筆者 セバスチャン・マラビー (Sebastian Mallaby)(肩書: Paul A. Volcker Senior Fellow for International Economics at the Council on Foreign Relation)
危機によって変化はもたらされるものだが、しばしば二つの危機が相俟って、ある変遷が形成される場合がある。例を挙げよう。大恐慌という危機によってニューディール政策の幕が開き、米国連邦予算は対国民総生産比率で凡そ3倍にも膨れ上がった。しかし、それに加え、第二次大戦というもう一つの危機によって連邦支出が更に嵩み、その結果、米国経済に於ける国家の役割が決定的に強固になった。即ち1950年代半ば迄には、連邦政府が全州縦貫する高速道路網整備を推し進めることに対し国民が抵抗を感じなくなったとしたら、それは先述の二つの衝撃によって拍車が掛かった賜物といえよう。
他の多くの事例が米国史に見られる。例えば、ベトナム戦争は政府に対する国民の信頼を損なう引き金となったといえだろう。しかし、ウオーターゲート事件というもう一つの衝撃によって更に急激に信頼が低下した。また、ソビエト連邦崩壊というひとつの要因だけでも、米国パワーが相対的に強まったであろうが、これに加え、1990年代の米国経済の力強い活動成果が相俟って“(米国)一強の時代”と言われるようになった。更に、今世紀初めの10年間に於ける技術革新だけによっても、格差拡大は助長されたであろうが、それに加え国際化(グローバリゼーション)がその亀裂を更に深めたのだ。
さて、今日、米国並びに他先進諸国は、特に手ごわい二つの衝撃の内、二つ目の波に直面している最中だ。そのひとつは2008年の世界経済危機、もうひとつは2020年の世界的感染拡大、そして、そのいずれの一つだけでも各国政府を際限ない通貨創出と借入に追い込み、公共財政を変じさせるに十分な影響力を持つ。
ところが、この二つの危機が重なり、国家支出能力は変貌を遂げた。それは政府部門が積極的且つ拡大的に変じていく新時代への幕開けを意味し、私はこれを“魔術通貨の時代”と名付けよう。
前述の所謂双子の衝撃は、世界に於ける権力均衡をも変化せしめるであろう、何故なれば、それが各国に与える様々な影響は、その国々の経済的な諸組織の信用力と団結力の程度によって多少するからである。例えば、日本の場合は、公的負債額が既に高い水準に至っているにも拘わらず、同国のインフレ率は低く且つ中央銀行が力量を持つという長年の特徴から、政府は人々が予測するより遥かに多くの支出と借入が可能であることを示した。英国の場合には、貿易赤字が懸念材料であるものの、公的資金融通力に伝統的な強みを持つ為、不利益な帰結を伴うことなく、拡大していく財政支出を切り盛りしていけそうである。一方、ユーロ圏は、経済的連邦体という一面、及び、プライドが高く、言い争いの絶えない国家間の会合という一面が、互いに得るところなく交差する結果、この新しい機会を積極的且つ最大活用するという動きにはなりにくい。これらの反面、発展途上諸国は、2008年の危機を乗り越えたものの、今後は厳しい局面に入っていくことになろう。弱体な国々は債務危機に陥り易くなる。
米国にとっては、この新時代は、莫大な見返りを提供する一方、甚大なリスクを伴うものでもある。これら新しい財政諸効力は、世界一信用力の高い通貨を印刷する者の立場として、米国こそが、最も野心的に利用(または、使い方によっては悪用)できるのである。ドルは世界の準備通貨としての揺るぎない地位のお陰もあり、科学研究、教育、並びに国家安全といった様々な優先諸課題に対して財政支出の拡大を維持していくことが可能であろう。しかし、同時に米国政府債務は拡大を余儀なくされ、その管理は連邦準備銀行の信用力に決定的に依存する。政府債務が非常に高い水準にあった時代、当時のハリー・トルーマン大統領は中央銀行を服従させようと試みた。もし、中央銀行が独立性を失えば、魔術通貨の時代は悲劇として終わる。
「好きなだけ、幾らでも」
