【書評】危害の少ない道を選択する手法 ~ 外交政策は現実主義によって修正可能かを思索する ~ (原典:In Praise of Lesser Evils ~Can Realism Repair Foreign Policy? ~ , Foreign Affairs, 2022年September/October号、P211-216)

評者/肩書:エマ・アシュフォード(EMMA  ASHFORD)/ ジョージタウン大学助教授、スティムソン・センター上級研究員。『原油と国家と戦争、~産油諸国の外交策~』著者(Oil, the State, and War: The Foreign Policies of Petrostates

(対象書籍)

『未知なる将来 ~国際政治に於ける現実主義と不確実性~』著者:ジョナサン・カーシュナー、2022年、プリンストン大学出版、336ページ

(An Unwritten Future: Realism and Uncertainty in World Politics BY JONATHAN KIRSHNER)

『大西洋の現実主義者達 ~独逸(ドイツ)と米国に於ける、帝国及び国際政治思想    ~ 』著者:マシュー・スペクター、2022年、スタンフォード大学出版、336ページ

(The Atlantic Realists: Empire and International Political Thought Between Germany and the United States BY MATTHEW SPECTER)

(書評)

 「現実主義者」にとり、昨今、決して順境とは云い難い状況だ。つまり、国際関係分野で著名な多くの現実主義思想家達は、今般のウクライナ戦争を正しく予知していた。それにも拘わらず、彼らの主張内容が、小国権利を圧倒する強大国の立場を肯定する政治理論に立脚し、且つ、加速的危険増加への警告等を主眼とする特徴から、これ迄外交政策評論の場で彼らが主流になる事はなかった。又、ジョン・ミアシャイマーに代表される、一部現実主義者達が固執する見解、即ち「この戦争は、略(ほぼ)全てNATO拡大と云う構造的要因の結果であり、露西亜大統領ウラジミール・プーチンの好戦性が主因でない」との解釈も、一般公衆層に大いに不人気だった。斯くして、学者トム・ニコルズに至っては「現実主義の主張は馬鹿げている事がウクライナ戦争により証された」と公言する始末であった。

 殊(こと)、倫理や人権問題を考察する場合、現実主義に基く諸解釈に対しては、上述の様な反応が出る事は、同主義と一般的公衆との関係に於いて寧ろ生じて当然の問題で、別に驚くには当たらない。つまり、伝統的主流哲学の一派たる現実主義に於いては、国際政治に関し「権力と安全保障こそが国際体系の中心事」と見做すのが抑々(そもそも)信条なのだ。勿(もち)論、各々諸学派により、多少異なる解釈を有するとは云え、殆どの現実主義諸派が共通し信奉する教義は以下と云える。即ち、先ず、国家とは、何にも増し、安全保障と自国生存を目的として導かれるべきである。次に、国家は自国利益を最優先に行動すべきで、諸原則は二の次である。最後は、国際政治体系は無秩序こそが常態である、以上だ。

 上記鉄則はその何れも心地良いものでなく、歓迎され難い。現に、現実主義のロバート・ギルピンは嘗て自身の論稿に「市民から嫌われる政治的現実主義者」と題した程だ。事実、殆ど全ての人々が嫌悪を抱いて同主義を批判するには理由がある。つまり、同主義は次の認識に成り立つ。国際政治での苛烈な現実や、国家が時として野蛮な振る舞いに及ぶのは、偶然ではなく「国家による利己的行為に基づく」と云う前提だ。現に、一学派の創設父と呼ばれる、ハンス・モルガンソーは書して次に語った。「ある特定国家の徳義上の規範が、世界を遍く統治する規範と照らし一致しない場合、現実主義者達は後者を拒絶しても良いと認識する」と。しかし、昨今、現実主義を批判する者達は、ウクライナ戦争を巡る論争に見る通り「同主義者は徳義上の制約を一切持たぬ」かのように屡々(しばしば)難じているが、この論も、又一方、極端で行き過ぎたものなのだ。

