当号では、過去百年の理解と今後百年の思案に欠かせない図書、各三冊を当誌書評者が選した。
[政治・法務分野]
書評者:ジョン・アイケンベリー(G. Jhon Ikenberry)、国際政治学者、プリンストン大学教授
<過去百年の理解を補する書籍>
邦文訳書『大転換』著者:カール・ポランニー(The Great Transformation BY KARL POLANYI、1944年、ファーラー&ラインハート出版、305ページ)
邦文訳書『危機の二十年~国際関係研究序説』著者:エドワード・ハレット・カー(The Twenty Years’ Crisis, 1919-1939: ~An Introduction to the study of International Relations~ By EDWARD HALLETT CARR、 1939年、マクミラン出版、312ページ)
邦訳未出『政治共同体制と北大西洋地域 ~歴史的観点から国際機構を考察する~』著者:カール・W.ドイチュ、他7名の社会科学者達による共著(Political Community and the North Atlantic Area: ~International Organization in the Light of Historical Experience~ Karl W. Deutsch, 他共著、1957年、プリンストン大学出版、228ページ)
20世紀に生じた、重大な中枢的変革は、欧州と北米に根を下ろした、自由な国際秩序の台頭である。ハンガリー経済学者、ポランニーは、二つの大戦の狭間の時期に自由民主主義を危機に陥れた、根深い諸権力に関し、20世紀半ばの時点で、最も影響力を与える議論を提供した。この独創的偉業と云える著書は1944年出版され、この中で彼は、それら危機の根源を、第一次世界大戦期に於ける現代資本主義の台頭と世界市場体系の崩壊に求めた。自主的規律に従って制御可能な市場と云う、ユートピア的な自由主義の夢が実現する事は決してなかったと、彼は論じる。それに代わる現実とは、市場は地政学的勢力と社会秩序が織りなす国際制度の中に成立し、その中に市場自体が不可分な存在とし織り込まれる事だった。換言すれば、市場社会は自然発生でもなく、況してや、決して自己制御的でもなく、それは社会の相互関係の中に埋没したのだ。斯くして「放任主義」(Laissez‐faire)は成るべくして成ったのだ。つまり、大戦に挟まれた期間年数に生じた諸危機の本質とは、この複雑にして一連托生に織り込まれた体制自体が、崩壊してしまった結果なのだ。ポランニーの主張は明白だ。即ち、第二次世界大戦後に、資本主義社会が再構築され得るとすれば、それらは、階級を横断した諸制度下に、社会民主主義的計画を通じて行われる必要がある。これら制度が主眼に置くのは、市民を経済的略奪から救済し、より広範な協力的体制下に在る国際秩序の中に於いて、政治的同一性を振興する事だ。斯くして、戦後西欧産業社会で、成長と社会福祉が長く続いた「黄金時代」は、彼の期待を立証したものであり、一方、現在我々が目にする破綻状態は、彼の抱いた懸念が裏付けされたものと云えるのだ。
1939年、大戦前夜、歴史家カールは、それ以前20年間の政治と経済の混乱状況を描写した書籍を出版した。ジョン・メイナード・ケインズの名著『平和の経済的帰結(The Economic Consequences of the Peace)』と同様、カールの著書も、又1919年のヴェルサイユ条約を創設した英米の平和創造者達が犯した過ちと、彼らが抱いた幻想に対する反論の書として読む事が可能だ。カールは非難して曰く「19世紀の自由主義者達は、彼らの流儀による国際関係構築計画は成功を収めたと信じ込み、そして、彼らが信条とする、当時中心的諸国家の政治家達が備えた“根本的な合理性”と、彼らが共有した“共通利害の調和”と、この双方の存在ある限り、その次の計画も再び首尾良く進むと云う過信に陥ったのだ」と。しかし、それは幻想に過ぎなかった。大戦前の国際秩序は、現実には英国覇権と同国自由主義理念とを基礎に成り立ったもので、之は1914年の第一次大戦開戦に至る以前の段階で、既に消散していたのだ。ウィルソニアン時代(*訳者後注1)の自由主義者達を「理想郷を求める夢想家」と叙述したカールの見解は、その後の学会の批判に抗し耐える事は出来なかった。