【投稿論文】次なる衝撃に備えよ~より順応性のある国際経済を米国が構築する方法~原典 Before the Next Shock ~How America Can Build a More Adaptive Global Economy~(Foreign Affairs, 2022年March /April号P86-102)

著者/略歴:ロバート・B・ゼーリック(Robert B. Zoellick)/ 米国通商代表(2001-2005年)、世界銀行総裁(2007-2012年)

(論稿主旨)

 世界経済は今後10年の内に、危機に直面するだろう。この見通しは性急に聞こえるかも知れぬが、過去50年間を振り返えれば、寧ろ悲劇は経常的に生じる事実が明らかなのだ。年代を遡り、これらを辿れば次の通りだ。近年、政治家達は、新型コロナウィルス感染拡大とそれに伴う経済的困難に限らず、幾度ものユーロ圏の経済危機に見舞われて来た。これら出来事の前には、2008年の世界金融危機とこれに由来する景気停滞が生じ、更にこれら景気後退に先立ち、2001年9/11のテロ攻撃による衝撃が発生した。処(ところ)が、このテロリスト襲撃の日以前に於いて、世界はインターネット普及による過熱景気に対応を取っていたものの、新世紀幕開けの時点で遂にバブルは崩壊。一方、それを遡る1990年代後半、露西亜(ロシア)、東アジア、及び中南米は通貨危機と債務返済に悪戦苦闘した。これらは、冷戦終結後の痛みを伴う経済調整だった。更にそれ以前には、抑々(そもそも)1970年代、オイルマネーを背景とする大盤振る舞いの貸付増加を原因として、1980年代に発展途上諸国の債務不履行問題が発生、そしてスタグフレーションへ突入したのだった。以上見るよう、危機とは、例外的事態ではなく、歴史上、常に発生を繰り返すのが鉄則だと心得る必要があろう。

 そして、次なる緊急事態も、実に多くの様々な事由から起こる可能性があるのは次の通りだ。先ず、現在世界は、洪水の如き貨幣流動性に裏打ちされる、膨大な政府支出と債務を伴う時代に在る。主要国がやがて放漫財政を改め、金利上昇を伴う局面への移行する途上で、世界金融市場が躓(つまづ)く可能性がある。次に、野生、家畜、その他国内動物、及び人間との相互交流により、今後恐らく、人畜共通の感染症は一層拡大するだろう。又、サイバー攻撃により重要社会基盤が停止する事件は何時生じても不思議はない。一方、伝統手法を一新するような革新諸技術が互いに凌ぎを削る中、旧来の典型的諸事業形態は新規基盤に基づく分散型体系へと変容を遂げ行くのは避け難い流れだ。更に、世界は現在、巨大にして且つ不可逆的なエネルギー転換期の、ほんの入り口に立つに過ぎず、その計り知れない影響力は、嘗ての産業革命にも匹敵するだろう。戦争発生の危険も依然さし迫る。加え、旧来型の自然災害は、今も社会を不安定化する可能性が十二分にある、等々種は尽きないのだ。

 次に来(きた)る経済危機が、何に由来するにせよ、留意を要する点は、現在の経済体系は既に緊張状態に達しており、今後の危機は其処(そこ)に更なる重大な一撃を加える事になると云う事だ。現に世界中の人々は憤懣状態の中に変化を求めている。世界の指導者達は皆、国内政治問題に掛かりっきりで、国内産業政策を重視し、国境を固く閉ざそうとしている。地政学的競合の結果、主要国間には相互不信が生まれ、今や世界は、各極で地域権力が持つ経済的重力に惹き付けられるが如くに、分裂して行くように見える。

 斯(か)かる状況下、嘗ての経済秩序に生まれた伝統的諸機構が、新手の諸変化へ適応すべく四苦八苦の状況である。即ち、IMF(国際通貨基金)と世界銀行は、各々が使命を帯びる発展対象の中に、気候変動と感染症拡大に関する条項を新たに付加する事を余儀なくされた。又、WTOは現状に即し規則の諸改訂を試みるも未だ交渉による実現を見ないばかりか、米国はWTOの評議員交代人事を阻み、同機関による紛争解決の仕組み自体を麻痺させている有様だ。

 旧い物は捨てよ、と云うのが今日の趨勢だ。そして、広汎に及ぶ何か大きな諸変化を求め止む事がない。米国に於いて、バイデン政権は、今や新しいニューディール政策を実施するに機が熟したと表明した。国際的に見れば、専門家達が旧来の「ワシントン一般見解(Washington consensus)」(*訳者後注)を捨て、新しい地政経済学重視の姿勢を説く。国際連盟、ランド・コーポレーション、及び世界経済フォーラム迄もが、新しい経済の諸秩序を鼓吹する状況だ。

 処(ところ)が、危惧すべき事がある。即ち、この新機軸的構想に基き、その支柱となるべき諸設計に関し、実は、経済活動中の諸行動、並びに効率的政策立案の手法、この双方に於いて著しい考え違いが含まれているのだ。経済の諸体系と云うものは、絶え間ない変化を通じ発達し、時として、予想不可能で非周期的な突発変化に見舞われる性格を持つ。従い、これらは、政府の力で誘導可能な計画的秩序と云うよりは、寧ろ、常に変異を伴う進化過程に類似するのだ。それ故、政策立案者達は、最新の理論に適合する新規な構想を発明しようと試みるのではなく、新たな環境に順応出来るように絶えず諸制度を調整する手法を取るように改めるべきと云うのが私の主張だ。

 従い、2020年代の経済外交は、強靭性を身に付け、順応性を増強する事を目指すべきだ。これら概念は、安定と均衡に関する地政学的思想から派生したものであると同時に、世界を再構築する場合に望むべき理想型は何であるかの考察に由来している。経済外交に於いては、動態変化は永久に継続すると云う冷徹な現実を直視する必要がある。即ち、それらは永続する闘争を想定し、或いは永遠の平和を夢想する事によっては決して解決を見ない、異次元の世界であると認識すべきなのだ。

