執筆者/肩書:リチャード・ハス(RICHARD HASS)、Council on Foreign Relations 代表
新刊『果たされるべき義務~善良な市民達に共通する十の習慣~』著者(The Bill of
Obligations : The Ten Habits of Good Citizens)
(論稿主旨)
「何事も起こらぬ平穏な10年がある一方、数十年分に相当する事件が数週間の内に生じる事もある。」これは、真偽は不確かだが、100年以上前に露西亜帝国の急遽な崩壊に言及し、ボルシェビキ革命家ウラジミール・レーニン(彼はフォーリンアフェアーズ誌の読者でもあった)が発したとされる有名な言葉だ。仮に、レーニンが本当にこの通りに述べたとしたら、彼は更に次のフレーズも加えたかもしれない。「又、時として、数十年の内に、数百年分にも相当する変革が訪れる事もあるのだ」と。
今、我々の住まう世界は、正にそのような10年の中に位置する。これ迄の歴史転換点の要(かなめ)が皆そうであったと同様に、現在、我々が直面する危機は、世界秩序の急速な衰退を起因とする。然し、近来にその類を見ない特徴は、旧来から存在する諸脅威と新たなる脅威とが合流し、然も、米国国内がこれら解決に当たるに体制が磐石でないと云う弱点を抱える最中の時期に、折悪くこれらの到来が合致し、それ故、今回の世界秩序衰退は一層急激の度を増す危険性を秘めると云う点だ。
その一方、伝統的地政学上の問題に就いては、最悪の諸局面が複数復活する様を、世界が目の当たりしている。即ち、大国間競合、帝国主義的野望、資源争奪戦と云った諸現象である。又、今日、独裁者ウラジミール・プーチン大統領が露西亜を率い、同国勢力圏の復刻を切望するばかりか、恐らくは露西亜帝国再興をも視野に入れようと目論む状況だ。プーチンは同目標達成の為に手段を殆ど択ばず、又、国内では同体制への歯止めは略(ほぼ)消滅している状況から、実際に彼は望む通り何でも出来る立場にある。他方、中国は習近平主席の下、将来、世界覇権の可能性も秘め、地域内に於ける権勢確保の野心追求に着手し、米国との競争が増し、やがては闘争状態にすら入り兼ねない軌道に自身を置く状態にある。
然し、問題は是丈(これだけ)に止まらぬばかりか、それらは相当の確率で具現化する。即ち、現に、上述の地政学上諸危険が、今度は、気候変動、世界的感染症拡大、及び核拡散等、現代に重大な影響を及ぼす、新手で複雑な諸課題と衝突する、と云う事態が起きて来るのだ。そして、この場合、当然生じる展開として、大国間競合の先鋭化から外交機能が不全化する中、本来双方利害を共有する事案であるにも拘わらず、彼らが共同して地域的、或いは、国際的諸課題の解決に当たるのが、最早不可能に近くなるだろう。
之に加え、事態を一層複雑化するのは、米国の民主主義と政治求心力が1800年代中盤以降、例を見ない程の危機に見舞われている点だ。もし米国が、世界で普通の一国に過ぎぬなら、大した問題とならぬが、実際そうでない故に事は重大なのだ。つまり、過去75年間に亘り、世界秩序を下支えして来たのが米国の主導力であり、その力は尚も今日衰えた訳ではない。今や、国内が引き裂かれた合衆国とは云え、この国が国際舞台で指導力を発揮する役から決して後退する事はなく、必ずその役割発揮が可能であろうと信ぜられる所以だ。
然し、上述諸環境が悪循環に陥っているのは事実だ。即ち、新たな地球規模の課題解決に求められる協力体制の構築は、地政学的競合激化によって一層遠退(とおの)き、国際環境の悪化が地政学的緊張に拍車を掛け、然もこれら全ては、米国が弱体化する中で海外事案から注意を逸らされているこの時期に、同時に生じているのだ。一方、地球規模の重大な諸課題に対し、世界の反応たるや、その不釣り合いぶりには驚愕を禁じ得ない有様だ。更に、欧州と印度太平洋に於いて大規模戦争の懸念が拡大し、中東不安定化の要因たるイランの潜在的脅威と相俟って、現在、我々は第二次世界大戦以降、最も危険な状態に在ると云える。斯様に、現状は謂わば「最悪の状況(a perfect storm) 」― 或いは、より正確に表現すれば“今後尚も悪化する余地のある悪しき”事態(an imperfect storm)なのだ。
