【特集記事】外交政策は実用主義を重んぜよ~バイデン政権への提言:どうすれば歴史から即時的に学びが得られるかの考察~(Foreign Policy for Pragmatists ~How Biden Can Learn From History in Real Time~)原本 Foreign Affairs 2021年 Mar/Apr号 P48-56

著者:ギデオン・ローズ(Gideon Rose) フォーリン・アフェアーズ誌編集長

論説概略

 独逸宰相のビスマルクは、政治家の仕事を譬(たと)えて、嘗てこう語った事がある。それは、歴史の中を歩み進む、神の足音に耳を澄まし、彼が過(よぎ)ろうとする一瞬に、その裳裾(もすそ)を掴もうと努める事であると。米国ブッシュ大統領はこの考えに同意した一人だ。彼は大統領二期目の就任演説で、次のように論じた。「歴史に正義の盛衰は繰り返された。しかし、その一方、歴史の中には、自由と神によって指し示めされる、我々の進むべき道があるのだ」と。そして、トランプ大統領は異なる解釈をした。彼が主張した国家安全保障戦略は次の通りだ。「歴史の中心に於いて常に繰り返されたのは権力闘争であり、これは現代も不変である」と。これは、つまり、ブッシュ政権は、歴史は光に照らされた道に沿って進むと解釈し、トランプ政権は、歴史は闇への永遠回帰だと考えた。これらの信念の違いが、それぞれの政権をして、異なる問題を重要視し、世界の動きを異なる方向に予想し、異なる外交目標を追求せしめたのである。

 世界は如何に動いて行くかに就いての根本的信念が歴史諸理論であり、これらは通常、多くが想定に立つものだが、議論される事は少なく、それらが厳密に精査されるとなると更に稀である。それにも拘わらず、これら一般理念こそが、時の一政権が為す、全ての個別政策の選択に際しての判断基準を決定するのだ。従って、当該政権の歴史理論を先ず知れば、同政権の概要は自ずと明らかになって行く。

 適応可能な歴史理論は数多く存在するが、大概それらは、ブッシュ派、或いはトランプ派の、何れかの陣営に属する。即ち、楽観主義派と悲観主義派だ。この分類に従うと、例えば、独自の幸福指向に従ったクリントン政権は、ブッシュ系列ではあるものの、(強健な肉体と快活な生活を教義とする)筋肉的キリスト教主義を、それより幾分和らげたスタイルと云う事が出来る。そして、トランプの唱えた、暗澹として、嵐が吹き荒れる夜のような悲観論に就いても、これを信奉する人々が過去に大勢存在したのだった。

 しかし、残念乍ら、例え懸賞が掛かったとしても、この問題に関し、楽観主義論者と悲観主義論者の何れがより実情に適合するのか、実は、誰一人として良くは判らないのだ。本件に就いて、政治理論家達が数百年間にも亘り論争を続けて来たが、未だ勝者の確定を見ない。又、現代社会科学者達がこの問題に参入して来たのは、今から数世代前の事である。彼らは多くの諸理論を編み出し、そして幾多の手法で試行してみたが、尚、それを以ってしても、何れの陣営が他方に勝るか決着しなかった。更に、ここ数年間の内、再度、歴史は従来のものから変容を遂げた為、学者達がこれ迄に学び取ったと信じていた、数少ない事柄に就いても、その幾つかを消し去ってしまったのだ。

 楽観派か悲観派かに就いて、歴代大統領達は、個々人としては、皆、非常に強い信念を抱いて来た。しかし、米国外交政策は、政権内部での対立が激しいことに悪名高く、政権集団としては両派の何れかに決して統一される事がない。その結果、諸政策は発作的で不規則、且つ又、逆戻りする事となり、これらを或る一つの理論的枠組みに当て嵌める事が困難となる。しかし、その一方、斯様な多元主義こそが、欠陥ではなく、寧ろ優れた特徴だという事が判明した。その理由は、外交政策に関し、如何なる場合も、継続して、唯一のある手法を熱狂的に受け入れる事がないが故に、結果として、ワシントン政府は、全ての内で最悪の局面丈(だけ)は、これ迄避け得る事が出来たのだ。地政学上恵まれた国の立地のお陰を以って、嘗て米国は世界の中心から外れた、重要でない国という地位から、200年以上の歳月を掛け、ゆっくりとぎこちなくも前進を続け、世界的覇権国へと進化を遂げた。その優れた特性が何であったかと云えば、それは、損失を喰い止める能力と云うよりは、寧ろ、一貫性ある戦略的洞察を欠いていた点なのだ。

