執筆者:ロバート・ケーガン(Robert Kagan)
肩書:ブルッキングス研究所上席研究員。『饗宴に訪れし亡霊~米国と世界秩序の崩落~』著者
(The Ghost at the Feast: America and the Collapse of World Order, 1900-1941)近々刊行。
(論稿主旨)
この数年間、専門家達が繰り返した議論は、果たして米国がプーチン大統領を刺激しウクライナやその他周辺諸国介入へと踏み切らせたか、或いはモスクワ政府のこれら行動は、単に謂われなき侵攻か、その何れか?と云う問題だ。これに関する討議は、露西亜(ロシア)のウクライナ全面侵攻という恐怖により一旦勢いを失った。つまり、これ迄、長らく次のような議論が展開されて来た。ウクライナを巡る利害関係は米国にとり決定的重要性がない、或いは、米国諸政策が造り出した、安全保障上の不安こそがプーチンをして極端な手段に駆り立てたのだ、との論調である。処(ところ)が、斯かる識者達の見解は、怒涛の波の如き人々の怒りによって、すっかり掻き消された。嘗て真珠湾攻撃は、非介入主義者達を沈黙させ、米国の第二次大戦参戦可否を巡る議論を打ち切った。そして、プーチンによる今回の侵攻は、これ迄堂々巡りで続いて来た、謂わば2022年版「世界に達成されるべき米国の目的は何か?」の議論を漸く停止させる効果を持ったと云える。
議論停止は遺憾と云わざるを得ない。無論、ウクライナに対するプーチンの非人道的攻撃の責めを一重に米国に帰すか、或いは、この侵攻が全く謂われなきものとの考える事が誤解と主張する論調は、何れも低俗なものだ。単純な視点から真実は見えない。表層的で誤った解釈事例として、真珠湾攻撃は、日本帝国による亜細亜本土拡大を米国が減じようとした帰結とし、又、9/11のテロ攻撃は、第一次湾岸戦争後、中東に於いて米国の支配的存在感に対応した一面があるとしたと同様、露西亜(ロシア)の政策諸決定は、冷戦後の米国と欧州同盟諸国、覇権拡大に反応したものだと断じる事も又誤りなのだ。プーチンの取った行動は、無論一重に彼自身が責めを負うべきものだ。しかし、ウクライナ侵攻は歴史的且つ地政学的文脈の中で生じており、其処(そこ)に於いて、米国はこれ迄も関与し、更に今後も引き続き中心的役割を果たす事になると云う、この動かぬ複雑な現実に対し、米国民は対峙し取り組む必要がある。
米国覇権を批判する者達は説いて云う。米国が講ずべき最善策は、世界に於ける自国勢力を縮め、海外で自ら果たすべき責任を削減して他国へ任せ、まあ最大限譲って、自らは遠く海外に留まりながら、勢力均衡に寄与する程度の存在となるべしと。詰まる処(ところ)、これら批評家達の謂わんとするのは、中国と露西亜(ロシア)に対し、東亜細亜と欧州域内の彼らの勢力圏に於いて利害得失を思いの儘に取るに任せる一方、米国は自らの国境を固く守り、自国民福祉の向上に特化すべきと云う事だ。然し乍ら、この「現実主義者」達の煎じる処方箋は重大なる「非現実性」を含むのだ。即ち、国際的権力とその影響力に就いて、それら真の本質が反映されていない。実はこれこそが、冷戦以降の殆どの時代を特徴付ける要因であり、且つそれにより、尚も今日の世界が統制されるのだ。米国は冷戦期間中、既に、唯一無二の国際的超大国の地位に在った。その富と権力、そして世界中に展開する諸同盟関係に於いて、これに比肩する国は他になかった。こうした中、ソヴィエト連邦崩壊が、只(ただ)でさえ強大な米国世界覇権を更に促進した ― 然(しか)もワシントン政府はモスクワ政府の弱体化が生み落とした真空地帯を埋めようと、何も望んで介入したものではない。そうでなく、ソヴィエト解体により米国影響力が拡大した理由とは、権力と民主主義信条と云う同国固有の組み合わせが、安全保障、繁栄、自由と自治を求める人々を魅了したのだ。つまり、彼らにとって米国とは、失われた影響力を又候(またぞろ)回復しようと試みる露西亜(ロシア)に対する頼もしい障壁の存在だった。
