著者:エリオット・アッカーマン(Elliot Ackerman) 元米国海兵隊将校兼CIA諜報官。並びに「2034年:小説 次の世界大戦」(2034 :A Novel of the Next World War)共同執筆者。
(論稿主旨)
私がCIA所属の部隊支援将校として初めて遂行した仕事は、アルカイダ組織の10大要人のある男を標的とした。2日間を要するその任務が私に新たに与えられたのは2009年秋だ。それ迄6年に亘り、私は、既に海兵隊将校として、アフガニスタン(及びイラク)の戦闘に参加し、同国を熟知していた。私は、当時助言を与えていたアフガニスタン対テロ部隊と、特殊部隊SEALチームシックスの幾人かの隊員と合流し、こうして特別任務の部隊が編成された。標的の人物がパキスタン国境を越え、アフガニスタンのコレンガル渓谷へ会合にやって来る所を急襲し、捕獲乃至殺害する作戦だった。
その夜、月は無く、我々が潜入した渓谷は漆黒に包まれていた。総勢70名余りで構成された我々急襲部隊は、暗視ゴーグルを装着し数時間を徒で進み、標高数百フィートを黙して上った末、漸く岩場がむき出しのその村落へと辿り着いた。そこが彼らの会合場所だ。友軍偵察機と戦闘機が星空に軌道を描き飛来したのを合図に、我らの一分隊が、標的が滞在中との情報提供を受けた、その小屋へ走って突入した。短時間の鋭い銃撃戦。7、8名の敵を撃ち倒したが当方側に負傷者はなく、標的は生きて捕獲された。そして、我々は、潜入した際と同様、再び速やかに村を抜け出た。翌早朝前には、米陸軍前哨基地へ全員無事帰着し、捕獲した囚人はそこからバグラム空軍基地へ移送される手筈だった。
やがて太陽が、岩山の形取る不揃いな稜線を破って上って来た。その時、我々は、その捕虜の拘束権移譲の手続書類を作成していた。日を浴びると、一晩中張り詰めていた緊張が、我々の中で一気に解けた。狭い汚れた駐車場に集まっていた急襲部隊の各員は、皆ヘルメットを脱いで、談笑を始め、昨晩の任務の細部まで各々が反芻し物語るのだった。間もなく、護送部隊が到着すれば、我々を所属基地まで先導して呉れ、そこで漸くまともな食事と休息にありつくことができるだろう。そして、其処で我々は英気を養い、再び次の任務を待つ。つまり、アルカイダ指導部を無力化し、米国のテロとの戦争が成功に帰する為の作戦行動を継続して行くのだ。その時、我々は謂わば勝利に酔っていたのだ。
我々が護送隊を待つ間、10代を少し出たぐらいの若い兵士達の一団が、不揃いな隊列で我々のすぐ横を通り過ぎた。彼らはこの前哨基地に駐軍しており、その窮状ぶりは我々もよく聞き知っていた。彼らは、6~7年間にも及び、その渓谷地帯に於いて、極めて実現が困難な、そして現に大半が不首尾に帰している反乱鎮圧の作戦に従事する部隊だった。これ迄、彼らの仲間の多くが戦死し、敗北感と反発心とが入り混じった彼らは、皆、非常に険しい顔つきをしていた。そんな彼らにとり、勝利に浮かれ冗談を言い合う我々の姿は、まるで異国人のように映ったに違いない。彼らは、怒りに満ちて強張った表情で、我々を恰ももぐりの商人であるかのように睨みつけた。その時、我々の対テロ部隊が、彼ら兵士らと同じ戦場に立ちながらも、実はそれぞれ二つの異なる戦争を戦っていた事を、私は思い知らされたのだった。
2001年9月20日の議会合同会議で、ブッシュ米国大統領は「テロとの戦争」と云うこれ迄にない、新しい概念の戦いを宣言し、その内容を次のように述べた。「我々はあらゆる手段を総動員する― 外交、諜報活動、法執行、経済制裁等、戦争に用いる必要な全ての武器― を駆使し、世界のテロ網を崩壊させ打ち負かすのだ」と。そして、更に制圧の中身に就いて「我々はテロの資金源を枯渇させ、仲間割れを誘発させ、何処へ逃げても必ず追いかけ、やがて彼らに逃げ場も安息も無くなる迄、決して手を緩めない」と説明した。
