執筆者:スー・ミー・テリー(Sue Mi Terry)、著者肩書:戦略国際問題研究所(Center for Strategic and International Studies)上級研究員。元CIA分析官。NSC(米国国家安全保障会議)及びNIC(国家情報会議)局員(それぞれ2008-9年、2009-10年)。
(論稿主旨)
バイデン政権が、数ケ月に及んだ長い検討期間を経て、漸く対北鮮政策を発表したのは、もう今年4月を過ぎた頃だった。然も「外交力と断固とした抑止力の両立」との政策内容はニュースで殆ど取り沙汰される事すら無かったのだ。「この核武装し国際社会から疎外された国家」にどう対処するかの問題は、何代にも亘り米国各政権を長く悩ませて来た。本件は、米国存亡を脅かす脅威に迄は拡大していないとは云え、今迄、決して解決を見ぬまま放置されて来たのだ。昨今、感染症蔓延と大国との覇権を巡る緊張に対峙するワシントン政府は、先に料理すべき大魚と集中すべき緊急課題は他所(よそ)にあると云わんばかりの対応ぶりだ。
しかし、こうした認識は大きな誤りで、寧ろ取り返しのつかない危険を招来するだろう。北鮮の核脅威を封じ込めるべく費やされた米国の諸尽力は、長年に亘り一貫性を欠き、そして屡々(しばしば)非生産的な諸政策により、一層の事態悪化を招いた結果、現在のジョー・バイデン米国大統領は、彼の前任者達が向き合った頃と比較にならぬ程、強大な能力を身に着けた敵に直面する事態となっているのだ。北鮮が初の核実験実施以来15年を経て、今や同国は60発の核弾頭を在庫し、その上、少なくとも毎年6弾づつ爆弾を追加製造するに十分な核分裂性物質を保有する。更に警戒を要するのは、これら兵器が、今や多分確実に、亜米利加大陸に届く射程を持つ点だ。北鮮は既に米国東海岸を攻撃可能な長距離ミサイルを配備していると見るべきだ。彼らがミサイルに核弾頭を搭載する技術をも身に着けたか否かに就いては現在尚、不確(ふたし)かであるものの、収集された限りの証拠に鑑みると、既にその能力を保持している公算が高い。そして、恐らく北鮮は、更に次なる段階へと進むだろう。即ち、一つのミサイルに複数核弾頭を同時搭載する技術を確立する事により、米国に於けるミサイル防衛を一層困難化させるのだ。斯様に、嘗て単なる仮定の話に過ぎなかった、米国本土に対する北鮮の核攻撃は、今や急速に現実の可能性となりつつある。
米国から壊滅的な報復を受け得ると承知する北朝が、現状、米国に対し核弾頭を発射する可能性は低い。しかし、核開発能力を向上させた北鮮体制は一層大胆化し、通常兵器による攻撃、テロ画策、或いはサイバー攻撃と云った無法行為に訴える危険性を徐々に増している。これらの事態が発生し、もし、米国の核の傘に対する信頼が日本や韓国で失われれば、今度は彼らが独自で核武装を模索する事も余儀ないとの発想に至り兼ねず、こうして新たな核競争が始まり、周辺地域が不安定化する可能性をも秘められているのだ。更に、北鮮の指導者、金正恩が、自身の狼藉諸行為を続けるのに、核ミサイル開発計画がその保護に一役買うと信じていれば、資金繰りに苦しい同体制が、核兵器やその材料並びに技術を他国家乃至非国家勢力へ売却する誘惑に駆られても不思議はない(現に北鮮は過去、シリアの原子炉建造を手助けし、ミサイルをイラン、ミャンマー、及び他諸国に売却している)。結論を云えば、核武装した北鮮は、譬え核兵器を決して使用しなくとも、既に米国の安全保障上の悪夢であり、且つ今後数年の後に、同体制が当該地域情勢を変じる起点となる事が証されるだろう、と云うのが私の見解だ。