2008年の金融危機は、先進諸国の中央銀行が力の程を拡大させた点を世界に知らしめることとなった。リーマン・ブラザーが破産法を申請し僅か数日内に、その年の9月のこと、米国連邦準備制度理事会議長ベン・バーナンキは、保険会社のAGI (American International Group)に対し、850億ドルの公的資金を注入することを提案したが、これは恰も、経済の新しいルールが早期の段階で垣間見られたようなものであった。
民主党バーニー・フランク下院議員(マサチューセッツ州)は、この計画を知らされた時、連邦準備銀行は果たして850億もの巨額ドルを手元に持っているのかと訝しげに問い合わせをした。これに対し、バーナンキは、極手短に答えた、「我々は8,000億ドルだって用意可能です」と。つまり、国家の印刷機が装備されている限り、連邦準備銀行は、幾らでも必要と思うだけ、ドルを出現させることができる、という事実を彼は述べたのだ。希少価値という鉄則は中央銀行には通用しないのだ。
AIG救済はほんの始まりに過ぎなかった。連邦準備銀行は、債務回収不能に喘ぐ多くの債権者をリストに纏めた上、彼らの不良性資産を掬い上げてバランスシートから切り離すことによって、彼らの経営を安定させたのだ。同行は「量的緩和」という新しい手法も利用した。即ち、長期債券を買い入れる為のドルを創出し、これによって長期金利へ圧力を掛け、そして経済を刺激することが期待された。2008年末までに同行は1.3兆ドルを経済に注入したのだが、この金額は米国連邦国家年間予算の1/3にも相当した。中央銀行にとってはお馴染みとなっていた、従来の短期金利を操作する手法に比べ、劇的といえる拡大が遂げられたのだ。
これら野心的行動は、他の経済先進諸国でも時を同じく行われた。英国中央銀行も量的緩和を受け入れ、米国連邦準備銀行と同規模(英国経済規模を加味し修正した値)による債券買入を実施した。そして、日本銀行は2001年から既に量的緩和を経験してきていたが、経済危機に続いてこれらの試みを再び倍加させ、2013年以来、同行の創出した通貨量はGDP対比で他の成熟した先進国では類を見ない規模に至った。一方、欧州中央銀行の反応は独逸と他北欧メンバーの反対によって長年停滞していたものの、2015年には量的緩和派の陣営に加わった。これら所謂“四大々国”の中央銀行が、経済危機後の10年間に各国経済に注入した金額を合算すると凡そ13兆ドルにも上るのだ。
新型コロナウィルスがもたらした危機によって、各国中央銀行は一層大胆な行動を余儀なくされた。感染拡大前の段階では、経済学者達は量的緩和の効力はじきに薄れてしまうか、或いは政治的合意が得られなくなることを危惧していた。また、2008年以降の法整備により、連邦準備銀行の救済実施権限が制限されたことも更なる懸念を生んでいた。チモシー・ガートナー前財務長官が2017年に本誌に投稿した言葉を借りれば、「政府は当時、経済危機の前の時期に比べても、更に一層緊急事態からは程遠いような状態で執務を満喫することができたのだ」と。しかし、間もなく感染拡大が世界を襲うと、前述したような恐れは払拭されることとなった。尊敬を集める投資家であるハワード・マークスがこう語る。「私も嘗ては、連邦準備銀行の打てる方策が最早限られていることを危惧する者の一人であった。しかし、今や、同行が繰り出す方策はその潜在的選択肢がとても広大であることを知っている」と。
事実、連邦準備銀行は作戦実施の範囲が実質無限大であることを約束し、3月には戦いに乗り出した。ジェローム・パウエル連邦準備理事会議長は、「貸出枠に関して言えば、決して弾尽きることはない」と宣言したのだ。同理事会が過去2回実施した、2008年、2010年の量的緩和の際に買入金額を事前報知したのに対し、今回パウエル議長は意図的に無際限の立場をとった。これに関し、実は彼は、2012年、マリオ・ドラギ欧州中央銀行総裁が欧州債務危機を封じ込める為に「必要なだけ、幾らでも」と宣言したことに倣ったのだ。但し、ドラギ総裁の発言は、北欧諸国が無制限な介入策を積極的に支援するかの確証が得られない段階に於いて、半ば閃きによって発せられた大言壮語に類する約束であったのだ。一方、これに対し、我国連邦準備理事会の場合は、その最大効果追求という美辞麗句の約束を果たす為には、実際に米国合衆国大統領と議会による後ろ盾があることを、今日最早疑う者はいないだろう。例えれば、これは「好きなだけ幾らでも」から更に筋肉増強剤服用によって輪をかけ強化されたものとも云える。