 扨(さ)て、現在では、楽観主義か悲観主義かの論争に就いて、決定的優劣を付ける事は不可能だと云うのが妥当であろう。何故なれば、両陣営の見解は共々に、国際政治に於いて何かしら重大な事を云い当ててはいるのだ。従って、バイデン新政権は、双方の主義を懐に抱きながら、何れか一つに固執するのではなく、臨機応変にそれらを使い分けるべきだ。

 時の米国外交政策を学ぼうとすれば、大半の場合、複数政権を跨いで行わざるを得ない。ジョー・バイデン政権が目標とすべきは、物事が同政権期間内に為されるよう、諸工程を加速する事だ。それには、(事象が変化するのに応じ、条件を変じて確率を再計算する)ベイズ理論的手法とも呼べるやり方が有効だ。即ち、以前に決めた諸事に執着する事なく、政権は絶えずそれらを更新して行くべきなのだ。

 この手法では、当の当事者達の替わりに、理論家達を集め、政権に対し真の意味での競合集団を造り、この集団をして現実世界の種々予測をさせ、そして、試行と評価が可能な各種助言を提供せしめて、その上で、どの助言がより優れているかを刻一刻と判定しく事になる。この方法を用いる際に重要な点は、最早、主義・理念ではなく、知的な正直さを追求して行く事だ。此処では、彼らが何を考えるかという事より、彼らが自身の考えを柔軟に変じ対応する事が出来るか否かの方が重要になる。継続的に推定確率を計算する手法を以って、未来を百発百中云い当てる事は無論出来ない。けれども、同手法ならば、政権の打った悪手を早期に手仕舞いする手助けとなり、長期的な勝率を改善する事が出来るだろう。

詳細は、是非、以下細論をご参照願い度い。

国際関係理論の興亡

 17世紀の英国哲学者、トマス・ホッブスとジョン・ロックにより、悲観的世界観と楽観的世界観がそれぞれ唱えられ、それらが双方の近代的主張の規範となった。ホッブスは、国際関係の中に於ける諸国家とは、恰もまだ国が生まれる以前の、仮定的な自然状態に個々人が置かれているようなものであると論じた。そこでは、人々を統制し秩序や安全を提供する為の国家権威が存在せず、個々人は無秩序な中で暮らす故に、永遠に危険に晒され、誰もが皆互いに終わりのない戦争をする展開に巻き込まれ、権力を求め永久に凌ぎを削るのに専念せざるを得ないと見做した。一方、ロックの見解はこれ程に寒々しいものではなく、彼の唱えた自然状態はホッブスより寛大なものだ。彼は、無秩序が国家をして不可避的な闘争に向かわしめるとは考えない。もし、人々が望めば、互いに協力、提携する事により安全と保護を確保し、戦争は回避出来ると説いた。

 ホッブスとロックではそれぞれが描く世界が大きく異なる。従って、政策立案者達は、現実世界には、いずれがより良く即するかを決断する事が極めて重要となる。もし、戦争が避けられず、国際情勢が静けさに包まれているのは、単に次の嵐の前触れに過ぎぬとしたら、その中で苟(いやしく)も防御を緩める国家があるとしたら余りのお人よしとの批判を免れ得ぬであろう。しかし、もし、持続的な和平協力が可能であるならば、その達成に尽力をしない国家は逆に愚か者と評されよう。悲観派と楽観派とはこの300年間激しい論争を繰り広げたが未だ結論は出ない。悲観主義者はホッブスに従う傾向があり、彼らは“現実主義者”と呼ばれた。楽観主義者はロックに傾倒し“自由主義者”として知られるようになった。そして歴史のページは、何れの陣営にも軍配を挙げる事なく、唯々高く積みあがるばかりだったのだ。

