【投稿論文】ウクライナ応援賛歌 我々の未来は同国に懸かる ~民主主義対虚無主義の負けられぬ戦い~(原典:Ukraine Holds The Future ~The War Between Democracy and Nihilism~ Foreign Affairs September/October 2022, P124-141)

執筆者/ティモシー・スナイダー(TIMOTHY SNYDER)、イエール大学教授(歴史、国際関係)。『Bloodlands』、『On Tyranny』著者(邦訳書名それぞれ『ブラッドランド』、『暴政』)

(論稿主旨)

 専制国家として古く年季の入った露西亜(ロシア)が、勇敢にして断固民主主義を貫こうと抵抗するウクライナを破壊しようとしている。ウクライナが勝利すれば、国家自治の原則が堅守され、欧州の結束は確かなものとなり、善意の人々を元気付け前進させ、戦争以外の世界的重要課題へ取り組むべく再活性化が可能だ。反対に露西亜が勝利すると、ウクライナでの大量虐殺は続行され、欧州の人々を従属させ、EUが有する如何なる地政学上の構想も廃れるだろう。万が一、露西亜が黒海の違法封鎖を継続すれば、ウクライナ産穀物に頼るアフリカや亜細亜の人々を飢餓に陥れ、この突発的国際危機が長く尾を曳く結果、気候変動問題等、本来最優先に取り組むべき世界共通の諸危機への対応が取れなくなる。そして、露西亜の勝利は、全体主義者や他の圧制者達、並びに「政治とは世界破壊を一般市民の目から逸らす為に、僭主支配者が仕組んだ壮大な見世物に過ぎない」と考える虚無主義者達を勢い付かせるだろう。換言すれば、この戦争の勝敗が21世紀の諸原則を決定するのだ。それは、大量の人命を左右する政治の問題であり、且つ政治に於いて人命とは何かを問う問題でもある。

 民主主義に関する議論は屡々(しばしば)古代ギリシャの都市諸国家に迄遡る。アテネ市民の起源に纏わる伝説に依れば、彼らは、ポセイドン神と女神アシィーナとから複数の恩恵を受け、庇護された民と云う地位を手に入れる事が出来た。海を司るポセイドン神が、彼の三叉の矛を地上に打ち下ろすと、大地は震え、其処から塩水が吹き出た。彼は、アテネ市民達に、海の恵みと戦う力とを提供したが、市民達は又、塩水による湯通しで味付けする術も身に付ける事が出来た。そして、女神アシィーナはオリーブの種を植え、それがオリーブの木に成長し、その木は、人々が沈思熟考する為の木陰、及び、食する為のオリーブの実と調理用油を提供した。これらアシィーナ神による恵みを、より有難く思った人々は、町に彼女の名を冠し、その恩恵に浴したと伝えられる。

 ギリシャ伝説は、民主主義とは平穏なものであり、思慮深く思考と栄養摂取とを行う生活であると示唆する。然し、アテネ市民達は生存の為に戦争に勝利する必要もあったのだ。民主主義の護持に関し余りにも有名な、ペリクレスによる国葬演説は、片や自由とそれを得るために負わざるを得ない危険との折り合いを述べたものだ(*訳者後注1)。ポセイドン神は戦争にも効用を発揮し、時として、その三叉の矛が振り下ろされねばならなかったのだ。又、この神は、相互依存の重要性も伝えた。即ち、繁栄と、又、時としては生存そのもの迄が海上貿易に依存した。抑々(そもそも)一体、アテネのような小都市が、その限られた耕作地でオリーブ栽培に励んだ処でどうして十分な食糧を市民に供給する事が出来ようか? 実は、古代アテネ人達の栄養源は、現在のウクライナ南部の肥沃な土地に育ち、そして黒海北海岸経由で輸送される穀物だったのだ。ユダヤ人と共にギリシャ人は、最も永いウクライナの居住者として知られる。その証として、マリウポリは、露西亜人によって破壊される迄は、彼らの町だったのだ。又、現在戦闘が継続する、南部地域のへルソンは、その名をギリシャのある都市名に借りている。又、この4月、ウクライナ軍は露西亜海軍の旗艦「モスクワ」を、ネプチューンミサイルで轟沈したが、“ネプチューン”とは、“ポセイドン”のローマ語名である。

 偶然にも、ウクライナ人にとって国家象徴のマークは「三叉の矛」だ。その矛は、凡そ1千年前、今のキーウにバイキングが建設した国家遺跡の品々の中に実際に見る事が出来る。ギリシャ語を母国語とする東ローマ帝国(ビザンチン帝国)からキリスト教が伝播した後、キーウの統治者達は、非宗教的な法律を施行した。国は奴隷制を脱して農業経済へと発展し、人々は身柄の束縛に代え、納税義務を負うようになる。そして数世紀の後、キーウ公国陥落後、ウクライナの農民達は、先ずポーランド、そして次には露西亜の統治下に農奴化された。1918年、ウクライナ指導者達が共和国設立の際に、彼らは「三叉の矛」を国家象徴のマークとしたのだ。此処での“独立”とは、束縛から解放される事に止まらず、自分達が相応しいと思う儘に土地を利用する事を意味したのだった。然し、このウクライナ共和国は短命に終わる。

 1917年、露西亜帝国終焉後に成立した、他の若い、多くの共和諸国と同様、ウクライナの場合も、ボルシェビキによって国は破壊され、ソヴィエト連邦へと組み込まれて行ったのだ。そして、ヨシフ・スターンは、ウクライナの肥沃な土地を支配する為に、政治上意図的な飢饉を同地に惹き起し、ソヴィエト支配下のウクライナ人居住者達が1932年と1933年の両年で400万人も餓死する事態が生じた。又、当時グラーグと呼ばれた、ソヴィエト強制労働収容所でも、ウクライナ人達の人数は、異常に突出し多数を占めていたのだ。更に、ナチス独逸がソヴィエト連邦へ侵攻した際、アドルフ・ヒトラーの目的はウクライナ農業を支配する事だった。此処に於いても、ウクライナは、再び過剰に突出する民間人犠牲者を出す事となったのだが、今回は独逸占領者達に加え、その後独逸軍を破った露西亜赤軍兵士達による蹂躙をも被った。それにも拘わらず、第二次世界大戦後、ソヴィエト支配下のウクライナは緩慢な露西亜化政策によって、彼らの母国文化は劣化して行ったのだ。