連邦準備理事会による筋力逞しい約束は、ただちに行動によって裏付けられた。3月と4月前半までに、連邦準備銀行は経済に2兆ドルを上回る額を注入し、これはリーマン・ブラザーズ破綻後の6週間内に同銀が介入した金額の2倍以上に相当した。一方、市場の経済専門家は、中央銀行が購入する追加債券額は2021年までには5兆ドルを上回るだろうと予想、これは2008年から2015年までの7年間の内に購入された債券を合算された額を凌ぐものだ。他諸国の中央銀行も、規模こそ同じではないが、同様の政策を採用して行った。4月末の時点で、欧州中央銀行は3.4兆ドルの量的緩和、日本並びに英国は両国合算して1.5兆ドルのそれを約束した。
連邦準備銀行の計画設計は、最早、新領域に到達していた。リーマン・ブラザーズの破綻以降、非金融企業に関し、その会社の経営安定が社会の金融システムを機能させる上でそれ程貢献しない場合には、これらを救済することに対し連邦準備銀行は用心深かった。ところが、今日では同銀行は社債を、しかも危険を伴うジャンク・ボンドをも含めて購入し、その会社の資金借入れが可能なように計らっているのだ。更に、同銀行は財務省と議会と共同して中小企業に対する貸出にも尽力している。即ち、中央銀行はウオールストリートに在する大手金融企業に限らず、今度はメインストリート、所謂一般通りに在する非金融中小企業に対しても最後の貸し手として救済の手を差し伸べようとしているのだ。
中央銀行がその守備範囲を拡大させるに連れ、中央銀行は飽く迄も政治の外に立つ、狭量的且つ専門技術的な代行者であるべきとの伝統的主張は崩れ始めることになる。これまで、中央銀行がメインストリートに対する貸付を避けて通ってきた、正にその理由とは、どの企業が救済に値し、どの企業を潰してしまうかの判断を下したくなかった為である。このような判断は、社会の優先順位を設定することを必須の仕事とする、民主的に選出された政治家にこそ委ねられるべきことと理解されてきた。ところが、旧来の通貨の専門家と予算に関わる政治との垣根は昨今曖昧になってきた。そして、中央銀行は、大きな政府に於ける最大の代行者として、ある種、経済に関する超大臣(super ministry)的立場で出現してきたのだ。
無から生み出される通貨
このことは、コロナウィルス危機の結果生じた、政府財政権限に於ける第二の増強へと導いていく。空気から魔法のように通貨を生み出す業を繰り出すのは中央銀行だけではないということを感染拡大は示唆したのだ。つまり、各国の財務大臣達もまた、派生的に彼ら独自の魔術を使うことができるのだ。というのは、もし、立法者から承認を得て、中央銀行の後押しを得さえすれば、国庫は恰も経済界に於ける重力を無視するかのように、実質的に際限なき借入と貸出が可能になるのである。
この新しい力とって鍵となるのが、インフレーションが奇妙にも鳴りを潜めたという点である。2008年危機以来というもの、先進経済国圏の物価は理想の年間上昇目標とされた2%を下回った。この為、主要懸念の一つであった財政赤字の問題は、少なくともここ当面は消滅したと云えるのだ。
2008年以前の世界では、諸政府は税収額以上の支出をすることによりインフレーション発生の危機を生み、その結果、しばしば中央銀行をして金利を引き上げざるを得ない状況を招いた。従って、経済刺激策による財政赤字は、結局は自己敗退的であると見做された訳である。しかし、2008年後の世界では、インフレーションが不活発な状態下で、予算権限者は経済刺激に適した財政赤字策を運営できる。最早、中央銀行が効果を減殺する動きを取るのではないかと憂慮する必要がないのだ。また、不平等の拡大を通じ、消費より貯蓄を選好する階層に富が集中する傾向になった。また、競争が減じ、企業の市場占有力が強まり、彼らは何ら、お咎めなく新規投資や賃金支出を減らせる状況だ。更にクラウドコンピューティングやデジタルマーケットプレイスといった新技術は、会社創立時に要する、設備や雇用支出費用を減じている。上述要因に、恐らくはその他のことも相まって、需要が供給を超過することはなく、結果としてインフレーションは殆ど発生しなかったのだ。