北鮮の核開発計画は、歴代5人の米国大統領達を常に悩ませて来た問題で、ある時には危機的段階に至り、又ある時には、重要性は二の次へと後退した。ところが、ここ数年の内に、平壌(ピョンヤン)の核弾頭が米国本土をも射程範囲に収める迄に能力を高めた結果、その脅威の質は従来に比べすっかり変貌したのだ。仮に、時計の針を戻し、北鮮の核開発計画を無効にするような機会が、米国にとって、過去にもし存在していたとしたならば(そのような機会が現実に在ったのか否かは、検証が困難だが)、その瞬間は明らかに既に過ぎ去り、悔いたところで遅きに失したのだ。一方、この環境変化は非常に長い時を掛け進行した為、専門家や政治家達はその深刻さに謂わば慣れっこになっていた。ところが、間もなく北鮮の核への挑戦は、米国にとり途轍もなく対処困難で危険なものになりつつある事が、紛れもない事実として明らかとなった。関係者達がこの新たな事実に覚醒する今、今度はその対処策も又変更せざるを得ないのだ。つまり、先ず一つは、北鮮が世界中の反対に逆らい、米国が阻止すべく万策を尽くしたに拘わらず、結局は核戦力を保有するに至ったと云う、同政府に野望追求の成功を許した点を反省材料とし検証・考察する事、そしてもう一つは、米国が採り得る選択肢は今後一層狭められた事実を認識する事が必要だろう。
如何にして北朝鮮は核を手に入れたか
北鮮は貧しく孤立した国だが、高まる国際的非難を他所(よそ)に、弛まず核兵器保有を追求して来た。同国が核への野望を抱く始まりは、1950年代に遡る。当時、北鮮の科学者達はソヴィエト連邦の手助けにより原子力の基礎技術を習得したのだ。それに続く数十年間、同体制は原子力機密技術の集積を図り、1980年代には、同国初の原子炉を平壌(ピョンヤン)に建設する迄に漕ぎ付ける。1985年、北鮮は核拡散防止条約に署名したものの、それはソヴィエト連邦の圧力に従った迄で、同体制自らが望んだ事ではなかった。その直後、北鮮は、核兵器に使用する為、使用済核燃料からプロトニウムを抽出する作業に密かに着手する。数年間に及ぶ研究と原料濃縮は、遂に2006年10月、同国初の核実験という形で結実し、その後、更に複数回の実験を実施するに至ったのだ。
過去、ほんの数ケ国丈(だけ)が自国核開発計画を終了し、さもなければ、自発的に核兵器を放棄した国は、屡々(しばしば)その結果、政体変化を伴った。北鮮が例外という訳には行かない。同国にとり核兵器は、軍事上の資産、安心の為の保険、そして大いなる名声、これら全てを一度に兼ね備えるものだ。金一族は1948年以来、一度たりとて途切れずに同国統治を続け、独裁者達が大量殺戮兵器を放棄した途端、政権を追われ殺された、イラクのサダム・フセインやリビアのムアンマル・アル・カダフィーの二の舞は踏みたくないのだ。平壌(ピョンヤン)の指導者達は、何人(なんぴと)も、譬えそれが米国のような超大国であれ、究極兵器で武装した国に対し、敢えて攻撃又は、真剣な体制転覆を仕掛けない事を確信している。又、国内に於いては、核兵器は同体制にある程度の正当性を授けるのだ。即ち、国威高揚の名分の下、国家と軍備の支援の為には、一般市民が被る極貧生活をも正当化され得る。更に対外的には、核によって同国外交力を高め、反面、政治、経済、及びソフトパワー面に於ける、著しく貧弱な実力を補う事が出来る。一方、北鮮の核爆弾は、米国にとり、有事に際し同盟国韓国を防衛する潜在的費用を増加させる為、この事は、ワシントンとソウル両政府間の分裂を望む北鮮の意図にも適合するのだ。同体制は、見返に如何なる政治的或いは経済的妥協案の申し出を受けた所で、切り札を自ら放棄した事は嘗てなく、又将来もこの姿勢を変えないだろう。平壌(ピョンヤン)に対し、進行する核開発を実際に阻止する手段とは、彼らが最初の核弾頭を完成させる前に介入行動を起こす事だったであろう。しかし、その当時ですら、これを実行し成功したとしても、その代償は、容認するには余りに甚大なものだっただろう。
1994年の出来事を振り返ろう。恐らく、この時が、北鮮の核開発計画を永遠に排除出来る、唯一、最善の機会だった。当時、平壌(ピョンヤン)政府による燃料濃縮作業は良好に進行し、同体制は、査察対象となった寧邊の原子炉から原子燃料棒を7,8本移動させる事を企てていた。専門家達は、これらの燃料棒には核爆弾を半ダースは製造するに十分な、兵器転用可能なプルトニウムが含まれているとの嫌疑を持っていた。しかし、強力な圧力にも拘わらず、平壌(ピョンヤン)は国際査察団の現場施設立ち入りを拒絶した。