 1991年にソヴィエト連邦が終焉を迎えるや、ウクライナ人達は即座に、「三又の矛」を彼らの国家象徴とし再び使用した。以来30年間と云うもの、ウクライナはたどたどしい乍らも、間違いなく、機能可能な民主主義へ向け移行を続けて来た。現在、国の運営に当たる世代は、ソヴィエト時代とソヴィエト以前の歴史とを承知しているが、何よりも「自治」こそが自明の理と理解する人々だ。今や、世界中で民主主義は衰退し、米国に於いては、それが脅かされる事態も出現する中、露西亜侵攻に対するウクライナ人の抵抗は、民主主義の諸原則並びにその将来に於ける信頼に関し、我々の不意を打つ形で、多くの真理を投げ掛けた。この意味に於いて、今般のウクライナ問題は、民主主義の倫理的基礎を忘却し、その上、故意か無意識かを問わず、僭主政権や帝国主義国家に自国或いは海外領土の割譲を許した、西側陣営の人々に対する挑戦と捉えるべき出来事と云える。即ち、ウクライナ人による抵抗は、歓迎されるべき挑戦であると同時に、是非とも必要なのだ。

安逸な宥和策に流されるか否かが問われる

 20世紀に於ける民主主義の歴史を振り返れば、同主義に対する挑戦に正面から向き合う対処を仕損じると、悲劇が起こる事を思い起こさせて呉れる。1991年以降と1918年以降、これらは世界が民主主義の隆盛と凋落とを、それぞれの期間に如実に目撃した転換点だった。そして、恐らく、今日の転換点(ある道か、さもなくば別の道かの分岐)となるのが、ウクライナだ。過去に照らせば、今の同国と同じ立場にあったのが、嘗ての欧州戦争に於けるチェコスロヴァキアだ。1938年、チェコスロヴァキアは手強い隣国と国境を接しつつ、国内には多数異なる人種・言語を抱えた、未完成な共和国家であった点、2022年のウクライナに符合する。そして、1938年(9月)に欧州諸大国(英、仏、伊)が、ヒトラーに対しミュンヘン会議に於いて宥和策を採る選択をして以降、ヒトラー体制はチェコスロヴァキア民主主義に対し、脅迫を以って圧力を掛け、1939年(3月)には遂に抵抗も受けずに侵攻し、同国を分断し併合した。当時、チェコスロヴァキアで起きたこの事件は、今般、露西亜がウクライナに対し企てたと臆される計画に極めて近似する。プーチンの弁舌は、ヒトラーの盗用と思しき程類似している。即ち、当該の隣国民主主義国家が独裁的政権であると宣言し、侵攻の大義名分として少数派人民が迫害を受けている、と実態と掛離れた空想物語を強調し、且つ又、当該隣国が恰も存在せず、違法国家と断じる点、正に両者瓜二つなのだ。

 1938年時点、チェコスロヴァキアは手堅い軍事力と、欧州随一の軍事産業とを擁し、更に、自然要害を利した要塞化で防御を固めていた。従い、独逸が公然とした戦争を闘った場合には、チェコスロヴァキアを屈服させる事は出来なかったかも知れず、少なくとも、いとも容易く迅速に軍事行動遂行が出来なかった事は確かだ。それにも拘わらず、チェコスロヴァキアの盟友諸国は同国を見捨て、当事国指導者は抵抗するよりも、此処が運命の帰路になるが、自分自身が亡命する道を選択したのだった。つまり、同国敗退の決定的要因は意気盛んなる戦意を欠いた点に在ったのだ。そして、この敗退は、同戦争により同大陸が物理的に変革され、後に欧州ユダヤ人達の大量虐殺(ホロコースト)を生む為の、幾つかの前提条件を整えるのを手助けする遠因ともなったのだ。

 そして、1939年9月独逸によるポーランド侵攻によって第二次世界大戦が開戦する時点には、既にチェコスロヴァキアと云う国は存在せず、その領土と資源は、独逸の思いの儘に再配分されたのだった。即ち、之により独逸は、ポーランドとより長い国境線を共有し、多くの人口を併合し、チェコスロヴァキア製戦車軍と、更に数万人に上るスロヴァキア人兵士達を手に入れた。更に、独逸はソヴィエト連邦と云う強力な同盟国も加え、同国はポーランドへ東側から侵攻して独逸と共にポーランド破壊に加担したのだ。独逸によるフランスや北海沿岸低地帯諸国(ベルギー、ルクセンブルグ大公国、和蘭)侵略、並びに、1940年と同年後半の英国戦争に於いて、独逸軍車輛はソヴィエト産重油を燃料とし、ドイツ軍兵士達はソヴィエト産穀物を食糧としたが、これらは全てウクライナから搾取されたものであった。

 この全て一連の出来事は、独逸に易々とチェコスロヴァキア併合を許した事に端を発するのだ。そして、あの時、もし仮にチェコスロヴァキアが反撃に出て居れば、第二次世界大戦は、少なくともそれが辿ったと同形態で展開する事は無かっただろう。無論、1938年、独逸軍がボヘミアで身動きの取れない状態に陥ったとしたら、一体何が起こっていたか、それは誰にも判らない。然し乍ら、これ丈は確実に云える事がある。即ち、独逸同盟諸国が参集し、独逸敵対諸国は驚愕する素となった、“最早止める事が出来ない程の時の勢い”をヒトラー自身が自覚する事態には至らなかったに違いない。少なくとも、ソヴィエト指導者達が、独逸との同盟関係締結を正当化するのは困難化していた筈だ。そして、ヒトラーが後にポーランド侵攻するに際し、苟もチェコスロヴァキア製兵器を使用する事は出来なかっただろう。更に、英国と仏国は戦争の用意と、多分はポーランド救援の準備をする時間をより多く確保出来たであろう。更に云えば、当時の情勢下に於いて、人々が極端な政治政党に惹き付けられて行ったのは、大恐慌が主要因であった。処が、1938年迄に欧州は大恐慌から既に回復途上にあった。即ち、ヒトラーがチェコスロヴァキア併合と云う、最初の野望で、もし出鼻を挫かれて居れば、極右政党が大衆に示した魅力自体も大きく減じられていた筈なのだ。

近代後-時代の専制者達

 チェコスロヴァキア指導者達とは異なり、ウクライナの指導者達は戦う道を選び、そして、少なくとも、他の民主主義諸国家から支援を受けた。抵抗を試みた結果、ウクライナの人々が数多く在った暗澹たるシナリヲを回避して行く間、欧州及び北米の民主主義諸国にとっては、思考を巡らしそして準備する丈の時間を稼ぎ出して呉れたのだ。今日、2022年にウクライナが発揮した抵抗が如何に重大であるか、それは、嘗て1938年に実施された宥和政策が重大であっと同様、我々が自分達の未来が開かれるか、或いは排除されるかの問題を真剣に考えた時に、初めて理解する事が出来る。

