【特集論文】『権力は正義を生まない ~武力行使に抗する規範が悲劇的崩壊の危機にある~』 完訳(原典:『Might Unmakes Right ~The Catastrophic Collapse of Norms Against the Use of Force~』, Foreign Affairs 2025, July/August 号、P80-93)

著者:オーナA. ハザウェイ、スコット J. シャピロウ共著(Oona A. Hathaway & Scott J. Shapiro)

肩書:前者は、イェール大学法学部教授、カーネギー国際平和財団非常勤顧問。後者は、イェール大学法学部教授、兼同大学哲学教授。

第一章 論稿主旨
  米国大統領ドナルド・トランプは、執務室に復帰して数ケ月の内に、武力の威嚇でグリーンランドとパナマ運河を奪おうとし、二百万人のパレスチナ人を排斥した後にガザ地区の所有権を得る可能性を示唆し、更に、ウクライナに対しては停戦と引き換えに彼らの領土を露西亜に割譲するよう要求した。これら一連の言動は、あらゆる分野に見境なく及ぶ、トランプ一流の大法螺の極(ごく)一端が発露した丈(だけ)に見えるかも知れない。然し、そうではない。実は、これら全ては、長年支持されてきた国際法の原則に対し、一貫した侵犯行為に該当する。つまり、国際法は「如何なる国家も、紛争解決に際し相手諸国へ武力行使、又は軍事力による威嚇をしてならない」と明確に謳っているのだ。

 20世紀以前には、法理論家達は、武力によって他国領土や資源等を獲得する戦争を合法としたのみならず、寧ろ、斯かる戦争を推奨すらした。当時、戦争は、適法にして且つ国家諸権利を増進し、国家間紛争を解決する為の主要手段と見做されていた。

然し、この環境を大きく変じたのが、1928年に殆ど全ての国々が「戦争による侵略は違法であり、領土征服を禁じる」ことに合意し、“ケロッグ-ブライアント協定”に調印したことだ。次いで1945年、国連憲章はこの約束を再確認の上、更に拡大し「武力行使、又はそれよる威嚇を、領土併合又は他国の独立体制に向け用いてはならない」ことを、その最も重要な禁止事項として謳った。

然し、戦争禁止に単に合意する丈では不十分と悟った諸国は、この根本原則を一層強固にすべく、更に多くの歳月と労力を費やして、漸く基本枠組みと諸機構を設計し、「軍事力よりも経済的諸手段を重要視し平和を追求する」新たな法秩序構築へと世界を導いたのだった。

 その結果、国家間の戦争頻度は激減した。先の第二次大戦の処理以降、65年間の内に他国によって征服された領土面積(年間平均)は、初めて戦争を違法とした1928年以前の百年間に比べ、僅かその6%に止まった(94%減少)。

斯くして、諸国家が、より強大な隣国に侵略される恐れはなくなり、1945年以降今日迄に、国家の数は3倍増した。そして、世界各国が互いにより一層自由に貿易に励んだのは、彼らの蓄積する富が、嘗てのように他国に略奪される恐れは殆どなくなったからだ。世界はより平和になり繁栄を謳歌した。

 実際は、武力行使禁止条項の影響力は、トランプが大統領復帰する以前から、既に多少の劣化が始まっていた。2003年、米国はイラクに侵攻、同国が大量破壊兵器を保有するのを理由に戦争正当化したものの、現実にその兵器は存在しなかった。中国はこの10年間、南志那海の紛争領域で軍事基地構築に専念している。そして、2022年、露西亜はウクライナへ全面侵攻を実施、それは第二次世界大戦以降最大規模の地上戦だった。

但し、斯かる環境の中でも、その存在がまだ認められていた“武力行使を禁ずる規範”すら迄も、完全に打ち壊してしまったのが、トランプという男なのだ。

米国は、これ迄この戦後法秩序の維持と防衛に於いて、決して完璧とは云えぬ迄も、決定的な役割を演じて来た。この秩序が耐久性を維持し得た背景は、各国が国際法を順守したと云うよりは、寧ろ、もしそれを破れば、他の国々がどう振る舞うか、各国がある一式の経験則を共有していたことが大きい。即ち、その当事国が譬え「武力行使禁止」を定める国連憲章を破る場合にも、もし、この規範を犯せば、非難を招くばかりか、諸制裁、及び恐らくは米国と同盟諸国から法に基づく介入を受けることを知っていたのだ。

 それらの期待が今や霧消した。トランプは、「戦争並びに戦争による征服を禁ずる規範を守り抜く」と云う、米国の伝統的役割の放棄を試みるだけに止まらない。彼の狙いは其処(そこ)を更に越えるように見える。つまり、相手に有無を云わせず屈服させ経済的利益を獲得する為の主な手段として、戦争行為、或いは戦争による恫喝を再度復活させようと云うのだ。