詳細な理由はどうであれ、インフレーションが鳴りを潜めたことは、中央銀行が財政赤字を容認できるに止まらず、同赤字を誘導すらできるということだ。政府は税金を減じ、支出を増加し、その結果生じる赤字は国債発行して賄う。その後、これらの国債は、中央銀行による量的緩和の賜物として、市場の投資家から中央銀行によって購入されるという仕組みだ。これら中央銀行が国債購入することによって、政府の借入に対する支払金利レートが低下する。その上、更に、通常、中央銀行の利鞘は財務省へ返却されることから、政府の低い支払金利水準はこのリベートの存在を考慮すると見掛けより一層低いことになる。一国の中央銀行に国債を売却する財務大臣は、大雑把に言えば、同銀行から借金をしているのだ。中央銀行が通貨政策と予算政策の境界線を曖昧にする中、予算当局者達も同様に、中央銀行が保有する錬金術の内のある程度のものを手にいれることになったのだ。
もし、インフレーション鎮静化と量的緩和が赤字予算運営を安上がりにすることができるのなら、2008年に生じた伝説は、また、これらをより一層望ましいものとして位置づけたのだ。但し、経済危機に就いては量的緩和が経済回復を手助けした一方、また副作用も生じた(面がある点は留意を要する)。即ち、長期金利を低く抑え込んだことは、株式と債券相場を上昇させる効果を生み、企業にとっては投資資金を安価に手配できるようになった。しかし、このことは、金融資産を保有する、本来は政府の補助を最も必要としない、人々に対して資金援助を与えるという結果を生んだ。それ故に、援助を必要とする市民が直接対象となる観点からは、減税と追加予算支出による経済活性化の方が望ましいと考えられる。2008年以来ポピュリズムが台頭し、昨今、同派の人々が、経済刺激策が貧富の格差拡大に感応的であるという実態を強調しているのは象徴的だ。
以前とは異なり、赤字予算が費用はより安く、より望ましいものであると判明するに連れ、先進経済国の各政府は好んでこれを推奨。米国は再び同路線を辿る。2009年の経済危機に際しては、我が国はGDPの9.8%に相当する連邦予算赤字を経常した。今日この比率は倍増している。他の国々も、これほど積極的ではないにせよ、米国流「増税せずに、只使え」政策に従ったのだ。4月末時点のモルガンスタンレーの予測では、日本の場合、今年の赤字予算はGDP比8.5%となる見込みで、この比率は米国の約半分である。ユーロ圏は同9.5%、英国は同11.5%。2008年以降、大規模な経済刺激策で世界経済を牽引した中国であるが、今回は米国に匹敵するような勢いはない。モルガンスタンレーの見通しでは、同国の2020年赤字予算は同12.3%程度に止まる。
コロナウィルスによる景気不振と闘う為、世界の経済大国が借入れに大きく依存することができる一方、脆弱な国々にとっては、同様の選択肢は既に目いっぱいになって使用できない実情を思い知ることとなる。これらの国々は、借入を増やすどころか、現在の債務水準を維持することすら困難なのだ。何故なら、債権者達は、少しでもある危機の兆しが発生した途端、債務の借換えを拒否するからである。現にIMFによれば、感染拡大から僅か2ケ月の内に、発展途上国からは実に1千億ドルの投資資金が逃避し、90ケ国以上がIMFに対し援助を申請したのだ。このように、大半の発展途上国の場合には、魔術は存在せず、ひたすら倹約策あるのみなのだ。
米国ドルが持つ強い利点
米国は、感染拡大が始まって以来、世界最大規模の通貨刺激策並びに世界最大規模の予算刺激策を打ち出した。ところが、これらは実質的に費用負担なしでなし得たことは奇跡のような話と云える(何故このようなことが起こり得たか、そのカラクリは以下の通りだ)。
