著者:ナターシャ・ホール、ヨースト・ヒルダーマン共著(Natasha Hall&Joost Hiltermann)。
肩書:前者は、米国民間シンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」上席研究員(中東問題担当)。後者は、ベルギーに本部所在する非政府組織「国際危機グループ(ICG)」中東・北米地域責任者。
(論稿主旨)
アサド王朝は半世紀以上に亘り鉄壁の支配をシリアに及ぼして来たかに見えた。強権を持つ保安諸機関と残虐な暴力を駆使しつつ、露西亜、イラン、及びヒズボラと云った強力な同盟相手の力を借り、アサド政権は幾多の国内暴動に耐えて来た。凄惨な内戦では何十万人もの市民が落命し、その間、一時、同国大部分の統制を失ったものの、結局、同政権はこの戦いをも乗り越えたのだった。
シリア大統領、バッシャール・アルアサド政権は、2011年以来、中東域内及び国際外交諸筋から制裁と村八分を受けたが、近年はアラブ連盟がシリアを再度陣営内に復位させ、制裁緩和の協議も実施され、彼の政権基盤は寧ろ強化されたのだった。
それにも拘わらず、同体制は所詮、砂上の楼閣だった。世界の耳目を驚かせたのは、政権が、ほんの数日の内に、さしたる抗戦を試みることもなく、イスラム教反抗勢力のシリア解放機構HTS(the Hayat Tahir al-Sham:シリア解放組織の意)によって打倒されたことだった。HTSが迅速にダマスカスを支配下に収めると、その日曜日、露西亜はアサドがモスクワへ逃避した旨を発表し、アサド政権下の元首相がシリア首都内のフォー・シーズンズ・ホテルへ護送され、其処(そこ)で正式に政権を移譲した。これら、事の全ては2週間を経ず、最小限の流血を以って成し遂げられたのは、内戦中に失われた甚大な死者数とは際立った対比を示すものだった。
HTSがシリア体制を瓦解させ得た、驚くべき一連の出来事には、理由が多くある。主なものを列挙すれば、シリアの盟友、ヒズボラの指導部がイスラエルの劇的攻撃により排除され、同組織のミサイル兵器の大半も破壊され、“前線の防衛隊”としてのヒズボラを失ったことで、イランの権勢と影響力が衰退したこと、トルコ・アンカラ政府とシリア・ダマスカス両政府間の調停交渉が破綻したこと、シリア軍は兵士への給与支払いも滞り指揮が凋落していたこと、頼みの露西亜は自らがウクライナに仕掛けた非常に高く付く戦争で手一杯であったこと、等だ。電光石火のHTS進撃は、シリア北西部に位置するイドリブを軍事拠点とする同武装勢力を長年支援してきたトルコが、その承諾を与えたものと当初は見られていた。処が、現実には、この侵攻は主としてシリア国内でシリア人達自身が起こした軍事行動であったと判明した。
それは11月30日だった、恰も何処からともなく、武装したHTS集団が突如現れ、シリア第二の都市アレッポを僅か一日で制圧、更に南部を席巻しつつダマスカスへと至った。この間、彼らの行動が、他の反体制勢力による同時武装蜂起を南部のスウェイダーとダルアー、及び東部のデリゾールに於いて誘発した。12月5日にHTSは、シリア第四の都市ハマーを制圧、その二日後には、シリア第三の都市ホムスを制覇、同地が位置する街道は首都ダマスカスに通じ、更にその先は地中海沿岸に迫る山岳地へ繋がり、其処(そこ)がアサド政権の頼みとする宗派アラウィ―派の中心地だった。首都へと迫る武装反抗勢力の勢いは強大であり、一方、政府は有力な後ろ盾が急遽弱体化したことが相俟(あいま)って、最早、既存政権がこの局面を支え切るのは到底無理だった。
ダマスカスへの進撃途上、同反乱軍は、著しい国際問題と化していた内戦を、どの国外勢力の介入も殆ど受けぬ儘(まま)、少なくとも目下の処(ところ)は、取り敢えず一つの望ましい結末へと昇華させた。即ち、遂には、シリアのそれら諸都市が反政府武装勢力に、いとも容易(たやす)く撃破された。これらの地は、嘗てアサド政権と露西亜、イラン及びヒズボラの同体制支援者達を受け入れ、そして内戦時は政府が支配再奪還の為に実施した爆撃や包囲攻撃を受け多数犠牲者を被った場所だった。一方、反政府勢力がシリアを掌握したことは、中東状勢に於いて地殻変動を齎(もたら)すのが確実だが、同域内及び国際的な強権諸国がこれに如何に反応するか未だ未知数である。