もしブッシュ大統領の発言を、地球規模の対テロ戦争の目的とするならば、それは20年の歳月を掛け、概ね達成されたと云える。オサマ・ビン・ラーディンは死に、生き残ったアルカイダ中核メンバーも散り散りとなり弱体化した。ビン・ラーディンの後継者、アイマン・アル=ザワーヒリーも散発的な思想宣伝を通し活動するのみに止まり、そしてアルカイダの中で最も強力な派生組織であったイスラミックステイツ(ISIS)も衰退の結果、イラクとシリアの彼らの支配領域は微々たる程度迄に縮小した。
先述した成果の中でも、最も重要な点は、米国が母国の安全確保に成功した点だ。もし、9/11のほんの数週間後に時計の針を戻し、当時の米国人達に、「米国の軍と諜報機関は、本土に対する主要なテロ攻撃の一切を今後20年間に亘り阻止するのだ」と誰かが語ったと仮定して見て欲しい。その頃、テロリスト達は尚も上院議員等に炭疽菌攻撃を画策し、株式市場は沈滞し、大衆旅行時代は最早終焉を迎えたとの予測が蔓延っていた、あの時、誰一人としてその言を信じられる状況になかったのだ。9/11以来、米国は毎年平均6人がジハード派テロの犠牲となり死亡した。(一方、比較の為に引用すれば、2019年の一年間で、米国民はオピオイド(鎮痛剤)処方の過剰摂取により、一日当たり平均39人が死亡しているのだ。)世界規模でのテロとの戦いの目的が、顕著なテロ行為を、殊(こと)、米国本土に於いて防御する事とすれば、この戦争は誠に成功を収めたと云うべきだろう。
しかし、その引き換えとなった代償は何だろう? コレンガルのあの夜の作戦のように、同じ戦場に勝利と敗退が共存するのだろうか? アフガニスタンとイラク戦争で敗退した一方で、米国はテロとの戦いに勝利したと云えようか? その答えを得るには、9/11以降に米国が戦った多くの戦争を紐解いて行くと共に、それらが米国民に及ぼした心理的影響を理解する必要がある。
彼我の間に深まった溝
米国は、独立戦争を戦って以来、その後の如何なる戦争も、これを遂行する為には、経済上のある仕組みを確保し、体制盤石化と資金源維持を図って来た。例えば、南北戦争は、いずれも史上初且つ空前の規模によった、徴兵制度と所得増税とにより支えられた。第二次世界大戦では、国家的動員がなされ、再度大規模な徴兵と更なる増税、そして戦時国債が発行された。又、ヴェトナム戦争で特徴的だったのは、極端な不人気を博した徴兵制で、これが反戦運動を惹き起こし、その社会的摩擦がやがては終戦を促す要因となった。テロとの戦争に於いても、それまでの事例に倣い、独自の仕組みが導入された。つまり、この戦争では総員志願兵で構成された軍が戦い、費用の大半は赤字財政で賄われた。この仕組は、米国国民を費用に関する葛藤に対し麻痺させるよう設計され、その結果、同国民が史上最も長引いた戦争を体験する事になったのも、不思議ではないのだ。現に、ブッシュ大統領は2001年9月20日の演説で、米国民がこれから直面する戦争支援体制に関し、こう語っている。「国民の皆さんは、従来と変わりない生活を営み、引き続き子供達を抱きしめていて欲しい」と。
この仕組みは、一方で、米国民主主義に対し計り知れない影響を与えのだ(尤も、この事は20年の歳月を経て初めて明らかになるのだが)。我々が、今日、膨張を続ける財政赤字と警戒を要する物価上昇局面に直面するに際し、一つ心に止め置くべき事実がある。つまり、テロとの戦争は、それ以前、1990年代に均衡財政の運営が続いて以来、「最初で且つ最大金額の費用を、米国民はクレジットカード支払で済ませる」事態を招来した、と云う事だ。議会が黒字の連邦予算を承認したのは、実に2001年を最後とし、その後絶えてない。戦費を赤字財政で賄うこの手法は、その後に続く幾代もの政権を経る内に一層の深みに嵌り、その間、誰一人として、戦争税の導入を口にする政治家はいなかった。他方、歳出はそれ以外の分野でも増加の一途を辿り、企業救済への資金投入、保健医療費から、更に最近では、感染症拡大からの景気回復刺激諸策等に至るまで、息つく暇もなく、これら事案の議論が目白押しの状態だ。
