去る9月、ジョー・バイデン大統領は、彼の就任後初の国連総会演説で、米国は「新冷戦を求めるものでもなく、世界が幾つかの堅牢なブロックに分断される事も望まない」旨、宣誓した。この宣言は、バイデンが相対する中国の習近平の演説の中では、異なった言葉で繰り返され、これを受け、多くの国の指導者達からは、世界が互いに相争う陣営に分断されるという暗い帰結に関し警鐘が発せられ、補強される体とはなった。しかし、これらの合唱は、その懸念を和らげる処か、寧ろ逆に、地政学上の現実は如何に陰鬱な状況に置かれてしまったか、を強調する結果となり、猜疑心と苛烈化する脅しを以って、感染症や気候変動問題等、双方の存在を脅かす重大な諸難題に直面するこの時に於いてすら、尚も相互信頼と協力関係を低下させる様相を呈したのだった。
最早これは手遅れだろうか? 新冷戦開始の幕は既に切って落とされたのか? 嘗ての米ソ対立と現在の米中対立とでは、明らかに諸点異なるとは云え、ハル・ブランズとジョン・ルイス・ギャディスは、今こそ、前者の戦いからの教訓を注意深く研究するに相応しい時で、その作業により、後者の戦いが悲劇に至るのを防げると主張する。つまり「我々の世代で、戦わざる最大の戦争」と彼らが呼ぶ所の、米ソ冷戦から知恵を得ることによって「冷戦に止まるか、火力を伴う戦争になるか予断を許さない、現在の米中競合関係を、今後、より耐久性が高いものに改善できる」との説だ。
M.E.サロットとフィオナ・ヒルは、それぞれの論稿で、冷戦の余波により失われた様々な機会と打ち砕かれた期待に就いて考察する。即ち、米国の勝利と新しい世界秩序が到来する可能性に満ちたあの瞬間は、一体如何にして「競合と分裂」する世界に屈してしまったのか、と云う問題だ。サロットは、アーカイブ資料を深く掘り下げ、ワシントンとモスクワ政府との関係が、ソヴィエト連邦崩壊後、何故、そして、どのように急速に悪化したのかを明かして行く。ヒルは、長年のロシア観察者として、又ドナルド・トランプ政権時のNSC(国家安全保障会議)ロシア担当高官としての経験を活かし、クレムリン政府が如何に効果的且つ有利に米国の機能不全を利用したか(殊、彼女が仕えた政権に対し)を、明らかにして行く。
最後に、ジョン・ミアシャイマーは、米中間の競合を先鋭化させて行く方針は、彼が「大国政治力学が惹き起す悲劇」と呼ぶ所の、最も採ってはならない下策であるとして、これを難じる。彼が不思議でならないのは、ワシントンと北京の政府間関係が、何故斯くも劇的に悪化した事ではない。それより、米国人達が「そうならないよう、手を打つ事が可能である」とは、何故一度たりとも考えなかったのか、という点だ。そして、今や彼は、世界情勢の認識に関し、敢えて悲観的で幻影に惑わされない視点を持つ事が、悲劇を回避する為の最善策だと見解する。
もしかすると、何時の日か、我々が“第一次冷戦”と呼ぶようになるかもしれない出来事が始まって以来、今日迄数十年が経過した。それでも今尚、歴史家達や政治家達は、当時の初期行動を研究し、あの時、或いは、他にも何か取るべき手段があっただろうか、との問いに対し際限なく議論を続けている。先の冷戦との類似点を再度呼び起こそうとする試みは、何も、それを望ましい帰結とするか、或いは、不可避だとの裏付けを求める為ではない。それは、我々に対し、ある注意を喚起して呉れるからだ。即ち、この新しい競合環境の下で、初期行動を開始するに当たっては、今こそ、真に手遅れになる前に、精査力、慎重さ、そして賢明なる知恵を総動員すべき時なのだと。
編集長 ダニエル・カーツフェラン
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