(著者/肩書)
ハル・ブランズ(Hal Brands):ジョンズ・ホプキンス大学、ヘンリーA・キッシンジャー グローバル アフェアーズ特別名誉教授、及びアメリカン エンタープライズ協会上級研究員
ジョン・ルイス・ガディス(John Lewis Gaddis):イエール大学、軍事海軍歴史教授
(論稿概要)
世界は新しい冷戦に入りつつあるのだろうか。その答えは、然でもあり、否でもある。それを、単に長引く国際的競合と解するなら、答えは然りだ。冷戦は歴史開闢以来存在し、或るものは熱い戦争へと発展し、或るものはそうならなかった。但し、何れの方向にそれを導くか決する法則が存在しない。又、冷戦を、その発祥起源であり、後に広く普及した用語と同義として使うなら、答えは否だ。本来その闘争は、ある特定時期(1945-47年から1989-91年)、特定の対立関係諸国間で(米国、ソヴィエト連邦、及びそれぞれの同盟諸国)、特定の諸問題を巡り(第二次大戦後の権力均衡、理念の衝突、軍拡競争)生じたものだ。これらの観点から見れば、今の所は何れも差し迫った危機はなく、当時に匹敵する現在の諸問題と云えば、多極化の進行、論争の激化、専制主義と民主主義の対立急峻化、と云った事共で、その文脈は過去に比べ大きく異なっている。
ともあれ、前回冷戦時代後期には互いに暗黙の同盟関係にあった、米国と中国が今や新しい冷戦に突入している事には議論の余地がない。即ち、中国の習近平国家主席はその旨を宣言し、米国側も、この挑戦を、近来では稀に見る超党派的な合意として受け入れたのだ。それでは、以前に生じた様々な闘争、あの唯一大戦に至らなかった先の「冷戦」並びにそれに先立つ諸冷戦は、この新しい事態に関し、何を我々に示唆して呉れるだろうか?
未来は無論過去に比べ測り難いが、そうかと云って何から何迄全く知り得ない訳ではない。将来も、時間は絶えず流れ、万有引力の法則が支配し、我々何人も生理学的諸条件の制約を免れ得ない。とすれば同様に、現在出現している冷戦も、信頼に足る何等か我々が知り得るものによって形成されていると見るべきだろうか? もし、そうであれば、逆に其処には、我々が知らない如何なるものが潜んでいるだろう? 遥か2400年前にして、トゥキディデスは、この様な将来の予測可能性と半面予測不能性とを発見済で、未来は過去に類似し、されど全ての点がすっかり繰り返される訳ではないと云う事を啓発した。更に、彼の時代の唯一にして最大の戦争から、将来来るべき全ての戦争に関し、時を経ても色あせる事のない数々の真実が明らかされる点迄も論じたのだった。
其処で、本稿の目的は、ソヴィエトと米国の冷戦 ―我々の時代で、実際に戦火を交えなかった最大の戦争― 並びに、それ以前の数々の闘争から学ぶ事で、未だ熱い戦争に発展するか冷戦に止まるか将来不透明な、米中両国間の敵対関係の知見を広げ、更にその中に在って靭性を強化する為に、幾許(いくばく)か役立つと思われる諸点を指し示す事なのだ。言い換えれば、譬え21世紀の残り70余年間に我々が如何なる激動に晒されようとも、歴史を考察する事によって、不確実な環境を生き抜き、或いは、もしかするとその中でも繁栄する為の基本的枠組みを見出す可能性を追求しようとするものだ。
境界線の与える便宜は国家によって多少する
先ず、我々が知る確かな事は、現在の地理だ。地形は無論、大陸移動で変化するが、それは雄大な時間の流れの中に生じる話であって、我々の時代に案ずるのは無用だ。扨て、中国は何と云っても主に内陸の大国であり、それ故に古代から二者択一の葛藤に悩まされて来た。即ち、もし、戦略の深化を求め、境界線拡大に努めれば、能力を超えた過剰拡大に陥り、懸念を抱く周辺諸国からは抵抗運動が巻き起こる。又、もし国の財政健全の回復を重視し、国境線縮小を図れば、今度は敵対諸国を招き入れる隙を与える危険がある。この様に、未だ国境線が不安定な国の人々は、譬え万里の長城を廻らせても尚、心配で眠れないという訳になる。
一方これと対照的に、米国は地勢によって与えられた国境線に恵まれている。これが、1815年を境に、英国が北亜米利加大陸内に領土を争う選択を敢えてしなくなった理由なのだ。つまり、当時最大の海軍力を誇った同国ですら、3,000マイルの大洋を横断し運隊を維持するのは費用が嵩み過ぎたのだ。地形は米国に複合的な覇権を与えた。即ち、米国の統治は大陸本体に加え、他者から妨げられる事なく、二つの大洋へ通ずる経路に及んだ為、彼らは速やかに大陸横断鉄道を施設し二つの海と海を繋ぐ事が出来たのだ。これにより、軍需産業諸分野の発達が滞りなく育まれ、結局、これらが第一次大戦、第二次大戦、及び冷戦に於いて、欧州大陸の統合を図る勢力に対抗し、米国が欧州陣営を救済する際に寄与した。
では、そもそも安定した高見の地位に在り乍ら、米国人達は何故そのような危険を伴う約束を果たしたのか。恐らくは欧州の状況を、鏡を覗く思いで見て、そこに恐怖を覚えたのだ。つまり、ある国が一つの大陸に加え海上ルートも独占すると云う、正に米国自身が成し遂げた事例を其処に見た訳だ。警戒を抱く切っ掛けは、1904年に露西亜がシベリア横断鉄道を完成させた出来事だ。この急拵えだった計画は間もなく戦争と革命に見舞われる事になる。しかし、同鉄道完成は、英国地政学者のハルフォード・マッキンダーが自説として、ユーラシア大陸の「中軸地帯(heartland)」を保持する国が同大陸「周縁地帯(rimland)」を支配すれば、新規にして且つ世界規模に及ぶ野心的な複合的覇権を許す事になるだろうと云う由々しき警告を、既に導き提唱した後の事である。ウッドロー・ウィルソン大統領が1917年に独逸帝国に宣戦布告した際には、心の中にこの予測を抱いていたし、フランクリン・ルーズベルト大統領は1940-41年に、その議論を更に一段進め、アドルフ・ヒトラーの最終的な標的が米国であると固執した(この点に関し、現在では同見解が正しかった事は歴史家達により確認されている)。従い、1947年、次第に大胆さを発揮し始めた、第二次大戦下の同盟国ソヴィエト連邦に対し「封じ込め」策を提唱した米国外交官ジョージ・ケナンは、当時、既に長い歴史に培われた先人達の遺産から学んでいた訳である。