感染拡大は、資金が相対的な安全さを求めて米国資産へと逃避することを促し、更に連邦準備銀行による米国債購入は同国債価格を吊り上げた。国債価格が上昇するに連れ、同債の年利は圧縮され、今年初からの4ケ月間の内に、10年国債の年利は1パーセンテージポイント以上下落し、年利は初めて1%台を割り込んだのだ。
その結果、諸刺激策は米国政府債務を膨張させはしたものの、それに関わる利払金額は依然安定を保ったのだ。予測によれば、連邦政府債務金利支払額のGDPに対する比率は、感染危機による成長減速を考慮しなければ、従来と同じレベルが保たれていることを示唆している。これは、例えて云うならば、経済活動の仕組みの中で「ただメシにあやかることが出来た」というのが最も当を得た表現かも知れない。
世界の上位経済大国では、何かしら、この種の棚ぼた饅頭式の恩恵を得たとは言え、やはり米国の経験は突出したものであった。10年国債の見掛け利子率はカナダ、仏国、独逸、及び日本の方が米国より低いものの、インフレ率調整後で尚、米国利子率を下回るのは独逸だけである。更に、感染拡大開始以降で最も大きい調整を行ったのは米国である。米独好対比をなす事例として、独逸10年国債利率は現在マイナスであるものの、2月初めからは僅かにしか低下しておらず、実際昨年9月時点と比べれば寧ろ上昇しているのだ。同様に中国の10年国債利率は年初来低下して来てはいるが、米国利率に比較し低下幅は半分程度に止まる。一方、発展途上国に於いては借入費用が正反対の方向に動いた例が散見された。僅か2月中旬から4月の間に、インドネシアでは金利は6.5%略8%に届くレベルに上昇、また、南アフリカでは金利は9%から12%に跳ね上がり、その後上昇は沈静化しているという状況だ。
米国が世界中の貯蓄家から安全且つ安価な借入が可能だということは、ドルが世界にとって外貨準備に供される通貨という地位を反映したものだ。米国の金融統制並びに通貨政策の破綻が世界を不安定に陥れた、2008年の金融危機のすぐ後には、ドル支配終焉説が方々で語られ、中国は元通貨を、同国国境を越え普及させる試みを展開した。その後、凡そ10年経過し、中国は同国の国債市場を発達させ、今や世界では第二番目の規模を誇るに至る。但し、外国人達は今も尚、同国の資本規制を非難するし、10年前北京政府により大々的な宣伝で導入された、海外市場での元建国債発行は人気を得ることはできなかった。結局、元通貨は世界の中央銀行の外貨準備の内僅か2%を構成するに過ぎない。民間貯蓄家には中国国債を保有する動きも出ているが、それは所詮彼らの資産分散保有の内の極僅かな構成部を占めるに過ぎない。
中国が元通貨の国際化に奮闘する間も、ドルは依然世界から切望される通貨であり続けた。経済危機という事実、並びに米国が世界に与える影響力が弱まった点が広く認識されているにも拘わらず、中央銀行諸行の外貨準備高はその略2/3が尚もドルによって構成されているのだ。更に、米国によって課された度重なる経済制裁すらもこの図式を変ずることはなかったのである。これらの制裁は、確かに、イランの国などでは、ドルを基軸とした経済システムの迂回を成し遂げようとする動機を与えはしたものの(大勢に影響はない)。国際的外貨準備となる通貨を発行できるということは極めて持続的な権力の源であるということが判明したのだ。ドル通貨は不確実な時節にも持ち直す力を持っており、それは時として突飛な米国の政策が不確実性に一層の輪を掛けたとしてでもだ。それ故に、感染拡大が始まって以来、ドル高が続いているのだ。 ドルの卓越性は、その網羅的効果によっても長期持続することが約束されている。世界中の貯蓄家がドルを所望するのは、恰も世界中の学生達が英語を学ぶとの同じ理由によるのだ。即ち、通貨であれ言語であれ、他の多くの人々がそれを選好すればするほどそれは役立つのだ。世界中の国際債務証券の内、丁度半分以下は全てドル建表示になっており、従い、貯蓄家達はこれらの金融資産を購入する際にドルを必要とする。また、この反対のことも云える。即ち、貯蓄家達はドル建取引に慣れ親しんでいるが故に、証券発行人達は、ドル市場に於いて株式や債券を販売することが魅力的と判断する訳だ。また、世界の資本市場がドル建を主力に取引されるという事実は、万一経済危機が生じる際にはドルが渦中の真っ只中となることを意味する。つまり、破綻した銀行並びに企業はドル建通貨によって救済されることになるのだ。というのは、ドルこそが彼らが借入を行った通貨であるからだ。事程左様に、信頼ある中央銀行は巨額のドル準備を保有維持するのだ。これらの網羅的効果がドルの通貨としての高い位置づけを、まずここ当分、見通せる限りの期間に於いて保持していくと思われる。