東欧でここ30年間に生じた事が、この事実を証明している。ワシントン政府が、同地域の支配的勢力になろうと積極的に望んだ事はなかった。それにも拘わらず、冷戦が終わり数年後、ウクライナを含み、東欧で新たに自由化された諸国が、米国とその同盟諸国へ靡(なび)いたのは、大西洋を挟んだ共同体に参画する事が、彼ら自身の独立、民主主義、そして繁栄を手にする為の鍵だと確信したからだ。東欧諸国は、何十年もの間、いや場合によっては何世紀にも亘り、露西亜(ロシア)やソヴィエト連邦帝国主義から逃れようと計画していた。其処(そこ)へ来て、露西亜(ロシア)が弱体化した隙に、ワシントン政府と同盟関係を持つことは、彼らに又とない成功の機会を与えたのだった。一方、複数批評家達は、当時の米国は東欧諸国からのNATO、その他西欧側諸機関への参画嘆願を拒否すべきであったと論評するが、仮に譬(たと)え、米国がそうしていたとしても、これら嘗てのソヴィエト連邦下の衛星諸国は、モスクワ政府が彼らを再度自分達の利害の囲いの中に飼い戻そうとする試みに対抗し、西欧諸国から得られる限り可能な支援を求め、尚も抵抗を続けたであろうに相違ない。そして、その場合、依然、プーチンは、米国こそが斯かる反露西亜(ロシア)的諸行動の根源と見做し、その理由は「米国が、東欧国民達を魅了する程に強い国力を有する」からに他ならないのだ。
歴史的に、米国人達は自国覇権が他の世界、盟友及び敵方共に、日々与える影響に関し無頓着な傾向がある。彼らは、自分達が、怒り、或いはプーチン率いる露西亜(ロシア)や習近平体制の中国から挑戦の標的となっている事態に直面し、意外に思って驚くと云うのが一般的感情なのだ。米国人達が、もしも自国影響力をもっと持続的且つ有効に動員すれば、これらの激烈なる諸挑戦を和らげる事も可能であろう。これに反し、1920年代と1930年代には、彼らはそれを有効に発揮できず、独逸(ドイツ)、伊太利亜(イタリア)、及び日本を牽制出来ぬ結果、世界大戦による巨大な破壊を招いた。近年、再び彼らは本来取るべき行動を取れずに、プーチンが次から次へと他国領土を切り取って行くのを許し、仕舞に彼はウクライナ全土に対し侵攻を図るに至らしめたのだ。このプーチンの行動によって、米国は漸く正しい教訓を学ぶのかも知れない。露西亜(ロシア)で一体何が起こったかの詳細検分無くしては、ワシントン政府は世界に於いて如何に行動すべきかを模索しても答えは見つからないだろう。そして、その検分作業の為には、米国覇権の与える影響に関し、議論を止めることなく継続する事が是非共必要になる。この点、以下に詳細考察して行く。
NATO加盟を望んだ多くの声
では、一体どんな具合に米国がプーチンを刺激した可能性があるだろうか? 先ず、一つはっきりさせて置くべき事が有る。少なくとも、露西亜(ロシア)の安全を脅かした事実はないと云う点だ。寧ろ、客観的に見て露西亜は、冷戦終了以降に、近来の記憶を辿る限り、その如何なる時代よりも大きな安全を享受していたのだ。露西亜は過去200年間に三度侵略を受けた。一度は仏国、二度は独逸(ドイツ)からだ。冷戦中のソヴィエト軍は米国と欧州のNATO軍に対し常に臨戦態勢にあった。処(ところ)が、冷戦終焉後、NATOが東へ向けて加盟国を加えたとは云え、露西亜は自国の西側面に於いて前例のない安全な状態を享受したのだった。更に、モスクワ政府は、多くの意味から最も重大な西側同盟への参画、即ち統合された独逸という現実を、歓迎すらしたのだ。冷戦が終わり、独逸が統合された際、ソヴィエト指導者ゴルバチョフは、同国をNATOに繋ぎ止めて置く事を寧ろ好んだのだ。彼がジェイムス・ベーカー米国国務長官に語って曰く「欧州の枠組み内に封じ込められた」独逸こそが、ソヴィエトと露西亜の安全保障上に最善なのだと。