危険に対し警鐘を与える行為は、将来予測とは別物だ。事態は改善へ向かう事が無論望ましいが、好ましい展開が自然に生じるのは極めて稀だ。反対に、在るが儘で放置された仕組みは劣化する。其処で、今こそ求められる政治家達の職務とは、国家運営の諸原理とその実践に就いて再検討する事だ。即ち、秩序が崩れ行く傾向に対抗し、国力と集団行動を組織していく手腕が求められるのだ。達成すべき政策目標は、旧来の地政学上の諸問題と新たな諸課題との衝突を管理、克服する事だ。目的追求の為に原則に従って行動し、そして、基盤を整える作業を行い、或いは望むらくは、十分な合意形成の基に諸機構を作り上げる事である。これら全てを成功させるには、ワシントン政府は、先ず世界の秩序回復を、海外民主主義振興よりも優先して注力すべきであり、又同時に、国内に於いては自らの民主主義を洗練させる必要があるのだ。
無秩序な環境の台頭
1990年、イラクは領土征服を意図し、遥かに小さな隣国クウエートに侵攻した。米国ジョージ・H.W.ブッシュ大統領は「これを許してはならぬ」と透かさず反応した。彼は正しかったのだ。数週間内に、ワシントン政府は、クウエートのイラク軍排除に目的に絞った軍事介入に対し幅広く国際支持を組織した。1990-91年湾岸戦争は、国連支援下、米国主導によって、中国と露西亜をも含む強力な国際協力体制を構築した点が特筆される。数ケ月後、この協調行動が手応えある成果を生んだ。即ち、イラクは後退余儀なくされ、クウエート国独立が最小限の費用で回復された。斯くして「力による国境変更を認めない」と云う規範、つまり、国際秩序の根本原則が主要諸国によって護持されたのだ。
処(ところ)が、この種の行動が今日生じる事がないのは、ウクライナ危機が如実に示す通りだ。そして、露西亜が1990年当時のイラクとは異なり、より強大な影響力を持つとの説明は、理由の一端に過ぎない。確かに、露西亜侵攻によって、西欧諸国の中には一致団結の情、及び見るべき水準で協調行動が生まれたとは云え、ウクライナ戦争に於いては、先の湾岸戦争で高揚された、国際的に略全員が共有する目標、或いは米国主導型秩序に基づく諸制度、に匹敵するものは何一つ誕生しなかった。その代わりに生じたのは、中国がモスクワ政府側に立ち、世界の多くの国々も、米国と同盟諸国が課した対露制裁への署名を拒否した事態だった。そして、何より、国連安全保障理事会の永久メンバーたる一国が、大胆にも国際法並びに「国境は武力を以って変じてはならない」との大原則を犯したにも拘わらず、国連自体は依然として殆ど問題から距離を置く有様なのだ。
ある意味、謂わば、この二つの戦争は「冷戦後の米国覇権時代」の始まりと終わりの両側を区切る本立て(ブックエンド)なのだ。米国の権力支配は衰退に向かっていたが、それは自身の力の衰えによるものでなく「他国の台頭による」、とは評論家ファリード・ザカリアが称した言葉だ。それは、米国以外の諸国や独立体の経済と軍事力が発達し、権力がより広く拡散した世界の出現を意味した。つまり、米国は自国や世界に対し、為した事と為さなかった事、双方の報いを被る中で、冷戦後受け継いだ遺産の大半を浪費した結果、本来為すべきであった、自身の優位性を将来に持続する秩序構築へと移行させる作業に失してしまったのだ。
この失敗による影響は露西亜問題に顕著に現れた。ソヴィエト連邦崩壊直後の数年間、巨大権力米国と、片やよたよたで弱体化した露西亜とを並べ比べた時、30年後にクレムリン政府と西欧主要諸国とが、世界に再び敵対しようとは、誰しもが夢だに思わなかった。一体何故こんな事になったのか、議論は吹き荒れる。どれ程の責任が米国側にあるのか、或いは、どれ程の責めがプーチンに、又はより広く露西亜の政治文化に帰せられるか、両者見解の溝は深い。この議論は扨置(さてお)き、少なくとも、過去6代の大統領諸政権は、冷戦後の露西亜と良好関係を築く努力を殆ど顧みなかった事実は否定できない。
今日、プーチン政権下の露西亜行動は、最も基本的国際秩序の教義と根本的に相容れない。彼は、露西亜を国際普遍的秩序に組み入れる気が全くないばかりか、可能な限り之を無視する事に務め、無視出来ない場合は之を葬るか打ち破ろうとする。彼は、欧州や中東の一般市民へ冷酷な軍事攻撃をも積極的に発動した姿勢を既に幾度も見せて来た。プーチン体制が、国境も他国の主権も尊重しない点は、現在継続中のウクライナ侵攻や同国一部併合の試みに見る通りだ。