 米国の経済政策に於ける国家手腕は、主要な多国間経済諸機関―IFM、世界銀行、及びWTO―を、様々な相手や諸国家、並びに国際上の種々の挑戦が全て綯(な)い交ざる中に在って、相互対立関係に対処しつつ、事態に適応させて行くように導く技術が問われるのだ。こうした中、今後2020年代に、多国間的手法を実践するに当たり留意すべきは、公的、民間双方の多様なネットワークを徹底駆使し利用する事だろう。つまり、地域、準国家、国家、及び複数国家に渡るものから、更には世界を網羅する、あらゆる網の目を活用する事だ。

 一方、嘗て、米国はこれら主たる諸機関の創設に際し主導的役割を果たしたにも拘わらず、ワシントン政府が実際上その運用に係るのは稀で、又、同機関の更新に際し尽力する事も殆ど無いと云う歴史は誠に皮肉である。それにも拘わらず、同政府は、過去様々な悲劇に面しながらも使命を貫き、如何なる危機にも対応すべく、自らの持つ権限調整を図って来た事実を忘れてはならない。米国には、こうして数十年間に亘り世界の繁栄を支援した実績が有る。米国が今回、これを機に、その機能再生を適正に実行出来るならば、今後来る数十年間、世界経済は成長継続出来るだろう。

経済には進化論的側面が有る

 1800年代後半から1900年代初頭に、ソースティン・ヴェブレンやジョセフ・シューペンターと云った政治経済学者達は、経済行動が、様々な動機、感情、出来事、文化、歴史、並びに技術革新といった多岐に亘る複雑な要因を反映すると論じた。彼らは、周期的な衝撃、危機、及び事業家精神の変革等、経済活動の結果として生じるこれら諸事象を深く理解する為には、生物科学に根差す進化論的世界観が役立つだろうと考えた。こうして、シューペンターが唱えたのが、経済は「創造的破壊」へと至り、その工程の中で新規の経済革新や組織が旧来式で時代遅れとなったものに取って代わる、と云う論理だ。

 一方、これに反し、学術界に於いては、経済的諸行動を、均衡を生む等式の体系で解釈する事に力点が置かれ、経済学は数学モデル化して行った。例えば、大恐慌に至らしめたような、今後も起こり得る、ある種の衝撃に対し、経済学者達は、均衡を取り戻す為に介入を図る事に注力した。即ち、「合理的期待形成」や「効率的市場」の概念を擁護する者達は、市場が理論的に導き出された、合理的均衡点に向け収束すると云う理念を採用する事により、個々人が譬(たと)え、不合理な諸行動を取るにせよ、これら全て合算すれば、市場は、恰(あた)かも誰しもが合理的であるかの如く機能するのだと論じだ。これに対し、社会主義の者達は、政府による計画経済と資産国有化を通じた市場統制を解決策として試みたのだった。

 それでも、1970年代、「合理的且つ効率的市場理論」が尚も多くの支持者達を集める中、経済歴史学者のチャールス・キンドルバーガーが異を唱えた。つまり、キンドルバーガーは、非合理的な諸行動こそが経済体系中の重要な要因であり、数々の危機は「生物学的な周期」を伴って発生したのだと説いた。彼は、この洞察を、嘗て自身がマーシャルプラン政策に従事した際の実務上の体験に基づく、国際社会の相互依存性と制度的諸行動に関する研究によって更に補足したのだった。この組み合わせ分析により、キンドルバーガーが導いた論理とは、「経済危機に直面した際に、殊更、求められるのは、国際的公共の善を遂げる為に、協調的な解決諸策推進に向け旗を振り、世界を体系付ける主導力である」と云うものだ。彼に拠れば、主導役たる経済大国の役割とは、国際的諸制度を創造して変化する環境へ順応を図る事に在り、これら諸制度を通じ必要な諸調整の推進を支援し且つ実行して行く事だ。彼は、進化論に基づいた経済上の見解と、各国政府が国際的な経済崩壊に際し如何に協調し対処すべきかの理念とを統合させたのだ。キンドルバーガーの高弟の一人で、ノーベル経済学賞受賞者で、「根拠なき熱狂(Irrational Exuberance)」の著者、ロバート・シラーは、生物学的思考を扱う心理学分野に属する、行動経済学を探求した。実際、シラーによる最近の研究は、経済活動に於ける接触感染の影響を考察する感染症学に基づくもので、これは疫病感染拡大対策を考慮する上で有効な補完になるだろう。

 一方、この様な進化論的経済学が適用される傾向を以って、経済上の本来的諸政策に最早改善の余地がないので、政策立案者には安住が許される、などと考えるのは見当違いだし、且つ又、進化論的経済学は、弱者淘汰を示唆する社会的ダーウィニズムの復活を意味する訳でもない。寧ろこれらとは正反対に、政治家達は様々な変化や混乱に対応し、新たな枠組みや諸機構を適応化させて行く事が、これまで以上に求められるのだ。但し、此処(ここ)で重要なのは、従前の枠組みを捨てて置き換えるのではなく、機能上の諸修正を絶えず行う事だ。そして、この過程を通じ、国内並びに国際舞台の関係者達をして、衝撃に対処し適応易からしめるよう導く事こそが政治家の役割だ。

想定が裏切られたブレトンウッズの歴史

 新しい国際経済諸秩序を考案する事が強く好まれる傾向のその始まりは、今や伝説となったブレトンウッズ体制誕生に迄遡る。その物語は以下に伝わる。当時、先見の明を持つ米国人の一団は、同国と対極的に財政難に苛まれ乍らも歴史と経験豊かな英国人達との論議を重ねた末、殊(こと)大恐慌を境とする第一次大戦後の情勢下に於いて、国際世界経済の枠組みが破綻状態にある事を共通認識としたのだ。つまり、1944年当時、尚、第二次世界大戦の戦火の最中、ブレトンウッズに集った賢人達は、新たに国際経済を体系的に司る基本構造として、諸制度の創設が必要だと表明した。そして、彼らにより、IMF及び世界銀行(当時、“再建と発展の為の国際銀行”が正式名称だった)が設立され、これらは、為替相場、国際決済と資本流入、及び財政再建の管理、及び発展の為の投資促進を目的とした。又、彼らは貿易振興の為、国際的な貿易機構設立の青写真も描いたのだが、これは規制と管理に関し、各国見解相違を克服出来ず、交渉は合意に至らなかった。

