助の実績はないが)、同国がアラブ諸国と結んだアブラハム合意による国交正常化を阻害し、更にはイスラエル指導者達を制裁対象に加えよ、の提案だ。

簡単に云えば、著者達は、米国がイスラエルを嘗ての戦略的盟友から、国際的に孤立する不可触民国家に変じようと意図するものだ。

一方で、彼らは、同策を推進する場合に「政治的反動が激甚である」点を認めており、そうなると、現実には、一体、米国の何処(どこ)に、敢えて利得と議員の地位を捨てて、このような策を推進する政治家が居るのか、と云う大きな疑問が湧く。

百歩譲り、彼らが本気でこれら諸策を進める覚悟ならば、それらを何故に、明確に「二国制度の復活」と結びつけないのであろうか? この戦術の方が、イスラエルを非合法国家とし、彼らのシオニストとしての矜持を強制的に捨てさせるような非現実的な策に比べれば、寧ろパレスチナ人の権利を獲得出来る可能性は高いだろう。

 今日、既に具現化する「一国制度」の現状を変じ「二国家制度」による解決策へ持って行くのは至難の業だ。それでも、バイデン政権は「二国家制度」による解決策を約束した立場に在り、就いては、この実現に向け、同政権がもっと活発に諸行動を段階的に実施する必要が在る。つまり「同目標が達成される可能性が存在するのだ」と云う点に関し、当事者双方の信頼を先ず、再度回復する作業だ。

その中で、一等一番に為すべきは、イスラエルによる「一国制度」強化の動きを阻止する事で、特に彼らの入植策推進を封じる必要がある。

ネタニヤフ政権は、100ケ所以上に上る、違法な入植前哨基地を合法化しようと意図する中、バイデン政権はこの動きに抗するのみならず、もし合法化に向け事態が進捗する場合、国際諸団体からイスラエルが懲罰を被る事態にも、同政権が同国を擁護する方針は停止する旨を告げ、脅しを掛けるべきだ。

 ウエストバンク全領域の60%に相当する、イスラエルが完全支配する領土に関し、バイデン政権はネタニヤフ政権に対し、同地をパレスチナ当局へ返還するよう圧力を掛けるべきだ。そうする事によって、パレスチナの市町村の繁栄が得られるのだ。この約束は先のオスロ合意により提示され、更に2023年のアカバ共同声明に於いて、ネタニヤフ政権下にイスラエルが再確認した条件だ。

又、パレスチナ国家構築を準備する諸機構を活性化させる為に、バイデン政権は、国際的協力を主導する役目を負っており、手始めに、治安保全の提供、銀行システム、及び教育と健康医療制度の分野から着手すべきだ。

 既にバイデン政権は、エジプトとヨルダンに対し、イスラエル-パレスチナ間交渉を最終的に再開させる為に、環境の下ごしらえに協力するよう勧誘する事に成功した。

従い、同政権は、サウジアラビアに対しても同様の対応を図るべきだ。何故なら、米国からの安全保障と武器売却の見返りとして、同国がイスラエルとの完全な国交正常化に踏み切る事に同意した経緯があるからだ。

イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、米国バイデン大統領に対し、これらの要求に沿って呉れよとのロビー活動を展開している。然し、バイデンは迂闊に話に乗る事なく、イスラエルとサウジアラビアの両国が、パレスチナ人に対し真摯に向き合う為の諸段階を積極的に踏み出すのを確認した後に行動するよう、思慮すべきだ。

 今は「二国家制」による解決を捨てる時ではない。寧ろ、今こそそれを再活性化させるべきだ。

(了)

<3人目の反論者>

投稿者:ダリア・シェインドリン(Dahlia Scheindlin)

肩書:センチュリー・ファウンデーション(米国所在、人権擁護推進するシンクタンク)の研究機関、センチュリー・インターナショナルの政策研究員(テルアビブ在住)。彼女はイスラエルの新聞「ハアレツ(Haarets)紙」のコラムニストでもある。

(投稿文)『酷な現実を暴く丈では、識者として責務不十分だ』(Hard Truths Are Not Enough)

 最新号に掲載された論評、ミカエル・バーネット等4名共著による『一国制度の現実』(私自身、同小論作成に協力提供した)は、イスラエルとパレスチナの現状を肯定する人達を、隠れようのない場所へと晒し出す効果を持った。

彼らが「一国制度の現実」と称する事態は、「アパルトヘイト」に必ずしも一致するものではないかも知れぬと、彼ら自身は控えめな立場を取る。然し、周囲の者達が、その実態を直視すれば、其処にはアパルトヘイト肯定の精神が在る事は、紛れもない事実として理解される筈だ。

 著者達はひるまぬ物云いで論稿を進めるものの、幾点かの問題に於いて、突っ込み不足である。例えば、彼らは「イスラエルは、ガザ地区に対し“残酷な封鎖”体制を維持し、同領内の海岸線、航空領域、及び国境を厳しい管理下に置く」旨を記述する。

無論、この主張は正しいが、イスラエルによる支配がパレスチナ人社会を如何に酷く害し、そして、支配そのものを永続化させるかと云う状況を、十分には伝えていない。

イスラエルは、ガザ地区に対し人と財の流出入を厳格に制限し、同域内の経済を効率的に支配する。更に、これら地域に於けるイスラエルの管理対象は、電力供給、通信網の周波数割り当て、更にはガザ地区の住民が何処に居住可能か、人口制限迄にも及ぶのだ。