今般の露西亜侵攻は、冷戦後時代の国際関係に関する諸見解や、これ迄影響を与えて来た多くの諸前提を覆した。そして、国同士の戦争が稀であった、歴史上の休息期間の終わりが告げられたのだ。更に、武力による領土拡張を禁じる規範は空洞化した。一方、経済相互依存関係は、世界秩序を脅かす脅威に対し防波堤と成り得ない事が明白化した。露西亜がそのエネルギー輸出を欧州市場に依存する関係は、戦争抑止に働くと多くの専門家達が信じていた。然し、現実には、斯様な絆は、第一次大戦勃発を防止できなかったと同様、今回も露西亜の行動を和らげる助けにならなかったのだ。更に、悪い事に、実際に制約を受けて苦しむのは露西亜ではなく、寧ろ、彼らとの相互依存を強める事を許した国々(最たるものが独逸)である事が証された。
然し乍ら、ウクライナとの戦争が長引けば、露西亜弱体化は避けられないだろう。ソヴィエト連邦と違って、現在の露西亜は最早決して超大国ではない。西欧諸国がウクライナ侵攻を受け、対露制裁を加える以前の段階で、同国経済は世界GDP十傑の選にも漏れる。更に、これら諸制裁により、2022年以降、同国経済規模は最大10%縮小する見込みだ。露西亜経済はエネルギー生産に過度に依存する。同国軍隊は指揮系統と組織統制が拙(まず)く、とてもNATO軍水準の比ではない。然し、此処でも問題なのは、プーチンの強気な姿勢、加えて、核を含む軍事力を無鉄砲に発動し得ると云う、彼が持つ能力の強大さに並べ比べ、余りにも不釣り合いな露西亜国力の矮小さこそが、実は同国を危険な国家としている元凶なのだ。
露西亜問題は、米国にとり重大且つ、眼前に立ちはだかる近い将来の事案である。これに対し、中国は、一層深刻で中長期的な問題と云える。世界経済の中に中国を組み込む事によって、同国が政治透明化と市場重視型へ進み、外交政策も穏健化するシナリヲに賭けた目論見は外れ、元手を取り戻せないばかりか、寧ろ、逆効果となった。即ち、中国は国内で一層抑圧的になり、毛沢東統治時代以来、例を見ない巨大権力が一個人に授けられた。国営企業群は削減される処か、今尚、至る所に遍く存在する一方、政府は民間産業の制限を企てる。又、中国は他諸国から日常的に知的財産を盗み自身で取り込んでいる。又、同国通常及び核兵器戦力は既に顕著な増強を成し遂げた可能性がある。更には、南志那海を軍事拠点化し、自身の強大な経済力を盾に近隣諸国を恫喝し、印度とは国境線を巡る戦闘を繰り広げ、香港民主主義を押し潰し、そして、台湾に対し圧力を強める状況だ。
それでも、中国は国内に重大な弱点を持つ。数十年間に亘る活況期を経て、同国経済が今や停滞し始めた事は、共産党体制適法性の根源的根拠の一つが減じる事を意味する。然も、同党が力強い成長をどの程度回復出来るか見通しは楽観を許さない。理由は、同国が課す政治上の制約下には技術革新が挫かれ易く、更に、年齢別人口構成に於いて労働人口層が縮小する等、諸問題を抱える為だ。一方、中国の攻撃的外交姿勢は、多くの隣国を離反させる結果となった。そして、中国は次の10年の内に、指導者交代と云う難題に略間違いなく直面する。習が、プーチン同様、権力を自身に一手集中させる手法は、如何なる禅譲をも複雑化させ、恐らくは権力闘争が不可避となろう。その結末の予測は困難だ。内部闘争の結果、国際外交に於ける積極主義が和らぐか、或いは、より穏健な指導者達が出現する可能性もある。然し、反対に、国内支持を呼びかける為、又は、公衆の注意を逸らす目的から、より一層、国家主義的な外交諸政策が設定される可能性もあるのだ。
此処で確かな事は、習も他の指導者達も共々、積極的攻撃所作を取った場合、中国が被る代償は、それが苟も発生した処で、他諸国が対中国輸出、即ち同国市場へ極端に依存する実情を考慮すれば、僅かなものに止まると考えている節がある点だ。現在の処、既にこの前提が正しい事は実証されている。従って、現時点に於いても、米国と中国が衝突する可能性は最早、極めて少ないとは云えぬのだ。一方、米国の対露、対中関係が緊張化する中、これら当時両国が互いに接近を図っている。彼らは、米国主導による国際体系に対し共に敵意を抱き、同体系は彼らの国内及び海外の野望と相いれないと見做すのだ。従って、彼らは次第に自身の目標に向け積極的に行動を起こし、然も両者協力の上で動くようになる。即ち、40~50年前とは逆の立場になり、今や米国が三角外交の中で仲間外れの状態に陥っているのだ。
深まる溝に用心が必要