そして、斯かる規範変容を、幾つかの国々は既に受け入れる兆候を見せ始めた。イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフは、トランプが思案するガザ地区構想を支持し、パナマは米国大統領を宥(なだ)め賺(すか)す道を選択し、非パナマ国籍の不法滞在外国人を米国から強制移送する複数のフライト便受け入れと、パナマ運河に軍人関係者を配備する合意書に調印した。

トランプが、ウクライナ領土一部併合を露西亜プーチン大統領に容認するそぶりを見せて威嚇した結果、キーウ政府は、自国の豊富な天然資源開発権を米国に与える契約に調印余儀なくされた。

斯様に“武力行使の禁止”条項が劣化し行く傾向に、もし誰も歯止めを掛けなければ、地政学は嘗ての露骨な軍事力が物を云う競争時代へ戻るだろう。

その帰結は重大である。即ち、世界規模での軍拡競争、武力による占領の頻発、及び貿易縮小が生じ、気候変動等、地球規模の諸脅威を処するには欠かせない協力体制も崩壊する。

第二章 戦争行為が定着した時代  

 第一次世界大戦前の数百年間、戦争は、諸国家が紛争を解決する手段として法的に認められていた。戦争勃発が「国際秩序破壊」の要件を構成することはなく、寧ろ、戦争自体が秩序だった。国際紛争に裁定を下す国際法廷が存在しない当時、主権諸国家は彼らが適切と判断する儘に――つまり戦争を仕掛けることによって――権利行使する権限を保持した。各国は、彼らが他国を侵攻する法的理由付けを列記した“戦争宣言”(war manifestos)を提示した。其処では、如何なる法律上の不平も、軍事力行使を正当化する理由になり得た。例えば、船舶被害等の財産損傷、負債の不払い、或いは条約違反、そして無論、自己防衛が該当した。

17世紀、和蘭(オランダ)の哲学者にして法学者のヒューゴ・グロティウス――屡々(しばしば)「国際法の父」と呼ばれる――は「戦争は、諸権利行使の要件を満たす限り、”正義”と見做される」と著作『戦利品と捕獲物に関する法解説』に述べた。(原題:『Commentary on the law and Booty』) 

 「戦争が諸権利を行使する一つの手段」と見做された故に、当時の国際法は「征服する権利」を認めた。紛争を引き起こす切っ掛けになった、その過ちを正す為に、土地や財産が奪取されたのだ。グロティウスは説明して曰く「戦利品や捕獲物の獲得が、国家の戦争行為を通じて為された場合、それらは正当に彼らの所有物となる」と。

然し、現実には間違いなく、諸大国が往々にして、本来彼らの所有に属さない物すらも、不公正にその所有権を請求する事態が生じた。但し、戦争の適法性を判断する最高権力機関が存在しない中、当時の国際制度は「あらゆる征服は合法だ」との効率的解釈を取った。つまり、権力こそが正義だったのだ。

例えば、1846年、米国がメキシコ向け戦争開始に当たり、主要な法的根拠としたのは「メキシコによる債務不履行」だった。そして、軍事行動を停止する見返りとして、米国は52万5千平方マイルの領土(後の米国南西部)を1千5百万ドルと債務の免除と云う破格の対価と引き換えに割譲する協定を、メキシコに無理やり署名させた。

 これは決して稀な事例ではない。米国は屡々(しばしば)「砲艦外交」を実践した。それは軍事力の威嚇を使い、弱い諸国家を威圧して不平等な条約を締結させ、自国の政治的又は経済上の諸要求を増進させる手法だ。自国の諸権利を防衛する目的で遂行する戦争が正当化されるのであれば、これら諸権利を守る為に戦争を威嚇手段に使うのも、又正当化されたのだった。

1854年初、米提督マシュー・ペリーは、米国艦隊を率い江戸(現東京)湾へ来航、この論理の典型を例示した。彼は、米国が日本と交易する法的権利を有すると主張し、その上で、日本が開港に合意しない場合は、彼が軍事力を行使する旨を明言。この圧力は奏功し、1854年3月31日、両国は「神奈川条約(日米和親条約)」に調印し、日本の2港が米国船舶に対し開港した。

 戦争は諸国家が法的諸権利を追求する手段である故に、戦争遂行は犯罪でなく、法執行の一つの手法とされた。1814年、ナポレオンが第6次対仏同盟戦争に敗れた際、彼を打ち負かした欧州諸大国は、彼を戦争犯罪人として収監することはなかった。寧ろ、ナポレオンはエルバ島へ送られ、其処で彼は皇帝の称号を維持し、統治者として同島の支配を許されたのだ。彼が欧州本土へ復帰し、再びワーテルローの戦いで敗北した後、彼が南大西洋のセント・ヘレナ島へ追放されたのも、犯罪に対する処罰ではない。それは予防措置――隔離策の一種――として、彼が再び欧州大陸へ戦争を解き放つことなきよう取られた策だったのだ。

