著者:エルケ・U. ウエーバー (Elke U. Weber)
プリンストン大学教授(他肩書記載省略)
今、我々は危機の時代に生きている。目前のコロナウィルス感染問題から、人類存亡に拘わる、迫り来る気候変動の脅威迄、世界は国際的な、巨大で、様々の危険と取り組んでいる。一方、国内に於いては不平等、サイバー攻撃、失業、組織的人種差別、更に肥満による健康被害等、無数の課題を抱えるのは云うに及ばない。これらの内、どの危機一つを取っても、何が正しい対応かと云う点は屡々(しばしば)明白である。マスク着用、人々との距離確保、又は、化石燃料使用削減、或いは所得再配分、更にデジタル基盤の防御、と云った具合に正解ならここに在る。足りないのは、これらを実際の政策に変換する能力をもった政府である。その結果、危機は終わらない。感染病による死者が爆発的に増加し、世界の気候変動対策は緩慢にしか進捗せず危うい事が極りない、等々。
危機に際し政府は如何なる行動を取るべきか、これは何も難しい話ではない。第一に、素早く正確であれ。迅速に動く理由は、往々にして、問題が幾何級数的倍率で拡大する為だ。ウィルス感染蔓延や温室効果ガス排出量拡大は格好の事例である。早期行動は不可欠で、先延ばしは惨劇を招く。更に柔軟性の兼備が求められる。即ち、危機に際し施政者達は、自らの経験や科学者達の成果から学び、その対応を継続的に調整して行く事が必要だ。第二に、行動は賢明であれ。この意味する所は、その問題に関し、利用可能な全ての範囲の科学知識を統合するという事だ。それは、物事は不確実である事を尊重し、希望的観測に捕らわれこの点を無視してはならぬ事でもある。又、それは、長期的な観点から思考すると云う事で、単に次回選挙での再選迄を視野に置くのではない事も意味する。しかし乍ら、我々は大抵の場合には、政治家達というものが、素早く正確でもなければ、賢明でもない事例を目撃して来た。彼らは、緩慢で、融通が利かず、十分な情報を集めようともせず、自信過剰で、近視眼的視野に捕らわれている。
何故、誰しもが斯くも悪しき対応に終始するのか。ある部分は、危機が持つ特有の性質に帰せられよう。危機下では、我々が諸リスクの間を縫って航海する事が求められる典型例である。コロナウィルス感染拡大に於いて、政治家は人命と雇用とを守りたいと考える。気候変動に関し、彼らは気候激甚化の回避と、経済成長維持との調和を模索する。このような二律背反的選択は、そのこと自体が既に困難を伴うのみならず、更に、費用と便益の配分が当事者達の間に均等でない故に、例えどの政策を選択しても摩擦が生じると云う事実により、判断は一層複雑化する。そして、既得権者達は、彼らの資金を活用し意思決定者達やメディアに対し影響を与えて機先を制し、本来必要な行動の出鼻を挫いてしまうのだ。更に悪い事に、政治家達は、数多(あまた)の諸問題と有権者達とに対し長期に亘り継続的に注意を払い続けなければない。そこで、彼らは極めて大きな度合いでの不確実性をも受け入れざるを得ない状況に置かれる。そして、最も簡単な対応として、往々にして、現状に固執する事になる。ところが、この選択は著しく危うい対応で、それにより新たに多くの危険に直面する可能性がある。結局のところ、コロナウィルス感染拡大に於いては、通常の経済活動が社会的距離確保を破綻させ、気候変動問題に於いては、同様の活動が化石燃料使用削減を妨げる事となるのだ。
しかし、一方、危機に対する人間の酷い対応ぶりを説明する為には、政治や動機を越えた領域へと踏み込む必要がある。失敗行動を本当に理解するには、我々は人間心理学と向き合わねばならない。その中でこそ、政治家達が捕らわれる、偏った認識、感情的反応、及び最適ではない安直な近道、といった適切なる意思決定に対する全ての障害と、更に、それらを克服するための道具立てとに就いても、我々が理解することが出来るだろう。
居心地の悪さを回避する習性が人間にある