今日、諸大国間に於ける地政学の図式が暗転するに連れ、地球規模の諸問題と、それらの解決に取り組む役割を担う諸機構の間に、亀裂が広がっている。世界的健康問題がその典型例だ。新型コロナウイルスによって露呈されたのは、WHO(世界保健機構)の限界と、豊かな先進諸国でさえもが、十分予見出来た危険に対し消極的姿勢、或いは無能力であった事実である。斯くして、世界中でこれ迄1千5百万から1千8百万人に上る人民が死亡したが、その内、少なく共、何百万人かの命は本来救う事ができた筈だ。更に、世界的感染拡大が発生してから略3年経った時点に於いて、尚、中国が独立機関による調査への協力を拒否した事によって、このウイルスが如何に発生し初期に広まったかを世界は知る由もなく、従って次なる大感染症を防ぐ術を得る事も出来ない訳だ。斯くして、お馴染みの旧態たる地政学的機能不全が新手の諸問題と相俟った場合に、危機が増幅する格好の事例が提供されたのだった。
その他、世界の直面する諸課題の中で、気候変動問題が国際社会に於ける最大関心事であるに違いないが、それにも拘わらず、その進展は極僅かだ。この10年内に、温室効果ガスの劇的排出削減が、もし世界規模で達成されない場合、この惑星上に存在する、我々が知る処の全ての生命を保存、保護する作業は一層困難になるのだ。そんな中でも、各国外交努力は力量不足で、状況改善の兆しはない。各国が思い思いに独自の環境目標を掲げる一方、その目標水準が緩くても、或いは達成出来なくとも、一切代償は課されない仕組みだ。更に、ウクライナ戦争下に於いて、新型コロナウイルス後の経済成長促進とエネルギー諸供給源確保、この双方維持に対する不安が高じ、各国は気候変動に対する配慮を犠牲にしても、エネルギー安定供給を優先する傾向が増大している。此処にも、再び、伝統的地政学的懸念が新手の問題とぶつかる事によって、その何れに対する対処も益々容易ならざる状況になっているのだ。
核拡散問題に至っては、現実は一層複雑だ。一部学者達によれば、現在、数十もの国家が既に核兵器を開発した。つまり、その内で、本格的な諸計画を発達させたのが、今の処9ケ国に過ぎない、と云う状況なのだ。多くの先進産業諸国は十分核開発能力を持ち乍ら、核を保有しない道を選択した。第二次世界大戦末期に米国が核爆弾使用して以来、未だそれを再び使った者はいない。又、これ迄、核がテロリスト集団の手に渡る事もなかったのだ。
然し、外見と現実は大違いなのだ。即ち、拡散が生じなかった中で、核兵器は新しい価値を物にした。ソヴィエト連邦崩壊後、ウクライナは自国領土内の旧ソ連軍核兵器を放棄した。しかし、それを以って、その後同国は露西亜によって二度の侵略を受け、この結果、核兵器を捨てれば自国安全保障を損なうかの如き教訓を、他国に指し示す事となった。又、イラクとリビアの両体制が、核兵器開発計画を放擲した後に打倒された事実は、他諸国の指導者達をして、同計画放棄を躊躇せしめ、或いは、自身での核開発又は外部からの核能力獲得が得策と考慮せしめる効果を持った。北朝鮮に至っては、核兵器とその発射手段開発を継続する事によって、同国の安全を担保している。又、露西亜の場合は、同国防御態勢の中で、核兵器の果たす役割が大きい。つまり、ウクライナ戦争に於いて、米国は、自国軍派遣や飛行禁止区域設定は核を伴う第三次世界大戦へ進展する虞がある為、これら決定を回避する意向であり、この事は中国やその他諸国にとって、相当規模の核兵力を保持すればワシントン政府を抑止できる、或いは、少なくとも同政府にかなりの制約を課す事が可能な証左と映った。
それ故、2015年に至ったイラン核合意(米国はその後2018年に離脱)の復活交渉の最中にも拘わらず、イラン側が核兵器計画に必須な、多くの前提諸条件を設置しようとするのは不思議な事ではない。この協議進行は現在壁に阻まれた状況に在るが、もし仮に首尾よく行った処で、問題の本質は消えない。何故なら、同合意には、多くの時限終了条項が含まれるからだ。従って、問題は、イランが核兵器を保有するに至るか否ではなく、寧ろ、同国の開発進度が、他国をして、テヘラン政府核兵戦力の完成を妨げるべく、攻撃を誘発せしめるに至るのは、一体何時なのか、と云う事だ。或いは、万一、イランが国際社会から激しい警告を受ける事なく核兵力配備を為し得た場合には、隣国のある国、又は複数国がイランに対抗すべく自国核兵力保有方針を結論付けるかも知れない。斯くして、30年間、世界で最も不安定であった、この中東地域が、更に危険に満ちた時代への転換拠点となる可能性が十分ある。