 これら協議に当時参画した経済界の大御所達は、正に崇敬を払うに値する人々と云える。厄介な諸問題に直面した彼らは、過去の過ちから真摯に学ぼうと努め、そして、豊かで平和な国際経済の実現を支えるべき、制度上の支柱を構築しようと尽力したのだ。彼らが目指したのは、世界が分断され、やがてそれが地域経済区画化や封鎖経済等、破壊的諸政策へと向かうのを回避する事だった。

 それにも拘わらず、同会議に於いて設計者達は、誤った諸前提に基づいて計画を立案したと云う点は、ブレトンウッズ体制に関する研究著書も発表した歴史家兼、経済学者のベン・ステイルがいみじくも指摘する通りだ。彼らは、諸事想定を次のように見誤った。つまり、米国とソヴィエト連邦とが協調し、独逸(ドイツ)は経済解体により牧歌的農村国に変容し、大英帝国は静かに平穏な後退を遂げ、IMFが各国の健全な経常収支実現を支援する事により貿易の再構築が実現するという前提だ。処(ところ)が、1947年迄には、これらシナリオはどれ一つとして正しくなかった事が判明し、その結果、欧州は経済的且つ政治的崩壊に直面し、世界経済も依然停滞し続けた。

 そして、この会議の後数年内に、米国務長官のジョージ・マーシャルと国務長補佐官ウィリアム・クレイトンによって率いられた経済界指導者達のもう一つの集団は、新しい手法を考案する必要に迫られた。こうして、マーシャルプランが彼らによって生み出されると、これにより西欧経済(当時、新しく誕生した西独逸(ドイツ)を含み)の統合化が促進され、又、関税と貿易に関する一般協定(GATT: General Agreement on Tariffs and Trade)が協議された。即ち、マーシャルプランにより西欧諸国が相互に協力し各々の経済を再構築する事が出来たのだ。そして貿易障壁撤廃に向けた取り組みにより、世界規模で経済成長と輸出牽引型発展が齎(もたら)された。

求められるのは破壊でなく、修正

 それでも、第二次世界大戦後の経済の仕組みは尚も変容を遂げ続ける事を余儀なくされた。ブレトンウッズ体制による固定為替制度は1971年迄続いたが、同年に米国がドルの金交換を停止。その後数年間は、主要な経済諸大国は、各国がそれぞれの水準に応じ、為替固定制を再構築しようと試みた。しかし、これら通貨の構造的秩序追求は成功せず、別の仕組み、即ち今回は柔軟性に富んだ、変動為替制度に取って変わられたのだ。

 変動相場制への移行が長く困難な道のりだったのは、特に、通貨やエネルギー政策の急激な変更が都度、巨額の国際資本移動を惹き起した為だ。又、仏国や独逸の場合は、別の異なる理由から、結局、固定為替相場へ復帰し、その後、欧州統合へ向け進む一端を担う仕組みとして、共有通貨を発明する事となる。一方、多くの新興国は為替相場と債務の双方危機に見舞われた。一部の発展途上国は、自国通貨と国内物価の急激な変動を回避したいと考え、巨額のドル外貨準備を積み上げ、所謂、「不完全な変動制為替相場」策を取り、自国通貨の変動幅を一定の範囲内に収めようとした。それでも、総じて、変動相場制によって、自国の通貨価値を防衛する責務を負うとの固定観念から各国政府は解放され、彼らは自国マクロ経済政策を決定する自由度を与えられた。即ち、その替わり、各国政府は自国通貨が市場を通じ、相応の価値調整が為されるに委ねる事となったのだ。

 その後、保護貿易を求める政治諸圧力を回避する目的から、米国は、1980年下半期に、各国間の貿易収支不均衡と為替相場の問題に対処すべく、G7各国の財務大臣と中央銀行総裁が互いに協力促進を図れるよう定めた。又、発展途上諸国の重要性が増すに連れG7の影響力が薄れると、今度はG20がより効果的な会合の位置付けになった。例えば、2009年、ロンドンで開催されたG20首脳会談では、世界金融危機に対応し、時期を得た、財政・金融制度上の対応策を纏め上げた。処(ところ)がその後、G20は、その不適切な規模、各メンバー間の大きい格差、及び官僚的機構の蔓延を原因とし、影響力が弱まっている。

 又、IMFと世界銀行も、又変化を遂げる諸環境に応じ適応を図って来た。IMFは、財政と通貨諸政策を通じマクロ経済上の諸改革に活動を集中させ、貿易収支不均衡と債務危機に直面した各国経済に対し、これら財務諸問題の火消し役として機能した。IMFは、殊(こと)、市場経済への移行途上の諸国に向けては、構造的経済改革の分野にも活動領域を新たに拡大した。更に、同機関は、専門知見を有する相談役として、G7、後にはG20に於いて、各メンバーが互いに協調形成する過程で貢献した。そして究極的には、IMFは、2009年に設立された金融安定理事会(Financial Stability Board)と連携し、各国財政諸機関の体力に就いて観察と助言を行う役割をも担うようになったのだ。

 一方、世界銀行は、世界が体験した発展、及びその考え方が変化するのに応じ変貌して行った。即ち、当初、同銀行の存在意義は、概ね、戦後に於ける欧州及び日本の復興、並びに発展途上国の社会基盤整備の為に、資金提供を行う事であった。しかし、時と共にその役割は変じ、貧困対策に対する資金提供援助、構造改革への助言、危機時の支援提供、並びに債務再建計画、民間部門の育成支援、公共財の提供、脆弱で不安定な諸国家の補助、国連の100年発展計画目標と持続発展目標の支援、更に中間所得層の経済圏に対して経験共有を図る事迄、実に多彩な変化を遂げた。そして、その後、世界銀行は、新しい資金貸付諸機関を通じ、再び社会基盤の整備活動にも軸足を戻す事になったのだった。