彼らはこの権限を利用し、同地に於ける、産業、住宅建設、医療対応、下水処理、及び生活水浄化と云ったインフラ整備を妨害して来た。これら周辺地域が戦争により繰り返し被害を受けているにも拘わらずだ。

 上記から判るのは、誰がガザ地区を支配するか丈が問題ではなく、肝心なのは、それが如何に支配されるか、と云う点だ。イスラエルの管理手法は、パレスチナ人社会のみならず、政治的団結をも打ち砕き、軍事衝突を生み出し、それによってイスラエル支配の永続化を正当化しようとしている。

 著者達は、一国制度の現実に伴う、有害で同制度自身を永続可能化させる効果を過小評価する一方、米国が対イスラエル政策を強硬化させた場合に得られる効果に就いては過大評価している(私は、著者達の提言する同政策強硬化への賛同者であるが)。

即ち、彼らは「“一国制度の現実”により脅威を感じたパレスチナ人達は、中東を不安定化させ、同地域内に結束した抗議諸活動を頻発させる事態が生じる」と大そうに警告する。

処が、過去10年に生じた主たる地殻変動的大事件 ―アラブの春、シリア内戦、イランによる影響力拡大、等― に於いて、パレスチナ人の苦境を原因としたものは何一つない。前回、アラブ人大衆が方々に蹶起集結した際、パレスチナ人問題を訴えた事案は皆無なのだ。

又、米国政策の影響力に就いて云えば、同国がイスラエルのパレスチナ人処遇に抗議し、対イスラエル強硬路線を取った場合、中東に於いて米国の信頼性は若干改善する点は間違いない。然し、その一方で、これによって被る政治的代償は極めて大きなものとなる。従い、現実的には、米国内政治家にも政党にも、同方針を敢えて進める者は誰もいない。結局、対イスラエルへの強硬路線策は、之によっても平和合意成就は期待出来ずに不可能な為、同策推進により生じる政治上の得失勘定は、得る物より失う方が遥かに大きいのだ。

 著者達は、之と同様に「イスラエルが“容赦ない権力”行使によりパレスチナ人を抑圧すれば、彼ら自身が法治性を失う」と論じる。一方、彼らは、パレスチナ支援を訴える運動が、世界中で脆弱なのは深刻な問題と認める。即ち、パレスチナの若者達を主導するリーダーが不在なのだ。従って、国境を越え結束した諸行動は、イスラエルに於ける日常生活を脅かす程の影響を与えなかった。つまり、それらは所詮、政治的迷惑行為の域を出るものではなかったのだ。

更に悪い事には、これらの現実は親イスラエル派の主張宣伝(イスラエル語でハスバラ-hasbara)を勢い付かせ、米国に於いては「反ボイコット法」(*訳者注:イスラエルに対するアラブ連盟のボイコットに米企業が従う事を禁じる法)の拡大にも利用される事になる。纏めて云えば、イスラエルがパレスチナ領土を占領するのは好ましくはないが、一方、イスラエルを批判する者達による大きな思い違いは「このような占領政策は持続しないだろう」と信じた点だ。私自身もこの間違いを犯していたのだ。

 現実的政治から、一旦、距離を置いて考察すれば、実は、イスラエルが方針変更し、米国がその実現に気を配ると云う展開に際し、これらを後押しする諸要因が存在する事が判る。

イスラエル側は、それを認めたがらないものの、現実には「パレスチナ人の権利」問題は、国内法改正が提案された件を巡り現在進行する紛争、並びに、現在自国内で関心を集めるイスラエル民主主義の状況と、互いに切っても切れない密接な関係に在る。現状、占領地に居住する人々に対し民主主義は与えられていない事実は、実は同時に、占領支配を行うイスラエル側に「民主主義が存在しない事」を物語るものなのだ。

イスラエルは、支配下に置く人々に本来付与すべき、平等、人権、代表権と云った核心的価値を与えず犠牲にしている。それにも拘わらず、同国最高裁は、占領地諸政策を繰り返し合法化して来た。然し、この一件は、イスラエルが同裁判所の判断を民主主義の名の下にいくら擁護しようとも、現実の矛盾から永遠には逃れられない事実を露呈しているのだ。

 一方、米国側としては、イスラエルが国際法を軽視し、占領地所有を合法化し、パレスチナ人による自主的決定権を妨害する諸行為を継続する場合、自身が困難な立場に置かれるのは間違いない。つまり、ワシントン政府が斯かる諸策を支援すれば、それはウラジミール・プーチン一派が唱える「規範に基づいた国際秩序は茶番である」との見解に対し、之を肯定し、寧ろ権威付ける結果となるからだ。

 著者達の提示する政策処方は価値あるものには違いない。然し、これら諸策が有効か否かは、当事者たるイスラエル人とパレスチナ人、彼ら自身の行動次第だ。この紛争に於いては、双方共が主体性を有し、いずれか一方の参加者が受け身的に巻き込まれたものでは、決してない。

著者達は「双方の指導者達が国を主導していない」と非難する。然し、この指摘はイスラエル側に就いては正しくない。

 意図的に難読化を図って政権を引っ張るのも指導力の一法なのだ。実際の処、現行イスラエル政権は「占領地に就いては、完全にして不可逆的支配を目指す」点に於いて、従来の多くの諸政権に比べその意図が遥かに明白だ。就いては、イスラエルに対し「パレスチナ人に関する政治的構想」を公(おおや)けに表明せよと、米国は固執し要求すべきだ。つまり、イスラエルの口から「代表権や諸権利が与えられず、身分を細分化された500万もの人々を永続的に支配するのが彼らの構想だ」と、はっきり云わせる作戦だ。