 今般、時を丁度同じくし、現実主義を錯誤点と将来有望性の両面から考察試みる、新刊2冊が登場した。何れも、現在の現実主義の初期版と云える「古典派現実主義」の歴史を振り返る中で思索を展開する。この「古典派現実主義」とは、当時未だ国際関係を主眼とはせず、より幅広い、或る意味暗い、人間の本能に焦点を当てた分析手法を採っており、謂わば、時代の世情を反映し、悲観主義と共に到来したものである。扨(さ)て、最初の一冊、マシュー・スペクターの『大西洋の現実主義者達』は、第一次世界大戦後に発展した古典派現実主義を、独逸(ドイツ)と米国の知識人達の異花受粉的効果を為した相互交流、並びに、同派哲学概念の根底に根差さす、深くて、極めて邪悪な歴史的根源に焦点を当て探求する。之とは対照的に、もう一冊、ジョナサン・カーシュナーの『未知なる将来』は、古典派現実主義の修復を画するものだ。特に、同主義から派生し後に近代化した「構造的現実主義」に対しては、反対する立場を取った上で、現代地政学の理解を深めようと試みる。この結果、両書を読み比べると、カーシュナーが、古典派現実主義を礼賛する探索を試みる諸点に対し、スペクターは逐一それらを反駁し葬ると云う双方の関連が興味深い。然し乍ら、そんな中でも、二人の著者が、共に現実主義に於ける真実に各々肉薄している点は、特筆に値する。即ち、その真実とは、政治科学者のウィリアム・ウォルフォースが次のように表現したものだ。「現実主義とは、現在もそして過去の如何なる時点に於いても、一括りの理論には出来ない点が最も重要である」と。つまり、裏を返せば、世界の諸問題に関し考察する際、現実主義はその多種多様な典型例を提供して呉れるのだ。一方、他の教義は、その理念は壮大にして、且つ救世主たり得るが如き点がその特徴のように見受けられる。之等とは異なり、現実主義の特徴は、同主義に属する多様な諸典型が、皆それぞれに「功利主義」と「“実現性”重視の術」の双方に立脚している点が強みと云える。

クレムリン政府の分析・診断を試みる各派主義者達

 現実主義者達は、常に先頭に立って米国外交政策を批判して来た。つまり「米国は、自身が描く理想の姿に世界を再生させようとの愚かな試みに過去数十年間を費やし、悲惨な結末に終始した」と。これら批判を受ける結果、公衆及びエリート階層の見解は、此処十年来、従来よりも現実的で現実主義的政策を選好する方向へと傾き始めた状況に在った。然し、今般、現実主義者達が、ウクライナ戦争に関し十分な解釈説明と反応を示す事が出来ないとすれば、同主義が得つつあった上記賛同の流れは、再び逆戻りする可能性が大いに有り得るだろう。

 予てよりウクライナは、現実主義的考察や見解に関し、常に衆目が注がれて来た重要地域である。冷戦後、多くの現実主義者達は次の主張を繰り返した。つまり、国境の普遍性や、露西亜と競合諸国の軍事均衡力等の古典的地政学上の諸懸念に対し、米国は余りにも無関心に過ぎ且つその一方、欧州政治政体に関しその理想概念に固執し過ぎて来た、と。他方、自由国際主義を信奉する政治家達はこう考えた。つまり、権力政治が世界に与える影響が最早減じられた環境下に於いては、貿易、国際諸機関、或いは自由主義に基づく諸規範こそが機能発揮し、従ってNATO拡大こそ、中央・東欧州の中小諸国が民主主義の選択として取るべき道である、と。この主張に対し、現実主義者達は、上記の如き行動を推進した事こそ、モスクワ政府をして、それらが安全保障上の大な脅威であると当然認識せしめたのだ、と反論した。換言すれば、仮に西側諸国の云い分通りNATOが如何に慈悲に満ちた機構であったにせよ、之とは無関係に、露西亜から見れば、敵対する同盟軍事勢力がもしも自身の国境に肉薄して来れば、譬(たと)え誰でも、心穏やかでは居られる訳はなかろう、と。