 ガット(GATT)に就いては、その加盟国は当初の23ケ国から164ケ国へ増加した。加盟諸国は八つの貿易交渉を協議し、関税を引き下げ、討議対象項目を拡大し、そして諸規則を追加して行った。1994年に妥結したウルグアイラウンドに於いて、ガットはWTOへと改編され、更に紛争解決の基本的制度を創設する実績を上げ、加えて、今後の交渉に於ける継続協議課題を明示して行く事も想定された。即ち、WTOは、諸紛争解決の為の諸手続きに裏付けされ、合意された諸規則に則(のっと)る多国間組織として、重要な典型例を提供したと云える。同制度は、加盟諸国にTWOの決定諸事項を拒否する権限を温存させつつ、その相手国に対しては、補償を求めるか、或いは、それに相当する貿易上の諸便宜を撤回する為の交渉権限を付与する仕組みである。これら諸規則は、中立の決裁機関が運営を下支えすることによって力を発揮し、諸経済圏に於いて様々な貿易障壁削減を後押する事が出来たのだ。

 上に述べた、ブレトンウッズ体制構築以来78年間の道程に於いて、設計者たらんとする者達は絶えず、新しい国際経済秩序を提案し続けて来た。それにも拘わらず、事実としては、人々は、寧ろ1947当時の指導者達が、ブレトンウッズ体制が期待通りに機能しない現実を目の当たりにし当惑すると同様の体験を繰り返して来た。国際経済体系が、様々な衝撃と危機とを経て進化を遂げるに連れ、政策決定者達は様々な実験を試みたのだ。安定状態を全く新たに創出し構築するのではなく、現実主義的高官達は、動態的に変遷する諸情勢の中を休みなく渡って行かざるを得ない事実を受け入れたのだ。伝統的な諸機関自体が問題の本質であったと云う験(ため)しはない。何故なら、人々は、それらを新しい必要性に応じ順応させる事が可能だからだ。制度と云うものは、指導者達が次なる局面に含まれる不確実性に対する適応に失敗した場合に、硬化して機能不全に陥るのが避けられないのだ。

米国の技術革新

 米国に於いて最も功を為した指導者達は、立ち向うべき諸問題が変化して行く事を予測するか、或いは少なくともその事実を認識していた人々だ。彼らは、新しい問題を解決する手段として、既存の組織網と諸機関を適応化させ、又はそれらを補完すべく一部新設を図った。 

 指導力と云うものは、屡々(しばしば)旧来の方法を新しい手法で運用しつつ、他方、革新的な機能上の修正策を発明し、双方を合わせ用いる事が必要である点を、彼らは発見したのだった。シューペンターの用語を転用すれば、これは「多国間主義の“創造的破壊”」と云えるかも知れない。

 今日の政策立案者達は、どうすれば、順応可能な諸制度を構築し且つ維持する事が可能かと云う問題に関し、過去の米国体験に基づく諸教訓を探る事が有用だろ。先ず第一に、最も重要な教訓は、技術、金融、及び事業諸形態に於ける諸変化に適応する為に、諸制度は柔軟性を備えなければならぬ点だ。民間部門の技術進歩は決して止む事がない。大勢の企業家達が進める諸実験から諸改革が始まる。然し、他方で、様々な停滞によっても又、大きな代償を伴う諸調整を余儀なくされる事がある点は留意を要する。

 皮肉な事に、実に多くの米国外交政策の指導者達が、米国の持つ改革力を見落として来た。1970年代、リチャード・ニクソン大統領と彼の顧問ヘンリー・キッシンジャーは、彼らが知覚するに至った、米国経済の衰退を管理すべく、新しい多国間主義を描き出した。そしてニクソンは、彼の手による劇的な経済措置を1971年8月に実施、この時、金によるドルの裏付けを撤廃し、ニクソン教書(ドクトリン)によって安全保障責務の公平な負担を諸国に求めたと同様に、国際経済に於ける責任分担を再調整しようと図ったのだ。しかし1980年代になると、ロナルド・レーガン大統領とジョージ・シュルツ国務長官は、米国経済が自己再生可能であると、より楽観的見解を有した。この様に、金に裏付けされた固定相場レートがニクソンにより停止された後、シュルツは通貨価値を新しい水準に再設定する替わりに、変動制為替レートを選好した。彼は、市場は妨げられる事なく調整されるべきだとの信念を持っていたのだ。

 次の教訓は、適合可能な諸制度の導入に際しては、勢力の変遷に就いて、それが、経済力、技術力、年齢別人口構成の強み、或いは軍事力であるかを問わず、これらを見極める眼力を備えなければならない点だ。この事例は以下に見る通りだ。第二次大戦後、米国は欧州及び日本の経済復興を主導した。然し、1970年代及び1980年代になると、同地域がより大きい規模と影響力を持つに至り、この事実に直面し、米国は政策を順応させたのだ。更に1980年代から1990年代に掛け、米国はメキシコで諸変化が生じるに伴って、亜米利加大陸の新たな諸機会―及び諸危険も合わせ―を認識するようになった。又、ワシントン政府はカナダと共同し、北米自由貿易協定締結を布石として、新しい北米同盟関係を創出したのだ。

 更に、ここ数十年間、米国は、新興諸市場からの増大する影響力―並びに諸問題―への適応を図る事も余儀なくされた。中国の勢力台頭が今やワシントン政府に於ける最大の外的優先課題となったにも拘わらず、米中両国に対し平和的に機能する制度とは如何なるものかその明確な概念を描くには未だ至っていないのが実情だ。米国人達は、数年間の後に、印度が大国化すると認識を持ち乍ら、一方、東南アジアを巡る経済諸形態が変化している事象分析が後手に回っているのは懸念される。又、アフリカに於ける年齢構成別人口問題も将来に差し迫る懸案と云える。