米国の国内問題
旧来の諸問題と新しい諸課題とが衝突、複合化し、米国主導型秩序に対する揺さぶりを強めるに連れ、恐らく最も危惧すべきは、米国自身の内部に現在生じている諸変化であろう。この国は尚多くの強みを保持する。然し、当国の幾つかの利点、即ち、法の規範、秩序立った政権交代の仕組み、才ある移民達を惹き付け大規模に受け入れる能力、及び、政治経済の高い移動性等は、今や嘗て程の輝きを失い、その反面で、銃乱射事件、地方犯罪多発、薬物被害、そして、違法移民等の負の局面が一層顕著になって来ている。これに加え、この国は政治的分断により後退している。2020年大統領選挙結果を拒絶する動きが共和党支持者に広く拡散した事態は、2021年1月6日の議会乱入事件を惹き起こした。この事実は、国を割って二派争った“北アイルランド問題”の米国版が出現する可能性をも示唆するものだった。従って、今後も、局所的には政治に触発された暴動発生が常態化するかも知れない。最近の最高裁の諸判断とそれらに対する反応が国内を分断する事態は、最早合衆国ならぬ、亜米利加“離散国”の印象を強めたのだった。
この結果、米国は、政体模範として魅力を喪失しつつあり、同国に於ける民主主義後退は他国へも同様の効果を及ぼしている。更に悪い事には、米国経済運営の失策が2008年世界金融危機を惹起し、より近来の失敗事例では青天井とも云えるインフレーションを許し、その上、国の威信迄損ないつつある始末なのだ。それでも、目下大最の懸念は、恐らく、ワシントン政府の基本的安定性に対する信頼自体が蝕まれている点だろう。つまり、米国外交政策は、世界に於ける自国の役割に関し国民合意を欠く儘、右や左へと激しく振れて来た。過度なイラクへの介入を図ったジョージ・W・ブッシュ政権は悲惨な結末を招き、オバマ政権下には、逆に意図的に中東や他地域への介入を過小に迄縮小し、挙句の果て、政権担当能力を欠くトランプ下では浅薄な取引外交に終始した結果、果たしてワシントン政府は信頼を失い、各国は「従来又は現行取り結ぶ諸条約は最早重視されぬだろう」との疑心を抱くに至った。バイデン政権は従来に増し、同盟関係と友好諸国を優先させたものの、結局は、米国の一貫性と運営能力に対する疑念を、再び、幾度にも亘り増幅する結果となった。特に昨年、アフガニスタン撤退は混沌を極めたものだった。
次の大統領執務室の主が誰かを見通せないのは世の常だ。今日の問題は、その人物が世界に対し米国外交政策を如何に進めるかを予想出来ない点に在る。この結果、米国同盟及び友好諸国は、このままワシントン政府へ依存継続する選択肢の対案として、より自己完結性強化か、或いは強力な近隣諸国へ恭順を示すかを、次第に検討余儀なくされて行くだろう。此処で新たに発生する懸念は、米国内がひどく分裂し、又は、行動を起こせない状況である、と敵対諸国に見透かされれば、ワシントン政府は競合諸国を抑止する能力をも失って行く事だ。
ある壮大な理念の一本槍で突き進む時代は終わった
我々が直面する、地政学的動乱と地球規模の諸課題が、今後の10年を決定付ける事は確実な状況下、米国外交政策に於いて分を超えた理念や概念は、冷戦時代に「封じ込め策」が発揮したと同様な役割を、最早果たす事が期待出来ない。当時、同理念は非常に明確で、之に対し良好な合意も形成されたのだ。そして、これら諸概念が、政治家達を導き、公衆には政策を説き、同盟諸国の結束を確保し、そして、敵対者達には牽制信号を発する事が出来た。然し、現在の世界はそんな単純な枠組みには収まらない。即ち、今日は、極めて多くの、異なる種類の諸課題に満ち溢れ、それらは単一概念の中に整理が付かないのだ。この状況判断が意味するのは、世界秩序は最早、単一現象として語れない、と云う現実だ。つまり、一方には、権力均衡や規範を共有する、その程度を反映した、旧来型「地政学上の秩序」が依然存在する。然し、もう一方で、今日、気候変動や世界的感染症拡大等の諸問題に対し、各国の協調行動が必要とされる中では、同行動に於けるその幅と深さを反映した「地球規模上の秩序」とも呼ぶべきものが、新たな要因として存在するのだ。そして、世界秩序(或いは、その欠如)は次第に、この「二つの秩序」を合算した結果によって左右されるようになるのだ。