 パレスチナ側も又、新しい国家構想を策定する必要がある。之は、パレスチナ‐イスラエル問題、及び、パレスチナ人結束の諸運動に関し、米国外交政策を再度活性化させる為に役立つからだ。

パレスチナ機構の指導者達は尚も、公式には「二国家制度による解決」を支持するが、調査によれば大半のパレスチナ人は(大半のイスラエル人と同様に)それを支持せず、寧ろ、彼らはパレスチナ機構の失敗を軽蔑している。然し、そうかといって、国家自決の方向に関し、それに代わり、統一的見解として優勢を占めるような案は、現状存在しない。

 双方が現実的な事態収拾策を用意しない限り、米国が解決に向け両者を歩み寄らせる事が出来ないのは当然だ。両者がそれぞれの構想を提示してこそ、米国は初めて、問題解決に向け、双方間の溝、或いは、双方の政治目的及び、民主主義と人権の基本的水準に於ける双方差異を埋めるべく、戦術に止まらず、より重要な戦略をも構築する事が可能になるだろう。

(了)

<4人目の反論者>

投稿者:アサド・ガ二ム(Asad Ghanem)

肩書:ハイファ大学(在イスラエル)教授(政治科学)。パレスチナ人活動家及び著作家。

(投稿文)『変革はパレスチナ人から起こすべきだ』(Change Must Start With the Palestinians)

 ミカエル・バーネット等が論稿に主張する“一国制度の現実”は、イスラエルの実施する諸政策が生んだ産物だ。それらは、同時に、アラブ諸国側の無作為に助けられ、更に、ユダヤ国家に対して殆ど従属的とも云える米国からの支援に支えられた背景も在る。

然し、斯様にもイスラエル支配とその民族的優勢が高じた理由には、パレスチナ人自らがそれを許した一面がある。つまり「パレスチナ人の母国が暗澹とした姿になりつつある、この現実に対し、彼ら自身が負うべき責任」に関し、同論説は一切焦点を当てていない。この点に於いて、著者達が洞察力を欠いているのは惜しまれる事だ。

 1948年にパレスチナ系アラブ人達の大半を強制移住させた、所謂“惨劇”(パレスチナ人は母国語で”nakba” ナクバと呼ぶ)の発生を含み、イスラエルが一連の不公正な仕組みを強行に進める事が出来たのには、パレスチナ側にも非があるのだ。即ち、当時、パレスチナ人達が分裂し、統一された国家的行動を組織出来ずに居た事が、上述イスラエルの横暴を喰止められなかった主因なのだ。

パレスチナ人達は、創建を目指す彼らの国家像に関し、共有理念を自ら構築する能力がなかった。それ故に、之に対する国際的支援は形成されず、又、多くのイスラエル人に対し、パレスチナ側の大義を支援して呉れるよう説得試みたものの、結局は失敗したのだ。

事を成し遂げるには、共有理念が不可欠だ。アパルトヘイトに類する状況を伴う「一国制度」を変じて、少なくとも「一国制度下の“民主主義”」に類似した、何等かの形態、即ち、パレスチナの地に於いて、過去、全ての歴史上にパレスチナ人とイスラエル人が等しく人権を享受したと同じ状況、へと変革していく原動力として、共有理念は欠かせないのだ。

 国家的運動をパレスチナが成し得なかった責めを外部諸要因に求める向きが往々にして在る。それらの中で主要なものは、英国の植民地諸政策、イスラエルの侵略行為、及びアラブ諸国政権がパレスチナ人の為に確固たる決意を欠いていた事、等だ。

然し、現実にはパレスチナ自身の内部要因も大きく寄与したのだ。先ず、パレスチナ人達が、一致団結した国家的運動を創造する為に十分尽力しなかった。更に、之に止まらず、彼らが英国、イスラエル、及びアラブ諸国から手酷い仕打ちを受けて来たにも拘わらず、彼ら自身の大義成就の為に断固として固執し続けなかった点に彼らの非が在る。

 これらパレスチナ人達の至らぬ点は、過去70年間にパレスチナ機構が行った諸尽力を、1948年以前にパレスチナに所在したユダヤ人社会、或いは、アラブ域内、殊(こと)、エジプト、イラク、レバノン、及びシリアに於いて、植民地主義に抗し、アラブ国家主義者達が運動で為した諸尽力に比較した場合、覆うべくもなく露わなものとなる。即ち、その違いとは、片やこれら国家主義者達の運動は、広くかれらの社会に訴え、人々を明確な政治目標の下に結集させる事に成功したのに対し、パレスチナ人エリート階層はそれが出来なかったのだ。更なる不幸が、パレスチナ人指導者達は、今日に至って尚もあがき続けている点だ。

 この20年間、パレスチナの国家としての行動は殆ど崩壊したに等しい状況だ。嘗ては国家的活動の心臓部として機能したPLOは、最早、表舞台から消えてしまった。ウエストバンクに於いて、マフムード・アッバース率いるパレスチナ機構はイスラエルに思う儘に操縦されていると、多くのパレスチナ人が見做している。その理由は「イスラエルが支配する一国の下に、パレスチナ人が存在する」実態を常態化させる為の、恰好の宣伝材料として同機構が利用されているからだ。そして、ガザ地区に於いては、イスラム主義のハマス組織はイスラエルと緊密に連携し、同地在住パレスチナ人の日常諸事を取り仕切っているのだ。