 そして、米国の経験から得る、最後の教訓は、順応性ある制度が成功するには、それが国内に於いて政治的支持を得る必要があるという点だ。1947年から今日に至るまで、歴代の大統領は皆、外交諸策を展開する際に、大衆の支援を見極めつつ議会との信頼を構築して来た。世論調査に依れば、米国民は世界的相互関係を価値あるものと総じて肯定するものの、一方、個別の国際的諸約束に就いては、大衆の支持に浮き沈みが避けられない。劇的な出来事は、確かに有権者達の衆目を捕える事が出来ても、所詮、彼らの興味は異なる諸問題へと移ろって行くのが宿命だ。斯かる中、これ迄の優秀な政治的指導力とは、国内の利益と国際社会の利益との関係が、実は一つの同じ貨幣の表裏の如くであると云う点を、市民達が会得できるよう常に導いて来たのだ。つまり、米国政府は、新規発明を抑圧する事なく、市民が変化に順応して行く手助けをすべきだろう。

危機下で問われる予想と適応力

 政策指導者達が将来の出来事を予測するのは容易でなく、それを可能にするには、様々な諸事進展を見通す手腕が求められる。つまり彼らは、今日の世界経済に於いて実に多くの進化を遂げつつある諸要因子を考慮する必要がある。先ず、第一に、世界は今や歴史的と云える、金融政策上のある壮大な実験の最中に在るという事実を認識する事だ。世界金融危機以来、主要諸国の中央銀行は巨大規模で通貨と信用を拡大した。更に世界的感染症拡大の対策として、殊(こと)先進諸国では何兆ドルもの政府支出を実施、同時に政府證券の買い入れを一層増加させる通貨政策を多用した。この中に在っては、譬(たと)え今現在は、将来のインフレ率、余剰蓄積利益、バランスシート、マクロ経済諸問題、及びドル通貨の信頼性に関し、危険を示す兆候はないと判断出来たとしても、何時なんどき、経済諸環境に対する市場期待は、資産評価額や国と市場間の資金還流に関し、唐突且つ劇的に変化しても不思議はないのだと、政策指導者達は常に心構えて置く必要がある。

 その中で、主要経済大国の財務大臣と中央銀行総裁は、非公式な小会合を開催し、其処(そこ)で定期的にマクロ経済と金融情勢を監視し、情勢判断を共有し、必要な場合には協調行動を取れる体制を敷く事が必要だ。主導権を巡る各国の鍔迫(つばぜ)り合いを避ける為、IMFは、同機関の創設した国際準備資産であるSDR(特別引き出し権)に組み込まれた自国通貨を有する、世界金融制度上の主要国間に於いて四半期毎の定期会合を招集する事も出来るだろう。即ち、中国、日本、英国、米国、そしてユーロ圏の国々(並びに欧州中央銀行)といった加盟国だ。次なる危機が到来した際、これら経済圏の諸国には是非共協調的行動が求められる為だ。

 又、IMFは、中立な立場の取りまとめ役として、独立した見解を提示すべきだ。即ち、IFM専務理事は経済外交を取り仕切る公人として、各国間で歩むべき協調の諸段階を粛々と示唆するのが役割だ。一方、G7、G20、及びIMFの一般加盟諸国が、彼らの本来業務を継続して果たせば、それがSDR中核諸国による対策領域の拡大に一層貢献する事になろう。

 上述の会合によって、協調の習慣と責任分担の意識とが醸成される事も期待される。この手の気質こそが、例えば、発展途上国の抱える債務問題に対する解決策を考案する原動力たり得るのだ。多くの貧しい経済諸国は、今や、先ず最初に頼れる貸し手として中国に依存する現状だが、しかし、中国の同国債務の透明性欠如は、中国自身を含む、全メンバーの発展を妨げる虞なしとしない。一方、外貨準備用通貨の保持諸国は、デジタル通貨と同決済諸制度を実験的に試行するに連れ、その集団内及び各国間での機能性可否の問題、信頼性、並びに安全性を検証できるだろう。政治上の諸制約から協力は限定的となるか、或いは妨げられる虞があるものの、少なくともこの会合を通じて、建設的な行動の諸選択肢を特定して行く事が出来るだろう。

 一方、経済の安定を脅かすのは、単に財政政策や市場経済ばかりではない。新型コロナウィルス感染症蔓延に見た通り、この様な疾病は瞬く間に世界経済危機を惹き起こす。世界は尚も、危険なウィルス、及び生物学上の安全に対する脅威に対し、それらの予防、発見、並びに対処方法を学習中だ。ウィルス性疾病の感染爆発は、その発生頻度とそれに伴う代償が、野生、家畜、及びその他国内諸動物と人類との接点が急速に増えるに連れ、拡大して来ているのだ。交通網の発展も国際的な感染拡大加速の原因となった。結果として南亜細亜、東南亜細亜、及びサブ‐サハラ・アフリカが特に甚大な被害を受けた。発展途上国に於ける、ワクチン接種の対応の遅れは、より多くの変異株が発生する機会を与え、これら諸変種が破壊的な勢いで再び世界中を席巻する可能性がある。疾病に関し経済的効率が示した帰結とは、貧しい人々が最大の打撃を受けると云う事なのだ。

 国連の諸機関(例えば、WHO等)は、世界に対し公共的諸財の供給を強化する責務を負うものの、その為に必要な、諸資源並びに職務遂行に相応しい権限の双方共十分に有していないのが実情だ。その中で、実際に物事を決定(或いは拒否)するのは、運営員会を構成している諸国家だ。しかし、そんな各国は、それぞれ独特な政治文化を有する為、中々一枚巌と云う訳にはいかない。それ故、経済的な多国間諸機関こそが、その専門性、持てる資源、及び会合招集権限を最大限活用し、国連諸機関を補佐する役割を果たすべきなのだ。無論、国連と多国間経済諸機関とに参画するのは、何れも、殆ど同じ顔触れの政府である訳だが、それでも、それぞれの機関は、その専門性により、異なった省庁、権限部署、及び提唱団体を代表し、それぞれ機能発揮の余地があるのだ。