 そして、第二次世界大戦後、国際関係を専門とする学者達はこの未決着の問題に取り組んだ。彼らは、この論争に秩序を課そうとし、それら概念の再構築を図った。その結果、現実主義と自由主義との双方の理論が様々な方法で実行される場合、適用される変数や過程が異なれば、その生じる顛末も一様ではないという事が明らかになる。彼らは、洗練された手法を用い、これらの理論を試し、斯かる総力を結集した努力によって必ずや難題は解明されるだろうと期待したのだ。確かに、研究分野は拡大し、探求者達の水準も向上し、研究作業はより緻密化して行った。それにも拘わらず、期待された知識を以ってしてもそれが解き明かされる事はなかったのだ。それのみならず、何らかの知的根拠すら得られたとは言い難い状況だった。この甚だしい失敗により、21世紀迄には、現実主義、自由主義、乃至合理主義であれ、それを一般化して理論立てする事が可能であると、その地位を主張するのは、この分野に於いて疑問視されるに至ったのだ。そして、理論的諸見解は相競合し、深刻な論争へと後戻りする内、学者達は徐々に大問題をすっかり投げ出す方向へ向かい始めたのだ。複数の専門誌が「国際関係理論の終焉」との見出しで飾られた。斯くして、以来、世界はレールの軌道を逸(そ)れて行った。

 では、今現在の状況はどうかと云えば、自由主義者が守勢に立たされている。彼らはグローバリゼーションの拡大が、それを土台とし、世界諸国との関係を一層緊密化すると論じたのに対し、現実には巨大な反動が惹き起こされ、各国は逆に、相互依存性を交渉の武器に使うに至っている。つまり、嘗て彼らは、民主主義がその核心に於いて向上し、そして表面上も進行して行くのを目撃したのだが、現在はそれが、逆行し後退しているのだ。過去、彼らは中国専制体制が失敗する運命にあると思っていたが、どっこい同体制は周囲の期待を覆し成功した。同国は四海同胞主義を伝道していたに拘わらず、実際は、同国国民全てが、やや国家主義的である事が判明した(更に、国民達が圧力下に置かれ、一層、同傾向が強まると云う事も)。又、彼らは、規範が行動を制すると主張して置き乍ら、現実に起きているのは、恥を知らない人々が平気で規範を破り、しかもお咎めなしという状況だ。これら反動の諸事例は一時的なもので、もしかすると、世界が嘗ては進行していた、一段上の軌道へと回復して行く可能性があるとの見方も出来る。しかし、そうならない可能性も大きいのだ。

 一方、現実主義者達はと云うと、反対側の見通しに賭けた彼らは、自らその正当性を立証したと考えている。米中関係は、正に典型的安全保障理論の唱える通りのジレンマに陥っている。又、トランプ政権の挙げた、最も特筆すべき外交実績は、アラブとイスラエルの和平交渉であり、これも典型的な現実的政治外交策の為せる業であった。そして、実際問題として、自由主義の覇権を掲げ乍ら、それは一層覇権的な様相を呈して行った。

 しかし、現実主義による展望も問題含みなのだ。同主義は国家間の相対的力関係を重視するのだが、その点が問題なのだ。それにも拘わらず、各国の指導者を始め、一般大衆、国家以外の関係者、諸理念、諸機構、その他、全ての者達が、これを重視している状況だ。一方、今や、戦争こそが、国家の直面する最大の危機であるとは必ずしも云えない状況でもある。即ち、疫病の世界的蔓延拡大は、核戦争や世界大戦が与えるにも劣らぬ程の多くの死者と経済的破壊を齎(もたら)しており、加え、気候変動による被害は今後更により甚大化しよう。これら地球規模の問題は、現実主義者達の枠組みでは最早手に負えないのだ。

 更に難題が有る。社会政治学者のダニエル・ドレズナーは著書で、国際関係の学説に関して、確かな事が二つあると云う。即ち、まず、権力とは、国際関係学に於いて定義される概念である点、そしてもう一つは、実はその概念がどのようものかに就いては未だ合意がない点だ。