 諸国家は、砲艦外交を繰り広げ、他国の領土を征服する権利を保持したのみならず、更に戦争遂行に対し刑事訴追の免責をも享受した。一方、彼らは又、交戦中の諸国に対し厳密に公平性を保つ義務を負った。

即ち、当時、中立諸国が交戦中の諸国家に対し制裁を加えるのは御法度(ごはっと)だった。何故なら、これは、交戦国が合法的に行使する法権利に対し、干渉行為に当たる、と解釈されたからだ。即ち、ある国家が中立義務を犯せば、それ自体が戦争開始の正当な事由を構成した。征服は適法だが、交戦国に対し経済制裁を課すのは非合法だったのだ。 

 20世紀初頭迄継続した、この法秩序に基き、当時、大国は自国の諸要求を無理強いすべく戦争の手段に自由に訴え、弱い国家は屈服するか、さもなくば絶滅の危機に瀕し、紛争の渦が略(ほぼ)日常的に生み出された。

征服行為が禁止されない中、国家を隔する国境は日常茶飯に暴力を以って変更され、武力によって諸帝国国家が拡大を図る結果、国際的不平等が定着した。

貿易経路が開設された後は、砲艦外交が支配し、そして植民地の所有権は、恰も訴訟に於ける損害賠償の如く大国間で争われた。絶え間ない戦争の脅威により、世界経済の成長は阻害されたのだった。

第三章 戦争から平和への転換 

 第一次世界大戦では、戦場に新たな破壊的技術が導入され、それ迄の諸戦争とは遥か桁違いの損害を齎(もたら)した。この戦争に結局20ケ国以上の国々が参戦し、推定2千万人が落命、犠牲者の凡そ半数は一般市民だった。一度(ひとたび)、この殺し合いが鎮静化すると、斯様な惨劇を二度と起こさぬ為の道筋に関し、人類による必死の考究が開始された。1920年、「集団安全保障による平和維持」を一つ答えとし、国際連盟が設立される。然し、肝心の米国は、欧州戦争に再び巻き込まれるのを恐れた米国上院議会の反対を受け、連盟への参画が阻止され、これによって同組織の国際機関としての法執行力が相当損われた。

 他方、時を略同じくし、より斬新な理念が登場した。戦争自体を完全に違法化する試みである。1927年後半、米国国務長官フランク・ケロッグが、同概念を形式化した国際協定を仏国首相アリスティド・ブライアントに提案。そして、一年を経ずして、所謂、1928年ケロッグ―ブライアント協定――正式名称は「国家の政策手段として戦争を放棄する一般条約」――は、当時世界の大多数の国家を網羅し58に上る調印国を獲得した。

侵略戦争は違法との原則を打ち出し、加盟諸国は「国際紛争の解決方法として戦争に訴えることを非難し、且つ他諸国との関係に於いて戦争を互いの国家政策の手段とすることを放棄する」旨に合意、そして諸国家間の紛争は「平和的手段」を以って解決すると宣言した。

  それでも同条約は、第二次世界大戦を防ぐことは出来なかった事実を以って「未熟で無力」なものとして一般的に見縊(みくび)られる結果となった。

処が、現実には、同条約こそが、近代国際法秩序を生む過程を始動させた立役者である。唯、同条約の設計者達は、彼らが思い抱いた高邁な意欲的野心に照らせば、当時の試みは如何に甚大な規模の仕事に相当したかと云う点に理解が及んでいなかった。即ち、一度(ひとたび)、戦争を非合法化する場合には、本来、殆ど全ての諸国際法は、再構築される必要があったのだ(当然、それは一朝一夕に成らず、以下に述べる通り、長期を要する作業とならざるを得なかった)。

1931年、大日本帝国が満州侵攻した時、米国国務長官ヘンリー・スティムソンは、同条約の原則に合致する対応声明を造り上げるのに1年の歳月を要した。ステイムソンの決定は、「日本が違法に取得した領土に対し、米国は日本の主権を認めない」と云うもので、間もなく国連加盟諸国もこれに倣った。

この「不承認」政策と云う、新しい教義(現在“スティムソン主義”として知られる)こそが、転機になったのだ。

「嘗て合法だった侵略行為が、最早認められない」ことが明言された。つまり、日本が違法に侵略した領土を、中国に対し割譲を求め、脅して無理やり約定に調印させたとしても、斯かる合意書は有効と認められない、と見解。これにより、砲艦外交を以って、相手から有効な条約義務を取り付けることを不能化したのだ。