ワシントン政府は危険を察知、当時、米国国防長官補佐官だったアシュトン・カーターが「敵対する国家が、“核兵器保有”という一線を正に越えつつある」と発言し懸念表明、同政府内では軍事行動も真剣に検討された。クリントン米国大統領の執務机へ上がって来た、ある提案は、米軍の巡行ミサイルとF117ステルス戦闘機が寧邊を正確に狙って攻撃し、燃料棒を瓦礫の山の下に葬り、核分裂原料の兵器利用を阻止する作戦だった。しかし、クリントンが彼の持てる諸選択肢を検討している最中、米国元大統領ジミー・カーターが平壌(ピョンヤン)へ飛び、彼自身が主導し一つの提案を交渉した。即ち、北鮮は、原油と民生用原子力分野に於ける協力と引き換えに、核兵器開発計画を凍結する、と云うものだ。クリントンは、結局これに賛同し、同年後半には北鮮指導者、金正日との合意書に署名した。「枠組み合意」として知られる、この取引の下、北鮮は寧邊所在の、プルトニウムを産する原子炉を停止する事を宣誓。見返りに、米国主導の連合体によって、北鮮に対し今後10年分に相当する原油供給と同国内に民生用の軽水炉式原子炉2基の建設を、他諸合意と共に約した。こうして、潜在した戦争リスクは回避されたのだった。
歴史がどう展開したかを知った後(結局、北鮮は核開発を止めなかった)、我々は、クリントンがその機会があったに拘わらず、攻撃を見合わせた事は果たして正しかったのかに就いて、考えを巡らさざるを得ない。しかし、その事態は漠としており、この反事実の仮定に対しては大いなる疑問符が付くのだ。つまり、一回の空爆、又は数度の連続した攻撃を以ってしても、平壌(ピョンヤン)政府の核開発計画を遅らせる事が精々で、それを遡及し巻き戻すことは不可能だったろう。一方、もし、全面戦争となれば、それは、略(ほぼ)間違いなく、米国と韓国とが手を組んで北鮮を打ち負かす事を意味し、恐らくそれに続いて体制変更が起こり、北鮮核開発計画が終焉する保障が得られた事となる。しかし、その代償はとても許容できるものではなかっただろう。北鮮の弾薬は、米国と韓国の火器に比べ劣るとは云え、尚、侮る事は出来ない。即ち、北鮮側の攻撃によりソウル市丈で25万人の死者が発生し、ある筋の諸予測では全体では百万人が死亡したとされ、譬え戦いに勝ったとしても、それはとても犠牲に引き合わない。
しかし、クリントンとカーターの外交を以って、北鮮を制御する事は出来なかった。即ち、平壌(ピョンヤン)は、1994年の合意以降、プルトニウム抽出能力は凍結したものの、その替わり、秘密裡にパキスタン核計画の父と呼ばれたA.K.カーン博士と共に、今度はウラン濃縮化技術の開発に注力した。2002年10月、米国特使は、北鮮が行う欺瞞行為に就いて、同国高官達を詰問したのだが、彼らは全く悔い改める様子がなかった。それから数ケ月もたたない内、北鮮は国際査察団を追い出し、そして核不拡散条約から撤退、こうして再び新たな緊張が生み出される事態になった。
「枠組み合意」擁護派の者達は、同策が破綻した責任の一旦はジョージ・W・ブッシュ米国大統領に有ると考えた。と云うのも、嘗て2002年、ブッシュは米国によるアフガニスタン侵攻直後、北鮮をイラン、イラクと一括りにし、所謂「悪の枢軸国」との好戦的な修辞句を以って名指ししたのだ。北鮮はこれに驚いて、合意破棄を決定する流れに結び付いたと云われている。一方、条約でその建設が約された軽水炉は工期が遅れ、「枠組み合意」に謳われた、外交関係の正常化が米国によって実施される事は決してなかった。しかし、北鮮が欺いているとの証拠をブッシュ政権が掴んだ以上は、一体その上で何が出来きたと云うのだろう? 同体制が枠組みに復帰するよう、更なる譲歩を提案し説得を持ちかけるような策は、相手が約束を違えたの対し、単に褒美を以って報いる事を意味し、それは、後に一部の批評者達が予想した通り、将来一層欺きを繰り返す事を奨励する結果になっただろう。つまりは、実際の所、合意が破れたのは北鮮自身で招いた結果と云えるのだ。