だからと云って、之は、あらゆる外交諸問題に対し、米国が単独で、出た処勝負の策を講じるべき事を意味しない。そうではなく、従来の高邁な単一理念一辺倒の追求に代え、ワシントン政府は、数多くの諸原則と外交政策を導く為の諸手法を併用する事によって、来る10年に混乱を惹き起す危険を減じるべきなのだ。この変革作業は、言い換えれば、露西亜と中国の攻勢を抑止する為には、同盟諸関係を重視し、又、米国が見過ごす事の出来ない、そして単独では解決不能な地球規模の諸問題に取り組む為には、価値観を共有する選別的友好関係を基礎とする外交と云える。加えて、米国は、海外ではなく、自身の本国内に於いて民主主義振興に注力すべきなのだ。何故なら、国内に於いてこそ、民主主義強化実行の余地が大きく、且つ、もしその努力が成功しない場合、又失うものも遥かに大きいからだ。
眼前に於いては、露西亜ウクライナ侵攻が、国際秩序に対する最大且つ火急の脅威を生み出している。この戦争に適切に対処するには、現実主義的観点から意思決定行う点を含み、微妙な調整加減が必要だ。西側陣営は、ウクライナが引き続き主権国家として存続維持し、露西亜にはこれ以上領土占領を許さぬよう、軍事、経済両面で広範な支援を行う必要がある。然し、その一方、西側諸国は軍事力丈では露西亜による占領を終わらせる事は出来ない点も認識する事が必要だ。何故なら、占領終結は、恐らく、モスクワ政府に於いて体制変更を伴い、その場合、新指導者は、制裁解除を見返りとして、露西亜のウクライナ支配削減、又は、終了に応じると想定されるからだ。プーチン政権は斯かる条件を絶対に了承しない。従って、将来、彼以外の仮想モスクワ政権に対し、譲歩する価値の認められる案をその節に提示可能とすべく、ワシントン政府並び同盟諸国は露西亜エネルギー輸出に対し、現在、更に一層苛烈な制裁を課す必要があり、何よりも、欧州への天然ガス輸出は禁止措置が求められるのだ。
一方、同様に中国に対しても、地域秩序の基盤強化が必要である。その為には、日本との同盟関係、クワッド(Quad:豪州、印度、日本、及び米国)、及びオーカス(AUKUS:豪州、英国、及び英国)と云った枠組重視が欠かせない。欧州諸国が露西亜とぎこちない付き合いを余儀なくされる有様を他山の石とし、米国は中国との相互依存を減じて行く必要がある。同国との相互依存関係を維持するのは、実に多くの諸事例に於いて、同国へ依存し切る事と同義で非常に拙い手段なのだ。従い、対中輸出入規模が、米国並びに同盟諸国の健全な経済にとって、必要不可なものとならぬ程度に、同国との経済関係を嘗ての水準に緊縮させる事が必要だ。之に拠って、中国に対峙し、或いは必要に応じ制裁を課す事も可能になるのだ。米国及び他の西欧諸国は、重要物資に関し、供給元多様化、余剰手配、備蓄強化、在庫融通、或いは、場合によっては国内増産等、諸手段を複合的に駆使し、供給に於ける耐性強化を図らねばならない。これは、経済圏切り離し(economic decoupling)ではなく、寧ろ、経済圏遠隔化(economic distancing)の策なのだ。
もし、中国が台湾の意に反し行動した場合、ワシントン政府と同盟諸国は強硬な反応を取らねばならない。中国による同島占領を許せば、重大な派生効果を生ずる。即ち、米国の同盟及び友好諸国は米国依存型安全保障の再考を余儀なくされ、中国へ摺り寄るか、或いは何等か自立的戦略 ―恐らく核兵器獲得への展開も含め― へと向かう傾向を強めるだろう。又、台湾が先端的半導体の主要製造国である事に鑑みれば、同島を巡る衝突は、世界経済を根底から揺るがす衝撃に展開し得る。斯かるシナリヲを回避する為に、或いは、もし、中国の攻撃に対する防衛行動が必要とされた場合に、ワシントン政府は、台湾戦略を明白に表明する姿勢を取る必要がある。即ち、米国は同島防衛に軍事介入を厭わず、この約束履行には安全保障と経済諸手段の支援を実施する方針に関し、一点の疑問の余地も残さぬ事が肝要だ。そして、国際的な同調と支持を、より一層多くの国々から得る事が重要であり、斯くして、欧州と亜細亜の同盟諸国が結束すれば、容易に協調を取り合い、強力な一式の制裁策発動が可能となる。