 これら論争は、露西亜による2008年ジョージア戦争、2014年クリミア併合の後に一層遺恨深いものとなって行った。即ち、自由国際主義者達は、これら戦争により、プーチンが、ソヴィエト帝国再構築の野望を抱く、帝国主義且つ修正主義的指導者である事が証されたと論じた。一方、多くの現実主義者達は、同諸紛争は、露西亜にとっては近隣諸国のNATO加盟を防止する為の防衛行為である、との見解を固持した。双方云い分共、それぞれ一理ある。然し、当のクレムリン政府の真の原因は外部から識別不可能なのだ。この為、診断から下された各々の見解はそれぞれ正反対の異なる政策的帰結を意味した。即ち、もし、プーチンが野心から行動している場合、西側は抑止力強化の為、露西亜に対し強硬な姿勢を選択すべきだ。一方、もし、彼が恐怖心に駆られて行動しているとしたら、西側は妥協を講じるべきで、将来のNATO拡大への一定の歯止めも容認する必要が生じる。斯様に相対立する政策案が併存する状況に在った。

 然し、今年2月24日の侵攻以来、斯かる批判に対し新たな局面が生じた。戦争開始後数か月経過すると、現実主義に対し思慮深い批判家達は、同主義者の国家闘争分析は、その多くが殆ど役立たない事に気付き始めた。何故なら、これら諸分析は専ら米露二ケ国関係に焦点を当てるが故に、プーチンの侵攻実施決断及び、彼が揮う闘争中の指揮等に関し、本来であれば説明を加え得る、国内及び観念的な諸要因が、分析対象から一切除外されている為だ。確かに、ソヴィエト連邦崩壊後の領地に対するNATO拡大が戦争惹起に加担した点は、現実主義者達の云い分が多分正しい。然し、そうだとして、之は良くて説明の一端に過ぎぬ。露西亜の戦争前夜の意思決定に関し、それ以外の諸要因が深く関係していた事が次第に大きく浮かび上がって来ている。即ち、ウクライナに於けるNATO軍の勢力配備や基地設置(ウクライナによる同メンバーへの正式加入有無とは関係なく)、或いは、ウクライナ軍に対する西欧側の訓練実施、キーウ政府によるプーチン側近のオルガーキの汚職摘発、そして、EUに対するウクライナの経済的絆の発展、等の周辺諸要因は無視できないものなのだ。

 現実主義諸理論は、嘗て世界の地政学的動乱時代に於いても助けにならなかったと同様、今般のウクライナ戦争でも役立たない事が判明した。つまり、ウクライナ戦争に関し、現実主義者達は、大きな輪郭で問題を捉えた点は正しかったものの、詳細な諸点で多くを見誤った。又、今回、特に不幸であったのは、世界に対するその他の諸接近手法 ―殊(こと)、冷戦後の期間を席巻した、最も顕著な自由国際主義の一派―  ですら、その説明能力を欠いていた事実である。即ち、自由主義、或いは他を凌ぐ権勢重視の覇権提唱者、例えば、強大な軍事力保持を以って他国台頭を防止出来ると主張した者達は、中国台頭により自説の誤りが露呈するのを目の当たりにした。又、自由国際主義者達は、政体変更を目的とする戦争をアフガニスタンやイラクで支持し、或いは人道的観点からのリビア介入を容認し、その結果、彼らの壮大な諸計画が何れも過ちで、失敗に帰した事を自ら目撃する事となったのだった。斯かる状況下、スペクターとカーシュナーの著書が著す、現実主義諸理論からは、何か真新しい、或いは、詳細なる諸洞察が提供される事はない。とは云え、それでも、今や、我々は、新しい多極的世界に直面する中、其処では、「古典派現実主義」が寧ろより多く当て嵌まる環境と云えるだろう。従って、両書に示された同派諸典型に関し、我々がそれらの理解を修正し更新する事は有意義であり、それを為すのに大変良い機会をこれら書籍が与えて呉れる訳だ。