一方、2002年時点に於いて、米国が、逆に、北鮮への関与を強化する策を進めた所で、それが微々たる成果しか生まなかったであろう事は、韓国が隣国北鮮を説得しようと別途努力を重ねても無駄だった点を思い起こせば明白である。韓国は、所謂、太陽政策の下、北鮮との相互関係改善を期待し、1998年から2008年の間、凡そ80億ドルの経済援助を実施した。韓国金大中大統領は、金成日との歴史的会談によりノーベル平和賞も受賞したが、その首脳会談は、当時、世界から隔離されていたその独裁者に現金5億ドルをプレゼントする事で実現した事が後に暴露される。しかし、これら呼び水諸策によって、北鮮の軌道が変じる事は殆どなかった。寧ろ、反対に、北鮮が合意された枠組みから2002年に離脱すると、同国核開発計画を一層加速させたのだった。
一方、米国は「経済制裁と圧力を掛ける策を転じ、予備交渉と条約合意が為されると、今度はその合意が常に破棄される」と云う苛立ちが募る周期から脱する事ができない状況だった。そこで、ブッシュ政権は、他諸策に加え、北鮮の外貨取得ルートを遮断する事に力を入れた。即ち、これら外貨は、彼らが麻薬密輸を主に、その他、偽札や資金洗浄により得たもので、これらの資金の流れを標的としたのだ。実際、同資金が北鮮エリート高官達の贅沢に過ぎる生活を支えていた。この新政策の目玉は、2005年、ワシントン政府が澳門(マカオ)拠点の銀行、バンコ・デルタ・アジアに対する制裁を発令した事だ。北鮮は同銀複数口座に総額2千5百万ドルを預金していたが、これが凍結された。更に、これを皮切りに、世界中の銀行に対し、北鮮資金口座の調査を強化したのだ。この圧力は目した通り効果を発揮した。それは、北鮮側高官がこれら制裁を忍従し難いと呼んだ事から伺い知れるし、更に、ウオールストリート・ジャーナル紙に拠れば、ある北鮮高官は、酒をちょいと過ごし酩酊した際、米国側交渉相手に対し「君たちは、遂に我々を苦しめる手段を見つけた」と漏らしたと云うのだ。
しかし、この様に成功への強い手応えが有ったにも拘わらず、これら制裁諸策は長続きしなかった。翌年、平壌(ピョンヤン)が初めて核兵器実験を実施した際、同政府との加速的対話再開に熱心だったブッシュ大統領は、バンコ・デルタ・アジアの北鮮口座凍結を解除したのだ。交渉は長引いたものの、漸く共同声明発表に迄漕ぎ着け、その中に北鮮は、全ての核施設を無効化し核関連材料並びに技術の輸出を停止する事を宣言した。見返りに、ワシントン政府は、北鮮をテロ支援国家リストから除外し、原油供給と食料援助再開を約した。ところが、平壌(ピョンヤン)側は、厳格で骨の折れる査察検証の諸手法を拒み続けた挙句、ブッシュ大統領が政権を去ると共に、同条約を葬ってしまったのだ。一方、条約が破棄されたにも拘わらず、ワシントン政府はバンコ・デルタ・アジアへの制裁復活も無ければ、北鮮をテロ国家のリストへ再指定する事もなく(再度リスト入りしたのは、これから略10年後)、こうして平壌(ピョンヤン)政府による核兵器の威嚇に対しご褒美を以って対処する悪しき事例が残された。
「ミサイル野郎」に恋したトランプ大統領
オバマ政権時代にも同様に期待が持てない態勢が続き、2009年5月には北鮮が2度目の核実験を挙行する。その後、数年間の行き詰まりを経て、バラック・オバマ米国大統領は、北鮮の新指導者の金正恩と2012年に一時(いっとき)の合意に達した(金は前年父の死去後、権力掌握していた)。今回は、大陸弾道ミサイル実験と一切の核開発の停止の見返りに、米国が食料援助を行う内容だった。ところが、合意締結後間もなく、北鮮は長距離弾道弾発射と同じ技術を使用し、宇宙衛星を打ち上げ軌道に乗せる挙に出、こうして2回目の合意は敢え無く散じた。挙句の果て、平壌(ピョンヤン)政府は、同国核兵器は交渉材料たり得ず、譬え何十億ドル積まれても決して計画を断念しない旨を宣言したのだった。