露西亜と中国に対する関係は何れも複雑だ。両国共に米国に対し非常に競争的、乃至敵対的ではあるとは云え、それは一筋縄では整理しきれない深みと幅のある問題なのだ。従って、それぞれの国に対し、米国との二国間関係は、高役職の要人間による、非公式な戦略的対話構築をその枠組みの基礎とすべきである。斯かる対話の持つ合理性は、それにより何が成し遂げられるかの観点で測るべきではない。それによって何を喰い止める事が出来るか、がより重要なのだ。尤も、対中対話の場合には、対露の場合よりも、両国権力に就いてより広い課題領域に於いて、双方関係を誘導する規範設定を含めた模索を図れる可能性がある。米国、露西亜、及び中国の諸振る舞いや野望は、それぞれに分化し互いに競合する為、世界秩序に対し各国が一致して為し得る協力は、限定的な事案以外、その実現が期待出来ない。然し、その一方、地政学上の諸問題に関しては、其処から何かしら致命的な相互の思惑違いが生じる機会を減じたいとの考えは、当事三ケ国全員共通な為、これら三者を隔てる断層線は、又、相互間接触をより活発化させる一面も合わせ持つ事は確かだと云えそうだ。
一方、米国政策の狙いが、露西亜や中国の体制転換を求めるものであってはならない。その理由は、同策が歓迎されないからではなく、寧ろ、不適切で、非生産的だからだ。従って、米国は、相手が斯くあって欲しいと無い物強請(ねだ)りするのでなく、彼らの、在るが儘の姿と付き合って行く覚悟が必要だ。つまり、中露に対する米国外交政策の要諦は、彼らの社会を変容させる事ではなく、彼らが採択する外交政策の諸選択肢に対し影響を与える事なのだ。
然し、海外に於いては彼らの拡張策の成果を喰止めつつ、彼らとの衝突を回避する内、時間経過に伴い、彼ら自身の政治体制内部に圧力を生じ、40年間に亘る封じ込め策が結局ソヴィエト連邦を崩壊させた如く、望ましい変化へと辿り着く可能性もあるのだ。だからと云って、米国は、相手の体制存続を脅かす態度は中露の何れに対しても取るべきではない。何故なら、少なくとも、両国が「米国に対し是々非々で選別的外交を展開しても何も得るものはなく、無鉄砲な行為に出ても、こちらは失う物はない」点で見解一致し、両者手を結んで結束強化を図る事態は避ける必要がある為だ。
民主主義の振興に優先し、秩序回復を優先させるべき、今一つの理由があるが、これは中露とは直接関係がない。即ち、国際秩序構築への尽力は、それが侵攻や核拡散に対する反対であれ、気候変動や感染症との闘いであれ、重要なのは「非民主主義の諸国家からも、之に対し広く支持取付けが可能」と云う点だ。何故なら、国境や地球規模の諸問題に対する諸取組が尊重される事を前提とした秩序の方が、それら何れの尊重も前提としない自由主義の秩序よりも好ましい、と誰しもが考えるのは明白だからだ。処が、今回、非常に多くの国々が対露制裁には参加していない事が明らかになった。之に関して云えば、今般のウクライナ危機を「民主主義と独裁主義の対決」として枠組みする手法が、多くの非自由主義国指導者達の間に通用せず、潰えたのは、謂わば当然の帰結なのだ。同様の理論はサウジアラビアに対する米国との関係にも当て嵌まる。バイデン政権は、遅蒔(おそま)き乍ら、その修復に努めている処だ。つまり、民主化や人権擁護が重要でないとは云わぬが、現在の如く、世界が地政学と地球規模の諸課題によって定義される状況に置かれている以上、主義に基づく色分け選好を基本とした外交政策は非賢明にして持続不可能なのだ。
又、世界規模の諸課題に関する協力を、諸国へ呼び掛ける際に、米国が採る手法に就いても、その決定に於いては先述同様、現実的な見解が重視されるべきだ。即ち、多国間主義は一国主義よりも遥かに望ましいが、的を狭く絞った多国間主義こそが、寧ろ万国普遍的、或いは、広範な諸形態が同居する集団行動―これらは大概成功する事がない―よりも有力な期待がもてるのだ。この点は気候変動に対する一連の外交や貿易事例を見れば明らかだ。即ち、完全なる世界秩序でなくとも、ある一定程度の、特定諸領域に限定した秩序が、世界に提供される事を目標として、価値観共有が可能な、現実的友好国関係を追求する方が、より得策なのだ。此処に於いても、矢張り、現実主義が理想主義に勝るに違いないのだ。
斯かる観測は、気候変動に対する取組に関しても、幾つかの直接的示唆を与えて呉れる。気候変動は人類存亡に係る脅威だ。そして、世界的取り組みを為すのが最善であるにも拘わらず、地政学的諸事情がそれを引き続き妨げるだろう。その際、米国及び友好諸国は、的を絞り外交政策強化を図るべきだが、気候変動緩和の進展は、抑々(そもそも)外交手腕と云うより寧ろ、画期的技術進歩に負う面が恐らく大きい点に留意が必要なのだ。従い、政策手段の不足が問題ではなく、米国や他諸国に於いて、排出削減を促す為に、化石燃料原料や非効率な熱エネルギー工程で製造された財に対し税や関税を課すといった諸手法乃至貿易条約に対し、政治的支持を欠いている現状こそが、問題なのだ。つまり、これらの支援強化がなされるべきで、その結果、気候変動へ適合を図る為の目標に対し、より多く衆目が集まり、必要な資源が集中され、地球温暖化を逆回転させる技術獲得の探求に一層の力が注がれる展開が、実現可能となるだろう。