ソヴィエト末期及び露西亜(ロシア)初期の指導者達は、明らかに、西側陣営からの攻撃を危惧するかのような行動を一切取っていない。ソヴィエトと露西亜の防衛費は1980年代後半から1990年代後半に掛け激減し、1992年から1996年に掛けての4年間にはその減少率が90%にも上ったのだ。嘗て、その強敵ぶりを誇った赤軍は、その規模を半分近くに削られ、勢力比較上、遥か400年前の同軍より弱体化した。ゴルバチョフは、主に経費削減策の理由から、ソヴィエト軍をポーランド及びその他ワルシャワ条約機構加盟諸国からの撤退さえ命じた。これら全ては、モスクワ政府が自国での経済改革に専念すべく、冷戦の緊張緩和を図ると云う大きな戦略の一部だ。もしも、ゴルバチョフ自身が米国と西側陣営は、機に乗じて行動を起こすと確信していたならば、譬(たと)え彼と云えども、斯様(かよう)な謂わば、地政学的競争から休閑する策を取る事はなかっただろう。
彼の判断は微妙なものだった。米国もその同盟諸国も、ソヴィエト連邦共和各国が独立する事に興味はなかった。その例証として、ジョージ・H.W.ブッシュ米国大統領が、1991年キーウに於ける演説で明確に、独立を決意するウクライナ人達を「自殺行為的な国家主義」と非難した(彼らはこの3週間後、独立宣言したのだった)。事実、1989年以降の数年間、米国政策は、当初ゴルバチョフを救う事であり、それからソヴィエト連邦を救う事であり、そこからエリツインを救う事へと変遷した。ゴルバチョフのソヴィエト連邦からエリツインの露西亜へと移行する期間―この露西亜が極めて脆弱であった時―ブッシュ政権、そして次のクリントン政権も又、元ワルシャワ条約機構加盟諸国からは執拗に要望が増加していたにも拘わらず、NATO拡大に消極的だった。クリントン政権は平和の為の友好条約を創設したが、元のワルシャワ条約機構加盟諸国にとって、連帯責任の曖昧さから安全保障には程遠いものだった。
ワシントン政府がNATOの東方拡大へは強い衝動を抱かなかった理由は簡単だ。当時、同機構が露西亜(ロシア)拡大に対する防波堤と見做す米国人は殆どおらず、況(ま)してや、同機構を以って露西亜を打倒そう等と考える者は皆無に等しかった。つまり、米国から見て、露西亜は既に、嘗ての大国の抜け殻に過ぎなかったのだ。寧ろ問題は、NATOがその対抗軸と据えてきた強大な敵が崩壊した、この段に及び、NATOの果たす役割が尚も有るのか否か、そして、大半の米国及び西欧州の人々にとり1990年代はどれ程の期待に満ちたものなり得るのか、と云う点だった。つまり、人々は、今こそ、中国と露西亜の双方共が自由主義へと舵を切るのが避けられない時代だと考えた。其処では、地政学は地勢経済学に取って代わられ、民族国家の概念は薄れ、世界がより平坦な平等なもとなり、21世紀はEUを中心に運営され、啓蒙的理念が遍く地球を覆うであろうと考えられたのだ。一方、NATO側陣営では、最早「同機構枠に捕われず」或いは「開店休業」と云うのが当時のスローガンだった。
然し、西側諸国が夢見心地で居る間、露西亜(ロシア)は新しい世界に適応しようと必死に取り組み、一方、独逸(ドイツ)の東方に位置する、バルト人、ポーランド人、ルーマニア人、そしてウクライナ人達は、皆不不安を抱きながらも、冷戦の終焉は、数百年に亘って彼らが続けていた闘いの最終局面に過ぎないと見解したのだった。NATOは、彼らにとっては決して自体遅れの産物ではなかった。米国や西欧が当然と見做す同機構の条約第五条、集団安全保障は、彼らにとっては、長く、血塗られ、抑制されてきた過去から脱出する為の鍵だったのだ。第一次世界大戦後の仏国が、独逸(ドイツ)が再び復活し彼らを脅かす日が来ると危惧したのと同様、東欧の人々は、露西亜が結局は、何世紀も続いた帝国主義の習性を再度現わし、近隣諸国に対し伝統的な支配力を及ぼそうとするに違いないと確信していたのだ。これら諸国は、裕福な西欧近隣諸国による自由な資本主義体制の中に統合されるのを願い、そしてNATOとEUの加盟国になる事が、悲惨だった過去から逃れ、安全で、より民主的な、そしてより繫栄に満ちた未来に至る唯一の道だったのだ。従って、ゴルバチョフ、そしてエリツインが1990年代に手綱を緩めた時、実質的には、当時の全現役(しかし、間もなく元会員の立場となる)ワルシャワ条約機構とソヴィエト連邦構成諸国は、皆、挙(こぞ)って過去から脱する、その機を掴んで、彼らの忠誠をモスクワ政府から大西洋両岸の西側へと移動させた。