 独逸と日本――両国共にケロッグ―ブライアント条約加盟国――は、第二次世界大戦を発出して同条約を公然と無視したが、結局彼らはその帰結に直面した。即ち、武力で奪取した全ての領土を失い、国の指導者達は戦争犯罪法廷の被告人席に立たされた。

ニュールンベルグ裁判に於いて、起訴状第一訴因はその罪を告発して曰く「ナチスの共謀人達が特に事前に入念に計画した戦争は、1928年ケロッグ―ブライアント条約に違反する」と。

 そして、この条約の諸原則が、同時に国際法に於ける他の諸観点をも再定義した。米国司法長官ロバート・ジャクソンが1941年武器貸与法(lend-lease actレンド – リース法)――ナチス独逸と交戦中の諸国に対し、米国が武器供与を、正式な宣戦布告手続きなく行うことを可能化した――を擁護する際に用いた根拠として、「ケロッグ―ブライアント条約の発効を以って、各国の中立義務は既に修正された」点を特に言及した。ジャクソンは説明し曰く「条約調印諸国は“政治手段としての戦争放棄”に合意した以上、“この約束を犯し開戦した国は他諸国から平等な扱いを受ける権利を最早有しない」と。

斯くして、嘗て武力侵攻発生時、非当事諸国全てに等しく課された“中立義務”は、以降解消されたのだ。

 以上を総括すれば、国際法規範の変化は1928年に始まった。然し、世界の指導者達は、諸理念の存在丈では不十分と悟り始めた。つまり、これら諸理念に法的強制力を与えるには、新しい法体系と諸機構を必要とした。従い、第二次世界大戦後、戦勝諸国は国際連合を設立し、ケロッグ―ブライアント条約を起点に生じた「改革」を成文化したのだ。

国連憲章は「全ての国は、如何なる国の領土保全や政治的独立に対し、武力による威嚇やその行使をしてはならない」と定めた。その結果、脅しによって署名を強いられた条約は正式に無効とされ、中立義務を無闇(むやみ)不偏的に求められることはなく、そして侵略行為を犯した指導者達は犯罪責任を問われ得るようになったのだ。

 従って、米国が主導したこの変化は、最も重大な法律上の転換の一つとして世界史に刻まれるだろう。現実に、国連憲章の発効後凡そ80年の間、国家間戦争や領土侵略により、数百年間保たれた国境が変じたり、再設定される事態は極めて稀になった。1945年以降は、大国同士はお互い正面切って戦争することはなく、又、国連加盟諸国の内、侵略によりその名を消した国はない。無論、紛争自体がなくなった訳ではないが、嘗てのような慢性的状態からは劇的改善を見た。

第二次世界大戦以前の百年間には、他国領土を成功裏に侵略した事例は150件以上に上った。処が、それ以降は僅か10件を下る事例を見るばかりだ。

 この大変化の原因を、一部専門家は「核兵器による抑止力」に帰し、他の者達は「民主主義の流布」と云い、又別の一団は「国際貿易の拡大」に求めた。然し、これら解釈は何れも「戦争自体を違法とした決定」の重大性を見過ごしている。

思い出して欲しい。1990年8月、イラク指導者サダム・フセインが国連憲章に違反し、クウェート侵攻した際、国連安全保障理事会はイラク軍に即時撤退を要求。イラク側に応じる気配なしと見るや、同理事会は“国際平和と安全回復”の為、他の加盟諸国に対し“あらゆる手段の行使を許可”した。これに基づき、米国が国際連合軍を率い、クウェートからイラク軍を追い出した。斯くして世界は「武力侵攻の禁止を犯せば代償を伴う」ことを目の当たりにした。

法律が各国行動を縛る理由は、必ずしも、彼ら自身が規範を守ると決心するからではない。寧ろ、彼らは「もし規範を破れば、他諸国―――その中でも特に米国が――如何なる対応をとるか」、その思考と帰結を重視し始めた結果、自制したのだ。

 又、領土征服の禁止条約は、各国が富を獲得する手法にも変化を与えた。即ち、この規範が確立される以前、諸国家の富を蓄積する能力は、如何に広い領土、多くの資源、及び諸権益を他諸国から獲得出来るかに依存した。そして戦争と征服が国家を繫栄させる道筋として認められていた。処が、征服する権利を禁じた戦後法秩序によって、各国は平和的手段、主に貿易を通じ経済成長を遂げるよう仕向けられた。貿易拡大と戦争禁止が手と手を携える形で進行した結果、諸国家は侵略によっては最早、自国を富ませることが出来なくなった。それに替え、彼らが頼むべきは、経済協力、市場競争、そして財と資本の自由な流れだった。