現実的な視点

 今日「現実主義」と呼ばれる学派 ―大学生達が101号教室で先ず国際関係入門に受ける講義― とは、1970年代、学者のケネス・ウォルツが形成した現実主義の型式である、「構造的現実主義」或いは「新現実主義」と呼ばれるものだ。そして、この「新現実主義」は、更に、当該諸国家が防衛重視(自国要塞化の防備や技術力強化)するか、さもなくば、拡張重視(権力と領土の獲得推進)するかに従い、それぞれ「防衛型現実主義」と「攻撃型現実主義」とに分岐する。双方の学派共が非常に重視するのが、構造的諸要因、即ち、各国が世界規模で互いにどう影響し合うかと云う問題だ。一方、両派が軽視し、共に体よく除外するのが、国内政治、官僚機構特有の特異な意思決定方式、指導者の心理状態、国際的規範、及び国際諸機関等の諸要因である。これら諸特徴を以って「新現実主義」は、旧来の古典派現実主義学とは際立った違いを持つ。即ち、トゥキュディデス、マキャベリ、及び、初期に同主義を実践したビスマルク等を代表格とする、これら「古典学派」は、哲学に深く根差し、更に、国内政治と人間の本源的役割、特権、名誉と云った要素迄も含んでいるのだ。又、「新現実主義」が、もう一方の、古典派の現代版である「新古典派現実主義」(この用語は、フォーリンアフェアーズ誌、前編集長のギデオン・ローズによる命名)とも異なるのは、当主義は、国内諸要因、並びに思想諸理念を理論構造に加える事によって、新旧両派を変異、合体させる試みであるからだ。

 スペクターとカーシュナーの著書は、双方共、後に全ての現実主義思想の起源として役割を果した、古典派現実主義に深く関係する。スペクターは、まるで漫画のように、現実主義の源泉を探るに欠かせない、知的な支柱とモルガンソーや独逸思想家ウィルヘルム・グリューの主要人物の伝記に焦点を当てて行く。これら試みの中で、彼の目指す処は、現実主義の起源は嘗て理解されていたよりも、実は極めて暗いものだと証する事である。即ち、モルガンソーを筆頭とする独逸からの米国移住民達が、20世紀初頭の血塗られた戦争に如何に反応したかに関する周知の話を引く。彼らは、ウッドロー・ウィルソン米国大統領の理想主義を荒唐無稽であると否定し、マキャベリやトゥキュディデスによって提唱された現実的政治の古典教義への先祖帰りを行ったのだ。この出来事が、「ナチス台頭と第二次世界大戦勃発の原因は、現実的政治と軍事力に拠らず、法と規範を通じ紛争解決を目指した国際連合の創設と云う、ウィルソンの理想を求める尽力が潰えた点に在った」事を示唆する、との見解は、英国歴史学者エドワード・ハレット・カーが先に指摘し、広く知られる通りだ。

 然し、スペクターは、古典派現実主義が、実際はビスマルク主義の「現実政治」(Realpolitik)の先祖ではない旨を論じる。寧ろ、古典派現実主義を源泉とする思想は、帝国主義者達の学派で、特に、何かと沮喪をした帝国主義者ウェルヘルム2世が、19世紀後半から20世紀初頭に掛け実践適用した、「世界政策」(Weltpolitik)こそが、同主義からの派生物なのだ。「現実政治」と「世界政策」の政策思想には大きな違いがあり、前者が、競合諸国と巧みな均衡を図る術を駆使し不要な衝突回避を強調するのに対し、後者は、社会的適者生存論(社会的ダーウィニスト見解)に基づき、大国は拡張と支配を行う権利を有すると考えるものだ。又、スペクターは、現実主義の有する極悪さの根源を発見する目的を達成する手法として、同主義の中心を占める諸概念の起源に着目し、「国家利益」と「地政学」と云った専門用語の源泉を辿る試みを始める。其処で彼は次の事を発見する。つまり、その内、幾つかの起源は、実に20世紀半ば、つまり僅か数十年前にその端を発するものだった。即ち、当時の帝国主義に関する諸論争や、ウィルソン等の政治家による「米国や独逸等の台頭勢力は例外なのだ」と云う主張の中に起源が在る、との事実だ。