 この好事例を挙げれば、2008年に発展途上国で食糧価格が高騰した際、世界各国の財務大臣達は世界金融危機対応に奔走する最中、国際諸機関によって行われ連携プレーだ。即ち、先ず世界銀行が、食糧と農業問題を管轄する、国連人道問題委員会に対する支援を設定し、更にWTOとG20とも共同し、輸出禁止規制を緩和させ且つ透明性を促進する事により食糧物資の衝動的購入や退蔵の回避を図ったのだ。そして、この10年後、経済学者のチャド・ボウンが、透明性推進計画を検証した結果、広汎で偏りない、より適切な情報網の存在が、食糧価格問題悪化の原因となる、価格高騰や輸出諸規制を制御する効果があった旨が明らかにされたのだった。

 一方、世界的感染症問題に関し、TWOがこれに有効に立ち向うに十分な能力を持っていない事は、恰も、多量の降雨で水を多く含む土壌が最早それ以上の水を吸収できないが如き状況である点が、今般の新型コロナウィルスによって証明された。今世紀に入り最初の10年間は、同機構は、官民共同体のワクチン同盟(GAVI)―ゲイツ基金、UNISEF、製薬諸企業、及び、貧しい国々でのワクチン普及を支援して来た世界銀行が協力―の創設を支援した。CAVIが新型コロナウィルスとの闘いの音頭取りをした、Covax計画は結局、躓(つまづ)き、その他、多くの国家計画も又、同様に有効に機能しなかった。一方、国連アフリカ経済委員会とアフリカ輸出入銀行は、速やかにワクチン供給者達を取り纏め、アフリカに於けるワクチン生産を支援し、国内での配送システムを構築し、更に迅速な融資体制を敷く事に成功したのだった。

 生物学上の安全に関する新しい国際合意は、この様な制度と財政上の協力を促進させる事が出来る。健康及び獣医学の識者達は、動物原性ウィルスに関する、より良質で時期を得た情報を収集し共有を図る事が求められる。更に、調査への資金提供によって、健康機関当局は、潜在的に危険な諸疾病のDNA配列を先んじて解明する事が出来る。世界銀行と米国国際開発庁(the U.S. Agency for International Development)はWHOと協力し、互いの連携を深め、ワクチン供給網確立を、殊(こと)、貧しい国々に於いても地元医療制度を有効活用し普及が行き渡るよう図るべきだ。米国大統領のAIDS救済緊急計画(PEPFAR)は、アフリカでのHIV/AIDS感染蔓延を制圧する為に米国が20年も前に考案したもので、これはとても理解が容易な典見本なのだが、従来から十分利用されていないのは不思議な事だ。

 然し、自然現象が経済的衝撃を惹き起こす事例は、何も疾病蔓延拡大に止まらない。より深刻な影響を与え得るのが、気候変動問題だ。当件は、化石燃料からの脱却を目指す長期に及ぶ移行時代に於いて、エネルギー諸市場そのもの並びに様々な費用を劇的に変じつつ、各国は新しい環境政策及び炭素政策を現に推進しようとしている。即ち、エネルギー分野に於いて、諸資源の組み合わせ、各生産量、送電運搬諸策、及び価格費用の諸要因が、甚大なる構造変化に一気に晒される結果、ある部門では供給停止と云う痛みを伴う適応も不可避となる。然し、主要先進経済国の幾つかでは、只でさえ新型コロナウィルス対策で四苦八苦の中、この様な環境移行に必要な調整費の出費を頑なに拒もうとする動きが出兼ねないのは懸念される点だ。つまり、感染症に止まらず、世界経済が、斯かる状況に適合する為の準備に、極めて巨額の費用出費を余儀なくされる点を、我々は決して忘れる事なく、覚悟して置く必要があるのだ。

 この問題に対処し、世界銀行は2008年に、新設された気候投資基金(CIF)に資金を投じた。CIFは発展途上国を対象に、気候変動に先駆けて取り組む諸策を、技術面、強靭性、エネルギーの諸選択肢、及び森林化計画に於いて実験導入する手助けをした。基金元手の85億ドルは、レバレッジ効果で凡そ総額700億ドルの投資を生んだ。実際問題として、先進国の資金提供者は発展途上国へ直接小切手で資金送金する事には躊躇していたものの、世界銀行及び途上国の対応窓口諸組織と革新的な投資信託の仕組み(評価プロセスを含む)に対し積極的な信頼を寄せた事によりこれが実現したのだった。

 一方、国連は、自身の貸付機関の活用を申し出て気候基金(Green Climate Fund)創設を主導した。10年を経る間、同基金はその規模と信頼性の拡大に尽力を続けた。半面、世界銀行傘下のCIFによる活動は縮小した。その結果、発展途上諸国からは、高額所得の諸国家が、低炭素排出化やゼロ炭素エネルギー転換促進の為に資金援助する約束を果たしていないとの非難の声が上がった。米国及び同国友好諸国は、この袋小路の状況を克服すべく、現実的な適応を図る必要があるだろう。即ち、彼らは、過去の成功した記録に基づいて事を進めるべきだ。

 IFRS財団(国際会見基準の策定を担う)の創設した、新しい国際持続性基準審議会(ISSB)による貢献も期待される処(ところ)だ。同審議会は、気候問題開示の雛形を策定中で、同案の普及により、130ケ国の投資家達に対し、信頼性ある、比較可能な環境データを提供する道が開かれるだろう。投資家、顧客、及び所轄省庁が、諸企業に対し排出ゼロの確約とエネルギー転換計画策定を求める状況に在る中、凡そ100に上る金融監督者達とIMFの協力により、気候変動リスクを、銀行、その他貸し手、及びに国々に対する財務状況評価の項目に組み入れる作業が進んでいる。これらを合わせて用いれば、作業進捗に従い、炭素信用市場の創設に必要となるデータ基盤が整備されていくだろう。世界銀行は、機関投資家達に対し、開発諸事案を、流動性に富み、新規にして且つ大規模な炭素金融市場を通じて結び付ける活動を行う事によって、将来、其処(そこ)で他の市況商品のように、炭素金融商品が求められ且つ取引される場を提供出来るよう目指すべきだ。