赤字財政運営が米国民をテロとの戦争の国家費用に就いて感覚を麻痺させたなら、技術進歩と社会変化は、又、この戦争に於ける人的損失に対する国民感覚を麻痺させたと云える。無人ドローン機やその他基礎兵器の活用により、戦闘は省力化し、米国軍は離れた場所からでも敵を殺戮できるようになった。この分野の発達により、戦場に米国人兵士が斃れ、海外民間人が巻き添えで犠牲になる等、悲惨な戦争の代償面に関し、米国人達の意識は何処か遠いもののように感じるようになったのだ。又、徴兵制度を採らない米国政府は、戦争を軍人という特定階級に丸投げする結果、これらの人々は社会の中で次第に隔離された集団になり、民間人と軍人との間の溝は、嘗て米国社会に経験がない程に益々大きく開いて行った。
昨年、全国的に民衆暴動が発生した際、皮肉な事に、米国民達は初めて直接彼らの軍隊と相まみえたのだった。つまり、現役兵士達と、大統領令により市民予備兵で構成される州兵との双方が大勢全米で動員され暴動鎮圧に当たったのだ。一方では、米国市民は、軍を退役した元指揮官達の言論に多く接するようになって来た。それも、海軍元上級将校達が群れとなって右派、左派双方の国内政治諸案件に、これまでには考えられなかった露出度で、それぞれの陣営に加担しているのだ。彼らはテレビで語り、共和党又は民主党の一方を非難する社説記事を執筆し、果ては、民主党大統領候補の子息に関連付けられた、その怪しげなPCの出所に関する事から、大統領選挙の権威に係る事迄、あらゆる出状に彼らの名を以って平気で署名をする有様である。
今の所は幸いにも、軍部は米国に於いて依然として、最も信の置ける組織のひとつであり、更に大衆の目からすれば、政治的な過度の偏向を免れる、数少ない組織のひとつと映っている。しかし、現在のような政治との係りが続けば、果たして斯かる信頼は何時まで維持できるだろうか? 米国の社会の至る所で、党派主義が蔓延れば、これは感染症のように軍部へも拡散して行くだろう。そうなれば何が起こるかは、歴史の語る通りだ。シーザー時代のローマからナポレオン時代の仏国に見る通り、共和国家に於いて、強大な軍事力が機能不全の国内政治と結託すれば、民主主義がやがて崩れるのは明白だ。丁度この条件に符号するのが今日の米国と云える。即ち、国内政治に対し軍部が巻き込まれる(或いは軍部自身が介入を図る)可能性が生じ、政治的危機が招来されている。更に、軍部と民間人との溝がこれ迄にない程に深まっているのは、テロとの戦いが遺した負の遺産なのだ。
何を以って勝利になるか
テロとの戦争を、アフガニスタンやイラク戦争とは区別して考えるのは奇妙に見えるかも知れない。しかし、忘れてはならないのは、9/11直後の時点で、アフガニスタン又はイラクを完全制圧し占領する作戦は、既成事実からは程遠いものだった事だ。即ち、現実的な代替作戦として、アフガニスタンでの対テロ行動をより限定的規模に止め、それでもビン・ラーディンを捕え法廷で裁く事が出来たかも知れないし、イラクの場合には、サダム・フセインを封じ込める戦略を採用し米軍による完全侵略を回避する等、別策を検討する余地が十分あったのだ。換言すれば、両国に於ける、長期間で、費用が嵩んだこれら反乱鎮圧諸作戦は、謂わば、如何なる戦争をするか選択の問題だった。しかし、9/11の下手人達を法廷へ引き摺り出す事と母国の保全を期する事という二つの目標を同時に達成しようとするに事が及んで、アフガニスタンとイラクでの両国の戦争は何れも大きな失策であると判明したのだ。事実、過去20年の内、これらの戦争が目的遂行を逃していく瞬間が幾度も訪れた。それは、ビン・ラーディンを殺害した2011年5月から以降の数ケ月間、特に顕著に現れた。
テロとの戦争期間中、2011年と云う年を置いて、これ以上に重要な時期はなかろう。この年、ビン・ラーディンが殺害された事に加え、アラブの春が巻き起こり、又、米軍がイラクから完全撤退した。ブッシュ政権の戦略上最大の愚行がイラク侵攻とすれば、オバマ政権に於けるそれはイラク完全撤兵だ。両方の失策により権力の真空地帯が生じた。最初の失敗でアルカイダの繁殖を見、二つ目の失敗でその後継団体ISISが生まれた。