ほんの数週間前には、バイデン政権はアラブ首長国連邦(UAE)と協調し、アサド大統領に対し、イランとは距離を取り且つヒズボラに対する武器提供を止める事の見返りにシリアに対する制裁緩和交渉の最中であった点を、ロイターは複数筋から入手した情報として伝えていた(これ程迄に一寸先は誰もが読めなかったのだ)。
他方、今般のアサド政権突然崩壊で我々が思い知ったのは、「中東域内の諸紛争は予想不能な具合に展開し、然も相互が密接に関連していること、更に、それら紛争が世界から無視されるか、或いは逆に正常に復した場合に、如何なる事態が発出するか、これも又、予測不能である」という事実だ。この意味に於いて、イスラエル-パレスチナ紛争とシリア内戦は、双方がこの同じ運命を辿った。10月7日、ハマスの奇襲攻撃に端を発したイスラエル-パレスチナ紛争は、ガザ地区におけるイスラエル戦争に発展、紅海域上ではホーチスが軍事行動を展開、イスラエルはレバノンへ戦火拡大化し、更にイスラエルはイランとの直接の攻撃応酬に至った。
この最後の波動がシリアに於いては、既存秩序に終止符を打つのを促した。イスラエルとシリアの事案に共通するのは、余りに急激なる動乱に対し海外諸勢力は全く用意がなかった点だ。此処(ここ)から引き出されるのは「国際的には到底容認に堪えない既成環境であるにも拘わらず、 海外諸大国がその事態に向き合うことなく、寧ろ目を逸らし、それら中東諸紛争を長らく継続させるが如き行為が、なんと愚かであるか(結局、高いツケを払う)」と云う教訓なのだ。
シリアに於いては、如何にHTSが同国の舵を取るか――そして、実に難題として、諸派各組織が自身の影響力を競い合う中にこれら諸派を満足させ纏め切ることが出来るか――と云った懸念点が多々生じる。然し乍ら、アサド政権終焉が、同地域の権力均衡を変革させること丈は確かである。
西欧陣営が顧みなかった戦争
今回の反乱軍によるアサド体制攻撃は、2011年に始まったシリア内戦に端を発し、然もその戦いが今日まで尚も継続していたと捉えるべきだ。当時、所謂(いわゆる)「アラブの春」が巻き起こる中、シリア市民が平和的抗議運動に乗り出した処、政府はこれを武力弾圧し、市民が死傷する事態が発生、一部抗議者達は武器を手に取り、反乱武装勢力の参加を招いた。内戦が一層暴力化するに従い、イラクのアルカイダ組織(AQI)やその分派イスラミックステート(ISIS)を国内に呼び込むことになった。そして、海外諸勢力が、それぞれ支援する武装勢力へ武器と資金を提供するに連れ、この闘争が急速に国際化した。特に主な支援者が、イラン、湾岸諸国、露西亜、トルコ、そして米国だった。
然し、当時、アサド体制の支援にひと際(きわ)力を注いで顕著だったのが、盟友国のイランと露西亜だ。即ち、イランとその代理武装諸勢力――その中でも特にヒズボラ――はアサドが自国民を包囲した上で、集中砲火を浴びせる手助けをした。又、露西亜は自軍のスホーイ戦闘機を投入、複数都市を丸々全体焼き尽くした。シリア政権はこれら助っ人達の力を借り、民間人を少なくとも50万人殺害、13万人は行方不明、そして同国人口の約半分にも相当する凡そ1,400万人が住居を追われた。最後は、国連も匙を投げ死者数の計測を停止する始末だった。
この紛争により、国際社会は、極めて広範に反動を被った。つまり、2015年に百万人以上のシリア難民が欧州に押し寄せた結果、多くの欧州諸国で極右政党誕生が加速化され、難民流入の喰い止めを画する欧州諸政府は、トルコのレジェップ・タイップ・エルドアン大統領や、チュニジアのカイス・サイード大統領と云った、独裁的指導者達との関係を強めて行った。更に、これら多くの諸政権が、ダマスカスとクレムリンの両政府に対し媚びたことは、両体制を利した。一方、この紛争は露西亜にとっては大きな成果を齎(もたら)した。と云うのは、2015年に同国がアサド体制を支える為に行った介入が成功し、その後自身の軍事影響力を拡大させたが、これは、露西亜が、冷戦終結後、「旧ソ連邦諸国」以外の地で紛争関与した、実に、初の事例だった。更に露西亜は、シリア西部のラタキア近郊に所在するフメイミーム空軍基地を支配下に置いたのみならず、念願であった唯一の不凍港――シリアの地中海沿岸に位置するタルトゥース――へのアクセスを獲得したのだった。