 一方、嘗て砲艦外交を展開し我が意を押し通した諸大国は、今度は商業外交(俗に云う“小切手帳”外交)への転換を余儀なくされた。国際法執行の主な手段が、戦争に替えて、経済及び外交的制裁へ変じた。諸国家は互いに経済的依存度が強まるに従い、次第に“仲間外れ ”或いは国際協力の便益から除外する為の、微妙な諸手法を設計して行った。その一例が「貿易制裁」であり、これが広範な違法諸行為、例えば人権侵害、テロ支援、及び侵略戦争行使、等に対し、各国が用いる対応手段の主流になった。

1945年当時、輸出と輸入とは世界GDPの約10%を占めるに過ぎなかったが、2023年には、それが58%迄上昇。その間、新たに誕生した国際諸機関は何万を下らず、条約発効数は25万件以上に上り、前例ない水準に到達した相互依存関係の維持、推進を補助した。一方、国際協力の輪から除外されることは、各国にとって益々耐え難い脅威になったのだ。

 世界GDPに占める大きな比率と、国際準備通貨ドルへの高い信任から、諸規範の執行に於いては、米国が特段に強力な権限を保持した。一方、大半の国々にとり、米国と好関係を維持することは経済的に不可欠だった。

但し、ワシントン政府が戦後の法秩序維持に果たした役割は、完璧とは程遠いものだった。つまり、米国はベトナム戦争を遂行し、2003年にはイラクに侵攻、中東での対テロ戦争を数十年に亘り継続した原因は、全て過剰に拡大解釈された「自己防衛」の権利主張に依拠するものだ。

然し、それでも、米国は唯の一度も、「領土征服」と云う根本的禁止事項を犯したことはなく、秩序維持の為に重要な役割を果たしたのは事実だ。例を挙げれば、NATO加盟の欧州諸国、リオ協定南米加盟諸国、並びに、豪州、日本、ニュージーランド、フィリピン、韓国、及びタイ、これら何れかの国が違法な武力攻撃を被る場合、米国はそれを防衛すると宣言し揺るがなかった。

又、イラクのクウェート侵攻に際し、ワシントン政府が先頭に立って征伐する決定を下した行動は、「もしある国が他国の征服を試みれば、譬え米国に条約上の防衛義務がなくとも、同国主導による反撃を受ける事実」を明白にした。斯様に、不完全ではあっても、甚だ機能的な制度によって主要な諸紛争を未然防止し、相互依存する世界を――常に緊迫した関係が存在したにも拘わらず――安全に保ち、決して無制限な暴力の渦中に沈めることはなかった。各国がより繁栄した経済構築に専念出来たのは、彼らが軍事大国による征服、或いは威嚇による不平等な条約締結を強いられ、利得を嫌々召し上げられる恐れが、最早なくなったと感じたからだ。

第四章 危難に直面する法制度   

 トランプに先立つ米国諸政権は、何れもその偽善性を非難され得る余地が確かにあった。然し、トランプ政権が、率先し「戦争禁止条約」を完全に放棄する姿勢は、より遥かに危険なものだ。「米国はカナダやグリーンランド、或いはパナマ運河を力によって併合し、更にガザの所有権迄も要求可能」とする、その根拠は、決して単なる「現実主義」や「取引重視の利益誘導型新式政治」に基づくものではない。それは、嘗ての「力が正義だった」時代への逆戻りを意味する。トランプの言動は、ケロッグ―ブライアント条約が成立する以前の理念、即ち、「国家間の紛争処理、或いは他諸国に譲歩させる為の手段として、戦争による威嚇や領土征服の実行を合法とする」考えに根差すものだ。

 更に、重大なのは、自身で征服の脅しを掛ける丈に止まらず、トランプ政権は、他諸国が保持する「征服を被らない権利」を防衛する役目をも放棄してしまったかに見えることだ。

今年4月、トランプはウクライナ向け軍事支援を引き揚げると威嚇しつつ、ウクライナ大統領ウォロディミル・ゼレンスキーに対し、もし、彼が米国の斡旋する和平案――ウクライナ領土の20%を露西亜に割譲する案であったとフィナンシャル・タイムズ紙が伝える――を考慮しない場合には、ウクライナは全国土を失うことになる、と警告した。

トランプは、斯くして既に“砲艦外交”を復活、力による威嚇を用い、他の国々を彼の好む条件で調印するよう強制している。そして、現実に、軍事力の脅しを用いて、カナダやメキシコから多くの譲歩を引き出した。

又、トランプ関税政策も、これに劣らぬ甚大な悪影響をまき散らすものだ。即ち、見境(みさかい)ない同策は「経済制裁」と云う法執行の道具が本来備える重大な威力を損なう結果、「征服行為の禁止」を牽制すべき国際環境自体の弱体化を招く。制裁効果は、稀に、そして明白なる国際法違反に絞って発動されてこそ最大限発揮されるのだ。それにも拘わらず、トランプがカナダとメキシコに課した如く、その他諸国へも気まぐれに25%関税を適用する策は、正真に違法行為を犯した国を懲らす為に発揮されるべき経済制裁の効力を、見す見す蝕むものだ。