もし、愚行を幾度も繰り返しつつ、この次に違う結果が出ると期待するのはお門違いだ。今般、バイデン政権がアフガニスタン撤退という愚かしい判断をした事により、イラク戦争に於けるバラック・オバマ大統領の引き揚げ決断の失策が再現されるだろう。2014年、ISISが電撃的侵攻で首都バクダッド迄16マイルに肉薄した後、米国がイラクへ軍隊を再派遣した理由は、同国のヌーリー・アル=マリキ首相政権倒壊を恐れた丈ではない。米国は、破綻国イラク内部に、9/11挙行の素になったような、テロリスト達の避難場所が出現する事を懸念したのだ。アフガニスタンとイラクに繰り広げられた、米国の対テロ破壊作戦が極めて大規模になる事は、同作戦が先制攻撃論に拠って立つ点からすれば予測出来たものだ。即ち、2007年ブッシュ大統領が演説で「我々は奴らの顔を二度と米国で見ずに済むよう、彼の地で戦いに専念するのだ」と述べた通りに、それが実行に移されたに過ぎないのだ。
テロとの戦争が他の戦争とは異なるのは、その勝利が何か目に見える肯定的結果の達成を伴わぬ点だ。そのゴールは、負の結果が起きないように防ぎ続ける事なのだ。つまり、この戦争は、敵軍撃破や首都占領によって勝利は得られない。何かしら悪しき事が起こらない状態を作るのが勝利と云える。それでは、一体、どうやったら勝利宣言が可能だろう。このような負の約束を証明するのは困難だ。実際、9/11の後、米国の戦略家達は、一連のテロ攻撃再現を被らないようにする事によってのみ勝利を得られる戦争に就いて、これを概念化する事が出来ずに追い込まれた結果、一般の戦争概念に合致するような目的をお手盛りで捏造せざるを得ない、殆ど脅迫観念に、恰も駆られたかのように見える節がある。こうして、アフガニスタンとイラクの二つの戦いは、通常のお馴染みの範疇の戦争へとその位置付けが鞍替えされ、既存政権を倒し人々に自由を与える目的の侵攻が行われ、その後、長期に及ぶ占領と内乱鎮圧作戦が尾を引く事態となったのだ。
ところで、人命と財政負担に加え、テロとの戦争を測る今一つの尺度がある。機会の損失である。新型コロナウィルスの蔓延では、米国政治の深刻な機能不全が暴かれ、そして文民と軍人とに危機的な分断が示唆された。ところが、国家安全保障上の視点からより重要なのは、テロとの戦争を戦う間、米国と中国の複雑な関係が浮き彫りになった事だ。過去20年、米国は、広範な対内乱鎮圧作戦と細密な対テロ撲滅作戦とに向け自国軍事力の転用を余儀なくされた。しかし、中国はその間も、忙しく、やがてがっぷり四つに組む相手に対し、戦い、そして打ち負かせるよう自らの軍事力強化に勤(いそ)しんだのだ。
今日、中国海軍は世界最大の兵力を誇る。同国は、米国海軍の軍艦保有隻数約290に対し、その配備数350隻に上る。米国の戦艦性能は一般的には中国製を凌駕するものの、やがていつの日か両者の実力が均衡するのは避けられないと現在目される。中国は20年に亘り、南志那海上の一連の人工島諸拠点の整備に当った結果、それらは謂わば、不沈空母の如く有効な防衛線を形成している。又、最近、中国は社会風俗的にも軍事色を強め、活劇映画「戦狼」のような国粋的愛国主義作品が制作された。一作目には、米国元海軍SEALが悪玉として登場。2017年に公開された続作は、同国映画館興行史上最高収益を上げた。これは、北京政府が何の咎めの意識なく、米国を敵対者と見做している証拠と云える。