一方、露西亜が中国との同盟強化に動いた発端は、2022年の露西亜軍によるウクライナ全面侵攻の初期に遡ると云うのが定説化しているが、両国関係の親密化は実はシリア内戦時に既に始まっていた。つまり、当時、北京政府は国連安全保障理事会で、それ迄とは打って変わり拒否権行使を頻発し、クレムリン政府と完全な歩調一致を開始した。つまり、中国がシリアで果たす直接的役割は殆どなかったが、拒否権発動とアサド体制支援を露骨に表明する演説によって、米国覇権に抗し、且つ人権侵害の咎(とが)で当事国政府(シリア)を難じようとする行為に反対を表明したのだ。これら行動が、両者関係を後に「無制限な」同盟と呼ぶまでに発展させる前身となった。
観察者達が外部から見た限り、シリア内戦は、2018年迄は国内の統制範囲内に収まり、大概は同域内に封印されていた。つまり、アサドの同盟諸陣営と敵方は、多くの諸問題が綻びを露呈しつつある中に在っても、双方共が総じてアサド体制を勝利者として認めていた。処が、2024年、イスラエルがレバノン侵攻とイランへの攻撃を実施、アサドの忠実な同盟相手であったイランとヒズボラが劇的に弱体化する事態が生じた。実に、イスラエル軍は、ヒズボラの幹部達を多数排除したことに加え、同組織の保有する大量のイラン製ロケット弾とミサイルを無力化し、更に、11月27日にイスラエルとレバノンが停戦宣言をした後も、シリア内のヒズボラ組織に対するイラン製武器輸送を継続攻撃し、これを阻止した。この頃、アサドに対し、これ迄も屡々(しばしば)敵対してきエルドガンは、トルコとの調停や妥協を頑なに拒絶するシリア側の姿勢に痺れを切らしていた処、時を同じくし、露西亜に於いても、アサドと緊密な同盟関係を維持して来たプーチン大統領すらも、譲歩の選択肢模索を一切拒否する同体制には不満を募らせた。
一方、HTSは、嘗てアルカイダのシリア支部に過ぎなかった地位から、反アサド体制との戦闘を真正面に据え、シリア国境を越えた聖戦主義からは決別を宣言した、イスラム組織に発展を遂げていた。その間、同組織は他グループと同盟関係を結び、その主張を穏健化した一方、トルコからの保護を取り付け、更にはその支配地であるイドリブに於いて、鉄拳を振るうが如き厳格な統治を敷きつつも、曲がりなりにも文民政府を設置した。然も、この数年間、この反乱組織は彼らの掲げた最重要目的を決して見失うことがなかった。即ち「アサド政権打倒」である。そして、11月初め、ダマスカスとアンカラ両政府の交渉――トルコ在住のシリア難民を母国へ無事帰還させる状況を造り出すと云う、トルコ側にとり切迫化した問題だった――は、アサドが一切妥協を拒んだ為に再度決裂。この事態を受けたエルドガン政権は、HTSがその数週間後、イドリブの拠点から出撃・発出する決断をした際には、「それを最早妨げぬ」との方針を固めていた公算が強い。
そして、事が此処に至ると、シリア人民の中にアサド体制の為に我が身を進んで犠牲にする者は、殆ど残っていなかった、或いは、したくとも出来なかったのだった。恐らく、最も重要な点は、「まともな訓練も受けず、給与支払いも滞り、士気著しく低下したシリア軍諸部隊は、僅かに局所で散発的反抗を試みるのが精々だろう」とHTSが予想していた点だ。そして、彼らの見立ては正しかったことが証明された。シリア諸軍は、その大半が溶けるが如く消滅した。更に、HTSの目覚ましい進軍を目撃した、ダルアーと南部のスウェイダーの市民は素早く立上り、彼ら自身が一致和合し、同域内から体制政府を追放したのだった。
恐らく、より衝撃的なのは、アサド政権への国際支援が斯くも見事に崩れ去ったことだ。12月6日に露西亜は自軍と外交官達にシリア内の基地から引き揚げを命じている。打ち手の選択肢が益々狭まる中、アサドを支えて戦うのは無駄と悟ったイランも又、自身の同盟武力勢力を引き揚げた。東部に於いては、シリア民主軍(SDF)及びアラブ人が主導する軍事評議会は、政府体制側の軍隊を交渉相手に、何と、アサド体制の支配地だったデリゾール、及び更に極めて重大な戦略的意義のある地域――イラクを横切るアブ・カマル――を獲得する協定を結び、これによって、イラクとイランからのアサド政権向け武器補給路を途絶させた。反乱諸勢力がダマスカスへ肉薄するに連れ、北東部に掛けて残留していた露西亜、イラン、及び政府体制側兵力も又、撤収して行ったのだ。
歓喜と不安に包まれるシリア