 更に唖然とするのは、法執行制度に於ける「制裁権限」に対して迄も、トランプは直接攻撃を加えた点だ。即ち、国際刑事裁判所に係る判事や法律家達に対し、「制裁」を以って威嚇する大統領令に彼は署名した。この行為は、元来、国際法の執行強化の為に使う道具を、却って、国際法の根底を揺るがす道具に変じる試みだ。

又、トランプの推進する孤立主義的経済政策は、より広範な影響を与えると危惧される。つまり、同策によって諸国家間の相互依存関係の崩壊を招く結果、国際法違反を犯した国に対し、それ以外の諸国が一致し“仲間外れ策”を講じて懲らす能力自体が減殺されるからだ。そうなると、これら諸国に残される道は、暴力諸行為を牽制されぬ儘(まま)野放しにするか、或いは、彼ら自身も軍事力に訴え出るか、の二つしかなくなるのだ。

 トランプによる様々な軽薄なる弁舌攻撃や政策転換は一見、混沌として見える。然し、実はこれら全てが「戦後法秩序の解体」と云う、壮大な計画に資する点で見事に軌を一にする。この破壊行為が取り分け危険な理由は、取りも直さずその制度を構築し、そして、譬え不完全とは云え、その維持に尽力してきた、当の本人によって実行されているからだ。

勿論、トランプは彼自身がぶちまけた全ての脅しを実現することが出来ない可能性がある。即ち、一部は裁判所や国内野党によって差し止められるかも知れず、又、国際社会の他の指導者達が直ちにトランプ流を模倣するとも限らない。

然し、重要な点は、トランプの“威嚇行為”それ自体が、「征服禁止の規範」をこれ迄支えて来た、諸国家による振る舞い、自制、及びその結果訪れる諸帰結、と云った一連の諸前提を、台無しにする危険性を十二分備えていることだ。

 これらの諸前提――つまり「大半の国家は、いつの時代も、規範を重視し行動する」と云う信念――によってこそ、立場の弱い諸国家は長期的計画を立て、投資家達は国境を越え投資を敢行し、万一国際法違反が発出すれば、諸政府が一致集団でそれに対応することを可能にするのだ。世界で最も権勢ある国が、長年培(つちか)われて来た規範に違反して処罰されなければ、他の国々もそれに倣うだろうことは子供でも分かる話だ。そして、一度(ひとたび)、諸国家がお互いに規範を守ると期待出来なければ、その期待を拠り所に成り立つ法体系は――忽然と一斉にではなく、寧ろ、徐々に崩壊が始まった後、遂には跡形もなく倒壊するだろう。

最終章 我々が取るべき真っ当な方策提言~秩序崩壊を促進するトランプに対抗する為に~

 「武力行使禁止」条項が潰えてしまえば、プーチン、トランプ、そして中国習近平主席は、世界をいとも易々と己の勢力範囲に変じることに合意する可能性が十分ある。そうなれば、銘々が意の儘(まま)に、自陣の勢力下に諸国家を脅かし、力の弱い諸国家に対しては保護と引き換えに譲歩を最大限引き出す挙に出るのを最早止める術はない。 

斯かる環境下では、一時的には比較的穏やかな時代のように見え得るが、一方、自由は著しく制限されている。つまり、それは寧ろ「戦争禁止条項」によって一旦は姿を消した、紛争と混乱が打ち続く状態の復活を意味し、歴史家ツキディデスによる有名な一節、「強者は意の儘に振る舞い、弱者は無防備に耐えるのみ」の世界が出現するだろう。

 これとは別にもう一つ可能な道があるが、それには勇気と素早い行動が必要だ。2022年、国連総会の場で、142ケ国は米国と共に、露西亜によるウクライナ領土併合の企ては違法であるとの非難決議に賛同した。然らば、これら賛同諸国が力を合せば、米国をその主たる執行責任者として頼ることなく、「領土征服を禁じる」条項を再度強固にすることも可能な筈だ。実際、米国が空けた隙間を、欧州が埋めようと試みる兆候が出始めている。

去る3月、ホワイトハウスでの悲惨な会談で、トランプとJD ヴァンス副大統領は、ゼレンスキーを貶(おとし)め、ウクライナ領土を放棄するよう威嚇したのを受け、欧州はウクライナの主権を支えるべく結集した。即ち、キア・スターマー英国首相は、欧州諸国が軍事支出を増強し、ウクライナを防衛する為の“有志連合”結成を宣言、更に欧州委員会(EC)委員長のウルズラ・フォン・デア・ライエンはEUが同国支援計画を提示することを宣誓した。