米国ドルの問題は、他国にとってよそ事ではない
魔術通貨の時代には、その利点が有効であることが証される。圧力に曝された時、米国は例え、連邦準備銀行がドル金利を引き下げようと動いても資本流入は継続し、ふんだんな資金が安いコストで得られる。一方、他の国々は債券市場から冷淡な扱いを受け、ある国は、借入費用が最悪の時期に増加するという形で制裁を受けることにもなる。
強固な金融システムは常に大国に対し大なる優位性を提供してきた。2世紀余前には、英国が借入へのアクセスに優越していたことがナポレオンを打ち負かすのに一役買った。今日では以前にも増し、金融は国々や人々に対して強い影響力を持つようになった。しかし、金融によって米国の権力が増大するに連れ、それは一層危険を孕むものともなった。明らかなリスクとして、膨らむ米国連邦政府債務の重荷の問題がある。民間によって保有された連邦政府債務額は、2001年頃まではGDPの31%程度にしか達していなかった。しかし金融危機によって、同率がその2倍以上に膨れ上がったのだ。現在では、双子の衝撃の影響によって、民間によって保有される連邦政府債務額は、間もなく、第二次世界大戦直後に記録された同率106%に匹敵することになるだろう。
この債務が危機への引き金を引くのか否かは、金利の動向次第に拠る。感染拡大前の時点で、議会予算局は債務に対する利子率が2.5%前後で推移すると想定していた。連邦準備当局の積極的国債買入れが金利を引き下げ、所謂ただメシ効果が生じる。しかし、また、もし金利が嘗ての水準に戻ったとしても債務は尚持続可能な水準に止まるであろう。即ち、GDPに対する債務比率は、過去20年間経験した1.5%より高いレベルだが、尚且つ我が国が1990年代初頭に体験した3.2%を下回る見込みだ。
債務が持続可能か否かを測るもう一つの方法は、債務支払額を成長軌道予想と比較することである。見掛け経済成長 -即ち、実質成長 プラス インフレーション- が債務支払額より大きければ、その国は問題を克服して成長持続可能だ。米国の場合、持続的な実質経済成長率は1.7から2.0%の間と試算される。将来のインフレーション予想幅は、市場予想の1.5%から連邦準備銀行の目標値である2.0%の間である。これらから米国の見掛け経済成長率は平均すると凡そ3.6%になる。仮に、GDPに対する債務支払比率を2.5%とし、更に政府がこれら諸債務を借り入れによって賄うとして、従い、債務残高は増加していくのだが、この場合に見掛け成長率が3.6%であれば、連邦政府は予算の他項目に於いて健全な水準での赤字運営が可能で、尚且つGDPに対する債務比率を少しずつ削減していくことができるであろう。
日本の事例により、高い債務水準が驚くべきことに持続可能だ、という経験則が得られたことは、この点を強く裏付けるものである。同国中央政府債務残高のGDPに対する比率は2000年時点で既に100%を越え、その後、同率は略倍増して200%近くに至っている。それにも拘わらず、日本は債務危機に見舞われてはいない。その代わりに生じたことは、金利が低下することにより債務支払額が許容範囲内に収まっているのだ。例え巨額な債務残高を抱えたことによっても、本来必要な緊急支出が締め出された事例は、日本の統計からは伺えない。即ち、同国は感染拡大下、特に健康対策に関連しては多額の刺激策が講じられているのだ。