 例えば、「衰退する米国は、台頭する中国に対し如何に対応すべきか?」という問題が有る。しかし、そもそも、衰退と台頭とはそれぞれの国に関して何を指しているのかは曖昧である。それは、軍事力か、経済成長力か、それともこれら双方の長期的傾向に就いての認識だろうか? 或いは、それらを積極的に動員しようとする度合いの認識か、将又(はたまた)、各国が擁する同盟諸国の価値を以って測るべきか、さもなくば、国内の結束力や社会制度上の優劣を尺度とするか、等々、「権力」の概念は、文脈により実に多様な意味を持つ事は明白なのだ。従い、「米中の力の格差の問題」と云う、表面上直接的な問いかけは、実際には非常に複雑なものなのだ。

 衝突は繰り返し生じるだろうとの不吉な予測が多くの現実主義者達によって唱えられたものの、ここ数世代の間、大国同士の戦争は結局起こらなかった。ところが、この、所謂、永き平和と呼ばれた所のものが何故、齎(もたら)されたか、或いは、これが何時まで続くのかに関し、実は誰一人として明確に説明し得ないのだ。それは、例えば、単に運が良かったか、核兵器の存在のお陰か、歴史の教訓が生かされたか、米国の軍事と政治の圧倒的力に拠るものか、各国経済の相互依存性に拠るのか、価値体系の変容によるものか、その他、まだまだ諸説候補が存在する。しかし、一つ明らかなのは、それが如何なる理由であったにせよ、過去に例を見ない、この大国間の長い平和が破られる日が来る迄は、「楽観的自由主義者は明らかに単純に過ぎる」とした悲観的現実論者達の主張も、又、妥当とは云えない事だ。

 また、興味深いのは、国際関係問題に於いて、次に挙げる批判者達、即ち―社会科学者、心理学者、構築主義者、批判理論家、文化理論家、マルクス主義者、フェミニスト、情報網理論家、及びその他、米国の主流派を外れる者達は皆、最近の数十年間を総じて上手に対処したと云う事だ。これは、何も彼らが独自の発見事項を集積させた為ではない。実際、そのようなものは発見されていない。しかし乍ら、これらの分析手法に惹き付けられた諸学派は、政治の世界では、究極的に何が問題となるかに関して、合理主義者達より、又、現実主義と自由主義双方の提唱者達よりも、賢明な予想の賭けを行った。つまり、彼らは、何らかの支配が生じた場合、組織内の権力層、並びに権力不在の政治状態に焦点を当てる手法によって、その統治の分析の手助けとしたのだ。言い換えれば、彼らの手法は、社会的関係性に対し、より一層適合していたと云える。そして、彼らは、そもそも、分析の根源となる基礎手法に関し、賢明な前提に立脚していたのだ。

 つまり、我々人間は、理性に反し、それぞれ経験的知識に基づく偏りを持っている。我々の脳は、自分達を感情に走らせ、時に暴力的に振る舞わせ、或いは部族化させる指令を出し、これらは恰もそれが遺伝子によって組み込まれているかのように逃れる事は出来ない。更に、我々は、それぞれ個々人によって、一つのクモの巣に例えられるような価値体系を有するが、この巣というのは他の人々と重なり、共有される事は稀なのだ。国際関係理論なるものに反対の立場の人々は、上述した事実を先ず大前提とし、分析に着手したのであり、それら諸事実が結果論として起きると云う立場を取らなかった。彼らは、政治上の人々を外側からのみならず、彼らの氏素性に焦点を当て、文化的背景や偶発性に関する評価を内部からも実施して分析を行った。自己の氏素性に基づき集団利益を求めるアイデンティティ政治が、何かと物事の中心となり、少人数の集団でも大規模な破壊行動を為し得る昨今の世界では、―そして更に云うに及ばず、これらの人々は、今や一層ソーシャルメディアへの依存が増加し、民間企業の手により顧客好みに現実が整えられるよう情報操作が為されるビジネスモデルに慣らされ、感情の起伏を煽る事で、集団間の争いが掻き立てられ易い環境下に生活する中に於いては―尚更、この分析手法が適合するのだ。