この出来事で、オバマ政権が期待を寄せた取引の可能性に終止符が打たれた。そして、ワシントン政府は嘗ての「戦略的忍従」方針へ立ち戻った。この策は「挑発行為に対する制裁実施」から今度は又「制裁緩和に伴う支援再開」へと向かう、悪循環の輪を断ち切る為のものだと、国家安全保障会議局員のジェフリー・べイダーは説明した。つまり、制裁を継続するものの、一方で外交に於いては何ら主導的行動を控える策だ。しかし、この様にオバマが問題を先送りした事は、韓国観測者達の革新派と保守派の双方を苛立たせる結果となった。即ち、革新派の“当事者達”の目には、核の脅威が悪化する事態に直面する中、まさかの諦めの策と映り、一方、強硬保守派は、ワシントン政府は圧力を一段階引き上げる事に失敗したと苦情した。
ところが、2017年ドナルドトランプが米国大統領に就任するや、従来の待ちの一手は突如止めとなる。「政策的忍従」を投げ捨て、「最大限の圧力」を掛ける政策を選好したトランプは、制裁を大きく増幅させ、財務省に対し、北鮮との貿易を手引きする全ての外国企業並びに個人のブラックリストを洩れなく作成させた。又、同政権は国連安全保障理事会を説得し、新たに一連の制裁強化策を採択させ、平壌(ピョンヤン)の外貨入手経路を略半減させる事を目指した。一方、一連の漏洩情報に依れば、トランプ政権は北鮮の核施設を予防的な先制攻撃で相手を“叩いて出血させる”作戦も考慮されていたと云う。これら一連の動きは、「ロケット野郎」―北鮮の指導者をトランプ自身が見下して付けた渾名(あだな)―に対し、“炎と怒り”を雨あられの如く降り注ぐと云うトランプ流の脅しを背景に為されたのだった。
金も彼独自の虚勢を張って応酬し乍ら、一方で、2018年、新年の演説の中で同国核計画の完了を宣言し、韓国に対し条件付き対話の申し入れを行った。彼は、更に韓国側特使団を通じ、米国大統領との頂上会談を提案したのだった。これを自身の交渉上手を示す好機と嗅ぎ取ったトランプは、それを聞くや即座に提案受諾する。斯くして、従来の最大出力の圧力策は、一瞬にして最大の思い入れへと変貌して行った。
トランプは2018年から2019年に掛け3度に亘り、金との会談に興じ、ある時点では彼と金が「相思相愛」になったとさえ豪語する浮かれぶりだった。しかし、この愛情劇は何ら実のある結果を生む事はなかった。シンガポールで開催された最初の首脳会談では、トランプは何とも奇妙な、作り事のプロモーションビデオを持参し上映披露、その中に、もし北鮮が核兵器を放棄したならば、同国が手にするであろう繁栄ぶりを宣伝した。ところが、金自身は既に、個人的に望む所の、ありとあらゆる贅沢品を手に入れる事が出来た上、彼の体制を安泰にする核兵器を手放す余地は存在せず、トランプの思惑は完全に空振りに帰した。それにも拘わらず、トランプは「朝鮮半島の完全なる非核化に向け作業を進める」という双方にとり曖昧な約束を遺し、その場を後にした。これに続き、すっかり骨だけで身のない約束に、後から肉付けをするような試みは、当然の事乍ら何一つ成功しなかった。
尤も、北朝鮮領域に於いて、何らかの大惨劇招来は回避して、トランプが政権を去る事が出来たのは、それ自体、ひとつの成功と見做していいだろう。一方、より特筆すべきは、彼が初期に採用した、圧力を掛け孤立化させ、ならず者国家を締め上げる戦略は、実に効果的に機能した点だ。2017年末頃迄には、北鮮の輸出は凡そ90%が国際法上の違法取引に該当した。即ち、米国による最大限の制裁に加え、石炭、鉄鉱石、海産物、及び繊維品と云った同国収入の要となる取引品目が、その他商品に加え、国連安全保障理事会による九つの決議により禁止された。それらは年間30億ドルの利益を金体制に齎(もたら)していたが、それらを断つ試みだった。国連決議は実施されて初めて有効となるが、大概の予想に反し、この時は中国がここ数年間、重かった腰を漸く上げ、彼らの役割を果たした。更に、平壌(ピョンヤン)政府がこれ迄制裁逃れに利用していた海外ルートも断つべく、20ケ国以上の国連加盟国が同国との外交関係の制限に動いたのだった。