然し、この巨大な変動は、米国が施した諸政策とは殆ど無関係で、寧ろ、冷戦後に出現した米国覇権の現実が与えた大きな影響の産物だ。多くの米国人は覇権の概念を帝国主義と同等に理解し勝ちだが、この二つは異なる。帝国主義は、ある一国が他諸国に対し自国勢力圏内への強制的編入を試みる積極的行為である一方、覇権は目的と云うよりは、その状態そのものを意味する。つまり、具体的には、軍事、経済、及び文化的な大国が、その存在感によってのみ、恰も、宇宙に於いて大きな天体が小さな天体の軌道を、万有引力を通じ牽引するが如く、他諸国に影響を及ぼす状況の事だ。従って、譬(たと)え、米国が積極的に、欧州に於ける自身の影響力拡大を、軍事力行使はもとより、それ意外何ら積極的な働き掛けがなくとも、ソヴィエトの権力崩壊と云う事実によって、米国及びその民主同盟諸国が持つ魅力が一層高められたのだ。西側陣営が有する繁栄、自由、そして何より、元ソヴィエトの衛星諸国を保護する力が、一方、モスクワ政府はこれらどれ一つとして提供出来ない事実も相俟って、欧州に於ける勢力均衡は、露西亜(ロシア)独裁体制の齎(もたら)す不利益よりも、西側自由主義を選好する方向へと劇的に移動した。この米国影響力の伸長と自由主義拡大は政策上の目標と云うよりは、上述した変遷による自然の流れだったのだ。
露西亜(ロシア)の指導者達は、この新しい現実に自らを適合させる事も出来た筈だ。他の諸大国は類似の諸変化に順応して来た。英国は、嘗て海の王者として、巨大な世界帝国の保持者で、且つ世界金融の中心だった。そして彼らは全てを失った。しかし、幾つかの分野で米国に取って代わられ恥辱に塗(まみ)れたものの、英国人達は殊(こと)の外(ほか)早期に、世界の天蓋中で彼らの新しい居場所に適応したのだった。仏国も又、大帝国を喪失し、独逸(ドイツ)も日本も戦争に敗れ、全てを失ったものの、財を築き上げる才迄を失くす事はなかったのだ。しかし、これらの国々は皆、順応を図り、その事が一層奏功したと云えるだろう。
露西亜(ロシア)が上記と同様な意思決定をすべきと考えた同国人も1990年代には存在した。即ち、エリツイン政権時の外務大臣アンドレイ・コズイレフだ。彼らが当時期待したのは、譬(たと)え、伝統的な地政学的野望を犠牲にしても、露西亜(ロシア)を自由主義の西側へ統合する事だった。然し、結局、それは露西亜に於いて受け入れられる見解ではなかった。と云うのは、英国や仏国とは全く異なり、又、或る程度は日本とも異なって、露西亜は米国に対し、長い親密な友好関係も戦略的協力関係も持たなかった処(どころ)か、寧ろその逆であった。更に、独逸(ドイツ)や日本と異なり、露西亜は軍事的に敗退しておらず、占領される事もなく、その過程で体制改革が行われる事もなかった。そして、更に独逸と異なる点は、同国は、自国経済力は他者が抑圧出来ないもの故、第二次大戦後の世界秩序の中に同国が繁栄に向け成長するのは可能だと常に考えたのに対し、露西亜は自らが強大な経済国になる未来を信じられなかったのだ。即ち、当時のエリート層は、もし西側と統合した場合、最も起こりそうな結果は、同国が精々良くて、第二等級の一国家に転落するだろうと考えた。そうなれば、露西亜は平和に在り、更に繁栄を手にする機会も有っただろう。然し、この場合の露西亜には、欧州や世界の運命を決する力がないのだ。
戦争と平和