 プーチン体制を理解するには専制政治の古典解釈と全体主義の近代概念とが助けにはなるが、何れも十分ではない。専制者達の基本的弱みは、特有なものとして古くから知られ、例えば、プラトンが著した『国家(Republic)』の中にも書き留められた通りだ。即ち、専制君主達は有用な助言に聞く耳を持たず、年老いそして病を得るに従い固執が強くなり、不滅の遺産を残さんと切望する。これら全ての要因が、プーチンによるウクライナ侵略決断の裏に在ったのは明白だ。又、専制政権の一形態である全体主義も今日の露西亜を説明する助けとなる。同国の特徴として、個人崇拝、事実上一党独裁体制、強力な国家を挙げての宣伝行為、合理的説明より意思を重視、そして、彼我敵対型政治姿勢等が挙げられる。従って、斯様に合理性よりも暴力を優先させる全体主義を打ち破る方法は、力を以って対処する以外ない。又、全体主義とは決して特異なものではなく、第二次世界大戦が終結する迄は、全体主義諸国家内に限定されず、寧ろ当時一般に広く流布していたのだ。但し、それは独逸と伊太利亜が戦争に負けた事を以ってのみ、その信認は失墜したのだ。

 処が、露西亜の場合、抑々(そもそも)全体主義で在り乍ら、徹頭徹尾同主義に貫かれてはいない。プーチン体制の中心には、ある種空虚な空間が存在する。それは、写真に写った露西亜高官達の宙を見つめる空虚に満ちた眼差しに象徴される(之は、こうする事によって男性的な冷静沈着さが醸し出されると彼らが信じて行う習慣なのだが)。プーチン体制が機能する仕組みは、嘗ての独逸、伊太利亜の全体主義国家が行った如くの、一つの大きい目標を掲げ社会を総動員する手法とは異なるものだ。そうではなく、彼の場合には、個々人に対し逆に動員解除をしつつも、彼らに対し「確実なものは何も存在せず、信頼すべき諸組織も存在しない」という考えを植え付けるのだ。ウクライナ戦争に於いても、露西亜指導者達による、この動員解除の習慣が問題含みとなった。即ち、彼らは市民に対し、銃を取る代わりTVを視聴するよう指導したのだ。然し、動員解除の底流に存在する斯かる虚無主義が、民主主義に対し直接脅威を与える点に十分注意を要するのだ。

 プーチン体制は帝国主義兼僭主政治である。そして「全ての世界が従来からこうなっているのだ」と徹底宣伝する事に拠って生存を維持する仕組みだ。一方、露西亜が全体主義、白人国家主義、及び混沌状態を推進して行く中で、同国にはある種の支援者達の一派が生まれた。それが虚無主義だ。つまり、「民主主義は資本主義の自然の結果」とする右派、及び「あらゆる意見は全て有効」とする左派から、それぞれ双方見解を吹き込まれる結果、人々は、果たして何処に倫理的基準を置くべきかを見失ってしまうのだ。斯様な状況に陥った場合、本来は民主主義的な市民達であっても、寧ろ、底がない虚無主義こそが魅力的に見え始める。其処に持って来て、露西亜国家宣伝局員達は、「物事を壊す」彼らのお家芸を発揮する結果、それは恰も、玉葱の皮を何処までも剥(む)いて行った挙句、結局、最後には、他人の涙と自分の覚めた笑い丈が残る、と云った有様に至るのだった。現実に、2014年、露西亜の前回ウクライナ侵略の際には、露西亜は脆弱な欧州と米国人達を標的とし、ソーシャルメディア上に、ウクライナはナチスで、フェミニストで、男色家だ、とのでっち上げ物語を流す宣伝工作に於いて勝利を収める事が出来た。然し、それ以降、状況は大きく変化している。ウクライナの若い世代は、クレムリン政府の年寄達よりも、優れたコミュニケーション能力を身に付ける時代となったのだ。

 プーチンが行う体制防衛の行為と、ウクライナが行う抵抗との間には、両者を譬えて比較すれば、前者が文芸評論に過ぎぬのに対し、後者は文学そのものである位の違いがある。即ち、プーチン政権の防御は、それが解体行為であれ、真意を隠蔽する行為であれ、これらに従事する高官達が提供する仕事は、所詮は文芸評論家の如きものだ。一方、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領によって具現化されたウクライナ抵抗運動は文芸そのものに近い。即ち、芸術に対する深い敬意と揺るぎない信念を抱き乍ら、その行為の目的は単衣(ひとえ)に価値観を明確に表明する事に在る。もしも、ある人の持てる全てのものが文芸評論に過ぎぬ場合、その人は全てのものが消え失せる事をも甘受し、民主的政治を可能とする諸価値に関しても、これらを極めて受動的態度で不承不承(ふしょうぶしょう)容認するのが精一杯だ。然し、ある人が文学そのものを備える場合、その人はある確固にして強固な信念を体現する事が出来る。即ち、様々な価値観を具現化する事こそが、人間として興味惹かれ且つ勇敢な作業であり、それに比すれば、諸価値観を退け、嘲笑するが如き振る舞いは足下にも及ばぬ、と云う信念だ。

 何かを生み出す行為は、批判する事より重要で、然も将来へ繋がって行く。即ち、行動は嘲笑に勝るのだ。ペリクレスは斯く語った。「我々が拠所とするのは組織統制や計略ではない。我々自身のこの心と腕こそ頼みとすべきなのだ」と。狡猾そうに黒スーツ姿に身を包む露西亜側信奉者や宣伝情報員達と、誠実を感じさせるオリーブ色の服を着用するウクライナ指導者達や兵士達とを見比べると、この対照的容姿は、果たして民主主義が求める最も基本的な要求とは何であるかを我々に改めて思い起こさせて呉れる。即ち「個人は各々、それにより生じる危険を躊躇する事なく、諸価値を公けに主張しなければならぬ」と云う事だ。古代哲学者達は、政治諸体制の興亡に於いて、物質的要因に決して劣らぬ程に“美徳”が重要な役割を果たす事を認識していた。当時のギリシャ人達は、民主主義が僭主独裁政治に陥り易い事を知り、又ローマ人達は共和国が帝国化する事を知り、彼らは何れも、斯かる変遷が生じる原因が、政治機構と共に倫理の問題である事を理解していた。この知識が、西欧文学と哲学に於ける伝統の基礎となったのだ。一方、アリストテレスの言葉通り「真実とは民主主義に必要不可欠である一方、宣伝工作には容易に屈する」のは事実だ。民主主義の復活は、1776年米国独立でその事実が自己証明された如く、何れの場合に於いても、倫理的主張を基礎としたものだ。即ち、民主主義は自然発生し存在するのではない。民主主義とは、国家を僭主独裁や皇帝による帝国支配へと貶める、様々な引力が遍在する状況に於いては、譬え優勢を奢る体制に抗してでも、倫理上の責務を果たし主張すべき行為として、その存在が是非とも必要とされるものなのだ。