この様な最大限の制裁は、譬えもっと長期間に亘り継続されたとしても、北鮮をして核兵器を放棄させるには恐らく至らなかっただろう。然(さ)り乍ら、この策は、平壌(ピョンヤン)政府の核開発に現実的な歯止めを設けるべく、トランプが実施した首脳会談に比較すれば、遥かに、成功する可能性が高かったのだ。それは、イランが核開発計画の後退(廃絶ではないものの)に2015年に合意した事例が示す通りだ。即ち、同合意は、ワシントン政府が3年間に及んで、最大限の圧力をイランに掛け続けた結果得られたものだった。同様に、もし、北鮮が、当時、より長期間の経済制裁を被る事になって居れば、それは、同国が誠意ある交渉に臨み、途方もない過剰要求の姿勢を改める動機付けには成り得ただろう。ところが、事態はこれと異なり、トランプ大統領による交渉取引のみを基軸とした、生煮えで定まらない政策余波を受け、不幸な事に、経済制裁の規制網に洩れが生じ出す。即ち、中国とロシア両国共に経済制裁の締め付けを緩めたのだ。又、今日の韓国も2017年に行った無制限な経済制裁復活を支持する環境に無い。理由は、同国文在寅大統領は、残り半年の任期を余すのみで、北鮮に対し一足飛びの対話再開を強く望み、ここ数年停滞する南北両国間の諸計画を再び始動する事を狙っている為だ。
甘い期待は禁物だ
過去を振り返ると、これ迄の様々な出来事は極めて希望の持てないものだった。ワシントン政府は、平和的な手段を全て使い切り、最早選択肢は残っていなかった。非核化を達成する一つの方法、即ち、北鮮に侵攻し同体制を倒す策は、余りに不確実性に満ち、もしも実行されていたら、とても許容不可能な、多大な人的犠牲を伴っただろう。そして、北鮮の核開発計画を遅らせるには、ワシントン政府に与えられた余裕は余りに少なかった為、永久解決に向け、当面は時間を稼がざるを得ない状況に追い込まれ、同政府は、外交策から“政策的忍従策”へ、そして今度は“怒りと炎”の策に至り、再度、外交交渉へ戻ると云った具合に、方針が曲折する内に時間は浪費され、結局、どの策を取っても、何一つ、実のある成功を収める為の決め手たり得なかった。
ある者は、そもそも、米国の敵対心こそが北鮮を核爆弾保有へと向かわせたのだと主張し、もし、米国が北鮮と国交正常化し、経済制裁を解除し、平和条約を締結し、韓国から米軍を撤退させていたら、状況は異なっていたと論ずる。しかし、この論法は原因と結果を履違えている。米国軍兵士は、1950年、北鮮による韓国侵略に対し派兵されたもので、彼らが尚も駐留しているのは、未だに北鮮による脅威が去っていないからなのだ(現に、2010年には、北鮮は韓国海軍艦船を魚雷で轟沈、海兵隊46名が死亡している)。更に、譬え、米軍が引き揚げたとて、蔓延している北鮮の脅威は払拭されない。欺瞞と抑圧の下に確立されたスターリン独裁主義的な金王朝は、自国に於いて正当なる根拠を持たぬが故に、常に内なる脅威に曝されているのだ。つまり、隣で競合国韓国がより自由で、繁栄を享受している状況がある限り、金一族は決して安泰では居られない。又、核兵器は、米軍による軍事攻撃を辛うじて食い止める為の、同専制体制の捨鉢的な自衛策なのだ。
とは云え、米国側政治家達がこれまで、屡々(しばしば)北鮮体制の真意を読み違えた事も事実だ。これら政権運営を担当した陣営は、嘗て金とも会談を持ったトランプを含め、北鮮の指導者達と平和追求の方針を共有し、援助拡大と経済的利益を提供する見返りに核兵器を放棄させるよう誘い出す事が出来ると錯覚した。一方、強硬派は、彼らの主張として、大惨事の戦争に至る事なく、軍事攻撃により北鮮の核開発計画をピンポイントで無力化するような機会が、例えば、1994年或いはもっと最近に於いても存在していたと考え、寧ろ誤った方向へ迷い込んでいる状況だ。残念乍ら、そのように簡単に行く手段など存在しないのだ。