1940年秋、大日本帝国外務大臣松岡洋右は、他の政府高官達との会議席上、自国窮状を明白に提起した。米国と英国との協調関係に復帰する道を模索する事も日本は出来る。彼が言及し曰く、但し、これら諸国の諸条件に従う事が前提だと。当時の陸軍大臣東条英機(後に首相)が云ったように、それは「小さな日本」への逆戻りを意味した。その頃の日本指導者達にとり、それは余りに耐え難く、それ故、彼らの内多くの者達も勝てぬと判っていた戦争へと乗り出す危険を冒したのだ。その後の数年間が証したのは、私の考えでは、開戦の決断が誤りであったばかりでなく、自由主義の秩序に自国を統合させておれば、日本の利益にもなっていた筈であったと云う点だ、正に日本が戦後成功裏にやって見せた通り。
プーチンによる露西亜(ロシア)が取った道は、大日本帝国やヴェルヘルム2世皇帝の独逸、並びに歴史上、不満足を抱く他の多くの諸権力が選択したものに酷似し、その結末も又、似たもの―即ち結局は敗退―となる公算が高い。然し、今般プーチンが選択した行動は驚くには値しないものだ。これ迄、ワシントン政府は多くを尽くして来た。即ち、善意に基づく抗議、露西亜経済に対する何十億ドルもの資金投入、そして、冷戦終焉後初期には、ソヴィエト連邦の死を喜ぶような行為をさける配慮、等―しかし、これらは全て甲斐なかったのだ。その理由は、プーチンが望んだものが米国から与えられる事はなかった為だ。即ち、プーチンは、暴力的圧力を抜きにしては達成する事が不可能な、ソヴィエト敗北の巻き返しを追求したものの、当時は有利な戦争を遂行する為の手段を欠いていたのだ。彼は、モスクワ政府が既に領有保持力を喪失した、中央及び東欧州に於ける露西亜勢力圏の回復を渇望したのだ。
然し、プーチン並びに、西側諸国内でも中国や露西亜(ロシア)に対し彼らの伝統的勢力圏割譲を支持する者達にとって障害となるのは、斯様な勢力圏とは決してある大国によって他の大国へ与えられる性格のものではない点だ。これらは相続される事なく、又、地理的要因からも、歴史からも、況(ま)してや「伝統」的慣習によって、創造される産物でもない。勢力圏とは、正(まさ)しく、経済力と政治力と軍事力によって獲得されるのだ。従い、それらは、又、国際的枠組みの中での権力配分が変動するに連れ栄枯盛衰する。嘗て、大英帝国の勢力圏は地球上の大半に迄及び、仏国も嘗ては東南亜細亜やアフリカと中東の大部分を支配下に置いた。両国共にそれらを喪失した理由は、一つには、20世紀初頭の権力衰退であり、又、彼らの帝国臣民達が反逆したのも理由の一つで、更には、彼らが己の勢力圏を、米国主導による安定と繁栄に満ちた平和と交換する道を自ら進んで選んだ事にも拠るものなのだ。又、独逸(ドイツ)勢力圏も嘗て遥か東方へと延伸した。第一次世界大戦前には、一部独逸人達は、巨大なる中央欧州を構想し、中央と東部欧州の人々が労働力、資源、そして市場を独逸産業に提供する策を描いた。処(ところ)がこの独逸勢力圏は、南東欧州に於いて露西亜の勢力圏と重なっていた。そして同地域在住のスラブ民族は、自身の保全をゲルマン人の拡大から守って呉れるよう露西亜の支援を願った。この勢力圏を巡る闘争が過去二つの大戦を生む要因になり、一方、東亜細亜を巡っては、同様の勢力圏闘争が1904年の日露戦争を誘発したのだ。
露西亜(ロシア)は、彼らの東欧に於ける支配圏に対し、彼らが同地を過去400年もの歳月を通じ保有した事から、本来当然な、地理上の、そして歴史的な要求権があると確信するのかも知れない。そして、多くの中国人達も又、彼らが嘗て領有した東南亜細亜(アジア)に対し同様の思いを感じるのだろう。然し、これらは甚だしい思い違いだ。米国ですら、勢力圏を主張する事と、それを実際に領有する事の違いを学び弁(わきま)えたのだ。米国がこの世に誕生し、最初の100年間、モンロー主義は単に思い上がった主張に過ぎなかった― 即ち、実質を伴わず且つ厚かましいものであった。それは19世紀末期、他の権力を持つ諸大国が不承不承、米国の主張を認めざるを得ない環境であったその当時に於いてのみ、米国が自国の要求を無理強いする事が出来たのだった。冷戦後の時代、プーチンや他の露西亜人達は、欧州に於ける同国勢力圏を西欧諸国が認める事を切望したのかも知れない。然し、斯かる勢力圏は、ソヴィエト連邦崩壊後の真の権力均衡を反映したものではなかった。一方、中国は、所謂「九段線」―南志那海を殆ど囲い込む―を同国勢力圏として標(しる)す目的で主張しているのだろうが、同国が武力行使により占有でもしない限りは、他の諸大国が黙諾する可能性は殆どない。