 同様に、スペクターが立証を試みるのは次なる実情だ。つまり、古典派現実主義者達は、彼らの世界観の教義に適する見解を有した、歴史的に偉大な哲学者達(例えば、トマス・ホッブス等)を特定する一方、彼らの教義に則さず疑義を生ずる歴史上の先駆者達に就いては、之をすっかり省くか回避をする作業を通じ、恰も自分達が高貴な血統を引き継ぐかの如くに、多くの手法を駆使し体裁良く見せ掛けている点を、証拠立て説明する。特に、彼が相当な労力を継ぎ込んで探求を試みるのが、独逸哲学者カール・シュミットが提唱した「広域圏」の概念と後の現実主義思想家達が重視した「地政学」との関連である。シュミットによる「広域圏」(Grossraum)なる見解は、後に悪名高き「生存圏」(Lebenraum)と云う用語に化身し、ヒトラーによるナチス政権が東欧州征服の正当化に利用した代物である。

 現実主義に於けるこの知的系譜の探求は、斬新な試みとして評価されるべきだろう。然し乍ら、スペクターが其処から引き出そうとした教訓は、聊(いささ)か説得力を欠くと云わざるを得ないのだ。1950年代の古典派現実主義者達が、倫理を軽視した初期の国際関係諸理論から概念と理念を拝借したと云う点に於いて、確かに彼の見立ては正しい。然し、それでは、何故斯かる概念借用により、後世同派の論拠が棄損して行く過程を辿ったのか説明が十分でない。彼の解釈は次の通りだ。即ち、現実主義は、極悪非道の歴史的過去との絆を有する点を以って、決して「歴史上の“英知”を集積した宝庫として世間から認められる事がなく、その代わり、歴史上の人口的合成造物と見做されるのが精々で、然も、それは国際政治に対し過剰な権力を行使し悲劇を生ずる代物だったのだ」と述べる。然し、この見解に対し私は異議がある。つまり、あらゆる哲学者も学者達も過去を辿る事によって着想や手助けを得られるのだ。従って、もしも古典派現実主義者達が、彼らの問題を補強する為に相応しい諸見解発掘の為に歴史を振り返る努力をしていたら、結果は異なっていたのではないだろうか? 然し、それに代えて、彼らは、より長く連なり、且つ多岐に分かれて行った彼らの諸理念の系譜追求に専念し、一方20世紀初期の問題含みの歴史を顧みる事がなかったのだ。この点に関し、彼らを責めるのは酷というものだろうか。

 現実に、カーシュナーの総体的論調は、連帯した罪の意識へと至る。古典派現実主義者達が彼らの主張を、20世紀初頭の帝国主義者達によるお馴染みの内容を以って云い表わしていた事は疑う余地のない事実だ。それでも、この遺産に対し、それらを踏まえた上で、彼らが更に「倫理上から真剣な検討」及び「慎重さ」を加えて行った事は、スペクター自身が書き記す通りだ。従って、暗黒的な面を備えた現実主義の一派が過去の歴史上存在した事実を以って、より現代化された同主義の変化諸形態の評価を損なう事があってはならない。同様の事は、今日の外交政策を巡る議論にも当て嵌まる。即ち、覇権追求と米国軍事力の優位性が擁護される世界を目指す、現実主義的接近手法は確かに存在する。然し、その一方、より倫理を重視し防御的な一派も又存在し、彼らの洞察の核心は現実主義に基づくとは云え、現実主義初期の根源である、欠如した道徳心や帝国主義者達の諸原則に対しては否定する立場をも取るのだ。総じて云えば、斯様に、一部現実主義者達は、自らの母親をも売り飛ばす程の冷酷なタカ派である一方、その他の現実主義者達は、困難な選択決断には心を痛める思慮深いハト派なのだ。つまり、片や、悪の権化としてヘンリー・キッシンジャーが居れば、良識と見識を兼ね備えたジョージ・ケナンが、必ずもう一方に居ると云った具合に。

