2001年9月12日、ジョージ・W・ブッシュは「これは長い戦いになるが、必ず決着する」と宣言した。加えて曰く、「勝つのは、間違いなく我々なのだ」と。その後20年間の大半、「テロとの戦い」に勝利する事が、米国外交政策の最重要課題となった。しかし、米国が2ケ国へ侵攻、他の国々に対しドローン無人機による爆撃を実施し、世界各国政府は安全体制の構築を大いに図ったものの、一方、テロリスト達は陰謀を画策しそれを破ろうと試みた結果、彼らの成否は相半ばし、ジハード集団は興と亡を経て、最近、再びその勢力を拡大させている状況だ。そんな中、ある根本的な疑問に対する答えが、実は今に至る迄、露程も示される事はなかったのだ。つまり「勝利する」とは一体、何を意味したであろうか?
2011年、オサマ・ビン・ラーディン殺害時、拠点急襲の際に押収された、数千点に及ぶアルカイダ側資料を引用し、ネリー・ラフードは、この質問を巡り、別の一面での闘争経緯を明らかにして行く。ビン・ラーディンの言葉によれば、9/11攻撃の目的は「米国の無敵神話を崩壊させる」事だった。結論として、ラフードは、結果的に「ビン・ラーディンは確かに世界を変じた。但し、それは彼が望んだとは異なる方向になった」と結ぶ。
ビン・ラーディンが一つ読み損ねた因子は、米国が圧倒的な力を以って反撃に出た点だ。ベン・ローズ曰く、「テロとの戦い」は如何なる尺度で測っても、冷戦の終焉に始まった、米国覇権時代(今やそれは黄昏に至りつつあるのだが)に於ける、最も壮大なる作戦であり、そして、その結果が今日廻って来ているのだ、と。即ち、本計画に於ける巨大な規模とその帰結により、ワシントン政府は、その後、米国外交政策を形成するに当たり、新たに来る諸脅威に対しても、引き続き「彼我間の対立」という同様の構図を押し付ける姿勢になった、とローズは弁じる。
一方、ダニエル・バイマンは、米国の対テロの戦いは「十分に成果を挙げた政策」に落ち着いた、と判断する。つまり「根絶する事は叶わずとも、テロの脅威を管理」する事に、一定の有効性を以って漕ぎ付けた訳で、それは9/11の余波に包まれる中、当時、殆どの人々が不可能だと思っていた点を、指摘する。
それ以外に齎(もたら)された様々な事態も、又、実に驚くべきものである。即ち、トーマス・ハグハマーは、ジハード派テロリズムとの戦いが、高級技術官僚型(テクノクラート)国家に於いて強制的権力が継続的に増長するのを如何に助長したかを分析する。一方、シンシア・ミラー・イドリスは、それが、他の異なる系統の過激主義者達の暴力を加速させた影響に就いて調査し、その結果、2020年に米国では国内テロリストの企てと攻撃とが記録的件数に上り、「その内3分の2は白人至上主義者とその他極右信奉者達によるものだった」事を報じる。
最後にエリオット・アッカーマンは、同戦争に於いて拡大的に行使された米国軍事力を分析した結果、もし、世界を舞台としたテロとの戦いの目標を、殊(こと)、米国本土に於いての重大なるテロ行為を防止する事と捉えた場合、この戦いは成功と云える、と見解する。しかし、そこで問題となるのは「その見返りの代償は適正か?」という点だ。ここ数年、テロに対する脅威は、米国の国家安全保障上の最大懸念事案からは急速に姿を消したと云って良く、その急なる事、恰もテロの懸念が突如降って湧いた際と同様である。しかし、一方、その対価の費用は引き続き発生し累積して行く。20年前の年9月12日、この戦争で勝利とは何かとの問いに対し、何人(なんぴと)も答え得なかった如く、それは今現在、尚も未決着の問題なのだ。
編集長 ダニエル・カーツフェラン
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