ところで、習の一帯一路計画(BRI:Belt and Road Initiative)は、同様の懸念を惹起するものだ。「一帯」の意味する所は、ユーラシア大陸を横断する鉄道と道路による回廊である。一方「一路」とは、印度-太平洋、更には地球温暖化の進行次第では北極海をも含んで、同計画により「恩恵」を受ける友好諸国内の基地や港に支えられた海上諸航路を指す。過去、独逸人達も露西亜人達も、これ程の詳細を兼ね備え、斯くも複合的な野望を抱いた例はない。中国は、嘗て類のない規模を以って、複合的な覇権を追求しているのだ。この事が、先ず、第一の我々が知り得ない点を提起する。即ち、これはユーラシア及びそれを越え世界にとって何を意味するかと云う問題だ。
習の目指す世界秩序とは
大陸内部で制圧の野望を持つ者を、均衡を保とうとする者が海からそれを妨げる事例は、この300年間の歴史に、特筆すべき記録として残っている。先ず、18世紀並びに19世紀初頭、仏国に対し大英帝国が挑んだ。20世紀前半には独逸に対し英米の同盟が二度に亘り阻止。そして、20世紀後半、ソヴィエト連邦に対し米国に率いられた同盟がその役を果たした。但し、これらを以って、海洋諸国家は抵抗を受けずに権力行使が可能と証するものではない。その点は、嘗ての植民地主義が最早衰退した事実からも明らかである。つまり、地理的立地丈では論ずるに不十分で、地形と統治との両者の関係こそが、我々が知るべき第二の点となる。
北米大陸を例外とし、その他諸大陸では独裁政治が育まれる傾向がある。即ち、地形内に国境線を決する事ができない地域に於いては、手荒い者達が、その目的が外部からの危険流入防止か、或いは域内秩序維持であるかはともあれ、その権利と義務を主張する。この様な環境に於いては、自由とは底辺から徐々に進化するのではなく、上部からのトップダウンにより制定される傾向となる。一方、この場合、その結果生ずる事態に対し、斯かる体制側当事者が一切の責任を負う。彼らは、民主主義とは異なり、責めの非難を分散する術を持たないのだ。従い、ソヴィエト連邦がそうであったように、一気に崩壊する独裁国家と云うものは、内部から空洞化する危険性があるのだ。
この為に、冷戦後に於ける中国指導者達は、半ば強迫観念に駆られソヴィエトの事例を研究した。その結果、マルクス主義を消費型資本主義経済へ移行する際に、民主化は決して同時には許さないと云う手法を取る事により、ソヴィエトの二の舞を踏まぬよう舵取りしたのだ。繁栄なき儘に民主主義を許すと云う、ソヴィエト首相ゴルバチョフが犯した最大の過ちを見て、彼らはその裏返しの所作を採ったのだ。現実が変貌するに従い、それに適合させて名前を正すという、中国古来の儒家思想である「正名」の現代版をやってのけたこの手法は、つい最近迄は良好に機能したのだ。中国指導者鄧小平による、毛沢東後の親市場的改革は、鄧体制への支持を確たるものとし、中国方式を他の諸国も倣うべき典型例に押し上げた。そして、習が権力の坐に就いた時、この道を踏襲すると誰しもが予想したのだった。
しかし、彼は違った。それらに代え、習は外界との接触を断ったのだ。彼は、国際法規に公然と反抗し、「戦狼」外交を推進した。そして、これら諸行動は、その何れも友好国を獲得し、維持する事等は全く計算の外に於いているかのようだった。国内には、正統派教義を強要し、歴史を改竄し、更には、既に消滅し今は亡き、嘗ての露西亜や中国の皇帝達ならば、見て賞賛するかも知れないような手法を用いて、少数民族弾圧を行った。そして、最も重要なのは、彼が自身の任期制限を撤廃し、これら反転的諸行為を確固たるものにした事だ。
そこで、我々が知り得ない第二の点が問題となる。つまり、習は何故改革路線を取り止め、抑々(そもそも)これ迄中国の台頭を支えて来た、外交術の妙技を放擲するのか? 種々の理由が以下の通り推測される。即ち、彼は彼自身が引退する時に生じる様々な危険を恐れているのかも知れない。然も、これらの危険性は、彼が政敵を投獄するか、追放する毎に一層増加して行く。或いは、革新を推進するには自発性が求められる為、それが国内に於いて過度な自由に向け人々を煽動する働きがある事を、彼は悟ったのかも知れない。又、次第に敵対化する国際社会の中で、競合者達が、彼の目標達成にいつまでも時間の猶予は与えては呉れない点を憂慮する為かも知れない。将又(はたまた)、今日広がる世界秩序の概念が、天国のマルクスや毛沢東からの負託とは調和しない事に気付いたのかも知れない、等々だ。