即ち、一言でいえば、昨今、富裕国各国間に低利子率が行き渡っていることが、例え米国債務が今後更に膨張しても、同国債務水準は維持管理可能であろうという見解を後押ししていると云える。中央銀行が量的緩和を受け入れば受け入れる程、より低金利が定着するであろう。日本政府国債の利率が底を打って張り付いた状態は、日本銀行が同国債の1/3以上をも買付けて吸い上げてしまった事実を反映するものだ。斯かる持続的低金利の環境下では、政府は摩訶不思議な世界へと入り込むことになる。即ち、借金を増やせば、寧ろ反対に債務の重荷を減らすことができる。その理由は債務によって融通した諸投資がGDPを増加させ債務を相殺してくれるからである。この理論に従えば、魔術通貨の時代は、連邦予算投資を幅広い分野で増加させる道への幕開けとも云える。世界中の投資家達が米国債を求めて止まないのなら、その規模拡大の機会は際限知らずとも云えよう。
問題は、東京では既に経験済であるところの-膨らんでいく債務が金利低下によって相殺されるということ- が果たしてワシントン政府の将来をも予測するものであるか否かという点である。ここ当分の間、両国にはひとつ決定的といえる共通点があった。共に中央銀行が並々ならぬ意欲で量的緩和に取り組んで来たことだ。但し、その緩和への熱意を保て得たのは、偏にインフレーションが一時静止していることに依るのだ。日本の場合には、貯蓄性向が高いという根強い伝統がある為、過去25年の内13年は完全なデフレーションを体験したのに対し、米国は同期間内にデフレーションが発生した年は、僅か1回しかない。待ち受ける危険とは、米国が予想外の物価上昇に直面すると、これが今度は実質GDPより早く利子率を上昇さようとする力が働き、債務を持続させることができない状態に至ることである。
これがどのようなものなのか、それは1990年に何が起こったかを起想頂きたい。その年、連邦準備銀行が最も好むインフレーション指標であるところの消費者物価指数は、4年前に1.6%まで低下した後、5.2%へと増加、つまり、インフレーションの逆回転が起こりうることが証明されたのだ。インフレーションが織り込まれた為、連邦準備銀行は借入コストを増加させるべく舵を切った。即ち、10年物財務証券の利率は、1986年後半には7%から1988年に9%を越え、そして1990年には8%以上のレートで前後する事態となった。
もし、今日、この種の逆回転現象が起これば悲劇を招来する。もし、長期金利が2%上昇すると、米国の債務支払額はGDP比率で2.5%から4.5%への増加し、国家債務の重荷が記録的なものとなるのだ。
先の事例は政治的に重大な帰結を招いた。即ち、1990年代、政府債務は、持続不可能を示す曲線を描いて増加した為、痛みを伴う赤字削減法案を採用せざるを得ない状況に追い込まれ、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は“新規増税なし”という彼自身の選挙公約を破る羽目となり、これによって、間違いなく1992年の大統領選挙に於いては高い代償を払うことになったのだ。昨今の、道徳を軽んじ万事冷笑的であるような、政治上にシニシズムが蔓延る中、このような自己犠牲的な政策に再び頼ろうとするのは決して賢明ではないだろう。そこで、ブッシュ政権が試みた、もう一つの債務管理戦術をここで思い起こすことが有益である。即ち、ブッシュの側近達は、時の連邦準備制度理事会議長のアラン・グリーンスパンに対し、中央銀行が利下げをするように、非公式なつぶやきと公での罵倒によって圧力を掛けた。低金利、成長加速、それに高いインフレ率、これらが相まって債務問題が解決されるものと、これら側近達は考えたのだ。