米国の手一杯な状況を首尾よく利用したのは、中国丈ではない。この20年間、例えば、ロシアはクリミアへと領土拡大を図り、ウクライナ国内の独立主義者達を支援した。イランはアフガニスタン、イラク、及びシリアの代理勢力を支援し影響力を拡大させた。更に、北朝鮮に及んでは核爆弾を手にしたのだ。9/11を以って新世紀の幕開けとなって以来、非国家勢力が米国国家安全保障に対する脅威になるだろうと云うのが社会通念となっていた。この予想は現実となったが、多くの人々が想像した姿とは異なるものだった。つまり、非国家諸勢力により確かに米国の安全保障体制は損なわれたが、それは米国本土への攻撃という型ではなく、寧ろ、脅威を及ぼす諸国家から米国の目を逸らさせる事により成し遂げられたのだ。つまり、仇敵である中国、イラン、北朝鮮、及びロシア等が、米国が他に注意を逸らされているのを幸いに、自分達の勢力を拡大しつつ米国への嫌悪を募らせて行ったのだ。
では、これらの諸国家が我が国に及ぼす脅威はどれほど切迫しているだろうか。航空母艦、戦車、戦闘機と云ったこれら伝統的な戦力に関しては、米国は、自らと略肩を並べる競合諸国に対し、引き続き十分な技術上の優位性を保持している。しかし、我が軍が選好し配備を進めるこれら防衛基盤は、早晩、適切とは云えぬかも知れないのだ。地上発射型長距離巡行ミサイルは大型航空母艦をも撃沈でき、この配備は時代遅れとなりつつある。又、最先端技術を使ったサイバー攻撃により、昨今、過度な迄に電子技術依存を深める我が国攻撃戦闘機の出撃が危険に晒される可能性がある。これらの諸懸念に対しては、此処に来て漸く、米軍は最高の英知を傾けて注目し、例えば、米国海兵隊の場合は、全ての戦略的焦点を、中国と衝突する潜在性の一点に集中し対応を取っている。ひょっとすると、既に手遅れかも知れないのだが。
疲弊によって齎(もたら)されたもの
20年を経た今、米国は戦争による疲弊を患っている。徴兵制も戦争税もなく遂行されたこの戦いでは、殆どの一般米国市民は戦争の重荷を実感せずに済んだのだが、この疲弊は免れ得なかった事が明らかとなった。4代に亘る大統領諸政権の間、当初こそ、この戦争は米国国民に賞賛されたものの、それは国民達の命に危険が及ばない遠くで続き、その見えない戦いに国民は次第に疲れ始める。国内の雰囲気も次第に険悪化し、敵対諸国はその機を見逃さなかった。即ち、米国は疲弊し、敵対諸国がそれを認識した事実により、米国が取り得る戦略上の選択肢は狭められる事になった。この為、歴代大統領は、「動かざるを宗」とする政策を採用せざるを得ず、それに従い米国の信用は低下して行った。
この動態力学が如実に現れた典型が、2013年8月、シリアがグータ地区(ダマスカス郊外)にサリンガスロケット攻撃を仕掛けた直後の事だ。オバマ大統領が設定していたレッドラインを、シリアのアサド大統領が化学兵器を使用し、正に踏み越えたこの時、何が起こったか思い起こして欲しい。米国大統領自らが訴えかけた武力報復に対し国際社会が梯子を外したばかりか、米国議会内でも冷淡な扱いを受け、オバマは孤立したのだった。そこで、オバマは、アサド体制に対する軍事攻撃への支援取り付けの為、議員達の説得を試みたところ、今度は、党派的結束に裏打ちされた、手強い「戦争疲れ」の壁に直面する。然も、この疲弊感は、取りも直さず戦争に倦んだ有権者達を色濃く反映していた為、結局、オバマは攻撃を取り下げた。こうして、米国自身が宣言したレッドラインが踏み破られても、報復は疎(おろ)か、鼠一匹すら動かない悪しき事例が遺されたのだった。
テロとの戦争で生じた疲弊は、目には見えない、非直接的な損傷と考えられ勝ちだ。ところが、実際は、これは戦略上の意味合いでは実に大きな負債を負う事なのだ。つまり、戦争で疲弊した国は、自国の威力が衰え、敵対諸国に対し有効な抑止力を発揮出来ない状態に陥るのだ。冷戦中の出来事がその好事例で、例えば、1968年ヴェトナム戦争が高じた頃、ソヴィエト連邦がチェコスロバキアに侵攻し、ヴェトナム戦争の余波残る1979年には、ソヴィエト連邦は再びアフガニスタンへと侵攻した。最初の事例は、まず、米国自身が戦争に巻き込まれていた最中であり、次の事例は米国が戦後で混乱期にあった為、米国は、ソヴィエトの軍事侵攻を有効に抑止する事が出来なかったのだ。そして、今日、中国を意識した場合、米国は正に当時と同じ状況にある。最近の世論調査によれば、もし台湾が中国から武力侵略を受けた場合、米国が防衛すべきかの問いに、米国民回答者の55%がこれを否定している。