 世界経済を時に攪乱し、或いは、新たな観察や監視体制の導入によって世界経済が恩恵を受ける分野は、エネルギー関連市場のみに止まらない。近年、デジタルデータ交換分野は、次第に世界経済を下支えする存在となって来た。感染症が拡大する以前より、生産財の貿易取引は成長が顕著に停滞し、その替わりサービス部門の貿易が飛躍的に増加した。デジタルによる繋がりは、サービス分野に於いて一層の広範囲化を生み、様々な利点が新たに生じ、更に感染症蔓延下の経済がこの傾向を加速した。然し、データ交換とデジタル商品に関する規則と一般標準が、未だ適切に定められておらず、実態に追いついていない状況だ。様々な揉め事が、今後益々出現するだろう。この儘では、重要な情報システムがサイバー攻撃によって一時閉鎖を余儀なくされる事態も発生するだろう。

 米国が伝統的に、新しい国際的諸規則と諸基準の制定を推進して来れた一つの理由は、米国の諸企業が、常に最先端の新機軸的活動を担って来たからに他ならない。然し、今日に於いて、経済と技術改革の諸工程は、多国間の擦り合わせが間に合わない内に遥か先を進んで行くのが実情だ。其処(そこ)で、ワシントン政府は、先ずは価値観を共有する友好諸国との協調を通じ、デジタル貿易に関する新規の諸規則を準備する必要がある。これら諸規定によって、国境を越えたデジタルサービスやデータ移動が容易になる一方、各国に於いては、安全保障、安全性、及び個人情報に関し、それぞれの事情に則し、必要な判断を下せるようになるだろう。

 しかし、これら米国により造られた新諸規範を世界に展開して行く場合には注意を要する事が明らかとなった。米国は、地球上第二番目の巨大経済圏と経常的に衝突して来た。即ち中国である。国際的経済体制のお陰を以って、米国は比肩無き大国に昇り詰め、中国も歴史的大躍進を遂げたと云う事実にも拘わらず、今や両国は、共に恩恵を受けたその体系自体を自ら棄損する行動を取り続けているのだ。つまり、両国共に、体系的な改革実現を支援する姿勢を見せる事は互いに殆(ほとん)ど無かったのだ。

 ワシントン政府は、双方にとり利益となる諸問題に就いて、中国政府と実際的な共同作業を行うのが想定可能なのか否か、決断を下すべき局面がやがてやって来よう。現状は一貫性を欠く対応に終始している。即ち、時として、米国経済を中国経済に対し制限し、自己完結型とし、中国経済から切り離し、或いは、同国に制裁を課す事を試みる諸政策を取った。しかし、他の局面では一転し、ワシントン政府が中国に対し、米国輸出製品をもっと多く買うよう要求し、米国企業の一層の優遇を求め、これら諸要望が益々段階的に集積して行ったのだった。そうこうすると、今度は、米国は中国に対し、規範遵守を要求し(それが国際ルールであるか、ワシントンルールであるかを問わず)、更に別の局面に於いては、恰(あたか)も中国は巨大化し過ぎ、力の劣る国々を威嚇するか、或いは、又、国際的枠組みのルールに於いて全く信頼が置けぬかのように見做す行動を取った。以上の状況を踏まえ、肝に銘ずべきは、米国が諸政策を採択する場合には、やはり自国の同盟諸国や友好諸国に対して彼らの優先諸課題にも配慮が加えるべきと云う点だ。即ち、中国を封じ込める策、乃至は中国からの完全な切り離し策の実行に就いては、これをどうしても思い描く事が出来ない事情を抱える諸国が存在する事実を忘れてはならないだろう。

 自国中心主義がいい結果を齎(もたら)さないのは歴史事例が示している。キンドルバーガーは大恐慌発生原因を分析した末、自国の利益のみならず、より体系的利害に基づいた行動を取れる主導的国家が不在であった点を指摘している。つまり、1930年代当時、英国は経験豊富であったが既に世界を牽引する力は残っていなかった。米国は潜在力を有したものの、残念乍ら実行に移すに足る経験と気質を欠いたのだ。そして、更に、国家が主導権を放棄し、或いはそれを廻り闘争を展開する場合に、遂に膠着状態と経済的困窮に陥るとだと、彼は警鐘を発したのだった。今日に立ち返り、もし、キンドルバーガーが尚も存命であったのなら、現在の米中間の緊張状態を、彼は懸念を以って注視するに違いない。

 米国は、恐らく中国に対し、当面、複合的政策が有用と考えるに至るだろう。即ち、排除と参画、そして多分協調すらも綯(な)い交ぜにした策だ。そうなると、米国は、一般的な問題として、中国に対し順応的な対応策を模索して行くのか、或いは、中国の参画に対しては抵抗を図るか、その何れかの決断を迫られる時が来る。然し、もし米中二大国の経済圏が摩擦関係に在る場合には、世界経済の健全で強靭な発展は望めなくなるのだ。

 今日の世界で、国家諸政府が外交課題を処するに於いては、不完全乍らも協力を宗とした、有用な諸制度に基づく交渉に頼るよりは、寧ろ政治的駆け引き策の方を、一層魅力的だと考える傾向があるようだ。斯かるご時世に在っては、変容を遂げ行く環境に則すように、多国間機関を適応させて行くのは、極めて困難な作業である。現に、WTOが直面する今日の苦境は、正にそれを物語る好事例と云えるのだ。