米国議会で繰り広げられた、あの演劇のような騒ぎが意味するもの

 先述した、未知なる粒子群を研究するのは容易な事ではない。その困難さは、恰も非循環で無限の桁数を持つ、無理数の少数点を数え上げて行くようなものだ。人間の多重的認知機能が持つ諸欠陥は、例えば、嘘による影響を受け易くしてしまう。嘘に関する研究は未だ十分なされていないものの、それが政治の場に於いて果たす役割は大きいのだ。

 真実を語っていない事を自覚しながら嘘をつくのは良くある話だ。しかし、嘘も大きくなって、恰もコミックにある別宇宙空間(Marvel Universe)に類するような、正真正銘のもう一つの現実の如くに吹聴される事も又、極、稀にある。

 大きな嘘は、預言者や扇動者が用いる世界に属し、彼らが、自分自身が神の声を聞くか、或いは他の人々に対し神性を演じる場合に生じる。この場合、彼らは自己充足的な知的枠組みの中に身を固め、例え科学的根拠等に基づいて誤りを指摘されてもびくともしない。人文学者のニーナ・フルシュチェフの言葉を借りれば、大きな嘘は「全てを包み込み、真実が再構築される。そこには何らの矛盾点も存在せず、人々はそれらをすべて受け入れるか、さもなければ全てが崩壊してしまうか、この何れの道しか無くなる」と云う事だ。そして、その嘘が大きければ大きい程、益々現実の世界からは遠ざかり、嘘と真実との間には、潜在する精神的エネルギー量が蓄積され膨張して行く。一度(ひとたび)、破綻が訪れれば、突然の爆発となってそのエネルギーは放出されるのだ。この手の強い感情の爆発こそが、今年1月6日に米国議会に吹き荒れたのだ。

 あの暴動は、手に負えなくなった、政治抗議活動の一つであった、と整理されていいのだろうか? 或いは、画策されたクーデターであったろうか? 又は、公衆を悪魔的小児性愛者集団から守ろうとする英雄的防衛行為だったのか? それは、一面では全てが当て嵌まり、また一方、それ以上のものであったのだ。その理由は、あの事件は、幾つもの異なる舞台で同時進行していたのだ。つまり、通常の各局テレビ報道に加え、幻影に囚われた暴動参加者達は、各人の頭の中に、それぞれ自分独自の舞台中継を思い描いて行動していたのだ。これは悲劇とある種、笑劇さえ入り混じった、史劇と云えた。死者の内、ある女性は、皮肉な事に「私を踏みつけにしないで!」との旗を振っている最中に圧死した事が伝えられた。

 「体験型劇場」とあの日の出来事を言い現わした表現には非常に説得力がある。それは、議会への侵入者達が衣装を身に纏っていた点に止まらず、恰も、エウリピデスの悲劇「バッカイ」が集団ライブで演じられたような代物であったからだ。ギリシャ悲劇を代表する同劇は、怪しいカルト集団の指導者が、嘗て彼を侮辱した町に復讐を果たさんとして、町の女たちを熱狂に駆り立て、無政府状態の混乱に陥れる物語だ。ある者達は世界が燃え尽くすのを目撃する事をひたすら願い、またある者達は、破壊行為そのものを楽しんだのだ。

 暴動は現実的に深刻な被害を齎した。しかし、理論上で明らかにされたものの方が影響は更に大きかったのだ。例えば、今回の誇大妄想による騒動の主な支持者の一人である、ピーター・ナヴァロは、トランプ政権下で(好戦的)貿易政策の支柱を支えた提言者であった。即ち、国際政治学派の重鎮とも云える要人が、政策の追求に於いて、どのように陰謀説をその中心に組み込んで行ったのかを見る事はとても興味深い。

 ところで、一旦、議会がトランプ支持者達によって占拠されると、これら、謂わばテロリスト達は、人質を取る代わりに、携帯で自撮りに耽ったのだった。1970年代に於ける、この手の先駆者達がそうであったように、彼らは大勢の人々に目撃されるのに恋焦がれるのであり、決して多くの死者が出る事が望みではなかった。然し乍ら、その群衆の中に、もし、(180余人の死傷者を出した)1995年のオクラホマ市爆弾犯、ティモシー・マクベイのような、驕り高ぶる青年がたった一人でも混じっていたら、どうなっていただろう? 副大統領と共に議会が木っ端微塵に吹っ飛んでいたのは間違いないだろう。そこで、今回の事件が、この種の一連のリスク評価にどのような影響を与えるかを考察するのは興味深い。明白なのは、米国を一瞬で無力化するのはさして困難な事ではないという点だ。又、同様に明らかな点は、最近そのような事件が起きずに済んだのは、誰かがそれを喰い止めた訳でなく、殆ど誰も事件を起こそうとしなかった為なのだ。