上記に述べた事柄にも拘わらず、一部の西欧分析家達は、冷戦が終了した際、そして今も尚、ワシントン政府と西欧陣営とは露西亜(ロシア)の要求に服するべきであった、との発言を続けている。しかし、モスクワ政府が、ある影響圏を施行する事が出来ていない場合に、西欧諸国は一体全体何をその根拠として賛同すべきであったと云うのだろうか? 公正さであろうか?それとも正義なのか? 然し、勢力圏とは正義を巡り形勢されるものではなく、假命(よしや)それに従って形勢されたにせよ、それがポーランド人や他の東欧人民をモスクワ政府に屈従させる状況に追いやるが如きものならば、極めて疑わしい正義であったと云わざるを得ない。彼らは、モスクワ政府の支配下に入る事が如何なる事かを知っていた―独立が失われ、クレムリンの発する指示に唯々諾々と従う統治者達による圧政が敷かれ、個人の自由は圧殺されるのだ。人民達が露西亜勢力圏の復活を受け入れた可能性が唯一つあるとすれば、それは露西亜が圧力を掛けつつ、西側陣営を故意に無視すると云う、この二策の組み合わせによって、彼らがそれ受け入れるよう強いた場合丈(だけ)であったろう。
事実、もしも米国がポーランド及びその他諸国のNATO加盟を、当時一部の専門家達が米国は拒否権行使をすべきであったと主張した通り、拒否していたとしても、バルト人、チェコ人、ハンガリー人、及びポーランド人達は、大西洋横断共同体へと組み入れられる為には、同機構加盟以外にあらゆる手段を尽くした筈だ。つまり、彼らは世界経済に参画すべく、NATOでなくとも西側が優勢な他の国際諸機構への加入を試み、又、彼らの安全保障に資するならば如何なる約束をも取り付けようとし―これら諸行為が、略(ほぼ)間違いなくモスクワ政府をやはり敵に回したに相違なかったのだ。そして、一度(ひとたび)プーチンが、ウクライナ国土を切り取り始めると(同作業はプーチンが嘗ての大国として地位を回復する為に不可欠なものだった)、ポーランドや他の国々はNATOの扉を激しく叩いたのだった。最早、米国や同国同盟諸国が拒絶し続けるのは困難だった。
究極的に云えば、露西亜の問題は軍事上の弱さ丈ではない。その問題点とは過去を通じ、且つ又、現在も尚、国としての魅力をも含め、国家力に関連する、ありとあらゆる種類の力に於いて同国が劣ると云う事実だ。少なくとも冷戦期間中には、共産主義ソヴィエト連邦は地球上の楽園への道を提唱する事が可能だった。しかし、冷戦終焉後には、モスクワ政府は主義主張も、安全保障も、繁栄も、更に周辺国に対し独立さえも与える事が出来なかったのだ。彼らが提供できたものは、露西亜国家主義と野望のみであり、これに対し、東欧諸国がそれら目的の為に自分達を犠牲にするのはまっぴらだと思ったとしても不思議はない。もし他の選択肢があれば、露西亜の周辺国は、それに飛びつくのは必至なのだ。そして現実にその選択肢が目の前に登場した。即ち、米国とその強力なる同盟によって、実に素晴らしい選択肢が提供されたのだ。然も、その申し出は、それら諸国が単に存在し、彼らが単に豊かで、権力を持ち、そして民主的であるという事実によってのみ醸し出されたもので、何ら武力等威力行動を伴ものではなかった。
プーチンは、彼の厄介事の裏には米国が全て糸を引き、他国を惹き付ける米国の力は、彼の野望達成の扉を閉ざすと考えたかも知れない。然し、これら諸問題の真の根源は露西亜自身の限界に由来する。つまり、法律的解釈上にも明白な通り、モスクワ政府が権力闘争に敗北したにも拘わらず、その結果を、彼自身が受け入れまいと決断を下したのが素なのだ。冷戦後の露西亜は、独逸のワイマール共和国と同様、実際の敗戦と占領を体験していない。もしこれらの体験を経ていたならば、第二次世界大戦後の独逸や日本に於いて生じたような変革を生んだ可能性もあるのだが。