もし、本当に影響を振るい得る政府があるとすれば、それは米国でなく中国だ。中国は断トツの北鮮の最大貿易相手国であり、主要なエネルギー供給元なのだ。中国が石油供給を停止する丈で北鮮をいとも簡単に屈服させる事が可能だ。実際、中国は2013年と2014年、それぞれ数ケ月に亘る供給停止を実施した。一度目は北鮮の核実験再実行に対し、二度目は北鮮の張成沢(金の叔父で中国にとり平壌との窓口だった)殺害に対し、同国が激高した為だ。しかし、この圧力は一時的で立ち消えとなった。中国は、北鮮の核開発を決して応援する立場でないものの、彼らがより恐れるのは、余りに強力な圧力により平壌(ピョンヤン)体制が崩壊し、大量の難民が中国に流入するばかりか、その際には米国軍や韓国同盟軍が国境線迄迫りくる事態に至る事なのだ。更に、米中の冷めた関係を考慮すれば、北京政府にとり米国に手を貸す義理は感ぜられない。
新たな脅威
平壌(ピョンヤン)政府に対し、バイデン大統領は、近来、最も決定的な打ち手を欠く状況でその対処を強いられる米国指導者であると云え、更に、判断を誤れば、唯でさえ既に困難な情勢は、恐るべき危険を孕んだ結末へ向け劇的に悪化する可能性をも秘めている。更に、過去の大統領達とは異なり、今や、バイデンは、核ミサイルによる米国本土攻撃能力を含む、手強い核抑止力を有した、独裁的な敵国に直面している。尤も、バイデンもこれ迄は金を、左程過敏に認識する必要がなかった。と云うのは、金は通常、米国新大統領に対し、挨拶代わりにミサイルか核実験を放つのが恒例だが、感染症蔓延の悪影響によって気を逸らされたのか、これ迄の所、なりを潜めているからだ(訳者注:本投稿掲載は2021年8月末。その後、9月、10月に掛け3回ミサイル発射されたのは周知の通り)。しかし、今後起こりうるのは、金は、過去何度も繰り返した通り、挑発的戦略を再開し、その後に続いて、結局、不誠実な平和交渉を持ち掛けて来るだろう。そして、其処から問題が高じやがて頂点に達するのは避けられない展開となる事が危惧される。
バイデン政権は次なる危機には如何に対応すべきだろう? 譬え何が起ころうとも、予防的に先制攻撃を仕掛ける事は、依然やってはならぬ禁じ手だ。1994年当時、既にこの選択が余りに危険で実行するには代償が大き過ぎると見做されたのであれば、今日の情勢に於いては尚更の事である。北鮮の核弾頭とミサイルの多くは秘密基地内に隠匿され、しかも爆撃の威力の及ばない貯蔵庫に埋蔵されていると云う。更に、複数の核弾頭はいとも簡単に自在に移動が可能だ。空爆の手段では、これら能力を一撃の下に破壊する事は困難で、寧ろ、金に核による報復攻撃の機会を与えてしまうのだ。
外交交渉がより良策とは云えるものの、それによって非核化が実現されるかと云えば、そうではない。最善の場合でも、平壌(ピョンヤン)が一時的に核開発計画凍結に合意することで、ある一定期間、核兵器能力を制限出来るのが精々だろう。しかし、この手の交渉は、査察による検証を巡る問題で、結局は失敗するのは、歴史が示す通りだ。譲歩を重ねた結果、何の見返りも得られないと云う状況は断ち切り、その替わり、バイデンは次の二つの事実を受け入れなければならない。即ち、第一に、北鮮の独裁体制が続く限り、同国が核兵器を放棄するのは期待出来ない事、そして、第二に、それでも、米国主導で体制転覆を図るのは、少なくとも短期的には選択肢としてあり得ない事、だ。そこで、バイデンが取るべき最善策は、脅威を封じ込めて置いた上で、同体制の維持する権力を弱体化させるべく、底辺から徐々に切り崩しを図る事だ。
先ずは、経済制裁の実施が肝要だ。それには、中国が制裁発動を自身の優先策として位置付けない限り、2017年当時の「最大限圧力」策の水準迄に復する事は困難にして、恐らくは殆ど不可能だろう。しかし、北鮮による、核実験や長距離ミサイル試射等の新たな挑発行為に直面すれば、中国は制裁に復帰する可能性もある。ところで、ワシントン政府は、北鮮の違法資金の流れと海外銀行預金を再度標的にする事が出来よう。又、米国は、これが自国の対中国戦略の太宗に触れぬ限り、北鮮と取引を継続する中国諸企業に対し、二次的制裁を課す事も可能だ。