人類は、悲劇を予知し、それに備えることが著しく苦手である。(脅威には三種ある。)多くの事象は、所謂“黒い白鳥”と呼ばれるところの、滅多に遭遇することがなく、予知し得ない出来事で、大半の人々にとっては想像する事すら困難で、それが生じると一見恰も空想科学小説の如くの領域へと陥るものだ。次に、それ以外の大半のものは、所謂“灰色の犀(サイ)”と呼ばれるところの、大きくて、珍しくはない脅威で在り乍ら、目と鼻の先で、それと出会(でくわ)す迄は、(コロナウィルスの感染爆発のように)無関心に捨て置かれているものだ。そして、最後は“見えないゴリラ”と呼ばれる、その問題がすっかり見ている筈なのに知覚されることのない脅威である。これは心理実験から取られた名で、被検者にバスケットボールの短い試合を観戦させると、彼らは選手達に注意を集中させる余り、ゴリラの着ぐるみ姿の男がコートを通り抜けても気が付かないという事象だ。証券アナリストを含む、例え予測の玄人達と云えども、先述したような出来事を正確に予測すると云う点では、過去からお粗末な実績しか残せていない。コロナ感染禍では、空想科学物語に描かれた地獄郷が目前に出現し我々を驚愕させた事は、人類が重要な事象を予測する能力に欠ける点を示す格好の警告となったのであった。
更に、人類は危機予測に失敗するだけではない。それらを合理的に処する事もなし得ないのだ。良くても、“制約された合理性”を発揮するのが精々で、これは、人間が選択肢を注意深く考慮し、彼らの好む所の極大化を可能とするような、完全に合理的な決定を下すのではなく、現実には時間と認識容量に制約がある中、人々は手っ取り早く、不完全な儘に行動をしてしまうのだ。更に、危機によって生じる緊張を加味すれば、行動の質は一層劣化する。
人類は合理的に熟考する為の、十分な時間と情報も、若しくは処理能力をも持ち合わせていない。その結果として、意思決定に就いて幾つかの平易な方法を進化させて来た。先ず、感情に頼ること。これはある種、初期に警戒を発する仕組みだ。即ち、人々が置かれているその状況が、積極的なものであり、より促進、深堀りすべき局面か、或いは、消極的なものであり、戦うか逃げるかするのが適切な反応であるか、を知らせる事が出来る。次に約束事に頼る方法もある。意思決定を単純化する為、人々は標準的作業手順に従うか、又は、ある種の徳義の基準に縛られる場合である。更に、人々は、自分が信頼を置くか、尊敬する他の誰かが採った行動の真似をする事を心に決めたかも知れない。さもなければ、人々は広く流布した基準と認知したものに従ったかも知れない。そして、習慣により、人々は、それを覆すだけの証拠に出会わない限りは、今迄やって来たことを継続して来たのかも知れない。
このように、人類は近道を選択する習性を進化させて来た。その理由は、数多くの局面に於いて、それが少ない努力で、上手く働くからだ。例えば、有史以前の狩人は、異なる狩猟地帯の何処に獲物が居るかを刻々と知らせる地図へのアクセスなどない中、寧ろもっと単純な目安を頼りとしたかも知れない。即ち、仲間の部族が昨日、動物を見つけた場所で獲物を探すという事だ。しかし、危機に直面すると、感情や決まり事は、必ずしも意思決定を手助けする要因とならない。極めて大きな危険、不確実性、二律背反する選択肢、及び摩擦、これらは全て賢明な対応を追いやる因子だ。不確実性とは恐ろしいものだ。それは、何が起こるかを予測できない事を意味し、そして予測不可能ということは生死にも拘わるかも知れないのだ。大半の人々は、通常の環境下でも既に危険は避けたいと考える。更に精神的負荷を負うと、人々は一層その思いを強め、馴染み深い安心を得られる環境へと逃げ込むのである。銃規制法から、化石燃料への補助金に至るまで、一度(ひとたび)一片の法律文が出来上がると、例え、費用対効果の分析により、それを変革すべきだと議論が起こっても、それを除去するのは殆ど困難なのだ。