或いはもしかすると、習は、世界秩序は本質的に専制主義が支配し、中国がその中心になると思い描いていると云う可能性も考えられる。つまり、彼は、技術の力によって、冷戦期には人口衛星が地球の全ての地上を詳らかに露見させた如くに、今度は人間の意識をもすっかり透明に見通せるようになる事を期待しているのかも知れない。又、彼は、中国が海外の友好諸国を離反に追いやる事は決してないとの前提に立っているかも知れない。更に、中国への期待を抱く彼は、同国が台頭しない理由が見当たらないと考えているかも知れない。そして、習が年齢を重ねるに連れ、知恵、精力、更に、細事に対する対応力までも、それを対処するに最も信頼できる自分自身こそが唯一、最高指導者として、それらの力を何時までも増進させ続け君臨して行く事が可能だと考えているのかも知れない。
しかし、もし、習がこれらの事を全て信じているとすれば、彼は既に、専制主義体制がこれまで長らく陥った、逃れる事のできない堂々巡り、即ち「約束と実現との乖離」の問題を見失い始めていると云える。何故なら、ゴルバチョフの前任者達がしたように、この様な亀裂を無視すれば、事態は一層悪化する。しかし、もしゴルバチョフのように、それを自ら認めると、独裁者達が存続の拠所とする「不過誤性」の主張を己の手で葬る事になるだろう。これが、独裁主義政権に於いては、慈悲に満ちた退任で終わるのが極めて稀な理由でもあるのだ。
国家の靭性はその発祥起源により異なる
米国の民主主義は、約束と実現との間に差異がある為、結局それが故、時としては、ブレジネフが直面したような麻痺状態に陥る事がある。しかし、米国が中国と異なるのは、権威に対し斯様な不信を抱く権利も、憲法により与えられている点だ。権力の分散と云う仕組みによって、譬え、如何なる危機が盛んに発生しても、その後に国家として帰趨すべき、引力の中心地が確保されているのだ。これは、進化論生物学者達の唱える「断続平衡(punctuated equilibrium)」(*訳者後注1)と呼ぶものに類するかも知れない。即ち、予想されなかった諸環境に陥っても其処から、急速に回復する力を持つ靭性である。一方、中国の持つ靭性は、これとは正反対のものである。権威に対する崇敬の念が文化に浸透しており、権力が失脚し混乱が長引くと、安定性が転覆する。そして、求心力がない為、その回復過程には、数十年間を要する事もある。独裁者達は屡々(しばしば)単距離走に勝利するが、知恵のある投資家達は自分等の長期資金を民主主義へ投じるのだ。其処で、第三の拠所となる我々が知っている事とは、この様な靭性を身に付けるに至った、それぞれの異なった根幹に関する歴史的経緯に就いてである。
その典型が、19世紀中で最も多くの犠牲者を出した二つの内乱に生じた事は明らかだ。1850-64年に亘る太平天国の乱により、凡そ2千万人の中国人が命を落としたが、これは当時の同国人口の5%にも相当する。一方、1861-65年の米国南北戦争では75万人の戦闘員が命を落としたが、これは当時、米国人口は中国より遥かに少ないとは云え、その2.5%に相当したのだ。そして、現在の中国指導者達が証言する通り、同国は太平天国の乱の後、数十年間混乱の淵に沈み続け、その中から、1949年、毛による人民共和国宣言によってのみ、漸く這い上がる事が出来たのだった。他方、同じような代償を払った米国は、急速に回復を遂げ、19世紀末には、中国を犠牲として搾取する欧州侵略者達の仲間入りを果たすのに間に合って、以来その所業を続けて来たのだった。この歴史観に於ける、細部の問題は一先ず置くとしよう。と云うのは我々が焦点を当てるのは次の点なのだ。つまり、先述の歴史物語と、それが焚き付ける国家主義とに、習は近来一層強く傾斜しており、取りも直さずこの傾向は、中国文化に深く根付く、その「可燃性」―激しくも一度着火すれば消化困難な― を必ず伴うもので、且つそれが彼にとって現体制を護る為には、利用するに極めて好都合なものであると云う事だ。
此処に、我々が知り得ない第三の問題点が生ずる。即ち、習は、嘗て毛が自身の統治下に再三行った如く、国内の怒りの着火と鎮火を自在に操る事が出来るだろうか? さもなくば、1946年当時にケナンが「海外に対する敵対心を煽る以外に、ジョセフ・スターリンは国内統治する術を知らなかった」と指摘したと同様、習もこの手法一筋に自ら固執するだろうか? ケナンの主張によれば、このような専制体制を維持・保全するに可能な手段はなく、大衆の不満が蓄積して行くのを目の当たりにし、スターリン、そして彼の後継者達は尚一層の事、最早、これを最大利用する手段として、彼らの敷く体制の最悪な諸局面から民衆の目を逸らすしか方法は残されてはいなかったのだ。しかし、この戦略は、双方陣営が共に、敢えて期限を定めない場合にのみ有効なのだ。結局、この手段がヒトラーに対し機能しなかった理由とは、彼は自分の命に限りがある事を弁(わきま)え、自身の計画達成の為に計画表を定めていた為なのだ、とケナンはこの点を見逃さず指摘している。
では、中国の場合はどうか。毛は、台湾奪還の目標に対し、彼の体制下100年間と云う猶予を巧みに設けた。習は、この問題に就いて、その解決時期を明確には未だ設定しないものの、世代を次いで引き継いで行く事を否定した。それにも拘わらず、彼の次第に攻撃性を増す弁舌は、台湾問題が米中冷戦を熱い戦争へと発展させる危険を増加させている。又、米国が意図的に自身の台湾政策を曖昧にしている事も要因の一つだ。これら全ての事が、欧州が1914年に戦争突入した際にどのような環境であったかを思い起こすと、不気味な迄に現在と符号する事が判る。即ち、諸大国の履行義務が曖昧な中で、事態の相乗的悪化を断ち切る術を持たないと云う状況である。
長い平和は再来するのか?