結果はどうなったか。グリーンスパンは彼の立場を貫き、ブッシュは、それでも彼を追い出すような無鉄砲な真似はしなかった。しかし、もし、将来のある大統領が、より自説に固執する場合には、連邦準備銀行は、物価安定よりも国家債務の安定を優先する最高指導者と共に歩まねばならぬ事態となる。中央銀行は最近複数の企業救済を行ってきていることを考慮すれば、市民を緊縮財政予算による不利益から守ることも中央銀行の役割であるとの議論を進めることは、細やかなきっかけとなるであろう。インフレ率がここ数年間に亘り目標を下回ったことに鑑みれば、例えインフレが目標率を多少上回ったところで、大きな実害はなかろうと示唆したくなのも無理なからぬところである。しかし、ここで注意を要するのは、大変遺憾乍ら、それは余程公正、且つ頻繁に査定されない限りは、上述の誘惑的な論理が1970年代再来の道への扉を開くこととなる。即ち、当時、米国財政の失策によって二桁台のインフレ率が出現し、ドルがその特権ある地位を失い兼ねない程の戦後最大の危機に晒された二の舞になり得るのだ。 魔術通貨の時代には、機会と危険との到来を予告するものである。2008年と2020年の二つの衝撃は、世界で裕福な政府、特に米国政府に対し、財政支出に於ける強大な力を解き放ったのだ。そして、これら諸政府は、公共投資によって成長を加速させ、不平等を是正し、また環境問題に取り組んでいくことができると考えるようになった。但し、良いことも度が過ぎれば、ドル通貨危機の引き金を引き世界規模へと拡大し兼ねない。1971年、当時のジョン・カナリー米国財務長官が欧州の財務関係者に対していみじくも次の言葉を発したように。「ドルは我が国通貨であるが、あなた方の国へ波及する問題である」と。
連邦準備銀行の葛藤は続く
何故インフレーションが消滅したか、或いは何時また再来し得るのか、実は現在、定かに説明し得うる者は誰もいないのだ。感染拡大後の脱グローバリゼーションから生ずる供給網遮断はボトルネックや価格高騰を来す可能性がある。近来著しく低迷してきたエネルギー価格がリバウンドすることも引き金のひとつにはなり得る。しかし、観測者が正直であれば、不確定要因はあまりにも多く、信頼できる予想を立てるのは困難だと認めざるをえないのだ。一方、将来は不確実であるが故に、別の観点による予想が無難ともいえる。即ち、万一、インフレーションが発症した場合には、ごく少数の人々の意思決定が危機的財政を乗り切るか否かを決することになる、ということだけはほぼ確実にいえる。
そのような事例を米国は1950年に体験している。当時、韓国との国境を画するヤルー川は凍結していた。その河を渡り中国政府は30万人の兵士を派遣、彼らは対岸の凍土上に就寝していた米国兵士達に群がって寝袋の上から刺殺した。翌月のこと、冷戦の行方が不確実で全く見通せない状況下、トルーマン大統領はトーマス・マッケイビー連邦準備制度理事長議長の自宅に電話し、10年国債の金利が2.5%以下に維持されるべきであると固執した。もし、連邦銀行が十分な国債買い支えをせず金利を同レベルに保てないならば、「まさにスターリンの思う壺だ」と大統領は力説した。戦争が拡大する局面に於いて、政府借入能力を最大限に確保して置きたかったのだ。
しかし、このことは連邦準備制度理事会が将来直面する、ある種の葛藤を生み出すことになる。国家が危急の事態にある一方、国内インフレが加速していた。即ち、交戦最中である大統領の悩みを解決するか、国内物価を安定させるかの二者択一を迫られたのだ。そして、マッケイビーはインフレとの戦いを優先することを採択、大統領の激しい怒りに触れた。そこで、大統領はマッケイビーを更迭し、後任により忠誠心が強いと目された財務省高官のマチスニーを任命するのだが、大統領はこの身内ともいえる男にも裏切られたことを知り、更に強い衝撃を受けることになる。何とマチスニーは就任演説の中で次のように宣言したのだ。「インフレこそが我が国活力に対する脅威であり、その深刻度は、国境外でなされる敵による冒険的攻撃の比ではない。」即ち、例え大統領が他に優先する諸課題を抱えていたとしても、物価安定が犠牲にされてはならないという決意表明である。
数年後、ニューヨーク市内でマーチンに偶然出くわしたトルーマンは、「この裏切り者目め!」と吐き捨てるように言った切り、その場を立ち去った。さてさて、「魔術通貨の時代」が終焉を迎える時までには、実は、米国はこの種の裏切り者達を複数名必要とする局面にきっと出会うに違いないと私は危惧している。 (了)
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