 上述の通り、之こそが、歴史上全ての民主主義復活に於ける原点であり、寧ろ1989年東欧諸国革命と1991年ソヴィエト連邦崩壊後に生じた、民主化諸事例の方が例外なのだ。それにも拘わらず、露西亜とウクライナとが共に独立国家として出現した際に、世界潮流は資本主義に収斂し、最早、民主主義に取って代わるものが無くなった事態を指し「人類は“歴史の終わり”に到達した」と銘打つ程の、頑(かたくな)な確信と過信が人々の心に宿った。斯くして、多くの米国人達は、僭主政治や帝国主義(自国であれ、他国であれ)に対し、本来抱くべき警戒心を失ってしまった。そして、更に「民主主義が、倫理上の責務や身体の危険に立ち向う勇気とは本来切っても切れない関係を持つ」事をも忘れ去ったのだ。それが、20世紀後半になると、今度は民主主義に関する議論が正誤混濁する事態となる。即ち「民主主義は自然体で行き着く事象、或いは、ある恵まれた国家に於いては不可避的に到達する政体である」との此の誤った事実に基づいて、人民を統治するのが倫理的に正しいと主張する論理だ。斯かる誤解が民主主義を、それが歴史ある国であれ、新しい国であれ、脆弱なものに変えてしまったのだ。

 民主主義は自然に偶々発生し、そして全ての意見は等しく妥当である、との誤った信念の結果生み出されたのが、今日の露西亜政治体制だ。もし、仮に上記信条を真実とするなら、プーチンが主張する通り、露西亜は正に民主国家と云えるが、土台そんな訳はない。従い、ウクライナ戦争とは、斯くも途方ない民主主義を宣言する専制国家に勝利を許すか否か、そして、斯様な理屈が罷り通り、論理と倫理を欠いた真空地帯の拡散を許すか否かを問う試金石なのだ。民主主義が与えられたものだと考える者達は、夢遊病者の如く彷徨(さまよ)い歩いた挙句に、所詮行き着く先は専制国家なのだ。ウクライナの抵抗は之に対する警鐘である。

真摯なる闘争

 露西亜が今回ウクライナ侵攻を開始する前の日曜日、私は米国TV番組の中で、譬え露西亜が侵攻しても、ゼレンスキーはキーウにと止まるだろうと予言した。この予想を以って、私は嘲笑されたのだが、それは、私が嘗て、露西亜による前回ウクライナ侵攻、及びトランプ米国大統領が惹き起すであろう民主主義の危機、更にはトランプによるクーデターの企てを予想した時に受けた仕打ちと同じものだった。それは、私が教鞭を取るイエール大学の講義に於いての出来事だったが、トランプ及びオバマ大統領の前顧問達はこぞって、私のこれら諸見解に反対を表明したのだった。詰まる処、彼らは皆、単に当時米国内に形成されていた合意を代弁したに過ぎないのだ。即ち、米国人達はウクライナ戦争を分析する際、9/11テロ襲撃事件が未だに落とす長く暗い陰、及び同事件以降続く米国の士気低下と軍事諸行動の失策とに関連付けた思考から逃れる事が出来ないのだ。即ち、バイデン政権内部では、キーウ政府への肩入れによって、最終的にカブール陥落の二の舞を踏む事を高官達が恐れた。一方、若者達や政治的左派は、イラク侵攻を巡り、政府が国家的見識を欠く現実を目の当たりにし、当時深い憂慮を抱いた。即ち、政府の無見識によって「ある体制を崩壊させさえすれば、その後には、白紙状態から民主主義が自然発生するだろう」との見解が正当化され、イラク侵攻へと突っ込んで行ったのだった。その途轍もなく馬鹿げた解釈のお陰で、結局一世代もの長きに亘り、米国人達は、戦争と民主主義が実は表裏一体である事実に対し疑念を抱く状態が続いているのだ。再び軍事介入する事への躊躇は判らぬでもないが、然し、イラク戦争とウクライナ戦争との類似点は、極(ごく)表層的なものに過ぎない。ウクライナ人達は、彼らの理念を他国へ押し売りする事はしておらぬ。彼らは、自分達の指導者を自らが選ぶという彼らの権利を、民主主義を排除し彼らの社会を消滅させようとする侵略行為から、守ろうとしている丈なのだ。

 トランプ政権は、又、別の方向から虚無主義を拡大させた。トランプは当初、ウクライナに対する武器供与を拒否する事によって、ゼレンスキー大統領に対し脅しを掛けたのだ。更に、彼は、米国大統領ともあろう者が、同選挙に敗退した後もその地位に留まる為にクーデターをも厭わないという事実を世界に示した。ウクライナ国内で、民主主義転覆の計略により我々同胞の市民達が殺戮されるのを、米国として座視するのは、民主主義を守る為に命を懸ける行動とは真反対のものだ。勿論、もしも、仮に次の条件が成り立つ前提ならば― 即ち、民主主義がより大きい権力の為に機能し、倫理的観点は度外視されるものであれば― トランプの行動はそれに沿っており非難の云われはない。更に、もしも、仮に誰もが次の事― 即ち、資本家の利己的欲望が自動的に民主主義の美徳を生み出し、そして、誰が選挙に勝利したかに就いて嘘をつく行為は、誰にも認められた表現の自由の行使である―と信じるならば、トランプは正常な政治家と云える。然し、上述仮定は何れも全くお門違いで、結局は「あらゆる価値と真実を否定」する露西亜思想の具現化を、トランプは臆面もなく肩代わりして、行っていたに過ぎないのだ。