冷戦時代を例外とし、実際の闘争から如何にして「永い平和」へと変化したかに就いて、二つの戦争を通じ我々が得た知識がある。思い返せば20世紀前半には、強大な権力を持った敵対国同士が平和裏に落ち着くと云う考えに賛同する向きはなかったのだ。1945年、米国外交官ジョセフ・グルーをして「将来、ソヴィエト露西亜に対し戦争が生じる点に就いては、世界中でこれ以上確かな事はない」と迄に云わしめた程であった。冷戦下の超大国同士がこの予想を覆す事が出来たのは何故なのか、そして当時の環境は今日のそれと比べてどのような関連を持っているだろうか?
一つの答えは、当時刻まれた歴史そのものが、将来の予言をも為すと云うものだ。つまり、多くの指導者達が第二次大戦による災禍を体験した結果、尚も第三次大戦の危険を冒そうと熱望する者は殆ど皆無だった。結果的に、ワシントンとモスクワ政府の指導者達は、それぞれ理由は異なっても、双方共に時間が味方して呉れると考えた。即ち、米国側にすれば、封じ込め戦略によりソヴィエトの野望を阻止する為には時間の経過が必要だったし、一方、スターリンにしてみれば、時が経てば、同胞相争う資本家達の戦争により労働者階級による勝利を手にいれる事ができると期待していたのだ。しかし、一度(ひとたび)、スターリンの後継者達が、彼の大きな計算違いを悟った時には、既に発露し始めたそれらの進展を巻き戻すには手遅れだったのだ。ソヴィエト連邦は、冷戦に於ける残余の月日をその挽回に費やしたが、結局失敗に帰したのだ。
しかし、もし、次の戦争を回避すると云う決意が、先の戦争の記憶と共に薄れ行く場合はどうであろう? この点に関し、ある歴史家が第一次大戦を的確に評した言葉がある。「第一次大戦勃発迄には、欧州で大きな戦争がないまま1世紀が経過していたのだ」と。それでは、75年間と云う、米国と中国の現在の双方指導者達が、彼らの前任者等が従事した大戦から遠ざかっている期間は、どれ程危うい問題だろうか? 米国民は「限定的」且つ「非重度」な紛争に巻き込まれる形によって、その諸結果の成否は明らかに相中半するものであったにせよ、兎に角、幾つかの戦闘を行った経験を持つ。これに対し中国は、1979年のヴェトナムに対する一時的侵攻を除けば、半世紀以上に亘り本格的戦争の経験がない。これが、習の「頭を血まみれにする」と云う言葉に見るような好戦的態度を礼讃する理由かも知れない。つまり、彼は、実際の代償が如何なる物か実感を持たない点が懸念されるのだ。
歴史家による第二の説明は、核兵器の存在が、戦争がどのように終結するかに関し、従来の楽観論を駆逐した為、「永い平和」が実現されたとするものだ。しかし、実際の処は、冷戦期に於いて、どのような抑止力が働いて戦争を抑止したか、確かな事は知る術がない。戦争に至らなかった歴史が、結果として在るのみだ。しかし、これは、双方が決定的決意を欠く事によって、寧ろ均衡が保たれた、という現象を示唆している。つまり、ニキータ・フルシチョフ、ソヴィエト首相やケネディー米国大統領が公式の場で、いかように発言しようとも、それと裏腹に確かな事は、双方共がベルリンの為には死にたくはなかった点だ。それよりは、欧州大陸を二分する、真っ只中の国の中に、壁によって分断された都市の出現を受け入れたのだ。全体の大きな設計図が有れば、斯くも常道を逸した策は実行されなかった筈だ。それでもこの東西ベルリン体制は、冷戦が進化させた独自の平和的終焉 ―これも全く予想外に到来したのだが―を迎えるまで持続し得たのだった。確かに、これら諸事は、核兵器の大量殺戮能力無くして生じなかっただろう。つまり、当時は核兵器によりワシントンとモスクワの双方で、同時に多くの国民の命が絶えず危険に晒される状態に在ったのだ。
では、ワシントンと北京両政府の場合はどうであろうか? 中国の最近の急ペースな増強を以ってしても、同国の核兵器保有数は、米国と露西亜と比し、その何れの保有数の10分の1にも満たない。又、全体で見ても冷戦最高潮期に比べ、米国と露西亜の核二大国が保有する核弾頭合計数自体も、その後、当時に比し15%程度に迄減っている。この大きな格差はその儘、現在は危険が小さい事を意味するだろうか? 1962年にフルシチョフが取った行動を見れば、我々はそうは考えない。つまり、10対1の核戦力の不利にも拘わらず、彼はキューバの湾ベイオブピッグ侵攻に続いて、ケネディーが計画していた後続作戦を抑止する事が出来たのだ。一方、以来、米国は自らに隣接する異常事態と共生する事となった。つまり、自身の勢力圏内と宣言していたカリブ海の只中に、共産主義国の島が存在する事を許したのだ。