 詳述すれば次の通りだ。即ち、国際化に異議を唱える者達は、WTOの諸規範に対し常に反対の立場を表明する。譬(たと)え、彼らにとっても都合よい、何かしら新しい国際ルールに就いて協議する場合ですらそうだった。又、他の者達は、WTOの諸規則は、それが交渉過程を含もうが含むまいが、兎に角、専ら彼ら自身の利益に資されるべき事に固執した。一方、米国は、自身がWTOに提訴した殆ど全ての事案で勝利し―その上、その訴訟を梃に他の諸局面でも実利を獲得していたにも拘わらず―ある利害団体が、苟(いやしく)もたったの一件ですら敗訴を容認出来ぬと異論を唱えた。こうして、米国政府はTWO上級委員会に対し判決を覆すべきであると非難し、遂には米国が同委員会の欠員補充指名を阻止する挙に出て、2017年、同委員会機能が麻痺に陥った事は記憶に新しい。一方、バイデン政権に関して云えば、これ迄の処(ところ)、その姿勢はWTO組織改善に取り組むよりは、同機関に苦情を呈する一派に与(くみ)するかに見える。

絶滅を免れる方法とは

 国際化の勢いに後退の気配はない。気候変動、生物学上の安全、移民問題、経済活動及びデータの移動、これらは何れも地球規模の課題だ。国際化の諸問題を統治しようとする試みは不安定で脆く、その一方、世界の人々の絆は深まる処(どころ)か、寧ろ分断に向かっている。これらの状況は、経済諸体系自体に於いても、何か新機軸の抜本的改変が必要な事を訴え掛けるように見える。然し乍ら、そのような変革が成功すると期待するのは誤りだ。

 米国の経済外交が、世界恐慌以来、極めて成功を収める事が出来た要因を探ってみれば明らかだ。即ち、それが良好に機能した場合とは、開かれ、協調的で、各国が相互便益を享受出来る、国際経済制度の確立を目指す意思と、加えて、必ずしや問題を解決すると云う強い決意とが融合した時に限られている事が判る。つまり、米国人達は、様々な勢力や出来事に直面した際、現実的な調整を通じ事態に順応を図って来たのだ。その中で、彼らが悟ったのが、世界経済は、純粋な資本主義か社会主義かを問わず、恰(あたか)も進化を遂げる有機器官の如きもので、決して合理的モデルに沿ったものではないという点だ。それ故に、其処(そこ)での目的は、経済上の強靭性を補強する事が主眼となるのだ。

 靭性を備えた諸体系とは、諸危険を事前に回避する仕組みではない。寧ろ、危険を取り込む事により経済発展が生まれる。つまり、絶滅への道を辿り始める分岐点や、或いは、其処(そこ)に陥る負の螺旋回転を回避する事こそが、靭性に富み、順応可能な体系を築く為の主目的となるのだ。多国間の経済諸機関や諸制度は、各国政府並びに民間参加者達が、被った諸打撃、並びに迫られる事態への順応に耐え得るよう、援助する事ができる。彼らは、成長を予測し、相互協力を推進し、緩衝的諸手段を提供し、合理化諸策を助言し、諸資源を最適移動させ、専門知識と就学継続を提供し、諸交渉を助言し、諸摩擦軽減の為の支援を行う。然し、彼らは徐々にしか順応できない為、加盟諸国の支援が必要だ。多国家間諸機関は、経済と発展に関する諸業務に就いて、国連内で健康、環境、移民・難民、及び食糧・農業を扱う特別諸機関と連携し、複数国家を跨ぐ諸課題をも網羅する迄に拡大した。彼らの役割は今や、内戦によって引き裂かれた国や地域に於ける人民の安全の為の、経済、統治、及び法制度設立に対する貢献をも含む迄に広範囲なのだと云う実情を留意する必要があろう。

 靭性と順応性に富む経済体系が、当該社会を自然に自由で開かれたものとする土台である点は、経済学者のマルコス・ブルナーマイヤの同説を待つ迄もない。このような諸体系には透明性、情報公開、及び様々な解決諸策が備わり、これらに拠って、多くの民間並び独立した諸組織による共同作業が生み出される。情報が自由に行き来すると、発信と応答の無限連鎖作用を生み出し、これにより事態へ適応化する速度が加速される。これとは反対に、独裁的諸国家は、危機に対処する際、制圧する事で崩壊を防ごうとする。彼らが統制に走る傾向がある点は、北京政府が新型コロナウィルス対応に取った行動にその典型例を見た通りだ。開かれた社会と経済体系は衝撃に直面した際に脆弱に見えても、適応を図る事により一層力強く再生する可能性が高い。米国、英国、及びEUは世界的普及に耐えるワクチンと治療法を開発した。その結果、世界的感染症蔓延の次の波に直面しても、高品質の各種ワクチン、自然免疫獲得、及び諸治療の組み合わせにより、ウィルスを弱体化させ乗り切る事が出来るだろう。一方、中国は、厳格な規制を敷くか、或いは、全国民を感染するに任せ、疾病の波に順応するか二者択一を迫られよう。斯くして、過度に圧力的施政に頼る中国は、孤立を余儀なくされるのだ。

 これ迄の歴史を振り返れば、米国は、各国利害とワシントン政府に沿う体系的利害との双方の追求を可能ならしめる国際的提携に向け、各国当事者達を動員する作業を為し得た場合、最も成功を収めた。国家なるものは、壁や国境の後ろに逃げ込む事で安泰にはならなし、そうかと云って既存秩序を打ち壊し、根拠のない幻想を追った処(ところ)で成功しない。ワシントン政府に於いては、動態的諸条件に対し現実的に順応していく能力を改めて見出す努力が求めらるだろう。1970年代後半、西独逸(ドイツ)首相だったヘルムント・シュミット首相の次の格言はある意味、的を射ている。「壮大なヴィジョンが私には在る、などと豪語する者が居たら、どうかしているよ、医者に診てもらった方がいい。」                     

(了)

【訳者後注】

*「ワシントン一般見解(Washington consensus)」:経済学者ジョン・ウィリアムソンが1980年代途上国債務危機に対処する処方箋(財政規律遵守、税制改革、貿易自由化等、10ケ条で構成)を“ワシントン一般見解”と称し論文発表したのが初出(1989年)。

米国シンクタンク所属の同人が、中南米諸国債務危機解決を主眼に、IMF、世銀等活用を意図した極めて真っ当な提言諸策。その後、同用語は元来の意を越え、米国押し付けの市場重視主義(新自由主義)を指す迄、今日様々な解釈拡大に至る。

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