複雑な状況

 「未知なる将来」の中でカーシュナーが対象とする追求諸課題は、今日我々が直面する諸問題に近しいものだ。カーシュナーは構造的現実主義者達の諸理論を厳しく非難する。彼に拠れば、彼らは戦争に関し国家主義的諸事由を過度に信奉し、全てを国際関係の体系均衡を以って論じる人々なのだ。カーシュナー曰く、構造的現実主義者達は、現実主義を過度に簡素化し「権力」を唯一の真価として珍重する極端な領域へ達した結果、二束三文並みの価値しかない理論を生み出したのだ、と。これに代え、世界を分析する為により効果的手法として彼が提唱するのは、学術界で近来勢いを得て来た研究手法を利用する事だ。これらの学者達の特徴は、「現実主義」や「自由主義」と云ったそれら思想の拠所となる根本諸規範に就いては“不可知”として重視しない。それに代え、彼らは、国際事象の中で「栄誉や権威」の持つ役割の研究を試みるもので、これら諸要因は、古典派現実主義に於いては嘗て中心的位置を占めていたものに他ならぬのだ。つまり、カーシュナーが論じて曰く、現代の思想家達は、古典派現実主義者達による世界モデルを復活させるべきであり、国内政治と理念的諸要因をより加味する事によって、彼が云う処の、新現実主義(ネオリアリズム)が陥る“超合理主義者的”世界観と云う落とし穴から逃れる事が出来るのだ、と。

 カーシュナーの見解では、国家間の衝突は往々にして、相互解釈の行き違いや、所謂安全保障のジレンマを原因とする。後者は、ある国家が自国の安全確保を図る行動によって、図らずしも隣国の安全が損なわれる場合を指す。これらは、構造的現実主義者達も紛争の適切な原因として賛同するものだ。然し、更にカーシュナーは、構造的現実主義者達が顧みないこれら以外の諸要因に注目する。即ち、彼が信じるのは、「異なる世界感」或いは、異なる国家間に於いて「利害の優先順が異なる状況」から屡々(しばしば)戦争が生ずる点だ。又、その一方、カーシュナーは、構造的現実主義者が近年直面している多くの本質的諸問題を此処で正しく特定している。即ち、根本的に非倫理的である同主義の理論を、如何に道徳性と折り合いを付けるか、国家利益を重視する見解の可鍛性(異論、環境変化に対し揺るぎない靭性を備え得るか)の問題、そして、現実主義の制約を、為してはならぬ諸事に制限を課す道具としてでなく、目的に向け行動へと導く道標と為す事は可能か、等である。

 カーシュナーは、構造的現実主義の特徴を率直に論じている。つまり、自身で解決処方を見出すよりは、他主義の分析手法に関し誤りを指摘する面に優れた資質を屡々発揮すると述べる。実は、この批判は、今般のウクライナ侵攻の原因を巡る論争を注視して来た人々にとっては、極めて的を射たものと感じるに違いない。又、『未知の将来』で最も雄弁で説得力を発揮するのは、「戦争とは極端に不確実な世界への急激なる突入である」事を論じる場面で実に見事だ。(一方、構造的現実主義者達が、理論モデルを経済学から借用した手法に関し、之により生じた同派内の矛盾を指摘する、謂わば組織内事情を扱う箇所では読者を説得するには著しく勢いを欠く難点があるのだが)。即ち、構造的現実主義を以ってしては、「何故、そして何時、戦争が起きるか」或いは、「戦争を行う際、国家指導者達や人民は如何に反応するか」という問題に対し、十分な説明を提供する事が出来ないのだ。今から半年前を思い起こして頂きたい。一体、誰が「TV番組で大統領役を演じ評判を得る一介の喜劇役者が、ウクライナ国民を牽引し、新たなそして一致結束した国家意識を増進し、侵攻に対し果敢な抵抗を実現し得る」と予想出来ただろうか? つまり、斯様に、実際の戦争とは人的要因を分析に織り込まない限り理解は出来ない点は、カーシュナーの強調する通りなのだ。

 又、後世代の現実主義者達が抱えた問題に対しカーシュナーは次のように認識する。それら諸問題は、彼らが自由主義者達からの挑戦に対して見せた諸反応自体に由来すると彼は見立てる。即ち、自由主義者達は自身の信条を次の通り展開した。諸国家は、貿易、国際諸機関、又は国際規範を通じ、それぞれに応じその度合こそ異なれ、紛争や権力争いの政治を克服可能である、と。これに対し、現実主義者達は、斯様な「卓絶」が起こり得ないと単純明快に信じ、相手の見解を否定した。この両派不合意に関し、カーシュナーが展開する見解は以下の通りだ。即ち、新現実主義者達(ネオリアリスト)は、両学派が実は、全く異なる理念に基づく前提に立っていると云う事実を見過ごした儘、斯様な理念そのものの本質に代えて、彼らの学派が何かしら科学的装いを得る事を期して、社会科学的な言語と枠組みを採用した事が抑々(そもそも)誤りだと指摘する。実際、彼は明言し曰く、「現実主義と自由主義は共に理念を基礎とする思想である事を忘れてはならぬ。従って、現代の現実主義者達は、聊(いささ)か乱雑ではあるが、より豊かな分析力の気質に富む“古典派現実主義”へ回帰すべきである」と。