しかし、今日に於いて、米国が台湾防衛の為に核兵器を使用する可能性は当時より少ない。その理由は、中国にとって台湾島の重要性が、モスクワ政府のベルリンやキューバに対するものとは比較にならぬ程大きい為だ。しかし、この可能性を否定する事自体が、一方で、習をして米国による核兵器の反撃という危険なく、台湾侵攻が可能だと、信じるよう導くかも知れないのだ。中国側のサイバー技術や人口衛星の目覚ましい性能向上が、更に習を勇気付ける可能性がある。と云うのも、冷戦時代以来、諜報能力の革命的発達により、奇襲攻撃を仕掛けるのは困難だとのここ数十年の認識は覆され、再度その可能性も復活しているからだ。
そうだとしたら、一体何が起こるだろう。つまり、習が台湾を占領した暁に、彼は台湾をどうするだろう? 同島は、いとも簡単に支配出来た香港とは異なる。又、民衆の多くは併合を暗黙に了解したクリミアの場合とも異なる。将又(はたまた)同地域に存する、他の大型島嶼国、日本、フィリピン、インドネシア、豪州、及びニュージーランド― これら冷戦最前線に位置している謂わばドミノの駒々とも云える― とも違う。更に、比較ならない程、壮大な作戦機動能力を持つ米国が、もし中国が挙に出た場合、とても「座視黙認」するとは考えられない状況である。その中で、恐らく習が取り得るのが「曖昧策」なのだ。即ち、種々の選択肢は確保しつつも、実際の反応を一切明らかには定めない手だ。
習の取る行動の内一つ考えられる策は、中国が力ずくでその国境線を拡大する事で達成できる領域伸長の効果を最大限利用するつもりかも知れない。しかし、この飽くなき領土伸長策は、嘗てはモスクワ政府が、自身で撒いたこの種により自らが苛まれたと云う事実もあるのだ。1968年ソヴィエト連邦は「プラハの春」を弾圧、その結果起こったのは、単に、チェコ国民が「自由に解き放たれた」とは感じなかった事だ。同国民は占領者達に対しこの旨を明確に表明し、そして軍部の士気が急落する事実をソヴィエト連邦は一気に突き付けられたのだった。又、「社会主義」が危機に晒された場合、其処が何処であれ同様の弾圧行動を取る事を約する、ブレジネフ主義は、結局、他国の指導者達を安心させる処か、逆に警戒心を与えた。殊(こと)、毛がその好事例で、彼は秘密裡に1971年、ワシントン政府に対し「開国」を計画着手したのだ。そして、1979年にソヴィエト連邦がアフガニスタンに対し、再度、同主義を行使した際には、既に同国の同盟国が殆ど何処にも存在せず、頼れる国は一つも残っていない有様だった。
習の台湾に対する恫喝は、中国周辺の国々に同様の効果を与える可能性があり、各国がそれぞれワシントン政府に対し自国の「開国」を模索開始するかも知れない。中国の度を越した南志那海での領有権主張は、既に周辺の国々の不安を高めている。豪州の原子力潜水艦に関する米国、英国との提携の突然の発表、印度による、印度洋―太平洋の同盟諸国との提携拡大等がその証だ。又、中央亜細亜諸国は、チベットや新疆自治区への弾圧を何時までも見て見ぬ振りをするとも限らない。更に、債務の罠、環境破壊、重荷になる返済条件等によって、本来、一帯一路計画の便益を受けるべき受益側諸国家が逆に苦しむ事態が生じている。そして、嘗て露西亜と云えば、同国こそが、20世紀初頭、地政学上の中核地域を占める、最も懸念される存在の起源であったのだが、気付いてみれば、今や、亜細亜、東欧州、西欧州、更には北極迄をも、親中国派の諸国により周りを取り囲まれてしまった状態なのだ。
上述した諸点が語るのは、米国一極体制から危険な米中二極化に行き着く未来ではなく、世界が多極化し、それにより攻撃的戦略は自滅を招くと云う制約が中国に課されて行く可能性の方が高くなると云う事だ。これは、嘗ての名戦略家のメッテルニヒやビスマルクの公認した傾向でもある。そして、冷戦を戦った、ある米国の狡猾な戦士は、この両名の前例に倣い、類似の戦略を採る事を望んだのだった。即ち、1972年、リチャード・ニクソン大統領はタイム誌に語って曰く「強く健全な国家として、米国、欧州、ソヴィエト連邦、中国、そして日本が、それぞれ他と均衡し合えば、それはより安全で良い世界になるだろう」と。
様々な事変
我々が知っている最後の知識は、予想外の事象が必ず発生すると云う事だ。理論家達が云うには、国際的な種々の仕組みは、無秩序で、その中の如何なる構成要素も完全に支配が及ぶ事はない。従い、戦略により不確実性を逓減は出来ても、完全に排除するのは不可能だ。何故なら、人間は過ちを犯すもので、人工知能にしてもそれは変わらない。しかし、その中にも、競合の幾つか典型例と云うものは時と場所を越え存在する。そこで、米中冷戦で起こり得る、予想外の出来事の範疇に就いては、それを米ソ冷戦から引き出す事が恐らく可能だろう。