効果的な意思決定を行う際にもう一つ心理的障害となるのが、二律背反的選択に対する嫌悪感である。人々が自然とこの選択を嫌う理由は、我々が望む物の全てを手にいれる事は出来ず、望む以外の何かの領域で何らかの妥協をせざるを得ないという点を、それらが起想させる為だ。それが故、往々にして人々は、効果極大化とは程遠く、二律背反的選択肢の必要性も殆ど考慮されることのない、意思決定方式を採用してしまうのだ。この場合、ある特定要件が満たれないが為に、その意思決定者は様々な選択肢を次から次へと逸してしまう事になる。身近に云えば、恋人紹介アプリを利用する人が、望む相手に、身長を条件設定するが故、1㎝背が足りないだけで、実は生涯の伴侶となる運命の人を逃してしまう、という事例だ。又、二律背反的選択は集団間に於いては闘争を引き起こす一方、人々は一般的に闘争を好まないと云う背景もある。彼らは、それはお互いにとり便益を交渉する機会とは決して捉えず、精神負担の掛かる闘争だと考えるのだ。交渉に就いて数年間講義をする中で私が感じる事は、交渉とは限りあるパイを(避けられぬ闘争を伴い)分配することである、と皆は理解しているものの、一歩踏み込んで、交渉は全ての当事者が得をする解決をも屡々(しばしば)創出するという概念を理解してもらうのがとても困難だということだ。
百聞は一見を凌ぎ、分断が深まる
危機対応に於ける更なる障害は、容易に特定できる元凶を欠く場合だ。冷戦時の軍事上の膠着状態や、より最近ではテロリストによる攻撃等、幾つかの危機は、非難されるべき原因や闘うべき元凶が明らかである。しかし、他の多くの危機は、伝染病拡大や気候変動がその恰好の例だが、そうはいかない。これらの諸要因は、あるものは直接的で、他のものは間接的など広範に亘り極めて曖昧なのだ。これら悲劇は、特定の引き金や悪人によって引き起こされるのではなく、寧ろ、政治家達や大衆の行動、或いは無行動によってこそ生じる。誰が味方で、誰が敵だがはっきりしない状況下で、行動を起こす為の明確で単純な道を見出すのは容易でない。
心理学者達は、“一挙打開偏向”と呼ばれる、一度きりのある行動によって、何か不首尾な気持ちが減じられると、その時点で問題が解決されたと考える、人間の習性に言及する。具体例として、ある研究によれば、放射線医達は、彼らがある一つの病状の確証を得た段階で、まだ複数問題が存在するかも知れぬに拘わらず、X線検査を終了するとされる。この偏向は、まだ単純な太古の時代、人類が様々な危険に対処するのに好んだ手法から発達したことを示唆するものだ。即ち、水飲み場でライオンに殺されない為には、簡単で、一挙に解決できる策があった。「ライオンに近づくな」だ。ところが、今日では、多くの危機に於いて特定される元凶は存在しない。戦うべき相手とは、人間行動そのものであり、化石燃料を燃やすべきか否か、ウィルスを保菌した諸動物を食すること、マスクを着用しないこと、或いは社会的距離を保つ約束事に従うこと、等々なのだ。
これら諸問題への解決策は、往々にして不便で、不人気で、且つ初期費用が嵩む。更に、不愉快な諸変化強をいられる事となる。このような場合、人々は、問題の原因に就いて、如何なる曖昧な点をも最大限利用して、様々な説明を支持しようとする傾向がある。例えば、コロナウィルス感染拡大が始まった際、ウィルスは中国の研究所で故意に製造されたと偽って申し立てられた、陰謀説が一部の人々に受け入れられた。この説は、ウィルスが蝙蝠から発症したとの科学的に一致した見解よりも、多くの人々にとっては鵜呑みにするに容易(たやす)かったのだ。実際、4月に私が同僚達と米国民に実施した調査では、何と驚くべきことに回答者の内29%が、この見解を支持していたのだ。
危機時に有効な施政が為される為に、もう一つ心理的障害となるのは、人々がどのように学習によって信じるところを修正するかという点に関連する。ベイズの(観測された事実を確率算出に織り込む)推論法に従うならば、人々は新しい情報に直面した際に、彼らの信じる所を修正するであろう。時間経過に伴い、より多くの情報が入手可能となり、その結果、ある一致した見解、例えば、気候変動は人類の活動によって齎(もたら)されたのだ、といった総意が出現するであろう。ところが、問題は、個々人が全て、同一の新しい情報を視て認知し、更に一律な合理的手法を以って同情報を統合する訳ではない事だ。現実には、人々は抽象的な統計情報よりも、はっきりした自分の経験に重きを置いて解釈する。例えば、たった一人の自分の極近しい友人がコロナウィルスで亡くなった事実の方が、感染率が上昇したという新しい報道よりも、この感染病に対し遥かに強い警鐘となる。或いは、誰か山火事で家を失った者は、気温上昇を示すグラフを眺める人より、気候変動による危機を強く掌握することだろう。自身の経験というのは、科学専門家達から提供された退屈な統計資料に比し、例え後者の方が遥かに立証的価値は高いにも拘わらず、より強力な教師の役割を果たすのだ。