欲しいものと、手に入るものとの区別

 扨(さ)て、ウクライナ問題及び、より広い意味で今日米国外交諸政策を巡って、繰り広げられる論争は、実は、現実主義者(或いは自制心を持つ思想家達)に対し長年加えられ続けた諸批判が、様々な手法で焼き直されたものと云えるのだ。つまり、大半の現実主義者達は何に置いても慎重さを重んじる余り、確たる政策を提言する代わり、批判に始終し、易きに流れる傾向を持つのは、カーシュナーが指摘した通りだ。この結果、現実主義者達の提唱する策は一つに纏まる事がない。好事例として、現実主義者達は皆、「テロとの戦争」を批判する立場で明白に一致し、全員略(ほぼ)例外なくイラク侵攻に反対した。処が、では、その代案は如何なる策かと云う点には、見解一致を見る事ながい。即ち、或る者は、中国に対する正義の戦いを主張し、他の者は世界の多くの地域で米軍縮小を訴えると云う有様だ。斯かる見解相違が存在する以上、現実主義者達から現在及び将来の政権に資する政策提言が為される事は期待薄なのだ。

 更に、今日の政策諸議論に於いて、現実主義が、もし譬(たと)え、ある種、対案として関所のような存在として主な役割を持つにせよ、その影響力は、米国の外交政策立案者達をして、彼らの選択決定を正当化せしめ、そして多分、本来に比べれば、若干一層実践的な選択肢を採用せしめると云った効果を出すのが精々関の山だろう。スペクターの指摘通り、過去、現実主義は政策決定に関しては複雑な関係を有した。つまり、実際の政策決定に携わった現実主義者として、最も著名な事例が、米国務省企画本部長ジョージ・ケナンと、彼の部下として勤務したモルゲンソーであり、彼らの影響力は時代と共に輝きそして衰えたのだった。具体的には、リチャード・ニクソンとジョージ・H.W.ブッシュの両大統領は、最も現実主義的政権を運営した結果、幾つかの著名な政策的成功を収めた。即ち、ベトナム戦争終結であり、ソヴィエト連邦の平和裏な解体、及び湾岸戦争勝利である。然し、その一方、これら輝ける遺産の陰に負の一面を包含した事は、ニクソン政権内政上の諸問題や、ブッシュ自身の1992年大統領選敗北に見る通りだ。そして、クリントン、ジョージ・W.ブッシュ、及びオバマ大統領諸政権下、他国を圧倒する米国権力を盾に、理想主義者達が、望むが儘に大半の諸政策を推進する事が出来た当時に於いても、人々が考える以上に現実主義者からの影響を受けていたのだ。現実主義が斯かる歴史を経たのは事実である。そして、今日の世界が多極化に移行する流れが止まらない状況に在っては、米国外交政策推進に当たり、再度、同主義に基づく洞察が一層重要になると考えられる。

 この観点から、スペクターとカーシュナーの著書は特に価値がある。両人が共に、自由主義の一派を論破容易な標的に設定する事なしに、現実主義の先駆者達及び諸洞察を正面から考察する手法は、好感が持て評価出来る。又、カーシュナーは「様々な理論典型が存在する事は受容せざるを得ない」との見解に立ち「理論的枠組み自体を巡る諸議論は殆ど不毛である」と述べ、出口ない哲学論争に時間を費やす無駄を回避している。それでも、両書共が、現実主義諸理論に対し糾弾した諸点には、それ自体ある意味欠点が含まれている事は、皮肉な事態である。即ち、スペクターとカーシュナー双方共、これら諸理論の問題に対し実に見事な批判論評を展開するものの、それに代わる代案提供が不十分なのだ。