もしも本当に、中国が斯かる挙に出れば、殊(こと)、米国民や同盟諸国の市民にこの過程で死者が出た場合には、無論、世論は急激に変化し得る。然し乍ら、先の世論結果は、米国国民の間で、武力行使を是とするハードルはかなり高くなっている事を物語る。そして、米国に敵対する諸国はそれを承知しているのだ。例えば、ここに来て、中国が香港の自治権蹂躙や、ウィウグル少数民族への露骨な人権侵害の実行に、敢えて踏み切る決断をしたのは決して偶然ではない。米国の権力が衰退すれば、他の国家がその真空を埋めると云う訳だ。
更に、米国の競合諸国は、彼らの攻撃を探知されにくくする術を身に着けつつある。現在ロシアが我々に仕掛けるサイバー戦争がその一例だ。同国国境内を発信元とし、近来頻発する身代金サイバー攻撃に関し、ロシア政府は知らぬ存ぜぬで押し通している。同様に、台湾に関し、中国の侵攻は多分、通常の歴然とした軍事行動の形を取らない。公然と侵攻を実施するよりは、寧ろ、香港に対するやり方に似て、徐々に段階的な併合を進め、同島獲得を図る可能性が高い。これらの事象は、米国軍が取り得る対応を以前より困難にする上に、殊(こと)、テロとの戦争に費やした20年間により、米国軍による抑止力自体が既に弱体化しているのだ。
異邦の国となりつつある米国
この様に、テロとの戦いにより、米国の自国に対する見方が変容したように、同時に又、その他諸国が米国をどう認識するかも変化したのだ。では、私自身はテロと戦いでどう変わったのかとの質問を、折に触れ良く受ける。これに対し、未だに答えに窮する理由は、実のところ、私は結果的に戦争で変化したのではないからだ。戦争が私を築き上げたのだ。実を云えば、戦争によって造り上げられた部分を、そうでない元の自分から切り離そうとしても、それがどうしても出来ずにもがき苦しんだ時期があった事は、私の深層心理に今だに根深く刻まれているのだ。つまり、その質問は、私にとり、親や兄弟から如何に影響を受けたかを問うに等しいのだ。もし、ある人と長く一緒に暮らすように、戦争の中に長く過ごすと、それは最早両者は極めて親密となり、お互いが切り離せない関係となるのだ。
今日、私は嘗ての米国がどんな姿だったか思い出すのに苦労する。フライトのほんの20分前に空港へ到着すれば機乗できる、その便利さが如何程であったか、今はもう思い出せない。武装警官達が徘徊し職務質問をして回る姿のない列車のホームを、自由に歩くのがどんな気分だったのか。或いは、殊(こと)、冷戦終焉後の良き時代に、米国式民主主義は何時の時でも勢いが上昇し、この形態こそ、世界の到達すべき最終段階なのだと、自分が信じる事が、どんなものだったか。
ところで、「偉大な世代」の人々は、日本帝国軍が真珠湾を攻撃した時、自分達は何処に居たかを思い出し、又、ベビーブーム世代の人々は、JFK(ケネディー大統領)が暗殺された時、自分達が何処に居たかを記憶しているだろう。同様に、我々の世代にとって、これに相当する基準は、9/11に自分が何処に居たかを思い起こす事なのだ。他の皆と同様、私もあの日の事を鮮明に記憶している。しかし、当時に思いを馳せる時、私の場合は、大概あの事件の前夜に記憶が立ち戻るのだ。
あの頃、タフツ大学奨学生だった私は、大学に対し自分のアパートにテレビ設置を要求した。というのも、ケーブルテレビHBOが、丁度放映を開始したドラマ「バンドオブブラザーズ(戦友の絆)」(*後注1)の新シリーズを視聴する為だ。同学予備役将校訓練課程(ROTC)の海兵隊士官学校生徒だった私としては、これからの生涯を、自分はこのドラマに描かれたような世界に身を投じる事を疑わなかった。あの夜、私がソファの上に寛ぐと、あのタイトルバックがスタートした。即ち、セピア色の画面に、大空一杯に空挺部隊のパラシュートの花が咲きゆっくりと降下する、彼らは欧州戦線を解放する為に上陸する兵士達だ。そして、大戦当時を彷彿とさせるサウンドトラックの曲が次第に大きく部屋に響き渡った。このシリーズドラマの中には、如何なる皮肉も冷笑も含まれてはいなかった。これに匹敵するフィルムを今日制作できる者は恐らくいないだろう。