従って、ワイマール共和国がそうであった様に、露西亜人達の場合は、露西亜指導者達が恐らく西側に対し母国を売ったかの如くに思い「自国は裏切られたとの神話」に自縛され勝ちであったのだ。他方、露西亜人達は、苦情を持ち込む先に困る事はなかった―ゴルバチョフ、エリツイン、或いはワシントン政府等、非難の矛先を向ける相手はいくらでも居た―とは云え、現実問題として露西亜には、米国に匹敵し得る富も、権力も、地理的優位性も手にする機会は訪れず、それ故、同国が世界的な超大国になる事も又なかったのだ。モスクワ政府が自らの立場を維持しようと費やした努力は、結局自国を財政上も主義理念上に於いても破綻へ追いやる結果を招いた。同国は現在、これと同様の展開に、再び至る可能性があるのだ。
次なる危機は、やがて必ずやって来る
プーチンは悪手を巧妙に行使すると、観測者達は評したものだ。彼は、米国とその同盟諸国の動きをこの数年間に亘り、正しく読んでいたのは確かだ。即ち、彼は、西欧陣営からの危険な反応が突発しない程度に、諸目的を敢えて限定的に止めて推進して来たのだ。少なくも、先般、ウクライナ侵攻する迄は。然し、譬(たと)えそうだとしても、その一方、米国やその同盟諸国が、折角の強力な権力行使を下手に打った事がプーチンを助けた点は否めないのだ。つまり、彼が露西亜軍備の増強を図った際、西欧側は反対せず、その後、最初に2008年のジョージア、次に2014年のウクライナ侵攻により、彼が西欧側の決心の程に探りを入れ、そして試した際に、断固たる態度を取らなかったのだ。更に、プーチンがベラルーシを露西亜に併合した際も、又、シリア内に活発な存在感を現わし、同地がNATO南東の脇腹を攻撃可能な射程内に在るにも拘わらず、彼らは行動を起こさなかった。そして、もし、彼の「特別軍事行動」なる物が計画通りに運び、その国がほんの数日で征服されていたら、その政変の勝利により、露西亜再来の第一段階は終幕し、次なる第二幕の開幕となっていただろう。この場合、世界はプーチンの非人道的な愚考を激しく非難する代わり、又しても、彼の「専門性」と「天賦の才」を賞賛した事だろう。
幸い、事態は上記のようにはならなかった。然し、プーチンが彼の判断を誤った以上、次なる問題は、果たして米国迄もが又、自身の過ちを続けるつもりなのか、或いは、米国人達は此処(ここ)でもう一度学び、独裁者達が勢いを得て、彼らを止める代償がより高くなるその前に、大胆な独裁政権は封じ込めるのがより得策である点を認識するかと云う事だ。今回露西亜によって呈示された挑戦は、実は異常でもなければ不合理でもない。斯かる諸国家の興亡は国際関係に於いては基礎的要素と心得るべきだ。諸国家の軌道は、様々な要因で変ぜられる。その要因とは、戦争とそれが齎(もたら)した新しい権力構造の確立であり、或いは、世界経済に於いては、特定諸国家を潤し他の国々を貧困化させる傾向への推移であり、又は、人々を特定権力から別の権力へと惹き付ける力を持った信条や理念である。今日ウクライナに生じている事態に関し、米国が非難を受ける余地があるとしたら、それは、ワシントン政府が意図的に自国の影響力を東欧州に拡大させたと云う事ではない。そうではなく、米国は自身の影響力が既に拡大していた事に気づかず、同時に、自由主義の秩序に不満を持つ役者達が同秩序を転覆させる機会を狙っている事を予想できなかった点が問題なのだ。
第二次世界大戦以来70数余年の間、米国は修正主義者達を寄せ付けぬよう積極的に尽力して来た。然し、冷戦が終わり多くの米国人達は、この仕事はもう終了し、彼らの国が「普通の」―つまり謂わば、国際関係に於いて限定的な利害のみを持つ―国になれると考えた。然し乍ら、世界的な覇権国は、その望む通りには舞台からひっそりと立ち去る訳にはいかないのだ。歴史認識と自己意識に基づき、旧来の地政学的な数々の野望を捨てようとしない、諸大国が尚も存在する状況下に於いては、もしも、米国民達が、これらの諸野望によって形造られ、定義される世界 ―ちょうど1930年代当時の如く― に甘んじて生きて行くつもりがないならば、米国は断然退却する訳にはいかないのだ。