 この点に関しては、クリシュナーの著作が明らかに優れる。中国台頭に関する諸章に於いて、彼は、政治経済上の諸問題を、古典派現実主義理論へ如何に融合を図るか、更に同派の潜在的脆弱性と諸欠点をも合わせ探求を試みている。つまり、『未知の将来』は、実際に、古典派現実主義の認識を、現在進行する政策議論に適用試みた場合、何を意味し、同主義が内包する弱点と至らぬ諸点を探求し、これら問題を思慮深く取り扱う。その結果、古典派現実主義は、米国が中国台頭に対し最大限の警戒心を用うると共に、同国権力の増勢に従い、その野望も拡大して行く点を懸念する必要があると示唆する。更に、ワシントン政府は、中国台頭に対し、之に折り合いを付け、ある一定水準の制限範囲内で受け入れる諸策を真剣に考慮すべきである事を提言する。斯かる検討が必要な理由は、世界を揺るがした、過去1815年、1914年、及び1939年の時のような 強大国家間戦争が偶発的に惹き起こされる事を最低限、回避する為だとする。

 それでも、上述の折角優れた諸洞察とは相反し、カーシュナーの導く結論は、大山鳴動鼠一匹の観が否めない。何故なら、彼は一方で「如何なる強大な権力国家ですら、75年以上を経過すれば、自身が世界に約した諸事の本質を見直すに如くはない」と論じて置きながら、結論として「米国は外交政策に於ける現状を維持すべき」旨を提唱し、その根拠を「未知の世界へ飛翔する方策 ―実際上、大きな変革はそれが如何なるものであれ― は、思慮深い分別行動を信条とする現実主義とは一致しない」点に置くのだ。之は甚だ爽快感を欠く結論と云わざるを得ない。何故なら、国際体系が一定水準で停止状態になると示唆する上記結論は、中国台頭を動態的に論じる箇所に対比し、抑々(そもそも)同書に矛盾を来しているからだ。

 これとは反対に、スペクターは、米国外交策の将来問題に関し多く批判を加える。彼が、問題点として難じるのは、現実主義が、帝国主義的諸策に対する崇敬が過ぎ、余りに非民主主義的で、徳義上疑問視せざるを得ない哲学を根底とする、等の諸点だ。従い、彼は、現実主義を将来に向けての妥当な道筋と見做さない。少なくとも、同主義が、脱植民地主義、フェミニズム主義、及び現実主義に批判的な諸理論洞察を取り入れて修正される時が訪れない限りに於いては。斯かる現実主義に対する毛嫌いは、功利主義と外交政策(殊、事が世界統一的な価値観の問題になる場合)とに対し、進歩主義者達が抱く不安を映し出すものだと云える。時として、これらの緊張は、人権擁護を目的とする介入に関し、進歩主義者達の間に内部論争を生んだ。例えばシリアの場合の如く、世界に対し人権擁護の責務を米国が負うと論ずる人々と、斯かる諸介入は効少なく、更に同国が終わりなき中東紛争に引き摺り込まれると論じた人々との間に溝を生じたのだった。

 然し、現実主義者達は、これらの緊張関係に対し決して目を背けた訳ではない点は強調して置こう。モルゲンソーは、古典的とも云える自身の著作『国際政治』(Politics Among Nations)に著して次のように云う。「政治理念や道徳規範に対し、現実主義の政治と雖(いえど)も、決して之を非難し、無関心であってはならぬ。重要なのは、欲するものと、現実に手に入るものとを峻厳に区別して弁(わきま)える事なのだ」と。換言すれば、「外交政策とは、往々にして、何れも好ましからざる二者から択一する決断に際し、危害の少ない方を、止むを得ず選択する行為」との見解を受容するのが、現実主義者達なのである。従って、斯かる見解を離れ、恰も、道徳規範や同価値によって、権力や利害から生じる全ての緊張状態を克服可能であるかの如き主張は、政治世界で現実主義とは云わない。寧ろ、それは、政治の夢物語に過ぎぬだろう。

(了)

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