私は、あの前夜視聴した「バンドオブブラザーズ」を屡々(しばしば)思い起こす度(たび)、この20年間に米国民が戦争や兵士達に抱く感情が大きく変化した事を感ずるのだ。あのドラマは、9/11以前に米国が位置していた地点と、それ以降、国民感情が其処からどこまで遠くへと乖離して行ったかを示す適切なバロメーターでもあるのだ。今日の米国は当時からすっかり変貌した。即ち、世界に果たす米国の役割に関し懐疑的であり、一方、戦争が齎(もたら)す費用に対し厳しい目が注がれる状況だ(尤も、先述の通り彼らは、これ迄これら代償の負担は殆ど負担せずに済ませて来たのだが)。米国の理想を海外へ輸出しようという意欲も又、衰退した。それに止まらず、今やこれらの理想主義は、殊(こと)、国内に於いてすら維持するに四苦八苦する状況となったのだ。2020年大統領選挙選前後の暴動、同年夏の市民暴動、或いは、米国の威信を傷つける事となった、テロとの戦いに関連しアブグレイブ刑務所で行われていた非道の振舞からエドワード・スノーデンによって漏洩された醜聞、等、枚挙に暇ない。「バンドオブブラザーズ」のドラマが全米を挙げ支持されたのは、最早、遠い過去の記憶なのだ。
一方、この事は、自国の歴史や理想に関しどのような物語を紡いで行くかが、重大な問題だと云う点を、我々に呼び覚ますのだ。米国が、中東での20年に及ぶ苦難の旅に出発する以前の日々には「善良なる米国人の手により、独裁と圧政に支配された世界を解き放ち、自由を与える」筋書を人々が期待し、少なくとも、ハリウッド映画界の重役達は、これを求めて決して疑う事はなかったのだ。
勝利と敗北
私がCIA勤務時代の元同僚と話す機会を得たのは、ジョー・バイデン大統領がアフガニスタン撤退を表明し間もない頃だった。その同僚は、海兵隊員としてアフガニスタンとイラクに従軍し、コレンガル渓谷での任務では私と行動を共にした。しかし、その後、私がCIAを退官したのに対し、彼は留まり、引き続き世界中の対テロ戦争に従事したのだった。彼は現在もCIAで海兵隊との共同作戦を指揮する。
私たちはイラクからの撤退と、アフガニスタン引き揚げとの違いに就いて語り合った。両名共に後者の痛手がより大きく心に刺さっていた。何故だろう。イラクとは異なり、アフガニスタン戦争は米国合衆国に対する直接攻撃を根拠とした。その事例は米国史に、過去一度だけ生じ、しかも、その時は米国が決定的勝利に導かれる結果に帰した。当時の「偉大な世代」とは異なり、一方、我々の退役軍人世代は勝利を噛み締める事はなかったのだ。然も、「米国で最も長い戦争に敗退した人々」として国民に永遠に記憶されるだろう。
アフガニスタンの戦争には負けたかも知れないが、我々の世代はテロとの戦いに勝ったと胸を張れると私は云ったが、彼は同意しなかった。この話題を暫く論じた後、二人は話を打ち切った。すると翌朝彼からEメールが届いた。
戦いに勝者はない。
戦いすら存在しなかったのだ。
戦場は爾(なんじ)に神聖と侮蔑を啓示し、そして、勝利は哲学者か或いは愚者達丈が抱く幻影に過ぎぬ。
南部出身で文学好きの彼が、「響きと怒り」(*後注2)から一節を引用したのだった。(了)
(*訳者後注)
1)2001年製作された、第二次世界大戦欧州戦線での米国空挺部隊を描くシリーズドラマ。映画「プライベートライアン」に続き、スピルバーグとトム・ハンクスによる制作。
2)米国南部(ミシシッピ一州)出身のノーベル文学賞作家、ウイリアム・フォークナー(1897-1962年)による小説。
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