生存に係る諸事変が在る。それは大国同士が競う舞台に於いて生じる変化で、双方その責任はないものの、両者共を危機に陥れる事共だ。これを念頭に置き、レーガン米国大統領は、1985年のゴルバチョフとの初会談に於いて「もし火星人が襲来して来たら、米ソが対立する問題は一瞬で片付くよ」と発言し相手の不意を突いた。それに比べれば、核兵器の危機は大したものではないとの意だ。火星人の襲撃は未だ生じていないものの、今や我々は、生存を脅かす新しい二つの危機に直面する。加速化する気候変動と、2020年瞬く間に世界中に伝播した感染症拡大である。
上記の問題は何れも過去前例がない。無論、地球の気候は常に変動し、それが故、太古にはシベリアからアラスカまで陸続きで歩いて行けたし、又、疫病に関し紀元前430年の時点で、既にトゥキディデスによる記述がある。従来に異なるのは、国際化により、これら現象の加速化する度合なのだ。そして、其処で問題となるのは、地政学上の仇同士である両大国が互いに協力し、歴史を深く紐解く作業が果たして出来るか、しかも、譬えそれを通じ彼ら自身の国の歴史をも徐々に変ぜられる事になるかも知れぬにも拘わらず、と云う点だ。
過去の米ソ冷戦は、悲劇の回避に必要な相互協力作業は、必ずしも明確な形を取る必要がない事を示した。即ち、1945年以降、戦争で核兵器を再び使用しない事を謳う条約は存在しない。それに替え、互いの存亡に係る危機感が暗黙の協力関係を成立させたが、これは、寧ろ正式な交渉手段によっては到達し得ない代物だった。この意味で、気候変動問題は、米中冷戦に於いて、同様の機会を提供する可能性がある。一方、新型コロナウィル問題に就いては、現時点では、中国側が頑なな態度を一層募らせる状況に在る。つまり、此処で重要なのは、火星人侵略に類するような、取り付く島を残して置くと云う事だ。存亡の危機その物は歓迎されるものではないが、其処から何かしら協調可能な余地がないか探求する機会が得られる事が利点なのだ。
一方、国際的な事変とは、ある特定国が、彼らの敵対勢力の不意を打ち、混乱させ、或いは戦意を挫く為に起こす行動だ。日本帝国軍による真珠湾攻撃のような、奇襲戦法がこの範疇に属するが、又、これらを防備する観点からは、諜報活動を欠陥なく維持する事が重要な要因だ。しかし、冷戦下に於ける最大の事変は、真逆の対応方針が突如露わになる事で、これは毛沢東が最も得意とする業だった。即ち、彼が1949-50年、東方へ傾斜した際は、トルーマン政権に不意打ちを喰わせ、朝鮮戦争並びにアジアに於ける共産圏の攻勢態勢へと道を開いた。ところが、1970-71年の西方傾斜策遂行に際しては、彼は一転、米国と同盟を結び、ソヴィエト連邦を米中二正面に対峙させ脆弱化を図り、結局、同連邦はこの不利を以降挽回出来ずに引き摺る事になったのだった。
裏を返せば、同様に、米国による「モスクワ政府に対する開国」路線策は、将来、北京政府への足枷となる可能性を秘めるものだ。そもそも中・ソを離反させる策は、その進展に20年の歳月を要した。アイゼンハワー政権はこの工程を何とか加速させようと毛とフルシチョフの関係悪化を仕向けるよう画策に努めた。習の一帯一路計画は、ロシアのヴァルドミール・プーチン大統領にとり、対中関係悪化の要因になり得る。予てより、彼はロシアが米国により「包囲」されている点に抗議をして来た超本人だ。従い、クレムリン政府から見れば、中国による「包囲網」はより一層大きな危険となり得るのだ。
もう一つの予測出来ない国際的衝撃は、各陣営の従属下にある筈の国家が背く場合だ。例えば、海洋に浮かぶ島国を巡る危機に就いては、1954-55年と1958年、それぞれ台湾で生じた(訳者後注2)。ワシントン政府もモスクワ政府も双方共、決してそれを望んだ訳ではなかったのだが、台北の蔣介石と北京の毛との間でこれが発生した。一方、東ベルリンに崩壊の時が差し迫る旨の警告を独逸の共産党指導者ヴァルター・ウルブリヒトから受け、フルシチョフは1958-59年及び1961年のベルリン危機を招来させたのだった。1970年代になると、中小国が自身の政策目標を追求する結果、ソヴィエトと米国との緊張緩和路線を脱線させる動きが出現した。例えば、1973年、エジプトがイスラエル攻撃。1975-77年、キューバがアフリカへ介入実施。更には、アフガニスタンに於いて、同国共産主義政権幹部ハフィーズッラー・アミーンが米国国高官との接触を図ったとされる事が、1979年のソ連による介入(結局は自壊する事となるのだが)への引き金となったと云われる。しかし、これら何れも、過去前例の在る事は、既に2,400年前、トゥキディデスが、コリントとコルキアとの紛争がスパルタとアテネの戦争に展開した事例に示した通りである。