それでも、シリア並びに同地域の将来は、尚も不確実性に満ちたものだ。トルコ政府が後押しする北部の武装組織であるシリア国民連合(SNA)とクルド人が支配するSDFとの間には既に衝突が発生している。又、シリア人の大半は、これ迄レバノンやトルコを始め国外諸国に追放され、今般、漸く帰国の途に着こうとする何百万人も含め、皆、歓喜に沸くが、これと対照的に、嘗てトルコ政府によって、アフリーンや北部のその他地域から追い出された多くのクルド人達に関しては、その運命は不透明なのだ。SDF将軍マズルム・アブディーは、彼の政権はアサド体制崩壊を賀すと共に、HTSとの連携を歓迎するとの声明を発表した。一方、クルド勢力とトルコに就いては、シリア国内及び同国国境を越え流血騒ぎがこれ以上拡大せぬよう、双方が一定の譲歩に応じる必要があるが、これは、条件が最高に整ったとしても、困難な挑戦となろう。
一方、何千人と云う旧ISISの戦闘員達が、現在SDFの支配下、北東部地域の刑務所内に尚も服役中だ。これら戦闘員達は、万一、逃亡するか、将又(はたまた)、同派支部が再興された場合には、アサド後の政権――それが如何なる形であっても――及び同地域に対して重大な攪乱要因となるだろう。同様に、イスラエルは、非武装化されたシリアとの国境地域を既に占領完了し、尚も、武器庫及び化学兵器製造の疑義がある複数の工場所在地へ攻撃を続行している状況なのだ。
トルコは現在の進捗から、当面は大きな優位性を手にし、これと反対に、露西亜は手痛い退却により壊滅徹損失を被った。然し、最大の敗者は断然イランである。何故なら、彼らの「前線で防衛する」戦略が打ち砕かれた上、今後はテヘラン政府そのものが、同国核開発計画を標的とするイスラエルからの直接攻撃に晒される潜在的危険があるからだ。
斯様にシリア国外の勢力均衡が突然変じる中、シリア国内に於いて同国民 は困難な権力闘争に直面するだろう。HTSは米国からはテロ組織の認定を受け、自身が支配するイドリブ地域でも人気は捗々(はかばか)しくない。目下の処、指導者のアブ・モハマド・アル-ジョラーニは、シリア国内の多くの少数諸派のみならず、前政権高官達に対しても宥和的姿勢を取ることには慎重だ。この基調が継続するか、そして、他の反抗諸組織と反対諸派閥が、彼の指導力に従うか否か、と云う又別の問題も依然存在するのだ。
いずれにせよ、多種な反対派指導者達を含む、益々多くのシリア人達が母国へ戻って来るに連れ、緊張が不可避的に高じるだろう。彼らが帰還すれば、自分達の家が略奪されたか、或いは其処に別の新しい家族が暮らしてると云った事態に多く遭遇するのだ。シリア国内の武装組織や追放されていた反対派勢力が権力を巡り闘争開始する可能性もある。当面、HTSは地方レベルに於いて、少数派や、反体制派が支配した地域に住んだ経験がない人々をも招き入れ、包括性を重んずる統治手法を推し進める見込みだ。
反政府勢力の攻勢が成功した原因の一つは、ヒズボラの解体やトルコとシリア両政府間の関係崩壊、と云ったシリア国境を越えた諸力学に起因するものだった。今後は、その逆に、アサド政権が倒壊した衝撃波がシリア国内を越え遥か海外へと波及して行くだろう。そんな中、シリア人達が、秩序回復、文民政府の設立、関係者間の調停並びに政権移行期の正義に沿った裁きを督励し、そして破壊し尽くされた国家の再興に着手出来るよう、中東地域諸国並びに国際社会は、緊急にして且つ継続的な支援を実施することが求められ、斯かる要望に応えてこそ、シリアを安定的で統一された国家として落着させることが可能になるのだ。
シリアと云う国は、これ迄米国と西欧の同盟諸国から余りにも長い間、見放されて来た。と云うのも、彼らは皆、アサド体制は不動だと見做したからで、同政権が倒れて初めてそうでなかったことを悟ったのだった。幾年にも亘る国際的経済制裁と自らの経済失策が幾重にも重なる負の遺産に加え、新たな内戦の可能性と同地域一帯の不安定さを抱える環境は一向予断を許さない。今後悲劇を繰り返さぬ為には、西欧諸国及び特に湾岸諸国が、ダマスカスの新しい指導者達に接触し、彼らを、民主的とは云わぬ迄も、現実的な方向へ導くことが必要だ。アサド王国崩落により、シリアの人々は遂に希望を再び手にすることが出来た。そんな彼らは、国民の辛苦と犠牲の上に成り立った惨憺たる体制を、シリア国家が長年持続するに当たり、これに半ば手を貸して来た海外諸国に対し、目下、その罪滅ぼしとして期待する処が極めて大きいとしても不思議なない。
(了)
文責:日向陸生
*尚、当ブログ翻訳文章は生成AI機能一切不使用です。
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