斯様な状況下に、この二つのパレスチナ人による、“見せ掛けの”政権が互いに争う事が、イスラエルが支配継続し、その優勢を一層固めるのを手助けしていると云える。

 パレスチナ人を、その目的と達成方針に従い分類すると、大まかに以下の四つだ。

第一は、ウエストバンクとガザ地区に在住する大半の人々で、彼らはその場所にパレスチナの独立国家設立を目指す。

第二は、域内の難民キャンプ在住、或いは、四散した場所に居住を余儀なくされるパレスチナ人達は、彼らは各自の公民資格を問わず、皆、祖国へ戻るのを最大目標とする。

第三は、イスラエル在住の大半のパレスチナ市民で、彼らは同国内で平等な権利獲得を追求する。

最後は、東エルサレムに住むパレスチナ人で、彼らはイスラエル国家とパレスチナ機構との狭間に捕われる中、将来、エルサレムを首都とするパレスチナ独立国家設立を望む(但し、同目標の実現は増々遠のいているのが実情だ)。

然し、イスラエル支配による「一国制度」が現実になる中、上述四つのグループは全て、完全な袋小路に行き詰まったのだ。

 斯かる環境下、パレスチナ人が、本人達にとり最善の将来へ歩を進める為の第一歩は、彼ら自身が変わる事だ。つまり、彼ら自身が、地政学上と思想上の相違諸点を超越、克服し、一つの国家目標実現の為に結集すべきだ。即ち、その目指すべき形態とは「単一国家内での二国併存」である。これによってのみ、民主化に向け漸進する工程を促進し、全ユダヤ系イスラエル人と全パレスチナ人にとり現実的な解決を提供する事が可能なのだ。それは、彼らの居住地が、難民キャンプか、離散した場所か、ウエストバンクか、ガザ地区か、或いはイスラエルかを問わず、全てを網羅するものだ。このような一つの国家を樹立する事こそを、全てのパレスチナ人にとっての目標とすべきだ。

 斯かる変容が進行するには恐らく多年を要するだろうが、これらの変化を起動するのはパレスチナ人自身に依らなければならない。そうならない限り、今日の「一国家制度」の現実が永続するだろう。

(了)

<最後(5人目)の反論者>

投稿者:ロバート・サットロフ(Robert Satloff)

肩書:ワシントン研究所(親イスラエルの米国シンクタンク:Washington Institute)の中近東担当常任理事。

(投稿文)『“イスラエル国家排除を意図した解決策”は容認できない』(The No-State Solution)

 斯くも偏向した、似非(えせ)学術論的、政治的擁護論を掲載するまでにフォーリンアフェアーズ誌の権威が地に堕ちるとは、なんと目出度い事か!(*訳者補足:同誌へ皮肉を込めた祝意をぶちかます先制攻撃)

 著者達は「一国家制度」のキャッチフレーズを売込む事に専心し、イスラエル当該国境地帯の厳しい実情を一切無視する。

同一帯地域(イスラエルとハマス支配下ガザ、及びパレスチナ当局支配下ウエストバンク都市部との境界)は、仮に「一つの国家」と呼ぶにしても、現実には、何人も横断踏破試みる者はいない程に、生命に害が及ぶ危険地帯に属する実態を知るべきだ。

著者達は不都合な事実を隠蔽している。イスラエル社会では、アラブ系イスラエル人処遇が此処(ここ)数十年に改善した事に触れず、又、イスラエルの行為が「アパルトヘイト」に相当するとの見解を否定するアラブ人(指導的立場にある著名3人;マンスール・アッバース、バッセム・エイド、モハメッド・ダジャニ各氏)が、グリーンライン(1948年国境線)の双方側に存在する事への言及もない。

論稿は、イスラエル民主主義を攻撃するが、同主義はEU発足後経過した半世紀よりも長い伝統と歴史を持つ。又、イスラエル市民社会の持つ活性的な側面には一切触れずに、専ら2023年初に勃発した法改革への国内一斉抗議行動のみを強調するのは公正を欠く。

ヒズボラからのミサイル飛来、ハマスからのロケット攻撃、イランによる核の潜在的脅威等には一切言及せぬ為、無辜(むこ)な読者達は、恐らくイスラエルが、恰もスイスやリヒテンシュタイン、アンドラ公国の如き周辺国に囲まれているかに錯覚する事だろう。之は偏向報道による明らかな意図的イメージ操作だ。

 記事は「アラブ側の問題」を一切取り上げない。詰まる処、当論稿には、肝心の当事者たるアラブ人達が、舞台のさわり程度にも登場せず、彼らの持つ責任、彼らの決定とその運命に関し、著者側の見解は皆無なのだ。

 ユダヤ人国家の存続を攻撃するのが同稿の目的のようだ。然し、同国家は、20世紀初頭英国支配下のパレスチナ内に建国され、1947年11月国連総会決議により、米、ソを含む世界主要独立諸国により承認されたものだ。この事実に対し、彼らは一体、どうケチをつけようと云うのか?