 然し、世界の警察官たる米国の役割を、肩代わりする力が欧州にない。欧州は必要とされる軍事力、経済的影響力、及び政治の一体性を動員する力を欠くからだ。仮にそれらを満たしたとしても、世界が米国以外の役者に過剰に期待を懸けるのは誤りだ。「武力行使禁止」に関しては、寧ろ、同条約を保持する現体系自体が内包する諸問題を認識することが先決だ。その上で、これを保全する為に注ぐ真剣な努力が初めて実を結ぶ。

即ち、国連が創設された際、強大な5ケ国――中国、仏国、ソヴィエト連邦、英国、及び米国――は、安全保障理事会常任国の特権として、国連の執行措置に対抗する拒否権を自ら付与した。

そして、この秩序に於いて、米国の他を圧倒する支配的な役割が示したのは、ワシントン政府が規範を犯した時にも――米国による2003年のイラク侵攻の例に見る通り――誰一人としてその行為に対し責任を問い正すことが出来なかったと云う現実だった。

 これら大国に纏(まつ)わる様々な欠陥こそが「武力行使を禁じる法秩序」が損なわれて来た原因であるとの見解が、殊(こと)、グローバルサウス諸国の間に一般化したのだった。 

斯かる不信感の存在は、トランプがこの禁止条項を解体するに際しても、一部の諸国家は、これにより彼らが失う同条約の価値すら、抑々(そもそも)認識出来なくなると云う負の影響を生む虞がある。

そんな中で、法的秩序をより強固なものとする為に必要な、最初の第一歩は何か。それは、戦後法秩序の脆弱性と――更に、その防衛に努めるべき者達が余りにも屡々(しばしば)自らの諸理念を貫き通すことが出来なかったという惨めな事実――とを公然と認識することだ。

「武力行使の禁止」条項を維持して行く為には、国際機構に関する新たな発想が求められる。即ち、国際平和と安全保障を確保する為には、体制を一新し、より幅広く様々な国々に対し、法的諸規範を下支えする応分の責任を分担させ、これら諸規範が何れの国に於いても、より正当にして且つ国内政情変遷に直面しても尚、耐性が維持されるよう図る必要がある。

 中小規模の国々が、武力行使禁止条項を守護するには、幅広い相互連携が必要だ。80年間に亘り比較的平和が継続し得た理由は、際立って強力な、一国家による“保証人”の役割抜きには語れないと、多くの専門家達が考える処だ。それでも、この見解は、諸国が一致協調した際に発揮する、真の底力を過小視している。EU(欧州連合)がその典型例だ。27ケ国の何れも大国でないが、合算することで力は得られると知るべきだ。

 国連総会では全加盟193ケ国が等しく一票を保有する。従い、同会こそが主導的役割を発揮すべきなのだ。この組織は、安全保障理事会のような強制執行力こそ持たないものの、国際平和と安全保障を維持する為の機関として、国連憲章「武力行使の禁止」履行の為に、より強力な権限行使を行う余地がある。その一例が、“拒否権イニシアティブ”と呼ばれる最近導入され改革で、これは国連総会の権限拡大が可能であることの例証だ。つまり、この制度は、露西亜のウクライナ侵攻後に創出され、安全保障理事会に於いて拒否権発動を被った決議案に就いては、全て国連総会へ送られ協議に付されることを義務付けた。現実に、この規定の下に、国連総会で討議し決された諸決議は、加盟諸国が対露西亜制裁とウクライナ向け武器及び経済支援を協調実施する為の法的根拠を提供した。又、これら諸決議が、国際損害登録機関(an international register of damages)の設立に繋がり、戦後復興へ足が掛かりを整える成果を挙げた。

 諸国で共有する目的達成の為には、域内、或いは特定問題に的を絞り連立行動を取るのが有効だ。この様な提携が実を結びつつあるのは次の諸事例の示す通りだ。

欧州評議会(the Council of Europe)は、プーチンとその他露西亜指導者達に対して、証拠収集を目的とする法廷を立ち上げ準備中で、彼らをウクライナ侵攻の犯罪者として裁くことが最終目標である旨を公表した。又、所謂ハーグ集団(Hague Group)の加盟諸国――ボリビア、コロンビア、キューバ、ホンジュラス、マレーシア、ナミビア、セネガル、及び南アフリカ――は、国際司法裁判所と国際刑事裁判所に於いてガザの戦争に関し下された諸判決が執行されるよう尽力中である。

又、去る5月、アフリカ連合(African Union)とEUの外相達は、「平和、安全保障、及び経済問題」に関する相互連携強化を宣言、これは、米国に依存しない、将来の新しい平和連合の起点を提供した試みと評価出来る。