米中冷戦に於いても、小国の動静に大国が振り回される、所謂、主客転倒の事態が生じる可能性を秘める事は既に明白だ。台湾海峡で緊張が拡大している原因は、ここ数年間の台湾国内政治の変化に影響された部分が、実は、ワシントン政府や北京政府が熟慮の末に下した幾つかの打ち手によるものに匹敵する程に大きいのだ。又、一方、中国が一帯一路を通じ同国勢力の極大化を実現する仕組み作りに尽力する結果、実は、政情不穏で不安定な体制の国々とも関係を築く事になり、嘗て冷戦時代に超大国達の悩みの種となった、ある種、大が小に踊らされる、本来とは逆依存の状態を造り出す可能性が増す。この事は、変動が起こる場合のひとつの法則と云えるのだ。即ち、格下の地方役者達によって諸大国が反目に巻き込まれた事例は、歴史に事欠かない。
そして、最後に、衝撃が体系的に到来する場合だ。冷戦は、当時、誰もが予想だにしない形で終焉した。超大国とその奉じる理念が突如崩壊したのだ。しかし、この可能性を過去、二人の思想家が既に予想していたとも云える。正にその理念を19世紀半ばに築いた創始者、カール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスである。資本主義は、生産手段と、それが分配する便益との間の乖離が巨大化し、結局はその仕組み自体を崩壊させると、彼らは確信した。そして、100年後、今度はケナンがマルクスとエンゲルスの理論を逆さまに社会主義国に当て嵌めたのだ。即ち、1946-47年に、彼が強く主張したのは、生産手段と分配された便益との差異が、今度はソヴィエト連邦内並びに第二次世界大戦後の同衛星諸国に於いて破綻を齎(もたら)すだろうと云う事だ。ケナン自身は1990-91年に実際に起きた出来事を決して歓迎しなかった。彼にとり、ソヴィエト連邦自身が内部崩壊する事態は、勢力の均衡を妨げる、余りに大きな衝撃だったのだ。しかし、社会に鬱積した憤懣は如何に大きな予想外の事態を惹き起こすかに就いては、彼はこれを十分理解していたのだ。
何か新しい地政学的激震が何時起こるかは、何人も予測できない。又、地質学的地震ですらこの予想はとても困難だ。それでも、地質学の専門家達は、それが何処で起こりそうかに就いて、知っている。例えば、カリフォルニア州には地震警報が発せられるが、一方、コネチカット州には発せられないと云った具合だ。極めて堅いが脆いと云う専制主義の特徴 ―彼らがこの上位下達式の指揮構造が永続する事に対し根拠なく抱く自信は奇妙にも見えるのだが― は、同体制に脆弱性を齎(もたら)すのだろうか? 一方、反骨的と云う長年染みついた民主主義の特徴 ―命令される事に対し抵抗する気質― は、同体制自身により大きな危険すら与えるだろうか? これらの問いに対する答えは、時の経過がやがて出して呉れる事だろう。恐らく、それも左程遠くない将来に。
戦略と不確実性
扨て、これ迄に述べて来た、会得した知識、不可知の要因、そして実際に生じる衝撃、これらの三つの関係は、力学の世界に於いて歴史的難題とされた「三体問題」(*訳者後注3)に類似している。即ち、予測可能なものと、予測不可能なものが併存する環境の中で、その結果に就いては、結局その事が起こって初めて知り得ると云う有様なのだ。しかし、地政学上の戦略立案に関して、斯様な悠長な事は許されない。ある戦略が成功する為には、来る将来、不確実性に満ちた環境下でも、この不確実性と共存可能である事が求められるのだ。確かに「封じ込め」戦略は、その達成度は完遂に至らず、又、幾度かの失策で悲劇も生じた。然し乍ら、その戦略自体が内包する種々矛盾点を遣り繰りし乍らも、一方、ソヴィエト体制内に存在する諸矛盾点が次第に炙り出され、最後にはそれらが同体制指導者達にも明白となる迄の、時間を稼ぐ事に成功したのだ。
これをなし得た秘訣は、概念は単純にして、策の実行は柔軟に為す、と云う組み合わせによる処が大きい。柔軟性が必要な理由は、目的地が明確に定められている場合でも、それが示す複数の道筋は、実際には、必ずしもいつも目的に到達するものではない可能性もあり、寧ろ、そうではない事が明らかになる事の方が屡々(しばしば)であるからだ。例えば、ヒトラーを破る為にはスターリンと組み、スターリンに抵抗するべくチトーと手を結び、ブレジネフを困惑させる為に毛と連携する事も必要になるのだ。斯様に、悪鬼と雖(いえど)も時と場合で、そうでない事もあり、同様に、軍備拡大も常に悪でなく、交渉が必ずしも善と限らない。アイゼンハワーも、ケネディーも、レーガンも、歴代大統領は皆、彼らが闘っていた敵対勢力の変革を促す為に軍備拡大と交渉の双方を駆使したのだった。一方、ケナンは封じ込め戦略の追求に当たり、斯様な弾力性に対し信を於いては居なかったのだが、この融通の利いた操縦性こそが、実は同戦略が意図した目的地に無事着地する事を可能ならしめたと云えるのだ。