 米国人達が、民主主義の本源を既に殆ど忘れてしまってから久しい。民主主義とは、選ばれた、ある一人の政治家、或いはその市民が、之を守る為に、生きるべきか死ぬべきかを選択するに値する価値観なのだ。ゼレンスキーの場合、彼が危険を選択する事により、自身の役処(やくどころ)を、トランプスキャンダルの脇役(*訳者後注2)から民主主義の英雄へと変遷させた。この時、米国人達は皆、ゼレンスキーが亡命を願っている、と端(はな)から信じていた。と云うのも、米国人は皆「人間個人では及ばぬ大きな諸力が大勢を決する」との考えに支配されていたのだ。つまり「ウクライナ市民が民主主義を獲得すれば、それは大変結構、然し、もし彼らがそう出来ない場合にも、民衆達は結局、非民主主義的環境にも順応して行くだろう」と無責任に考えた。然し、これに反し「武器をよこせ!亡命の送迎機は無用」と云うのが、キーウ離脱を提案した米国に対する、ゼレンスキーからの返答だった。之は、ペリクレスの国葬演説の雄弁さには及ばぬかも知れぬが、その意味する処は同じだ。即ち、生き延びんが為の道に固執する人間より、死ぬべき道を正しく選択する者にこそ栄誉は宿ると云う事だ。

 この30年間、余りに多くの米国人達が「民主主義は、誰かしら他人が拵(こしら)えて呉れるか、或いは又、何らか外部要因によって造り出されるか、それが当たり前だ」と了解して来た。即ち、例えば、歴史が終わる、又は、その他の選択肢が消滅する、或いは、何やら理解し難い魔術を駆使した資本主義(露西亜も中国も結局は資本主義者である)の力が働く場合、等々だ。然し、そのような時代は、2月のあの夜、ゼレンスキーが携帯電話で自撮りをしつつ「大統領は此処に踏み留まっている」とキーウに現れた、その瞬間に終わりを遂げた。仮に、一国の指導者が「民主主義とは、抗しがたい大局の流れの結果誕生する」と信じるならば、事態の成り行きが彼に不利と見るなり、彼は当該国から逃亡しただろう。そして、この論に従う限りは、彼自身の責任問題は発生しない。処が、民主主義には「真摯なる闘争」が本来必要とされる点は、米国19世紀奴隷解放運動家フレデリック・ダグラスが指摘した通り正しいのだ。自分達を遥か圧倒する軍事勢力に対してウクライナ人達が見せた抵抗は「民主主義とは歴史上既に明白に宣言された内容を安穏と唯(ただ)引き継いで行く」事ではない点を、世界に知らしめたのだ。つまり、民主主義とは歴史を造る行為その物だ。帝国主義、少数独裁政治、及び政府宣伝による重圧にも負けずに、人間の諸価値を勝取る為に邁進する事。そして、その行為を通じ、従来には見い出せなかった可能性を暴く事なのだ。

 ゼレンスキーの語った「大統領は此処に踏みとどまっている」との一片の事実は、「彼が既にキーウを捨てて逃げ出した」と主張する露西亜側宣伝を打ち消す効果を持った。然し、キーウが攻撃を受ける最中、屋外で撮影されたあのビデオ映像は、上述の表層上の事実のみならず、それ迄忘れられていた、言論の自由の回復と云う意義を帯びた点が重要だ。「言論の自由の目的は、権力者に対し真実を述べる為だ」とは古代ギリシャ悲劇作家エウリピデスの言葉だ。言論の自由を行使する者は、彼が語るそれらの言葉自体と、之に加え、彼が自由に語る行為によって彼自身が負う危険との、これら両面から「現状直面する危うい世界が何であるか」を明瞭に主張するのだ。つまり、ゼレンスキーの場合に照らせば、爆弾が降り注ぎ、暗殺者達が接近する危険な状況の中、「大統領は此処に居る」と彼が放った言葉により、正にゼレンスキー自身が“真実の中に生きている”事が明確化された訳である。この「真実の中に生きる」とはヴァーツラフ・ハヴェル(反体制運動指導者を経て1993年チェコ共和国初代大統領)によって使われた言葉で、或いは、現在刑務所に収監されている私のある教え子の言葉を借りれば、“歩く言論”と表現しても良いだろう。尚、ハヴェルの最も有名な論文『力無き者達の力(The Power of the Powerless)』は、チェコ哲学者ヤン・パトチカの追憶に特化した著述だが、パトチカ自身は、共産党政権下チェコスロヴァキア秘密警察に尋問された後、間もなく死亡した。1975年から1991年迄KGB職員であったプーチンも、又、これら尋問官達の残虐な伝統を受け継いでいると云える。即ち、「真実は存在しない、犠牲を捧げる価値があるものは無い、全ては冗句であり、誰でも彼でも裏切って売り渡す事が可能だ」、そして、更に「権力が正義を造り、愚か者達だけがそれを信じるのを拒み、その結果、彼らは愚か者である故の罰を受ける」との信条だ。

 1991年以降、先の共産主義の虚無主義の流れと「民主主義は個々人とは無関係な諸力の働きによって齎(もたら)される」との西欧諸国側の自己満足な考えとが合流する。然し、斯様な考えを持つ者達は一体全体、もしも仮に、これら諸力が民主主義とは異なる方向、例えば、少数独裁政治や帝国主義へと押し進んで行った場合、その時、其処には何が生じるかを理解しているのだろうか? 先述のエウリピデスやハヴェル、或いはゼレンスキーの伝える処に従えば、「大きな勢力は常に個人を圧するべく圧し掛かる、それ故に、言動に対する責任感と、危険をも顧みない実行を伴う勇気とによってこそ市民権は獲得される」のだ。即ち、真実は権力を保持する側に存在せず、権力に立ち向かい防衛を試みる者達の側にこそ共に在るのだ。之こそが、言論の自由が必要な理由だ。弁明を述べ立てたり、規範に順応するのを目的に言論の自由が在るではない。その存在意義は、世界に対し諸価値を主張する事にこそ在る。何故ならば、この主張行為こそが、自治獲得の為の前提条件だからだ。

 1989年以降の退廃期、北米と欧州民主主義国の多くの市民達は、「言論の自由」を、金満家達が勝手気儘に馬鹿げた発言をばら撒く為に、メディアを利用する能力と直結して考え、それを異としない状況に陥って行った。その結果、人々が言論の自由に就いて思い起こす場合、ある僭主政治家は如何に多くのソーシャルメディアのフォロワー達を従えているか、そして、抑々(そもそも)その僭主政治家が如何にして財をなしたかに就いて、殆ど注意を払う事がなかった。プーチンやトランプの如き僭主政治家達は、権力に対し真実を物申すのとは正反対の態度を取る。即ち、彼らは権力を得んが為に嘘をつく。トランプは選挙で大法螺を吹き(彼が大統領選に勝利したと)、プーチンはウクライナで大法螺を吹いた(同国は存在しないと)。特に、プーチンの戦争正当化を試みる理由に使われた、東欧州に関する彼の偽りの歴史観は、その余りの無法振りによって「最早、何を主張してもお構いなし」の如くに感覚が麻痺する点、警戒を要するのだ。つまり、もし、世界のある大金持ちが、ある日突然、巨大な軍隊を引き連れて「隣の国は存在しない」と宣言したとしたら、之はよもや、言論の自由とは呼べない。それは、大量虐殺を示唆する差別発言で、斯かる形態の行為に対しては、之に対抗すべく、早言論以外による実力行使で対処する以外ないのだ。