もしも、米国が、世界に於ける自身の位置付けとリベラルな世界秩序維持が発揮する真の効用を理解したならば、それは自国にとっても利益になるだろう。この場合、それは露西亜に対し、武力による同国領域支配再興を抑止しつつ、政治的且つ経済的に自由主義秩序の内へと同国を統合するようあらゆる努力を払うべきであった事を意味するのだ。NATO同盟諸国を防衛する義務とは、欧州の地で攻撃を受けた他諸国の救助を妨げるものではない点は、1990年代のバルカン地域紛争の際に、米国と同国同盟諸国の行動実績が示す通りで、従って、同様に、ジョージアやウクライナの支配や獲得を狙う軍事行動に対しても、米国とその同盟諸国は、その気があれば抵抗する事が出来た筈である。考えてみて頂きたい。もし、米国と民主主義陣営が、今回の露西亜による軍事力行使に対し対抗したと同様に、2008年や2014年の事態に反応しておれば、どうだったかと云う事を。当時のプーチンの軍事力は今日証された水準より更に脆弱に在った中、モスクワ政府が当該地を確保しようとすれば、既に彼の過度に伸び切った戦線の更なる拡張保持を余儀なくされる事になったのだ。中国に対しても、米国はこれと同様の政策に従うべきだ。つまり、中国は経済、政治、及び文化の各方面に於ける自国野望を追求する環境下で、米国はこの様な国と世界で共存してく覚悟を持つべき事、並びに、米国の周辺諸国への中国軍事行動に対しては、それが如何なる物でも米国は効果的に即応する事を明確にして置く必要がある。
2008年又は2014年に確固たる行動を取った場合、当時、衝突の危険性があったのは事実だ。処(ところ)が、ワシントン政府は、正に現在、衝突の危険を冒しているではないか。露西亜の諸野望が過去から受け継がれて来た結果、現在危うい状況を生み出しているのだ。米国にとっては、彼らが既に実質的な優勢を強固にしてしまった後ではなく、野望が初期段階に在る内に、衝突の危険を冒す方が得策だ。露西亜は恐るべき核兵器を保有するとは云え、モスクワ政府がそれを使用する危険性は、もし、2008年や2014年当時に西側陣営が介入した際と比較すれば、今はそれより高くない。そして、その可能性は常に極めて少ないものだった。プーチンは、自分自身や、彼の祖国、それに多くの他の国々を破壊してまで諸目的を達成しようとはしなかった。つまり、米国とその同盟諸国が当初から、経済、政治、及び軍事力を合わせ、露西亜の拡張主義策に対し集団で抵抗していれば、プーチンは、周辺国を侵略する事が出来ぬと常に悟っていただろう。
一方、将来の危機を防ぐ為に民主主義陣営が行動を取るのは、実は遺憾ながらとても困難な作業だ。つまり、今、行動を起こす事から生じる諸危険は常に明白で且つ誇大に評価されるのに対し、やがて来る将来の脅威は、所詮遠い出来事、即ち、まだ遠い先の話で、又、それ故に極めて計算し難いのだ。斯くして、最悪の事態を未然に防ぐよりは、最良の結果を切望する方が良いという流れに常になる。この難問は、米国人と彼らの指導者達が、自ら望むと否とに拘わらず、彼らが終わる事のない権力闘争の一部に常に居る事実に、お目出度くも気が付かない場合、更に一層悪化するのだ。
然し、だからと云って、米国人達が世界に果たす役割を悲観すべきではない。過去幾度となく米国が欧州の揉め事に巻き込まれて来たのには理由があるのだ。結局、米国の提供するものは世界の多くの人々にとって純粋に魅力があり、それは手に入る現実的な他の如何なる選択肢よりも優れる為だ。米国人が今回の露西亜のウクライナに対する残虐行為から何か学ぶとすれば、それは米国による覇権より悪いものが実在していると云う現実だ。
(了)
(ブログ邦訳掲載履歴)
2022/05/28 論稿主旨部
2022/06/19 上記以降の全編
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