未来に向け陶冶する
最後に、幾つか考察すべき問題は、全て米国に直接係わる件だ。先ず、旧態依然として存在する地政学上の諸ジレンマに対し、新規に現れた諸問題を繋いで結ぶ難作業をこなすに当たり、米国が直面する脅威は、実に数多い。即ち、中露事案に止まらず、広域に亘る中東地域内でテロリストを支援するイランやその他破綻国の一群、更に、通常兵器に加え核能力も増進させている北朝鮮等々だ。それ故、安全保障上の観点から、ワシントン政府が防衛費のGDP比率1%増加を図る事は必要だ。冷戦当時との比較では、尚かなり低い水準ではあるが、これは顕著な増強と云える。従って、同盟諸国に在っても、同様の段取りが求められる処だ。
次に、今後10年を決定付ける多くの諸脅威への取り組みを進めるに際しては、米国が経済面に於いても、最大限の用心深さを保持しつつ、尚、大胆な行動を取る事が肝要だ。現時点では、現実にドルに代わり、世界に通用する、事実上の外貨準備通貨は未だ存在しない。然し、その日は来ないとも限らない。もし、米国が今後も、特に相手国中央銀行を標的に、ドルを武器として制裁を課す手法を頻発且つ常用した場合、その懸念が強まる。もしも、競合通貨が登場した際に問題化するのは、30兆ドル超に上る巨額の米国債務に対し、低金利借入れ維持が出来なくなり、債務脱却に要する返済費用の膨張が不可避となる点だ。既に、同債務の存在は、その利払い額が、金利上昇に伴い増加する為、本来、より生産的目的に資されるべき政府支出が代わりに締め出される、所謂クラウドアウトの恐れを発症している。然し、斯かる財政上の懸案は、一方で、貿易政策に於いてより積極的な諸策と合体させ処するべきだ。即ち、望むらくは、包括的且つ先進的な環太平洋パートナーシップ協定(TPP)への米国加入検討、更に、新規に発表された「印度太平洋と亜米利加の枠組み」を立ち上げて行く事によって、財とサービスの貿易障壁を軽減し、情報に関する規範を設定し、気候変動問題に対し実のある取組を為す事が期待される。
然し、最後の点として、今後10年で米国の安全保障上最大の危険は、結局、米国の己の身中に在る。分裂せる国家の永続はない。又、斯かる国家は世界の中で非効率だ。つまり、分裂化した米国は、信の置ける予測可能な友好国、或いは、指導者として評価される事がない。そして、自身が抱える国内諸問題の解決に当たるのも儘ならぬ事となる。国家分断に架橋する作業は、国内の各分野に於いて、即ち政治家諸君、教育者達、宗教指導者達、及び各家庭の両親達がそれぞれ粘り強く努力を続ける事を要する。譬え、理想とされる諸規範や諸行動と雖(いえど)も、それら大半は人々に強要する事は出来ないのだ。その代わり、有権者達は政治家の所作に応じ、彼らに報いか罰かを下す権限を授かっている。従って、有権者達の啓蒙が求められ、市民教育や公共業務への参画機会の拡充を含む、幾つかの変革が正式に導入される事が期待される。
最後に重ねて云おう。今後来る、極めて厄介で危険な10年 ―旧態の地政学的諸リスクに加えて、増幅を続ける地球規模の諸課題が相俟った事態の出現― を航行して行くには、巧妙なる外交政策を打つ事が必要だ。即ち、世界の変革を望む程に極端ではなく、そうかと云ってそれを全く無視する事なく、単独行動を取る事なく、そうかと云って、価値観を超えて迄全員参加は求めぬ手法だ。之の実現には、米国政治家と外交専門家達の高度な技量が求められる事、極まりなく、殊(こと)、折しも、彼らが命を尽くすべき国家自体が深く分断され且つ軽薄な遊山心理に浮かれ易き事態に在っては、尚更そうなのだ。そして次の事が確実に云える。つまり、今後10年と更に来る数十年が如何なる方向へ向かうかは、政府高官達が揮(ふる)う、国内での政治手腕と海外に於ける外交術の力量に懸かっているのだ。
(了)
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