つまり、同学派が反駁して曰くは「1919年、第一次大戦後の自由主義に基づく国際秩序擁護派の諸行動は、功利主義に基づいた、実験的試みの優れた成功例である」と。更に、彼らの見解は、来るべき全体主義の脅威に就いても、カールよりも多くの点で明確に捉えて勝るものだったのだ。然し、その後、数世代に亘る時を経て、改め「権威や理念が果たすべき使命とは何か? 又、国際秩序の興廃を司る力は何か?」に関する議論は、今、カールの著書によって、再度変化の加速を見る事態を生じている。何故なら「国際秩序は権力を持った諸国家によって造られる」点は、カールが既に論じた通りで、更に、その事が20世紀史によって立証されたからだ。然し、同秩序が継続するには、権力乱用を避ける自制と社会目標を共有する精神と、その双方の裏付在る事が前提条件となる点は確かだ、と云えるだろう。
正に上述した形態を備える秩序が、第二次世界大戦以降に台頭した事は、現代に於ける最も需要な諸発展の一つと云えるだろう。西側の自由民主主義諸国は、冷戦が暗い影を落とす中に在って、尚も新しく先進的な国際協力形態の構築に従事した。彼らは、世界経済を再度開かれたものとし、地域的或いは国際的な諸機構を設立し、欧州復興計画を立ち上げ、嘗て敵対した独逸と日本を同盟国に替え、彼らの社会を共通の安全保証体制の中に組み入れたのだった。1950年代、ドイチェが為した先駆的業績とは、社会科学者達による、新しい規範に基づく秩序の地図を作製する真剣な努力の始まりを記した事だ。著書『政治共同体制と北大西洋地域(Political Community and the North Atlantic Area)』の中に、諸国家は、無秩序な世界の罠に嵌る事はないとの主張を発展させたのだ。つまり、貿易、相互交流、
学習、及び政治的想像力の鍛錬を通じ、国家集団は 耐性ある平和的な領域を構築する事が出来るとの見解だ。北大西洋地域の諸国は、戦争を誘発し兼ねない無秩序状態を減じ、或いは、之を排除する為の先進的形態を提供した。無秩序状態は国際関係に於ける固定的条件ではなく、歴史的結果であり、之を協調的政治行動によって回避可能な事を彼は示したのだった。
<未来百年の思索に資する書籍>
邦文訳書『戦争と変動の国際政治学~覇権国の交代~』著者:ロバート・ギルピン(War and Change in World Politics BY ROBERT GILPIN 、1982年、年ケンブリッジ大学出版272ページ)
邦文訳書『ユートピア以降~政治思想の没落~』著者:ジュディス・シュクラー(After Utopia: The Decline of Political Faith BY JUDITH N. SHKLAR、 1957年プリンストン大学出版、330ページ)
邦訳未出『地球に迫る危機 ~人類存続見通しと諸対策の提案~』著者:リチャード・A.フォーク(This Endangered Planet: Prospects and Proposals for Human Survival BY RICHARD A. FALK、1972年 ヴィンテージブックス出版、495ページ)
未来に待ち受ける時代は、中国の野望、自由民主主義を巡る闘争の継続、及び気候変動の危機によって形造られるだろう。中国の台頭は21世紀の姿を決定付けるに十分な現象かも知れない。そうだとすれば、之は世界が既に目にして来た出来事の類と云える。即ち、大国の興亡と国際秩序を巡る闘争は、ツキディデスの時代から世界政治の場で繰り広げられて来た。そして、現代の国際関係理論に於いては、ギルピンが1981年に書した、古典とも云える当書を越えては、世界覇権の変遷に関し、広範を網羅し、優雅に、そして影響力ある説明を提供出来る本は未だ出現していない。ギルピンは、世界政治とは、様々な秩序体系の連続と見做した。そして、諸秩序とは、戦争を征し、諸国家間関係に関する規範と取極めを組織する機会と能力を保持して出現した、主導的(或いは覇権的)諸国家こそが造り出すものなのだ。従い、秩序は均衡の上に成り立つのではなく、非対称的な権力構造の上に成立する。そして、これら階級的諸秩序は数十年、或いは数百年継続し得る。然し、最終的には、根底にある権力変遷の物理的諸条件、及び秩序に支えられた諸国家間の関係、その双方共に、時として暴力をも伴い、崩れ行く運命にあるのだ。ギルピンの書は、読者が現代世界の激変を、深い歴史的視点で考察する助けとなる。即ち、変化は不可避であり、如何なる秩序も永遠に続かないのだ。然し、ギルピンが同書で読者に投げ掛けた問いには極めて深い含意が在る。「将来の政体変更が、嘗てのものより穏健と期待する根拠が一体何処に存在するだろう?」と。
