評者/肩書:ダロン・アシモル、経済学者、マサチューセッツ工科大学教授(DARON ACEMOGLU)
著書『発展の力学 ~技術革新と経済繁栄を巡る人類闘争、一千年の歴史~』の共著者でもある。(Power and Progress: Our Thousand-Year Struggle Over Technology and Prosperity)
書評対象図書:
『民主的資本主義の危機』マーチン・ウルフ著、2023年ペンギン社出版(496ページ)(The Crisis of Democratic Capitalism, By MARTIN WOLF)
『不安定な世界 ~富裕国と貧困国の双方で蔓延する民主主義に対する幻滅~』プラナブ・バルダン著、2022年ハーバード大学出版(240ページ)(A World of Insecurity: Democratic Disenchantment in Rich and Poor Countries, By PRANAB BARDHAN)
<書評>
中世の西欧封建領主に類する権力を握る、近世の大手テクノロジー企業群
ウルフとバルダンは共に新しい社会民主主義の構想を提案する(尤も、ウルフはこの用語は用いない)が、それぞれ提示する修正案は互いに大きな違いが在る。ウルフが目指すのは、より均等な機会増加と福祉国家に対する投資増大だ。彼の主眼は「就労着手可能で、その準備が整った人々に対し、良質な雇用を提供する」事だ。この方針は「市民権、民主主義参画、諸機構の改革改善、及び平等なる繁栄の配当と云った諸問題は、全て連動し解決された上で、それらの維持が図られるべき」という彼の主張に一致する。但し、問題は、そのような素晴らしい職業群が如何にすれば創出できるのか、誰もその答えを知らない事だ。
然し、ウルフの主張も又正当なものだ。つまり、良質な雇用、つまり、賃金が高く、安全で且つ目的意識を伴う仕事は、繁栄が共有される社会と民主的市民権の存在には欠かせない。嘗て、スウェーデンの如く、不平等が小さい国々は、所得の再配分を重く実施し、比較格差を解消して来たと考えられて来た。処が、事実はそうでないと3人の経済学者が2022年に調査発表した(トーマス・ブランチェット、ルーカス・チャンセル、アモリー・ゲットヒン)。つまり、不平等の根っこは、「税金支払い前」の所得の段階で既に決して居たと云う主張だ。例えば、スウェーデンの場合、抑々(そもそも)伝統的に、集団賃金交渉力が強い為、税金支払い前段階で、米国に比較し、ある均一な技量に対し、それを発揮する業務に支払われる賃金は、労働層をおしなべてより平等になっているのだ。
一方、バルダンは、幾つかのよく知られた諸手法を支持する。それらは、地方政府への権力分散、及び、気候変動、感染症、脱税等への取り組み等に関する一層の国際協調、或いは、より強力な汚職摘発への取り組み策、更に、労働者を利する技術の開発と支援(評者自身も過去何年にも亘り提唱して来た通り)等の諸策だ。
中でも、彼が最大の解決策として位置付けるのが、全ての人に一律現金支給する案、所謂ユニバーサル・ベイシック・インカム(UBI)方式だ。此処での新味の在る発見は、UBIは特に印度(著者の母国)のような発展途上国で極めて有効だとする彼の見解だ。印度を代表とする、つまり、不平等格差が著しく、更に拡大傾向に在り、公共サービスは苟も提供されているとしても十分でない状況で、更には、より良い社会保障の安全ネットの構築を図る気運もないと云う環境下に置かれる国々だ。バルダンは、今日の民主主義の危機は、経済的不安定により加速していると見解する。従い、UB経済的不安定を緩和する観点から、UBIを一つの有効な方策と考え、その導入によって、民主主義的諸機構の活性化が図れると考える。
然し、UBIは、本来と別の問題に適用すれば、誤った処方箋に成り得る。難点は、UBIに多額の予算が入用というばかりではない。つまり、それは「社会に貢献している」との意識を人々から削いでしまう点だ。そうなると、本来、民主主義成立に必須な「市民権」の概念とUBIとがそぐわなくなる。複数名の経済学者達(ラッシュマン・フッセン、エリン・K・ケリー、グレゴリー・レーン、ファティマ・ザラ)が行った2022年のある調査が、所得と精神的満足感との重要な関係を指し示している。
彼らは、南バングラデッシュのロヒンギャ難民達の労働に対する選好を調査した。調査員達が、一部の参加者達に「一週間毎に無償の現金」を供与し、別の他の者達には「賃金を伴う就業の機会」を提供した。この結果、労働に就いた者達は、精神的な満足度が著しく向上した一方、労働なしに無償現金を授受した人々は、それが見られなかった。これら難民達は、皆、極度の貧困下で厳しい環境諸条件に置かれているにも拘わらず、上記の二つの選択肢を提示された場合には、凡そ参加者の2/3は、無償現金供与を袖にし、寧ろ安い賃金であっても就業に従事する方を選好したのだった。