  プーチンは、2021年7月発表の論評中に、10世紀に生じた歴史諸事象により露西亜とウクライナが一体であるべき事は予め決定付けられている、と論じた。之は途轍もなく怪奇な歴史解釈だ。歴史とは、一千年の時と、そして何億人もの命を紡ぐ営みであり、その中へ踏み込んで行くのが許されるのは、人類が持つ創造性の特権と云える。然し、プーチンの場合、この独裁者の男が持つ特異な発案は、過去に遡及し自分の権力系譜を自身に都合良く独断的に選び取る事を目的とするに過ぎない。国家と云う物は「政府から公式発表された神話」によって決定付けられるものではなく、過去と未来とを繋ぐ人々によって築かれて行くのだ。仏国歴史家エルネスト・ルナン曰く「国家とは、謂わば、毎日の国民投票によって造り上げられるのだ」と。又、独逸歴史家フランク・ゴルチェフスキーが次にのべた言葉は正しい。即ち「国家の象徴とは、ある種、歴史上のそして政治の可能性をこそ意味するのであり、人種、言語、及び宗教は二の次の要因だ」と。そして、同様の事が民主主義に関しても当て嵌まるだろう。つまり、民主主義とは、それを得る為に危険をも辞さぬ覚悟に裏付けされた価値の名の下に、それを望む人々の手によってのみ達成され得るものなのだ。

 ウクライナ人の国家は存在するのだ。日々の国民達の総意表明は明白で、彼らの真摯な抵抗そのものがその証拠だ。然し、本来、如何なる社会も、世界に真実を知らせんが為に、露西亜侵攻に対し抵抗を余儀なくされる状況が続くのは決して好ましくない。又、侵攻前及びその最中に、根本的真実を我々の為に報道せんが為の取材活動中、何十人ものジャーナリスト達が、本来命を落とさなくとも良かった筈だ。詰まる処、我々西側陣営が苟もウクライナに注目を注ぐに至る迄に、いやはや何とも大なる尽力(そして多くの無用な流血)を費やす事になったかと云う事実その物が、露西亜の虚無主義が呈する挑戦の恐ろしさを示している。その一方、果たして、西側諸国自体が「民主主義の伝統を是認する立場を堅持する」と云う、本来あるべき姿勢に対してどれ程近しいものであったのか? 実際にはそれから程遠かったのではないかと反省すべきだろう。

露西亜が放つ大法螺(おおぼら)

 「言論の自由は、権力に対し真実を訴えるのが目的である」との主旨を、人々が、もし忘れた場合には、権力者が繰り出す数々の大嘘により民主主義が棄損され行くのを見破れなくなる。プーチン政権が之を如実に物語り、それは厚顔にも捏造された嘘をばら撒いて、政治運営する手法の代表例なのだ。この議論に拠れば、露西亜の本音とは、抑々(そもそも)事実が存在しない事を受け入れる処に成り立っている。つまり、西側陣営とは異なり、露西亜の場合、端(はな)から全ての価値観を否定する事により、偽善を避ける考えなのだ。又、プーチンは、所謂相対主義を利用し、その地位を守るのが信条だ。即ち、彼自身の国家を向上させるのではなく、他諸国の見栄えを悪くする事で、自身の相対評価を上げる手法だ。従い、時として、之は他諸国を攪乱する挙に出る事を意味する。例えば、2014年のウクライナ選挙に対する露西亜介入(但し、これは失敗)、そして、2016年英国に於けるEU離脱向け国民投票に対するデジタル介入、及び2016年米国大統領選に際しトランプを支援するデジタル介入等だ(後者2事例は何れも効を為し成功)。

 前述した「真実は存在しない」とする、ある種達観した仕組みは、プーチンに行動の自由を与えると共に、彼を守るに有用である。具体例を示せば次の通りだ。即ち、例えば、露西亜人達は、先ず、ウクライナが世界で重要な中心地であると語って聞かされる。そして次には、シリアが世界で重要な中心地であると云われ、そして今度は又しても、矢張りウクライナが世界で重要な中心地だ、と云った具合にご都合主義で変遷する。更に、彼らは、こうも伝えられる。つまり、露西亜軍がウクライナやシリアに介入するのは、敵対勢力によって露西亜人達が殺害されたからだ、と。又、彼らは、こうも教えられる。つまり、ウクライナ人達が本当は露西亜人で我々の侵攻を望んでおり、且つナチスの悪魔主義者達故に排除されるべき存在である、と。プーチンが国民に好き放題発信をした処で、彼は決して窮地へ追い詰められる事はない。何故なら、露西亜国内権力は、閉鎖されたメディア体系を完全支配する為、彼は一方的に勝利宣言し、そして話題を変えれば、それで済む丈の話なのだ。もし、露西亜がウクライナとの戦争に負けた場合、それでも彼は矢張り戦争勝利を宣言し、露西亜国民は彼を信じるか、或いは信じるかのような振る舞いをするだろう。

 この様な体制が存続して行く為には「本当は、民主主義は勇気の上に成り立っている」等の見解は以(もっ)ての外で、之を笑い飛ばしてその存在を消すか、さもなければ、暴力を以って排除する以外に手段がないのだ。斯くして、クレムリン政府の宣伝機関は、毎夜毎夜、TVで、ゼレンスキーなる人物は実在せず、ウクライナと云う国家も存在せず、更に民主主義と云う制度自体が存在しない事を説明する。即ち、「自治」などお笑い草で、ウクライナ自体も笑い話。ゼレンスキーも冗句の世界に違いない、と云い続けるのだ。理由は、そうでもしない事には「露西亜国家は“何もかも真実ではない”点を受容するが故に他国に優越する」との物語が全て崩壊するからだ。つまり、もしも本当に、ウクライナ人達が自ら社会を組織し、彼らの手で指導者を選ぶ事が出来るとしたなら、露西亜もそれに倣わぬ理由がなくなってしまう訳だ。