論稿中、最も露骨な文章は「イスラエルの自由主義遵守は常に覚束(おぼつか)ない」、「ユダヤ国家として、民主的国家より民族国家主義を標榜する」との件(くだり)で、この論法により、偏向した政策提言へと安易な誘導を試みている。即ち、彼らが期するのは、より望ましい米国の政策とは「イスラエルが統治する一国家内に、全てのユダヤ人とパレスチナ人が等しく市民権と人権を得る環境実現だ」との世論を形成する事だ。

 イスラエルの対パレスチナ政策には多くの批判が在る点はさて置き、著者達の論稿の目的は明らかだ。イスラエルに「罪深い植民地主義が生み堕とした違法国家」のレッテルを貼り、非民主主義的なエスノナショナリズム(複数民族国家内に、特定民族による国家形成を追求する主義)国家に仕立て上げ、よって、非難されるべき対象であるのみならず、排除されるべきと訴えたいのだ。

彼らは、自身の提案を何かにつけ「人権と市民の権利」の問題と過剰に結び付け、「世界の孤立民族であるユダヤ国家は排除すべし」と云う常識外れな提唱へと不可避的に誘導する作戦なのだ。

 幸いな事に、米国人達はイスラエルを破壊する方向へは与(くみ)せず、寧ろユダヤ人国家繁栄を支援する立場に立って、選挙に於いては同策を推進する大統領、上院議員、及び、民主・共和両党議員達が常に選出されている。

現に、米国大統領ジョー・バイデンは自身をシオニストと誇って自称し、強いユダヤ人国家に対する支援とイスラエル‐パレスチナ問題の交渉による最終的解決を含む「イスラエルの現状を完全に支持」する立場を表明している。斯かる大統領に対し著者達は露骨な怒りをぶつけているが、それは無駄な悪あがきと云うべきだろう。

著者達は共和党前大統領による「世紀の取引」を批判する一方で、その内容説明が不十分だ。即ち、同取極めには、多くの不具合が在るとは云え、「イスラエルが1967年以来占領した領土の隣地にパレスチナ国家を設立する」提案が含まれている点にこそ注目すべきなのだ。

   著者達の見解は既に75年も以前の段階で、米ソを始め、当時考えられない程の多くのアラブ諸国(今やイスラエルと平和関係を樹立している)によって挙(こぞ)って拒絶された案で、更に現在の米国に於いても、バイデン政権と前トランプ政権の双方共が拒否するのは明らかで(本来この二人の指導者間で一致点が少ないにも拘わらず)、これらの事からしても、著者達の主張が如何に的外れであるかを物語っている。

それにも拘わらず、彼らは尚もこの事態を無用に憂慮し迷走し続けているのだ。苟(いやしく)も、彼らは主要大学で教鞭を取る立場にあるにも拘わらずだ。何と嘆かわしい事か。

   百歩譲り、確かに現イスラエル政権に幾人か嫌悪すべき思想を持つ過激派も含まれ、又、イスラエル社会は根本的出自と、有効な指導力を欠く(この点はアラブも同様)のは事実だ。

然し、これらが中東特有の問題ではないのを米国人達も熟知の筈だ。この手の課題は長い歳月を掛けて徐々に進化発展を遂げるべきものだ。

イスラエル政権は、既に過去75年に37の政権を経た実績がある。就いては、マーク・トウェインがニューイングランド州の気候に関し発した、知己に富む言葉を文字って、次に表現するのが適切だろう。「もし、君がイスラエル連立政権をお気に召さねば、もう数ケ月待ってみてはどうかね」(*訳者注:トウェインの有名な元台詞は“ If you don’t like the weather in New England now, just wait a few minutes.”)

処が、著者達に待つ構えはない。彼らは、ユダヤ人国家そのものを問題視して許さず、それを排除するのが彼らの答えだ。つまり、「イスラエル問題は、同国の排除以外には解決ない」と。

(了)

【著者達の再反論】

投稿者:バーネット、ブラウン、リンチ、及び テルハミ

(著者各位肩書は、6月15日付当ブログ掲載の原論稿訳文参照)

(著者達の反駁主旨)

 或る程度の反応を覚悟していたが、我々の論稿は予想通り、激しい感情と鋭い意見対立を生んだようだ。我々が論じたのは、「一国制度」の現実が既に出現し、それはアパルトヘイトに類似する体制であり、従って、最早実現する可能性のない「二国家制度」による解決をこの段に及んで尚も懇願するのは、悪戯(いたずらに)に、現状を曖昧にし、実情を却って見えにくくする手助けになる丈だと云う点だ。

そして、米国がこれ迄取って来た政策が「一国制度」を特徴的に強化した一面があるのに鑑みれば、ワシントン政府は、最早これ以上、イスラエルの現行諸政策を擁護する行動を採るべきではない。それに代え、ユダヤ人とパレスチナ人に基本的人権と保護が等しく与えられるよう求めるべきだ。更に、イスラエルが人権や国際法を侵害する場合は、米国は制裁を課す選択肢をも視野に入れる必要が在る点を主張した。

我々は、決して「一国制度」による解決を推奨するものではない。何故なら、現状条件下に於ける同制度は、ユダヤ人優位性に基づいた、根深く不公正な政治体制を意味するからだ。従い、我々の主眼は、先ずは「今日在るが儘の姿を記述」する事であったのだ。

 顕著だった点は、諸反論は何れも、当論稿の本質、即ち「極めて強固化された一国家が、今やヨルダン川と地中海の間の全ての領域を支配する」と云う主張に対し、重大な異議を唱えるものではなかった。

更に「その現実が“不公正な”事態である」と云う点に関し、殆ど異論なかった(尤も、一部の批評者は、これらを許容可能と見解する)。つまり、多くの識者はこの状況を嘆き、事態が異なる方向へ変ずるよう願う一方、それでも大概の者達は実はそれが無理である点も心得ている事が浮き彫りとなった。

 斯かる認識が、良い、或いは悪いと見做されるか堂かは又、全く別問題だ。我々の目的は、イスラエル支援者や多くの米国高官達が飽くまで見て見ぬ振りをしている「真実の数々」を白日の下に晒す事にある。何故なら、政治は明敏な分析に基づくのが本分だ。思想に偏らず、政治上の利便や希望的憶測に日和らぬ事が肝要だ。