1930年代、又は、陰鬱たる冷戦時の日々以降に於いても「民主主義の将来は不確実である」との見解が定説だった訳ではない。現にシュクラーの如くの政治哲学者は、暴力と専制主義が台頭する世界下に於いても民主主義の擁護を追求した。民主主義は、社会の再生、或いは、徳義上の見解相違の諸問題を解決する事は出来ない旨を、彼女は自身の多くの著作と随筆の中に論じた。然し、重要なのは、それに代えて、相違点を巡る交渉に於いても「自制と寛容を貫く、自由主義理念」こそが「人々を抑圧する破壊的諸権力から保護する為に、最善な機構的枠組を提供する」と彼女が見解した事である。1975年、シュクラーは金字塔と云える著書を著し、上述見解の基礎土台を展開した。即ち、同著で、彼女は、人間たる所以と社会発展とに関する啓蒙思想的信条に対して、宗教的立場及びロマン派主義者から加えられた諸反動に関し、それらの軌跡を辿ったのだ。その結果、保守的で批判的な思想家達は当初より自由主義を翳らせ、彼らに云わせれば「ユートピア主義」であるとして之を拒絶し、それに代えて「宿命観と社会的嫌悪」に根差す非自由主義への道が開かれて行った点を、シュクラーは示した。その上で、彼女は「持続可能な自由主義の条件」を次のように主張する。即ち、人々は、自身達が苦痛に喘ぎ、或いは公共上最大の悪徳たる「無慈悲」に直面する事への恐怖や嫌気に、お互いが常に無防備に晒されている状況に在る。斯かる人間が持つ脆弱性に対し、其処で自由主義がこれを支える柱として存在感を発揮出来た場合に、初めてそれは持続可能なものになる、と。換言すれば、「自由な社会を実現する」と云う、微妙な業を無事成し遂げる為には、多様性の許容と云う気高い精神を再確認する事が必要となり、この精神こそが、シュラーが、幻滅の時代に於いてすら、自由民主主義維持を可能とする元だと期待したものであったのだ。
地球温暖化やその他の環境諸危機が、人々の生活を劇的に変じてしまう脅威が生じている。1970年代初頭になると、様々な思想家達が「成長の限界」、「宇宙船地球号」、と云った用語で、人間自身の活動が地球規模の脅威を造り出している事へ警鐘を鳴らし初めた。殊(こと)、フォークの1971年の著作は、覚醒を促すその啓蒙的な内容により、警告を発すると共に、世界政治秩序の改革に関し議論を惹き起こす引き金となった。人類に対する諸脅威は、20世紀後半の近代化による諸要因が、連鎖し一連に結び付く事によって生じた、と彼は論じた。この背景にある諸要因とは、自然環境劣化、軍事力強化、人口増加、及び資源枯渇等で、即ちこれらは皆、産業国家や軍拡競争、及び物質主義を信奉する発展によって推進されたものなのだ。つまり、国家主義者の衝動と短期的視野を抱く主権諸国家が世界に満ちた状況こそが、我々を脱出困難な窮状に至らしめた根深い源だ、と彼は見解し、そして、改めて意識革命が必要な旨を呼び掛けた。その内容は次の通りだ。つまり「人々と社会が自身達の為に、如何に持続可能な生活を組成出来るか」と云う課題に関し、その創造力を再度逞しくすべく意識を改革せよ、との提言だ。フォークが期待したのは、諸国家と多国間諸機関の制約的枠組みを越えた、政治組織に於ける根本的改革であり、社会変容と人類と自然の共存を信じて追求する「生態学的人本主義(ecological humanism)」の精神に基づき、社会活動と世界中の市民社会を通じ、変容が実現される事であった。斯かる変革が、今日に至るまで日の目を見ておらぬ事は周知の通りだ。地球の運命は、この試みが最終的に成るか否かに懸かると云えるのかも知れない。
(了)
【訳者後注】
*1)ウィルソニアン時代(Wilsonian-era):米国大統領ウッドロー・ウイルソン(在任1913-1921年)が掲げた、ウイルソン主義を指す。世界の民主主義擁護と国際協調を提唱した。
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