更に、人々は、実現確率が低い事象が起こる可能性を過少評価すること甚だしく、自分がそれに直面して初めて思い知るのだ。そして、その時、彼らが反応すると、今度は、大概恐らくは、過剰な程の対応をなすのだが、それとて渦中の脅威が再び後退するまでの、暫くの間なのだ。例えば、ある高官がeメールのハッキング被害に逢った場合、彼または彼女はサイバー環境安全保全に最大限の注意を払うだろうが、それは暫くの間で、数ヶ月が経過すると警戒は緩んでしまうのだ。
ところで、“百聞は一見に如かず”という言葉には実際の経験から得た教訓が反映されている。しかし、その逆も又、真なのだ。即ち、信じるところしか目に入らない、という事が時々起こる。言い換えれば、特に主義価値観を同じくする仲間達と、情報の信を共有した人々と云うのは、既に持っていた認識を再確認出来る情報を選別して注意を払うが為に、それに反する証拠を見落としてしまう。危機の原因とその解決策に関し、時間が経つに連れ、往々にして人々は団結する代わり、次第に分断されていくのはこの理由によるのだ。例に洩れず、コロナウィルスと気候変動に関し、その信ぜられる所は時を経るに連れ分極化した。民主党は双方の危機に就いて科学に基づいた説明に同意し、より大きな懸念を表明したのに対し、共和党は陰謀説を支持する傾向となり勝ちで、本来の諸リスクを過少視するに至った。
政治家は己を知り、大衆を知り、心理学を応用し政策主導せよ
先述した、これら心理学上の諸偏向に対する反応は、政府高官にとって、彼らのやり方を変え、より好ましい政策に至る為の、合理的な意思決定過程を受け入れる助けとして活用できる。彼らは、将来に対し如何に自分が無知であるかを認識し、想像を働かせ、起こりうる可能性があり、そしてもし起こった場合には予想もつかない程甚大な影響を伴う不意打に対し防備しなければならない。(例えば、コロナウィルス危機に於いては、有効なワクチンが発見されないか、効果が短命であることが判明するような可能性をも、政治家達は想定しておく必要があるのだ)。政治家達は民衆に従うのではなく、彼らを導き教育する事を心掛けるべきだ。このような手法は家父長主義だと、一部は評するかも知れぬが、社会の様々な組織から意見提供を得られる環境があれば、そのような心配は無用だ。実際、我々は、より知見の深い人々に判断を仰ぎ、診断を求めて医者を訪問し、弁護士に法律案件を処理してもらう、といった事が日常茶飯だ。原則として、選挙で選ばれた高官は、一般個人にとっては、時間が足りず、注意も及ばず、自身で実行する先見性も持ち得ないような、大きな戦略的計画こそ、手掛けるべきなのだ。
一方、政治家がより長期的な視野で問題を捉えると、寧ろ一般世論から乖離し、再選に失敗する虞があると思われ勝ちかも知れない。ところが、世論というものは変容し易く、当初不人気であった諸変化も、時間が経過するに従い、支持を受ける事も有り得るのだ。思い起こして頂きたい、2003年にニューヨーク市はレストラン、バーでの喫煙を禁じた。導入初期の反対の声とマイケル・ブルームバーグ知事の人気低落の後には、市民は同政策が当初予想した程には破壊的でないことが判り、同策への支持が高まり、そしてブルームバーグは知事選に2回勝利した。2008年には、カナダのブリティッシュコロンビア州も又、不人気な政策を制定した。即ち、化石燃料に対する炭素税の導入だ。ここでも、当初の不支持は、後には受諾へと変じ、州知事のゴードン・キャンベルは翌年の知事選に勝利したのだった。確かに幾つかの諸改革は初期に不人気であるものの、その失敗が避けられない結末だと判断するのは誤りだろう。改革導入初期の不人気な時期を凌ぐ為には、その政策が創造的であるか、或いはカリスマ性ある政治家が必要とされるのかも知れないとは云え、最終的に大衆は支持に回り得る点が重要だ。