 そして、最も厄介なのは、あの事件がトランプの正体を露わにした事だ。テネシー州前上院議員のボブ・クローカーはそれをこう表現した。「この一件で、辛うじて有益な点が一つ丈あるとしたら、トランプとは何者であるか、既に我々は感づいてはいたものの、今度こそは、本当に直接それを目の当たりにする事が出来たという点だ。」この点を念頭に置きつつ、去年11月に起こり得た別の展開を想像して頂きたい。即ち、あとほんの数十万票が反対の陣営に回っていれば、トランプは大統領に選出され、共和党が上院を公正且つ正当に確保していたのだ。

 もし、多重的宇宙論に従い、仮にこのような展開が生じた別世界が存在したとしたら、其処(そこ)では1月6日、ワシントンに於いて違った風景が出現していただろう。即ち、同じように群衆はやって来るが、その規模がもっともっと大きい。彼らはマイク・ペンス副大統領を吊し上げようなどとは考えもしない代わりに、熱列に彼を抱きしめたい気持ちだ。彼らが議会へ乱入する事はない。ペンス副大統領がトランプ再選を宣言し、群衆は議会の外に立ってこれを祝福する。そしてトランプも幸福な気分に浸っている。そうでない訳がない。彼は世界最強の軍隊の最高指揮官となり、彼の党内は無論のこと、司法、立法、行政の政府三機関全てを、何ら疑われる余地なく統率するのだ。そして、彼は、公式な宣伝網に加え、彼の熱狂的な性格が惹き付ける何百万人もの支持者達を有し、彼らは、トランプを文字通り盲信する事だろう。しかも、それは更に4年間続く。

 現実はそうはならなかった。しかし、それはもう少しのところで起こり得た。そして、その場合には、外交政策や貿易を始め、米国の理想や諸機構、更に将来の国際政策の方向性迄、全てが無秩序に軌道を逸するのだ。そして民主主義は後退した事だろう。我々は運が良かった。人間は、先述した思考実験の類を通しては、大きな歴史の循環、或いは、楽観主義や悲観主義に感銘を受け、その考えを変えると云う事はない。その替わり、激しい不測の事態に直面し、初めて目が覚めるのである。

外交政策とは地図に頼る山野針路踏破競技(オリエンテーリング)の如し

 昨今では、外交政策に関し、理論的な大きな枠組みを研究する事自体を放擲すべきだと提唱する一部の人々も出て来た。つまり、「全体戦略は終焉した」と、昨年当誌に、ドレズナー及び二人の政治学者のロナルド・クレブス、ランドール・シュウエラーが寄稿し、次のように論じた。

=引用始=

今日の世界では、相互の影響が複雑に絡み合う為、或る地点と目標地点との間に引かれるべき最短距離の線は、直線ではないのだ。つまり、歪められ、秩序なく、流動的な世界に於いて、我々は、政策大綱が本来備えるべき望ましい特徴を其処に見出すのが困難となる。つまり、現実的で、耐久性があり、長期的且つ持続可能な政策が存在するとは云い難いのだ。

=引用了=

論稿の中で、彼らは曰く「全体戦略を練る事は、恰も世界が炎に包れているのを目の前にして、一人何時までも己の考えに耽っているようなものだ。従って、最早、全体戦略など不要なのだ」と。そこで、彼らが政権に対し、政策協議一覧を策定する際に要望するのは、歴史がどこへ向かうかを悉知するが如くに思い誤っている、ワシントン政府内の三文文士の頭脳から湧いてくる案に頼るのではなく、個別具体的に詳細を一つ一つ、各部署と各分野の裾野から、広く積み上げて行く方式を採用すべきだと云う点だ。最も重要な論理的枠組みに代え、彼らは柔軟性と漸進的な実験が必要だと提唱するのだ。