処が、一部の人々は、不公正な現実が存在する事実そのものよりも、その不公正な実態が暴露される事に気が動転する様は、笑止千万と云わざるを得ない。

袋小路の中で(インディク氏、シェインドリン氏、ガニム氏の論に就いて)

 批判を寄せた諸氏は、我々と見解を異にし、又、彼らの間にも相違が認められる。然し、それらは「現存する事実」を争う点は少なく、主たる相違は「過去と将来」に係わるものだ。換言すれば「誰に責めが帰され、そして、それに対し何がなされるべきか?」と云う問題である。

平和協議崩壊の経緯を訴え立てる事に、我々は然(さ)したる興味はない。責められるべき張本人は至る処に居る。つまり、イスラエル歴代政権、パレスチナ指導者達、そして、米国歴代大統領諸政権が例外なく、イスラエルによる入植者住居建設、その為のインフラ整備、行政と法制上の専断的布告推進に貢献して来た事実、加え、一方では、パレスチナ人領内に於いて生じた制度腐敗、等々だ。

 「二国家制度」解決案は、嘗て、同紛争を公平且つ公正に終止符を打つと期待された最善策であった。然し、最早、現実的には同案は選択肢に存在しない。「二国家制度」復活見通しに関し、マーティン・インディクは我々より遥かに楽観的だ。我々同様、彼は非難合戦を回避しつつ、現存する現実を認識する中で、今後の対策を模索する姿勢を貫いている。然し、彼は、自身が特定する事が出来ない将来選択肢の方向へ、尚も己の期待を狭量に注ぎ込んでいるのが難点だ。

 ひと昔前に、殊(こと)、もし米国外交がイスラエルに対し、公的非難、援助削減、更には制裁も視野に入れ、強気の政策で対峙する事を得ていたならば(因みに、彼は、これら諸策を殆ど支持する見解を今や抱くに至った)、インディクの議論はより説得力を有したものだったろう。

然し、数十年間に亘り外交的失策が累積した果てに、アパルトヘイトに類似する「一国制度」が今日出現するに事至っては、「二国家制度による解決」を提唱するには、乗り越えるべき壁は余りにも高過ぎるのだ。

「二国家制度」を支持する議論で最大の根拠は、これ迄常に「それが唯一の現実的選択肢」と云うものだった。然し、今やそれは、とても手の届かぬ、夢物語の世界に変じたように見受けられる。

今日の環境下に我々は「一国制度」を推奨する立場にない。理由は、同制度が現行条件下に施行されれば、パレスチナ人に対し人権と公正が確保される日は寧ろ遠のくからだ。

一方、同時に我々に固く信じている点が在る。疾(と)うに失われた夢を引き続き追い回す行為は、世の指導者達をして、醜い現実を直視し対処を講じるべき責務から逃避させる効果を悪戯(いたずらに)に増幅させるばかりで、誰の得にもならない、と云う事だ。

 ダリア・シェインドリンは、我々が示すこれらの諸現実、特にガザ地区の状況に就いて、明敏な補足見解を提供して呉れた。イスラエルが同地を継続支配する手法に関し、彼女の説明は、我々が提起する議論の核心部を補強するものだ。彼女の賛同を我々は多としたい。

これに反し、我々に予想外だったのは、他の批判者達から「イスラエルがガザ地区を支配するその度合を、我々が大袈裟に主張している」と異論が出た事だ。彼らの反論根拠は「イスラエルがエジプトと国境を接している点」に在り、恰もイスラエルが国境線管理に於いてエジプト政府と緊密な連携を取っているが如き前提に立っている。然し、国境管理に関し、当該両国の取る典型対応は之と異なる(エジプトでなく、ガザのパレスチナ指導者側とイスラエルが連携を図る現実は、我々が論稿に主張した通りである)。

又、シェインドリンは「極めて不公正な政策が、一般的に考えられているよりは、遥かに長期に亘り永続し得る」点に就いても、読者へ効果的に警鐘する。我々も全く同意見だ。

 アサド・ガニムは、パレスチナ人の国家運動が「一国制度の現実」の基礎が構成されるのを助け、やがてそれに屈する事に寄与した旨を詳しく述べ、極めて貴重な追加見解を提供して呉れた。

然し、パレスチナ人による国家的運動の再興が、この現実に抗し「民主主義下の一国家制」実現へ向け歩を進めて行く事が果たして可能か否かは、今後の時間経過による成り行きを見極めぬ限り何とも云えない点は、ガニムの指摘する通りである。

根の深い否定型思考(オーレン氏への反論)

 我々を最も驚かせた投稿は、ミカエル・オーレンとロバート・サットロフからのもので、彼らが提供するのは議論と云うより、最早、敵意剥き出しの強い怒りの類だ。イスラエルが安全上並びに政治上、幾多の困難に直面するのは事実としても、同国指導者達は、オーレンやサットロフが示唆する以上に多くの選択肢を尚も保持する筈だ。この両名の批判者は、現在のイスラエルの深刻な現実を反映するに止まらず、同国が将来辿り得る道筋をも示唆すると云える。

それ故、彼らは、イスラエルの忠実な支持者達が、我が身が置かれた極めて困難な状況に関し、如何なる言及も意図的に避けている。然しそれを以ってしても、彼らが「一国制度の現実」を反駁する事にも、又、其処から生じたアパルトヘイトに類似した政体を賞賛する事にもなりはせぬ。従って、彼らに出来るのは、事実を否定し、我々が投稿論文で指摘し日の目を浴びるに至った、政治の劇的変革や政体議論を公然と蔑(さげす)む行為丈(だけ)なのだ。   