更に、心理的障害に立ち向かう代わり、それを利用し寄り添う形によって危機下に於ける意思決定を向上させようとする、もう一つの方法がある事も指摘したい。2017年に「行動科学と政策の会」(Behavioral Science and Policy association)が発行した報告書によれば、心理学に於ける深層が政策問題を手助けするのに役立つ範疇として、以下四つが示されている。即ち、「①人々の注意を惹きたい欲求を満たすこと、②公共の善に貢献したい要求を満たすこと、③複雑な情報をより利用し易くすること、④危険、費用、及び見返りに関する正確な評価法を備ること」である。この報告の背後に居る専門家達は、これらの4つの目的に沿った、各種道具を取り揃えている。ここで詳細割愛するが、それらを加味し、例えば、一つ推薦出来る事は、政治家は適切なる初期設定策を講じるべきという点だ。即ち、各世帯を自動的にエネルギー節約計画に登録してしまう、或いは、家電製品の新規購入は出荷に際し省エネ機器を装着し作動させることを求める等。又、他の助言は、彼らがリスクに関し協議する際は、直感的に認識可能な時間枠で捉えるべきで、例えば将来起こりうる洪水発生に関して云えば、100年の計ではなく、住宅ローン期間の30年の期間で捉えるという具合だ。
同様な考え方に基づいて、認知科学者のスティーヴン・スローマンと私は、2019年、専門誌「認識(Cognition)」の特集記事で政治行動の背後にある思考過程の調査を発表した。その中で、人々は、既に自分が信じている事を確認する報道を選んで取り入れる傾向があること、及び、彼らの党派への所属意識は、確率を合理的に評価する能力を圧倒的に負かしてしまう傾向等の諸問題を指摘した。その一方、詳細は省くが、記事ではその解決方法も特定し、人々が予測に就いてその不確実性をより良く理解する為の訓練に関して述べた。これらを考え併せれば、政治家は、世論が進歩に対し常に障害になると考える必要はない。人々がどのように考え、感じ、そして反応するかを理解すればする程、より良い政策を考案し実行すべく、それらの情報を活用することが出来るのだ。
心理学の領域では、数多く人間の偏向の存在が確認されたが、また、一方、偏向が惹起する諸効果に対抗する諸手法をも提供して来たのだ。即ち、心理学者達は、選択肢提供方法の設計(choice architecture)という概念を発展させ、ここに於いては、人々を悪しき選択肢からは遠ざけ、より良い選択肢へと上手に持って行く方向に、意思決定がなされるよう予め設計を施すのである。例を挙げれば、企業が、従業員を自動的に年金プランに登録(脱退は自由)すれば、従業員達の貯蓄傾向が強まる。或いは、政府が臓器提供に関し同様に自動登録制を導入すると、提供者が増える傾向がある。又、心理学者達が知る所は、恐れや罪悪感と云った悲観的感情は、望ましくない結果を齎(もたら)すものの、積極的感情を利用することは、行動を動機づける好ましい手法である。特に、自尊心は強力な動機付けとなり、それに訴え掛けることは、諸世帯にはリサイクル実施を、沿岸地域住民には持続可能な漁業を営む事を説得できるのである。全てこれらの技量は、一連の心理学上の柔術とも云え、柔能制剛の如く、これによって脆弱性を様々な力に変じることができるのだ
成功を収める公的組織の指導者達は、人間行動が如何に深く豊富であるかを理解しそして活用する。この点では、独逸アンジェラ・メルケル首相のことが起想される。彼女は科学者として培った合理性に、政治家として人間味ある技量を兼ね備え、欧州通貨危機から、移民流入問題、そして現在の疫病感染まで、緊急諸事態の処理に熟達していることを証した。これらの指導者達は、証拠を重視し、分析によって問題を解決する人々である反面、国民が何を恐れるのかを認知し、喪失と苦しみを国民と共感し、そして不確実性に直面する人々を安心させる。彼らは、決して心理学の虜になることなく、寧ろそれを使いこなすのだ。
(了)
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