 ドレズナー、クレブス、シュウエラー等による議論の中で、今日の複雑な国際環境に対処して行くには、単純化された地図は余り役立たず、楽観主義を確信する者達と悲観主義を確信する者達の双方共が、荒削りで不完全な調査結果しか生み出さない事態に陥ってしまうと云う点は正しい。かと云って、これはそれらの地図を捨ててしまうという話ではない。そうではなく、二つの不出来な地図を、どうやったら同時に上手く使いこなせるかという議論なのだ。

 結局の所、外交政策は地図を制作する作業ではない。寧ろ、それは、危険で見も知らぬ山野を、猛スピードで駆けて競争するオリエンテーリング競技に譬える事が出来る。そして、理論家達は製図メーカーではなく、助言指導者なのだ。即ち、彼らの仕事とは、競技者達が上手に戦えるよう手助けする事だ。複数の地図からは決定的な情報が得られる中で、競技者達は、怪我を負う事なく、他の競技者より可能な限り素早く動く為に、山野でそれらの地図を使いこなさなければならない。賢明な競技者であれば、二種類の不出来な地図が支給された場合に、その何れか一方を選んで使ったり、その両方共を捨てたりはしない。彼は両方の地図を携帯し、その双方を使おうと試みるだろう。政策決定者達もこれと同様の事が当て嵌まり、彼らは現実主義と自由主義との双方の世界地図を携帯し、それらをふるいに掛け、或いは統合しながら可能な限り活用し、針路を進むべきなのだ。

二つの出来の悪い地図を持った競技者が、最初に学び取るのは、その何れの地図もすっかり信用してはならないという事だろう。この学びは、そうする事により、主として、手酷い失敗は避ける事が出来るという事実を通じ、次第に現れてくる。興味深い点は、これはドレズナーと彼の共著者達が米国外国政策史に見出した特徴に一致する。即ち、それこそが、時の政権は現実的な政策決定者達から、帰納法的推論に基づく、経験に裏打ちされた知恵に耳を傾けるべきであると、彼らが提唱した正にその理由なのだ。つまり、彼ら曰く、「政権中枢に有る者達とそれに対する批判者達との間、或いは、行政部門と議会との間で生じる、押す力と引く力との牽制により、米国行動主義の最悪なる行き過ぎと、そして抑制主義への過度な傾注とを共に制御する事が結局出来たのだ」と。彼らの云う通り、それが正に特徴と云えよう。しかし、彼らはその解釈を誤った。と云うのは、何も彼らの主張するように国家が基本理論を持たずに居た故に、米国が成功しなかったのではない。そうではなく、米国は多元的な諸理論に頼ったお陰で、逆に成功したと云えるのだ。その理由を以下に述べよう。

 事態はこう展開する。世界をより良く変えられると信じる、ある楽観主義の政権が、とある発展途上国に侵攻(例えば、ベトナム、アフガニスタン、イラク、又はその他)し、恰もそれを米国内のネブラスカ州の如くに変容させようと力を注ぐ。そして何年にも亘り、無駄で高価に付く骨折りをした挙句、同政権は国民によって追い出され、代わりに悲観主義の政権が取って変わり、侵攻先から撤収する。これと反対の流れも起きる。ある悲観主義の政権が、国際協力とはバカ正直者のする事だと考え、世界の中で何事も独りでやり遂げようと試みた結果、成果なく、楽観主義の政権が取って替わり、今度は他国との協力へ舵を切ると云った具合だ。米国外交が成功する為の原動力とは、数多(あまた)の外交策伝承と、幾多の独善的諸政権、そして繰り返される政権交代との組み合わせであったのだ。

 米国外交政策は、視界ゼロでも飛行し、過ちも犯すのが常で、そして何をしてはならないかという事を、時間を掛け、そして痛みを伴い乍ら学んできた。しかし、その過程は一つの政権や一時代に完結する訳でなく、複数の政権や世代を跨ぎ、長い年月に無意識の内に展開されて来たのだ。このように、隠れた特定の様式がある事を認識し、それを一層明白化させ、その事を一国として良く知る事によって、国として立振る舞いを保ち、意識的な統率を行い、国を指揮する事が出来るのだ。