 オーレンの反論は、現行のイスラエル政策支援者達からは共感を得るかも知れないが、それ以外の人々を説得する事は出来ない。と云うのは、同稿は懸案の本質的諸事案に、一切言及しないからだ。彼は、「ユダヤ人の優越性」と云う我々が使用した用語を、殊更(ことさら)に取り上げ、同語をナチス主義やKKK集団と関連付けようと試みる。

彼自身が承知する通り、この用語は、元イスラエル防衛大臣と外務大臣、それぞれ少なくとも一人を含み、政界を通じイスラエル系ユダヤ人達の間で日常的に使用されているものだ。

更に、オーレンは、否定の余地なく明らかに「一国制度」が強化された現実の中に在る、ユダヤ人の非ユダヤ人を凌ぐ構造的な優越性に関し、如何に説明するつもりだろうか?

彼の怒りの矛先は、我々に対してではなく、寧ろ、他の者には否定しつつ自分達ユダヤ人丈が特権を享受する社会を意識的に造り出した人々に対し向けられるべきだろう。

オーレンの投稿中、最も興味深いのは、「“二国家制”の解決が実現可能とは一度たりとて信じて居なかった」との彼自身の赤裸々な告白だ。然し、それにも拘わらず、彼はそれが実現を見なかった責任はパレスチナ人と彼らの指導者にお仕着せ、一方、パレスチナ人達が平和工作を隠れ蓑としつつ、イスラエルを崩壊させる企みに関し、我々が記述しない点をなじるのだ。

然し、ユダヤ人達が入植する、その原因を造り出したのはパレスチナ人達ではなかった。ユダヤ人入植者達が、ウエストバンクに於いて何十万人もの単位で移住し、パレスチナ人の移動を妨げる検問所を大量配備・設置し、入植地専用の道路やインフラ設備を建設して、同領地内の全人員の生命支配を可能とする、軍事力と法律に裏付けられた体制を打ち立てたのだ。

結局、斯くしてオーレンは、彼自身が望んだものを手に入れ、且つ又、彼が嘗て従事した、イスラエル政府も工作を推進し、その果実を手に入れる事が出来たのだ(丁度その頃、彼は同国大使として米国駐在していた)。これらの結果に対し、彼はもっと積極的に向き合うべきだろう。

 イスラエルが将来辿ると予測される道に就いては、オーレンの見解は我々と殆ど一致する。但し、我々が最も歎ずる傾向を、オーレンは最も歓迎すると云う立場の違いが在る。

即ち「一国制度の現実」下、もし、パレスチナ人達が、騒ぎを起こす事なく割り当てられた区画を受諾しさえすれば、諸制限は従来よりも緩和され、彼らにはより多くの雇用が与えられるのは、衆目の一致する処だ。

この姿が、イスラエルにとり、将来、無期限に、一層望ましい政策だと彼は主張する。然し、それにも拘わらず、此処で、彼が言外に明らかにしているのは、もしも、パレスチナ人達が、彼の望む通りには反応しない時には、何が起きるかと云う点だ。(即ち、彼らが皆、譬えれば“イスラエルの代理店”の如く従順に行動しない場合である)。

この場合に、オーレンが示唆する事態は、パレスチナ人達は従来よりも一層過酷な仕打ちをイスラエルから受け、同国は尚も右傾化を継続し標榜する世界だ。その上更に、彼が云わんとするのは、斯かる悲惨な環境に於いても、責められるべきはパレスチナ人自身で、彼らが犠牲となる道を自ら好んだのだ、との言い分だ。

爾(なんじ)、伝令を射殺する莫れ(サットロフ氏への反論)

 サットロフの投稿は、我々の主張内容に対し問題を処する姿勢が乏しい。寧ろ、我々を“主張を届ける伝令者”と見做し、悪しき意図を密かに抱く者達だと糾弾し、我々が討議の場に相応しからぬ存在だと否定試みるものだ。

然し「我々がイスラエル解体を主張する」と彼が固執する点は事実ではない。我々は4人が全員、嘗て「二国家制度」による解決策を支援した。我々は皆、同案を、ユダヤ人とパレスチナ人双方に国家建設の希望を与える、最も現実的な策と見解したからだ。もし、「二国家制度」が奇跡的に明日にも復活するならば、我々は諸手を挙げ、同案を支援する立場に変わりない。

 サットロフの批判とは全く真逆に、我々は、イスラエルの存在は国際法上の法的根拠に立脚し、他諸国からも承認されている事実に、一切疑問を呈していない。

「イスラエルの国家主権と合法性を保する、同じ国際法によって、同国は又、自身が支配下に置く領地内に於いて、その定めに従い身を処するよう求められはしないのか?」との極めて単純明快な質問に関し、我々は固執している丈だ。

イスラエルはこれら義務を果たし得なかった。それは、一時的な占領である事が原因ではない。その理由は、大半の住民達から基本的人権を取り上げる事を目論み、効果的な領土併合を意図的に実施した為だ。

もし、サットロフが、斯かる占領策はイスラエルにとり本性的に欠く事の出来ないものだと確信するならば、その立場を擁護すべく積極的に明瞭な弁明を展開すべきだろう。

 反論全編を通し、サットロフは、我々が表明もしなければ、抱きもしない諸見解を我々の主張であるが如く帰属させている。彼が望むのは、今日の「一国制度の現実」に関する我々の分析を論じるのではなく、「イスラエルは滅亡されるべきか否か」を巡り議論を戦わせる事のようだ(我々は、同国滅亡を主張した験しはなく、賛同も決してしない)。