「封じ込め」戦略が奏功した第二の理由は、予め定めるのでない融通性を強みとした事だ。北大西洋条約機構は、米国が創出したと同時に、欧州によって共に造り出されたものだ。一方、これに対抗し、モスクワ政府が率いたワルシャワ条約機構と比較すれば、両者の差は際立っている。即ち、米国は、欧州以外でも友好諸国に対し、政治理念の一元的統一は決して求めなかった。その目的とする処は、多様性を武器に転じ、それを抑圧する事に専心する敵対者に対抗する事なのだ。つまり、世界に覇権たらんとする均質的野望に抗し防波堤の役割を果たすべく、それぞれ固有の歴史、諸文化、及び諸信条の中に埋め込まれた同一性に対し、多様性を活用したのだ。
三つめの資産は、大統領選挙による周期循環だ。当時はその意義が常に認められた訳ではなかった。政府による「封じ込め」戦略に就いて、4年毎に謂わば、その成否が問われるこの試験は、同策立案者達の過信を戒め、同策に共感的な専門家達を驚かしめ、そして、海外の同盟諸国には警告を発する役を為したが、何よりも、硬直化してしまう事に対する安全装置の機能を少なくとも果たした点が重要だ。大望に能力が伴わないか、能力が大望を堕落させる場合、決して長期的戦略は成就を見ない。そうだとすれば、戦略立案者達は、もし彼らの戦略が上手く機能していない場合、如何にすれば自分達でその自覚や自信を向上する事が出来るだろうか? 確かに、選挙とは露骨な手段ではある。それでも、この世を去る時期が後継者達は知る事が出来ない、年老いた独裁者の逝去を別とすれば、再考の機会を得る手段を他に一切持たない場合に比べ、選挙は矢張り有効と云える。
このように、米国に於いては、海外問題は唯一それが独立し存在するものではない。米国人達は、彼らの諸事理想を明確に宣言する故に、それらがもし理想から背反して行く場合には、その全てをより詳らかに説明する事が出来る。例えば、経済的不平等、人種差別、性的差別、環境破壊、及び国家首脳部による超憲法的な乱行等、これら国内の失態は、全て衆目の知る処となる。ケナンが発表した記事の中で最も頻繁に引用される文書は以下の通り呼び掛けている。「我が国では、優柔不断、不和や国内の分断と云った事態が明らかになると、海外の敵対諸勢力に対する世論を勢い付かせる効果を持つ。」従い、海外の利害防衛に乗り出す際には、その大前提とし先ず「米国が、自国の最良の伝統に叶っており、且つ偉大な国家としての存続価値を証明する必要があるのだ」と。
云うは易く行い難し、の言(げん)通り、此処に米国が中国と対峙する中で、その底力が試される究極の場が有るのだ。即ち、内には民主主義に対する脅威に辛抱強く対処し、外には国際化進展が実効的に保護されるよう、徳義と地政学上との矛盾諸点の折り合いを付ける作業だ。我々が今後の世界を渡るに際し、歴史から学ぶ事が、手の内にある最善の指針となる事を忘れてはならない。譬え、その結果は、我々が望んでいなかったか、或いは嘗て経験した事のなかったものであったとしても。 (了)
<訳者後注>
*1)断続平衡:
同説は進化生物理論の一説で、生物種の変化は徐々に進化(漸進説)するのでなく、変化の平衡、停滞する長い期間を経た後、突如急激に進化すると唱える(例えば、麒麟の首が5万年の間に50センチ長く進化するのは、その間、1万回、個体が世代交代する毎に0.05ミリずつ首が伸びる繰り返しでなく、5万年殆ど変化がない中ある時突然伸びたとする)。筆者の文脈と同説に交差があり、本個所に引用した筆者含意は不詳。
*2)二度の台湾海峡危機:
中国と中華民国が戦火を交えた国境紛争。何れも米国は台湾を支持、支援。
1954年9月~55年5月:中国側が台湾離島金門島砲撃。結果、中国が大陳島を台湾より奪取。
1958年8月~10月:中国側が台湾離島(金門島、小金門島)を砲撃。結果、台湾が防衛成功。
*3)三体問題:
質量を持つ二物体の運動軌道はニュートン重力下に於いて楕円、双曲線、又は放物線の何れかに収束するとケプラーの法則は証するが、もう一つ加え3つの物体となると、運動決定する因子となる19の積分式の内、10迄(エネルギー、運動量、重心位置等)しか数式化できず、残り9要因に就いて不可知にて、従いそれらの描く軌道は運動開始後に、初めて観察者の知る処となる、所謂「三体問題」に、予測不能であるその度合いを譬えたもの。
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