「ウクライナは忌まわしきもので、真実ではない」との議論に基づく考えに拠って、露西亜は抑止力を維持しているに違いない。ウクライナに関する、露西亜側の戦争宣伝は、実に根深く、攻撃的で、意図的な嘘に満ち、その目指す目的は唯(ただ)一つだ。即ち、異様、醜怪なる虚構の世界を、恰も通常の如くに見せ掛けて、正否判別や感情抑制の人間能力を徐々に破壊して行く事なのだ。露西亜がウクライナ人戦争捕虜を集団殺害し、更にウクライナ側を非難する行為は、実は何ら真実を主張する事を目的としない。彼らの狙いは、西側ジャーナリスト達があらゆる主張を等しく報道するように仕向けて置く事によって、隠された本当の諸事実が彼らによって知られるのを防ぐ点に在るのだ。要は、この戦争全体を理解不可能で且つ汚ないものに見せて、西側の介入を挫くのが目的なのだ。露西亜の全体主義者がウクライナ人を「全体主義者」と呼ばわる事で、彼らはこのゲームを展開し、此処には更に多くの者達が参加して来る。ゼレンスキーを、ユダヤ人による世界的陰謀説、或いはナチス謀略の一貫とするのは実に馬鹿げた解釈だが、それにも拘わらず露西亜の宣伝は日常的にこれら主張を繰り返している。この度を越えた不条理こそが彼ら戦略の要諦なのだ。

 民主主義と独立国家の地位を維持できるや否かは、個々人が持つ能力如何に依存する。換言すれば、彼らが自身を取り巻く世界を正しく評価し、そして予期せぬ様々な事態に直面しても、それら危険をも買って出る覚悟を持つ能力とも云える。一方、反対に民主主義と独立国家が破壊されるのは、壮大なでっち上げが主張される場合だ。それは、ゼレンスキーが、今年3月のある日、夜の演説で次の如く明晰に指摘した通りだ。「偽りは暴力を呼ぶ。暴力によって偽りを真実に変える事は出来ないものの、然し、暴力は、権力者に向かって真実を叫ぶ勇気ある人民を殺害し、或いは侮辱する力を持つのだ」と。又、「嘘を信じて生きる者達は、誰か他の人間の道具になる事に等しい」とは、露西亜思想家ミハイル・バフチンが見抜いた真実だ。更に最悪なのは、嘘で出来上がった虚構の中に、現実に人を殺し、或いは人が殺される実態である。露西亜の如き体制は、正に之を用いて自身の保身と再編を図っているのだ。嘘に騙されて殺人を行う所業は、露西亜に於いてこの後、幾世代にも永く尾を曳く重大な帰結を齎(もたら)す事になる。それは、何万人(*訳者注:今や、更に一桁増えつつある状況)もの若者市民達が戦死、戦傷する以上に深刻な影響を遺すだろう。つまり、露西亜では、高齢世代が、若者世代を強制的に戦場へ送り出し、その結果、政治は血に塗れた体質となり、若者達は決して前進進歩する事がない一方、高齢層は死ぬまで自身の地位に安住出来るのだ。これに反し、ウクライナは、国家指導者を選挙により自身で選ぶ仕組みに既に慣れた世代によって運営されている。同制度は露西亜では歴史開闢以来、只の一度も経験した事のないものだ。斯かる意味に於いても、戦争は何世代にも係る問題なのだ。今般、露西亜の暴力行為は、それが如何なる形態のものであるにせよ、ウクライナの将来を葬る試みだ。露西亜国営放送は、モスクワ政府が大量虐殺達成を願望する旨を幾度も繰り返し明白にしている。占領地では、露西亜人はウクライナ男性市民を処刑し、或いは前線に送り戦死させた。露西亜人はウクライナ人女性を暴行し、彼女達が子供を産むのを望まぬよう仕向けた。何百万人ものウクライナ人が強制的に露西亜へ移送され、その大半を占める幼子連れの女性達、或いは、出産適齢年齢の女性達は、刑務所への収監や拷問を免れる為には、嘘だと判っている世界を受容せざるを得ないのだ。更に、表立って目立たないものの、極めて憂慮される破壊行為が、ウクライナの公文書保管所、図書館、大学、及び出版所と云った文化施設への攻撃だ。斯様に、戦争とは領土のみならず、国を生んだ母体と心、換言すれば国の将来をも支配するものなのだ。

 露西亜は、全体主義と闘う事を宣言しつつ、その内実、自らが全体主義を推進する。露西亜は大量虐殺を喰い止めると宣言しつつ、その内実、自ら大量虐殺を犯している。斯様に出鱈目な宣伝が強(あなが)ち効果を発揮しない訳でもないのだ。即ち「我々はナチスと闘っている」とのモスクワ政府主張は、多くの観測者達をして、プーチン政権自身の持つ全体主義の実像から目を逸らさせる事に成功したのだ。又、北米や欧州の人々は、主義論争に勝利した事を賞賛するより、それ以前に先ず、グローバル・サウス(南半球の発展途上諸国)に対し注意を払うべきなのだ。何故なら、プーチンの戦争物語は同地域に至るまで蔓延(はびこ)
り、亜細亜やアフリカの人々は、プーチンが選択した戦争によって、恐ろしい程高価な代償を支払う羽目になるからだ。プーチンの宣伝マシンは、彼の体制下の他組織と同様、石油・ガスの輸出収益から資金を得ている。言い換えれば、現行の露西亜秩序は、その生存を、化石燃料以外の持続可能エネルギーへ未だ転換出来ずにいる今の世界環境に依存しているのだ。ウクライナに対する露西亜の戦争は、或る意味、人類最大の危機である気候変動問題を放置した場合、そのツケとして如何なる世界が展開するかを予告しているとも解釈出来る。即ち、それは、技術革新によって人類の生存を追求する事に代えて、嘘つきの炭素資源で財をなした僭主支配者が怒りに任せて惹き起こす数々の戦争と人種への攻撃、世界中の多くの国々で発生する食糧不足と飢饉、そしてグローバル・サウスの地域には大厄災が蔓延する世界だ。

