著者:スティーブン・レヴィツキー、ルーカン・A.ウェイ共著(STEVEN LEVITSKY & LUCAN A.WAY)
肩書:前者はハーバード大学教授、兼外交問題評議会上席研究員、後者はトロント大学教授、兼カナダ王立協会研究員。両者は『競争的独裁主義 ~冷戦後のハイブリッド体制~』の著者(原題『Competitive Authoritarianism ~Hybrid Regimes After the Cold War~)。
(論稿主旨)
2016年、ドナルド・トランプが最初に大統領に選出された時、それは、民主主義を防衛しようとの力強い機運を、当時の米国上層階級の人々に呼び覚ます契機となった。然し、彼が大統領執務室へ復帰した今回、その周囲の無関心ぶりには驚かされるばかりだ。
8年前、トランプを民主主義の脅威と見做した、多くの政治家、批評家、メディア界著名人、そして実業界リーダー達は、今やその危惧は心配過剰と考え直したのだ――つまり「結局、民主主義は、彼の最初の就任期間中も生き延びたではないか」と。斯くして、2025年に入ると、米国民主主義の運命を危ぶむムードは、恰(あたか)も時代錯誤であるかの観を呈した。
然し、今このタイミングで斯かる雰囲気へと流れが変じたのは最悪と云える。何故ならば、今日、我が国の民主主義は米国現代史上、正に最大の危機に瀕するからだ。
つまり、米国はこの10年間、民主性の後退を続けている。2014年から2021年に掛け、国際NGOフリーダムハウスが毎年公表する国際自由インデックス(世界各国を0~100で評価)は、米国を93から83に格下げ(アルゼンチンより下で、パナマとルーマニアと同順位)し、その後も低評価に依然甘んじる状況なのだ。
我が国が誇らしげに自賛してきた憲法による牽制は、力を失いつつある。トランプは、先回の大統領選挙結果を覆し、平和的権限移行の阻止しようと試みて、民主主義の基本ルールを侵した。それでも、議会も更に司法すらも彼に責任を取らせず、そして、共和党は、トランプを先のクーデターの試みにも拘わらず、再び大統領に指名した。
2024年の大統領選で、トランプは独裁主義的なキャンペーンを大っぴらに展開、彼の敵対者達を訴追し、批判的なメディアに制裁を加え、そして公衆の抗議行動は軍を用いて抑圧する旨を公言した。そして、彼は勝利し、尋常ならぬ最高裁判断のお陰を以って、彼の再任期間中は、広範な大統領免責を享受することが確定した。
米国民主主義が第一次トランプ政権を生き残ることが出来た理由は、彼に経験や計画も、或いはそれらを支えるチームもなかったからだ。更に、2017年に大統領職務に就いた時、彼は共和党を支配した訳ではなく、大半の同党指導者達は尚も政治に於ける民主主義規範順守を貫いていた。当時、彼は、経験豊かな共和党重鎮やエリート官僚達と共に政権運営し、彼らが大体に於いてトランプの手綱を締めた。処(ところ)が、今やこれら何れの条件も当て嵌らない。
今回、トランプは周囲には忠実なイエスマンを配置し運営する方針を明言。現在、トランプによって支配される共和党は、反トランプ勢力を既に追い出し、今や彼の独裁的振る舞いにも黙従する始末だ。
米国民主主義は、自由民主主義の標準的な基準を最早満たさなくなると云う意味に於いて、第二期トランプ政権期間中に崩壊するだろう。即ち、平等な参政権、自由で公正な選挙、そして市民の自由への広範な保護が危うくなる。
米国民主主義が崩壊する場合は、典型的な専制主義とは異なり、選挙がインチキで、反対派が拘束、追放、或いは殺害されるようなことはない。最悪の場合でも、トランプは憲法の修正や、或いは憲法命令を覆すことが出来ない。又、独立的立場の判事達、連邦体制、米国の職業軍人、更に憲法改正に必要な高い壁による制約を彼は受けざるを得ない。更には、2028年には中間選挙が行われ、共和党が負ける可能性もある。
但し、独裁体制が、必ずしも憲法で保障された秩序を破壊するとは限らない。我々の先に待ち受けるのは、ファシストでもなければ一党独裁でもない、ある体系――つまり、複数政党が選挙で競合しつつも、現職政権が権力乱用により、敵対勢力の不利に働くよう競争条件を操作する世界だ。
冷戦終結以降に誕生した、大半の独裁諸政権は、ペルーのアルベルト・フジモリ大統領、ベネズエラのチャベス大統領を始め、更に、現在のエルサルバドル、ハンガリー、印度、チュニジア、及びトルコを加え、全てのこの範疇に入る。
競争的独裁主義の下では、多数政党による選挙等、正式な民主主義の建付(たてつけ)は、無傷に残っている。即ち、野党勢力は合法に存続し、然も、彼らは権力奪取を真剣に争う。従い、選挙は屡々(しばしば)激戦となり、現職政はそれに奮闘しなければならない。
そして、往々にして、現職政権が負けることもある(2018年のマレーシア、及び2023年のポーランドの事例)。然し、それら体制は民主的とは云えない。つまり、現職にある者達が政府と云うマシンを悪用し、敵対者を攻撃し批評者達を仲間に入れ、謂わば、不正試合を行うからだ。従い、競争自体は存在しても、公正でないのだ。
競争的独裁主義は米国の政治生命を変容させるだろう。公けに政権批判することは、相当程度の高い代償を伴う事態になるのは、就任当初に、トランプが甚だその正当性の疑わしい大統領令を連発した例で明らかに見た通りだ。即ち、民主党への献金者はIRS(米国歳入庁)の標的になる。人権団体へ資金提供する企業は、より高額の徴税や厳格な法的調査を受け、或いは関係投資会社が調査官によって営業差し止められるかも知れない。批判的な報道機関は、費用が嵩む名誉棄損やその他訴訟、或いは親会社に対する報復的政策手段に直面するだろう。それでも、米国は尚も政府に反対するのは可能だろうが、多くのエリートや市民達は斯かる戦いを挑む価値がないと判断する機運に流され、反対派の立つ瀬はより厳しく、危険に満ちたものとなって行く。然し、彼らが抵抗すること自体を諦めれば、独裁主義による地固めは一層進行し、世界の民主主義にとって致命的にして且つ永続的な帰結を招くことになろう。
(了)
次章以下の翻訳は順次掲載予定
文責:日向陸生
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