 そして、これを過不足なく実践する素晴らしい手法が、政治心理学者のフィリップ・テトロックによる予測研究の分野から編み出された。テトロックは、ある非常に簡単な実験から着手した。つまり、彼は、当時のその道の専門家とされた人々に、将来の政治的出来事に就いて特定の予測を予め立ててもらい、その後実際どうなったかを調べたのだ。その結果は、アイルランドの詩人イェーツの100年前の詩句を借りて表現すれば次の通りだった。即ち、当の専門家達は(予想を外して)自信を失い、(予想を的中させた)ど素人(しろうと)達は喜んで大いに熱狂したのだ(原文には「再臨(The Second Coming)」の詩中以下の一節を引用:the best lacked all conviction, while the worst were full of passionate intensity)。また、国際安全保障の専門家として、ピーター・スコブリックとテトロックは昨年の本誌(Nov/Dec号)に投稿した論文で下記の通り述べている。

=引用始=

即ち、これらの専門家達は、自分達こそが政治の仕組みを動かしていく力学を理解していると固く信じて疑わないタイプ(哲学者のアイザック・ベーリングが定義した用語に従えば、所謂、一つの大きな事しか知らない“ハリネズミ”型)で、他方、専門知識を持たない謙虚なタイプの同僚達(ベーリングの定義する、多くの小さな事を知っている“狐”型)は事態の複雑性を真摯に受け止め、諸問題に対し、先入観なく且つ大いなる好奇心を以って対処する為、結果として前者の予測的中率は、後者に比べて格段に悪かったのだ。

=引用了=

 そして、更に実験が続けられ、今度は母集団を増やし、その道の専門家達と素人達に勝ち抜き戦を戦わせ、その結果に就いて詳しく述べられる。全体の結果として、一つの事実がそこから浮かび上がった。果たして、予想を最も的中させた者はどのような手法を使っていたのだろうか? 実は、勝者達は偏見を常に意識から排除し、柔軟な思考をする人々であったのだ。そして、予想を的中させるコツとして、テトロックが辿り着いた結論は、数多くの種類の地図と、それを選び取る為の適切な基準を用意する事であり、その為には、予想に必要な二つの基礎的分析手法である、ケース別展開分析と、問題発生予測とを、統合し一つの枠組みを作ると云う事であった。テトロックとスコブリックは、前出投稿で以下の通りその融合策に就いて述べている。

=引用始=

その鍵は、将来どのように予想された事が起こりそうかに関し、早期の段階で予想する事が可能な、様々な諸兆候を、その答えとして示唆して呉れるような、一群の質問集を開発準備する事に有る。これにより、政策決定者達は遅滞なく、より賢明な賭けを以って意思決定を実施する事が出来る。従来の如く、長期的政策が展開される可能性を全体的に評価する代わりに、一群の質問集に対応する方式に準拠するならば、分析者は将来展開を、明確で予想可能な一連の道標に分解することが出来、更にこれらは短期的な経過観測をも可能とするのだ。

=引用了=

 従って、バイデン政権は、悲観主義に拠る悲劇的選択や、楽観主義、或いは場当たり的対応を採ってはならない。現実主義や自由主義を賞賛するのではなく、これ迄真に米国が信奉してきた理念である、実用主義こそを選択すべきだ。その為に鍵となるのは、数多くの代替的な将来像に関し、その起こりうる展開の研究を進めるべく、従来の伝統的理論を多様化して行く手法を取り入れる事であり、そして、これらの展開見通しの内、どれがより実現しそうであるかを知る為の、多重的指標を設計し、且つそれらを辿って行き、そしてそれらの証拠が指し示す方向へ、邪念なく従って行く事が肝要だ。

 この外交政策手段によって世界を変ずる事は出来ない。しかし、米国が世界を明確に展望する事により、その世界の中に於いて、一層効率的な国家運営を行うことが出来よう。そして、何よりその事こそが、変化に対し適応していく為には好都合なのだ。  (了)

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