この点から察すると、UBI策は、根源的には将来の敗北主義者の論と云える。何故なら、同策が実施されれば、多くの部分の国民は社会貢献から遠のく事となり、然も彼らは、技術革新によってその居場所を失ったと云う側面を多く持っているのだ。と云う事は、同策を推し進めて行けば、我々が目にする未来とは「極(ごく)一部の少数の人間が、世界中の富を稼ぎ出した後、残りの人民に対し、彼らが余ったパン屑を呉れてやる」と云う何とも意気消沈する結論に行き着く訳だ。
一方、「新技術や国際化が不平等と失業を必然的に生み出す」との考えも、又間違いだ。歴史を通じ明らかな点は、「技術を支配する者が、経済成長から得た稼得分配を決定する」との法則だ。中世時代、欧州の封建領主達は、当時の水利や風車等、主要技術の大半を支配した為、生産性の向上は、雇用された労働者達でなく、全て彼ら自身の利益として確保された。又、産業革命初期の頃、起業家達が急速に生産自動化の工程を導入し、女性や児童労働力を工場に囲い込む事により、彼ら自身は富を得た一方、労働者達の賃金は停滞を続け、寧ろ低下すら見られたのだった。
幸いにして、現代では「誰が技術を支配するか」、それを変ずる事は可能だ。従い、その展開次第では、特にそれが業務を自動化した暁に、労働者を不要にするものなのか、或いは、労働者の能力を増大させ生産性をも拡大させるのか、そのいづれの方向へも誘導は可能なのだ。西欧諸国が一層の不平等格差拡大に陥った理由は、それら諸国が、極(ごく)少数の起業家や企業の集団に対し、彼ら自身に利する手法―それはつまり、大半の労働層にとっては不利になる手法―に従い、技術変革の方向性を設定するのを許してしまった結果である。
ウルフの解決諸策は正しい軌道上に在るとは云え、この点に於いて未だ相当に不十分である。即ち、評者曰く、現代の市場経済には根本的改革が必要なのだ。そして、もしそれを怠れば、企業群は、労働者達の生産性を向上させる代わりに、寧ろ労働者達を置き替える為の自動化を推進しようと、過剰投資を続けるだろう。更に、これら諸企業は、それが民主主義下に於いて忌み嫌われる行為であるにも拘わらず、尚も、巨大な規模によるデータ収集と個人監視を一層加速させて行くのだ。
これらが懸念される状況下、技術改革を規制し、その進展方向に修正を掛ける力を政府は保持している。要はそれを実現するか否かは政府のやる気次第なのだ。もし、事態がこの儘放置され、諸企業が、労働者に資する訓練や技術への投資を怠り、専ら省人を目的とした自動化を推進する場合には、不平等格差は更に拡大し、悪化の一途を辿るだろう。そして、最低所得層に位置する労働者達が一層「自分達は使い捨ての駒」だと感じるのだ。斯かる事態を回避する為に、政治家達が為すべきは、どの分野の技術が労働者に資し、従い、公共の支援を得るに相応しいのか、その範囲を決定する事だ。又、政府は技術産業を規制する事も必要だ。即ち、特に、データ集積、デジタル上の広告宣伝、及び人口知能を駆使した自動会話プログラム、ChatGPTのような巨大な言語モデルの創出に関し、これらに纏わる彼らの権力自体を規制する必要があるのだ。そして、これら技術産業の規制に就いては、その諸段階に於いて、労働者の声が反映されるよう、政府が算段する必要がある。これは、労働組合が企業側の技術革新を阻止すべく、政府が手を貸せと云うのではない。新技術が職場でどのように利用されるかに就いて、労働者の代表が企業と交渉する場を確保する事が政府の役目と云う事だ。
処が、斯かる規制導入は、云うは易く、行うは遥かに難い難事業である。その原因は、過去40年間、政府が進めて来た諸施策の結果、国内諸機関は政府に対し信頼をすっかり失ってしまったからだ。加えて、更に足を引っ張り、見通しを一層暗くしている要因は、集団労働交渉を行う環境は最早完全に破壊され、更に、民主主義の根幹的支柱であるべき「市民の自覚と責任」が揺らいでいる現況だ。
民主的資本主義は実に危機に直面している。如何なる解決策を講じるにせよ、先ず、一等最初に集中し取り組むべきは、民主主義に対する公衆の信頼を回復する事だ。民主主義下に身を置く、大衆の人々は、決して「救われ難い」事態に嵌り込んでいる訳ではない。より公正な経済成長の実現、汚職の削減、そして巨大企業群の過剰支配力の是正、等に就いては、必ずや、これらを達成する道程が存在するのだ(経済学者サイモン・ジョンソンと評者がその旨を論じた通りだ)。そして、これら処方箋は、不平等格差を縮小し、人々が等しく繁栄する基礎を築く事に止まらない。つまり、民主的諸機関が良好に機能発揮するのを証する事を通じて、今の民主的資本主義の危機は「民主主義の終焉」を意味しない、と云う点を示す事が出来るのだ。
(他の章は後日続く)
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