 現在、諸国に対し法執行を目的とする戦争開始を認める権限を有する組織は、公式上、国連安全保障理事会が唯一のものである。一方、武力行使の禁止やその他重大な国際法違反を犯した国に対し、国際的な共同制裁の実施を認可する組織である、“仲間外し評議会”の設置に関しては、諸国がこれを行うに当たり何らの妨げも存在しない。

然し、諸制裁を以ってしても、これ迄は、違法な振る舞いを効果的に減じることが必ずしも出来なかった。それは、臨時的な対応で諸国協調を取り纏めざるを得ないが故に、時間を要する上にその成果期待も不透明と云う事情が一部にはあるのだ。

従い、これら諸国が、もし特定の違法諸行為に対峙した時、集団で一貫した協調行動を自動的に発動することが出来れば、彼らにとりこの道具が遥かに有効なものになる点は強調して置きたい。

 但し、より重要なのは、「武力行使の禁止」を確保出来るかどうかは、各国自身の認識次第に依存する処が大なることだ。即ち、この法規に就いて「それが多大な善をこれ迄可能とし、その確立への道が過去に類なき難作業を経たもので、且つもしそれが消失した暁には如何に甚大なる混沌状態を発出するか」と云う点を、各国は重々弁(わきま)えることが必須なのだ。

その上で、米国が同法規執行を司る役目を放棄する場合に、その他諸国が、米国に替わる、新しい諸機構を構築する覚悟を以って、もし事態に臨むことが出来るならば、これこそが強烈なメッセージになるだろう。この場合、勿論、米国指導者達は「力こそ正義なり」と訴えるだろうが、その節は彼ら自身が少数派となり、その路線を貫こうとすれば世界に孤立化する。

例えば、万一、ワシントン政府が、威嚇によるパナマ運河獲得の挙に出た場合、他の諸国は一致し米国に対し、経済制裁、外交上罰則、或いは、各国本土内の米軍基地使用許可を取り消す手段すらも駆使し、米国を“仲間外れ”にする策を調整することが可能であろう。

重要なのは、米国と雖(いえど)も規範を破れば、他の諸国が、その違反者に代償を課すべく諸手を挙げて馳せ参じることを見せつけることで、これによってこそ、トランプ政権が既に世界に与えた深刻な損傷を回復へ導き――そして、更には、国連に加盟するより幅広い諸国が「国際法の構築と執行」に於いて、一層平等化した役割を果たす為の道が開かれるだろう。

 トランプの台頭は「武力行使の禁止」条項に対する脅威を構成する丈に止まらない。

中国そして露西亜は国際諸規範を自己利益に沿うよう書き換えを狙っている。斯かる中、より多くの国々が国際制度の核心諸法規の執行に対し集団責任を負う姿勢を取るならば、中・露両国と雖(いえど)も、これを無視は出来なくなるのだ。

一方、懸念材料は、嘗て「国際社会への参画義務」を声高に主張した、仏国、独逸(ドイツ)及び英国と云った諸国が、果たして、現況下に尚も、応分の集団的責任を担う覚悟を持つや否やは、未だ心許(こころもと)ない状況であることだ。更に、不透明要因は、特に歴史的にこれ迄、国際的意思決定の場から除外されて来た、他の諸国が、これら先もおいそれと、「武力行使禁止」に根差した国際法秩序に信を置くだろうかと云う点だ。それでも、彼らにとって、この法秩序を支持することこそが極めて重要なのは論を待たない。苟(いやしく)も、中国、露西亜、及び米国の大国を、互いに相争うよう仕向ければ、発展途上諸国は少なくとも短期的優位性を得るかに見える。但し、長期的視点からすれば、この場合、これら諸国は、結局は自身の国運を導き、制御する能力を欠く儘(まま)に、大国間権力抗争の草刈り場となる危険の方が遥かに高いと知るべきだ。

 比較的平和で繁栄した80余年を保持して来た制度に、自動安定装置は付いていない。この制度は、総力を決して守らぬ限り、保つことは出来ないのだ。

第二次世界大戦勃発を目の当たりにして後、米国政治家達は、「第一次大戦後の段階で、耐性に優れた戦後秩序構築に失敗したのが、将来に混沌の種を撒く結果になった」と初めて痛感した。歴史の教訓は語る、危機的瞬間を遣り過ごしてから、次に来る事態に備える手法は失敗の素だ。

1940年代、当時の政治家達は、戦争の無秩序状態から持続的平和の実現を模索した。これに倣い、今日の各国指導者達は、トランプが時計を逆戻りさせるのを座して視るのではなく、平和護持に資する、諸国際機関、同盟関係及び戦略の設計に尽力せよ。

(了)

文責:日向陸生

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