我々がイスラエル極右政権に不満ならば、次の政権を待つべきだ、と彼は皮肉を云う。然し、ベンヤミン・ネタニヤフは過去14年間の内、13年首相を務め、彼に対し実質的な対抗馬は右派以外からは登場しない。

サットロフは、イスラエル市民社会がネタニヤフ政権の法規修正に対し反対する動きを賞賛するが、一方、これらの運動の大半がパレスチナ占領自体には批判的でない点を見過ごしている。

又、イスラエルがアパルトヘイトに相当するとの我々の見解に就いては、彼は之に不同意な三人のパレスチナ人識者の名を挙げ反論するが、寧ろ賛同する識者の名を我々はもっと大勢引用出来る。率直に云えば、彼の指摘するこれら諸批判はどれ一つとして我々の議論の核心に触れるものはない。

イスラエルとの“特別な関係”の見直しが必要

 シェインドリンやその他投稿者から、一つ筋の通った指摘を受けた点は「我々の政策提言が非現実的で、従い、米国政府が同助言に添うとは到底考えられず、万一、それに従ったとしても我々の提言策が好ましい結果へ至る見込みは薄い」と云うものだ。之は指摘として結構だ。

一方、ワシントン政府は長年来イスラエルを支援して来ており、同国のパレスチナ占領が半世紀にも及ぶ現況下、採りうる選択肢が数少ないのは事実だ。そして、バイデン政権は現行方針を当面変ずる意思はないように見受けられる。

然し、我々の投稿目的は、今日にも直ぐ適用可能な政策処方を詳細に提示する事にはない。そうではなく、米国の採った政策が、アパルトヘイトに相当する「一国制度」の現実創出に加担し、更にその強化に手を貸している実態を敢えて日の下に晒す事により、今後の米国政策の可能性を広げるのを意図したものだ。

 闇雲に無益な交渉を復活させようとするが如き試みは、ワシントン政府が不安定な時代にこれ迄も反射神経的に取ってきた、無思慮な反応の典型と云える。それを繰り返すのではなく、今度ばかりは、米国は“イスラエルとの特別な関係”を解体し、自身が透明性に満ち、説明責任が果たされる体制確保を目指し始動開始すべきだ。その手始めは「アパルトヘイトに類似する国家とは、米国は“価値共有”が不可能」な点を、公然と認識する事だ。斯様に、政府が言語を明確に修正したならば、米国内に於ける種々の説明・説法にも変化が生じ、延(ひ)いては将来に自国が取るべき政策選択肢の幅が広がるのだ。

 又、イスラエルによる入植建設推進を含む国際法違反に向け、国連及びその他国際諸機関の場で為される非難に関し、ワシントン政府は同国を防御すべきではない。つまり、バイデン政権は、同政権の目指す処と外見上矛盾するような諸行為を援護する為に、貴重な時間と労力を費やす必要はない。外交諸課題が山積する中、同政権はご丁寧にもイスラエルとサウジアラビア間の調印を通じ「アブラハム合意」の更なる拡大追求を図った。然し、パレスチナ人に対するイスラエル側の実質的政策変化が見られない中での斯かる国交正常化は、不公正な「一国制度」を一層強固にするばかりなのだ。

 最後に、米国は欧州諸国との協調を深めるべきだ。即ち、互いに共同し、パレスチナ人の人権を守り、現在、専制的で過酷な支配に置かれる人々を保護するのだ。パレスチナ人達の生命、土地、及び尊厳が守られる為には、人権擁護が必要不可欠だ。従い、米国はこれら諸権利が遍く施行されるよう力を貸す義務を負い、場合によっては制裁を課す覚悟も必要だ。

 今日の暗く深刻な現実に立ち向かう為に、何処から始めるべきかに就いては、論争の余地はないだろう。即ち、イスラエルに対し、人民の権利や保護の平等、並びに同国がこれらを提供する環境に近づく為の政治プロセス変革を要求する事だ。米国国務長官アントニー・ブリンケンが2022年12月に発した表明は「イスラエル人とパレスチナ人が同等に、等しい基準に基づく自由、公正、安全、及び繁栄を得られるようにする」方針を謳った。即ち、親イスラエル派のバイデン政権ですらも、斯くの如き政策指針を宣誓したのだ。唯(ただ)問題は、この約束が、実行面に於いて未だ殆ど成果が証明されるに至らない点だ。

 ユダヤ人と非ユダヤ人とが等しく平等を確保する方途は、大きく分けて次の二策しか長期的に存在しない。それぞれ主権を有した二つの国家か、或いは、完全な平等が約された一つの国家か、この何れかだ。我々の立ち位置は、二つの内、何れの策でもであっても之を、ユダヤ人優越性を一層強化する一国制度よりは、支持して行くと云うものだ。又、大半の米国民が同様の考えを持つ点は世論調査で明らかなのだ。上記の点を、政治と諸行動力を通じ疑う余地なく明々白々とする事により、イスラエルとパレスチナとに対し、双方が尊厳と平等性を維持しつつ共存する道を模索し始めるよう促せる可能性があるだろう。

 ダメ押しに云わせてもらうが、結局の処、ワシントン政府は、著しく不公正な「一国制度の現実」に対し、断じて手を貸してはならぬのだ。

(了)

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