同時に米国は、北鮮による周辺諸国侵攻の抑止にも尽力すべきだ。これらを実行する上で、米国は同盟国である、日本と韓国に対し一層の協調を図る事が必要となり、一方、これら両国は双方もっと密接に協力し合う必要がある。同時に、これら同盟3ケ国は、統合的なミサイル防衛、合理的な機密情報共有を推進し、その他諸策の中でも、特に対潜水艦攻撃能力を向上させる余地がある。
核拡散防止策も又重要だ。ワシントン政府は、地上、海上、空路の全てのルートを集中的に検閲し、如何なる核拡散行為をも検挙できるよう、諸国連合による体制を築く必要がある。同時に、バイデン政権は、不拡散の侵犯は、それが如何なるものでも、苛烈な帰結が北鮮に齎(もたら)される点を明白にしなければならない。これら囲い込み策を実施し乍ら、ワシントン政府は、北鮮の人民に対する同体制の掌握力を弱らしめる為に、地道な努力を積み重ねる事に注力すべきだ。外界からのニュースは、中国と接する穴だらけの国境を越え既に北鮮に徐々に浸透している。同国内の闇乃至灰色の市場の存在により、禁止された技術やメディア情報が拡散するのは容易になっている。この結果、より多くの北鮮の人々が国家の虚像と残酷な現実との乖離を、これ迄以上に、目の当たりにするようになって来た。虚構に拠って立つ体制にとり、急速に人々が目覚め始めるのは大きい脅威であり、ワシントン政府が独自の情報操作工作活動を増加させるのは効果的だろう。
又、バイデン政権は、北鮮が自国民に行った悍(おぞ)ましい虐待の実態に対し、引き続き国際社会の注目を向けさせる事も重要だ。同体制は、国民に食糧や基本的生活基盤の満足な供給をせず、替わりに限りある国家資源を全て核兵器製造に注ぎ込んで来たのだ。ワシントン政府はこの関連に焦点を当て、新たな国連人権侵害調査と本件に就いての決議実現を追求すべきだ。
この戦略、つまり情報煽動作戦と人権擁護活動とを合わせ用いる策は、嘗て西側諸国がソヴィエト連邦を崩壊に導いた政策と同様の効果が期待出来る。金は権力掌握以来、20年目に入る。しかし、同体制は実際にどれ程安定しているかは、誰も知る者がいない。彼の健康悪化の諸説渦巻く中、同国内経済環境は一貫し悲惨な状況である。現体制が当面どのように転ぶにせよ、長期的見通しに就いては、同体制が純粋に実のある経済改革を実行しない限りは、極めて寒々しいものと云わざるをえない。ところが、一方、諸改革を推し進めれば、彼らの体制自体に不安定を生じる虞があるのだ。斯様な背景にも拘わらず、情報煽動作戦や人権擁護活動は、核脅威を逓減させる観点からは、残念乍ら、何ら即効的効果を発揮するものではない。それでも、それらは将来、体制がより持続的に移行して行く為の種を植え付ける事になるかも知れないのだ。そして、北朝鮮が、自国民に対し責任を負って釈明し、且つ彼らの要望に応えて行くような時が至るに及び、初めて、非核化へ向け有効な進展の生まれる機会も期待出来る。将来、ある指導者の下で変革された体制下に於いて、核兵器による抑止力の必要性を左程重要ではないと認識するに至れば、その結果、同国国民や周辺国に与える脅威は減少するだろう。
この様な体制変更や変革がないとした場合に、それ以外に、核危機に向け、唯一長期的な解決策たり得るのは、その実現見込みは極めて低いものの、不可能とは云い切れないのが、民主的に選出された親欧米派ソウル政府の下に、南北朝鮮半島の統一を見る事だ。もし、統一がなされ、民主主義の韓国が核兵器を継続保有する道を譬え選んだとしても、それは平壌(ピョンヤン)独裁体制が現在世界に与えるような脅威を齎(もたら)す恐れがない。詰まる所、北朝鮮の核脅威は同国政体を反映するものだ。従い、同体制が自身で劇的変化を遂げるか、或いは破綻する時迄、この脅威は継続すると覚悟せねばならぬ。 (了)
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