 ウクライナの歴史は、虚構に基づく施政下に於いて、常に政治を起因とする飢饉を伴った。1930年代初頭、スターリンは、ソヴィエト連邦「内部植民化(internal colonization)」の号令を発し、ウクライナの肥沃な土地から極めて大きい穀物供給量を期待した。そして、彼の性急に過ぎた集団農場化計画が頓挫すると、スターンは責任転嫁の為に長大な「生贄」リストを用意し、それら面々を次々に糾弾した。筆頭はウクライナ人共産主義者、次いで、想像上にでっち上げられたウクライナ人国家主義者、即ち、同領内共産主義者から便宜を受けたとの罪状捏造であり、更に之に続き、同様に想像上で造り上げられたポーランド人穀物斡旋業者達、つまり国家主義者達から便宜を受けたとの濡れ衣だ。一方、ソ連共産党政治局は、強制徴用とその他懲罰的手段を発動し、400万人ものウクライナ人を葬り去った。又、ウクライナ救済を組織しようと試みた海外に住む人々は、その中の一人、ウクライナ人フェミニストのミレナ・ルドニツィキー(彼女は偶々、ユダヤ系の人であった)を含み、全て「ナチス」と呼ばわれた。斯様に、空想上に造り出した敵対者達を羅列したリストを作成する当時の手口は、今日の露西亜のそれと恐ろしい程に符合するのだ。

 更に、ウクライナの地には、より大きな歴史の中で繰り返されて来た典型も、又、垣間見る事が出来る。即ち、同地域に於いては、常に領土と人々に関する嘘がでっち上げられ、之を以って同領域からの収穫搾取を正当化する主張が為されて来たのだ。大昔、抑々(そもそも)、古代ギリシャ人達は、現在のウクライナが所在する地方に、怪物達が住まい、数々の奇跡が生じたと想像した。ルネッサンス時代には、ポーランド人貴族がウクライナ農民達を農奴にし、自分達が人種的に優越すると云う神話を創出した。更に、露西亜帝国が、分割されたポーランドからウクライナ領土の領有を主張して以降、如何に露西亜とウクライナは一体であったかと云う都合のいい造り話が国内の学者達によってでっち上げられ、之をプーチンは昨年発表した自身の論評の中で再度使用した。つまり、本件に就いて、プーチンはスターリンの夢物語、更にはヒトラーのそれを焼き直したに過ぎない。ナチスにとって、当時ウクライナは「飢餓政策」の目論見の中心に位置し、スターリン支配下の同領内集団農場は、ナチスが之を全て奪取した後は、独逸及び欧州の占領地の食糧共有を専ら担う一方、之によって何千万人ものソヴィエト国民を飢餓に追い込む計画を有していたのだ。そして、彼らがウクライナの食糧支配獲得を巡り戦争遂行するに際しては、ウクライナ人達は、単なる植民地住民で、より優れた民族によって支配される事を喜びとするとナチスは考えていたのだ。之は正に、プーチン自身の現在の見解でもあるのだ。

 プーチンは彼独自の飢餓計画を持っているようだ。ウクライナは世界有数の重要な農産品輸出国だ。露西亜海軍は黒海に面したウクライナ諸港を封鎖し、露西亜兵達はウクライナ耕作地に火を放ち、露西亜の砲弾は、穀物サイロや農産品を港へ輸送する物流諸施設を標的にした。1933年にスターリンが取ったと同様、プーチンは計画的に諸段階を踏み、数百万の人々を飢餓に陥れる危険を意図的に招く積りだ。レバノンはウクライナ産の穀物に依存し、エチオピア、イエメン、その他、脆弱なサヘル(Sahel:サハラ砂漠南縁部)地域諸国も同様だ。然し、問題はウクライナ産穀物が通常の輸出市場先へ供給されない点丈ではない。供給不足の見通しによって、至る処で食糧価格が高騰する。中国による食糧買い占めが予想され、市場価格は一層上昇が見込まれる。真っ先に被害を被るのは、最も弱く貧しい者達だ。正にこの点が重要だ。つまり、声を上げる事が出来ない者達が死んで行く場合、生命に係わるそのシナリヲを操る側の人間達は、弱者の死の意味すらも都合好き勝手に捏造し支配する事が可能なのだ。プーチンの狙いは恐らく此処にあるだろう。

 1930年代、スターリンがウクライナ飢饉を自身の思想宣伝活動の中でひた隠したのとは対象的に、プーチンは飢餓そのものを宣伝に利用する。ここ数ケ月間に亘り、露西亜側宣伝局員達は、飢饉の危機が差し迫るのはウクライナのせいであると非難を続けて来た。脆弱な環境に置かれたアフリカと亜細亜の人々にとって、斯様な真っ赤な嘘が如何に恐ろしい事態を意味するかに就いては、プーチン体制が持つ人種差別的な植民地主義の観点に照せば容易に理解出来る。例を挙げよう。つまり、同政権は、結局の処、モスクワ所在の米国大使館外壁面に、レーザープロジェクターでオバマ大統領がバナナをおしゃぶりするグラフィックを投射する狼藉も許すような見下げた代物で、更に、同政府メディアは、オバマ政権最終年に「年間最優秀“お猿”賞」を発表する挙に迄出たのだった(*訳者後注3)。斯様に、他の白人国粋主義者同様、プーチンは人種別の人口構成比に意識を囚われ、自身の属する人種が数の上で他に圧倒される事を懼れている証なのだ。

 そして、この戦争自体、露骨な迄に人種的要素を計算し進められたものなのだ。真っ先に戦死した露西亜の兵隊達は、その一定数が皆、東露西亜出身アジア系人民で、更に、それ以降、多くの戦没者達はドンバス地方から強制徴兵されたウクライナ人だ。一方、ウクライナの婦女子を露西亜へ強制移住させた理由は、これらの人々は露西亜に同化が可能のみならず、その存在が白系露西亜人地位を一層強化し、引き立てる効果を持つからだ。又、プーチンがアフリカと亜細亜を飢餓状態に貶めたい理由は、飢えから逃れようとする彼らが、移民の波となって欧州に押し寄せる事により、人口と人種問題の圧力を同州内へ移転目論む為だ。先に、露西亜がシリアの民間人爆撃を行ったのも同様の論理に基づくものだ。 

 露西亜は、今回用いる「飢餓政策」に関し、何ら包み隠す事がない。2022年6月に開催された、セント・ペテルブルグ国際経済フォーラムに於いて、国営RT放送の編集長マルガリータ・シモニャンが公然と発言し曰く「我々に今や残された期待は、飢餓作戦の実施だ」と。この巧みな宣伝家の狙いは、アフリカと亜細亜を飢饉に陥れる事により、その背景の事情を吹聴する事にある。つまり、これら地域の人々の餓死が始まれば、ウクライナがその責めを受けると云う訳だ。このシナリオが思惑通り行くか堂か不明だ。然し、嘗て、ウクライナ国の魅力とその豊富な食糧は、過去影響力を振った歴代の支配者達が信じて頼みとしたものであった。今日の露西亜の宣伝工作は、グローバル・サウスに対し影響力の発揮を狙うものだ。特にアフリカ地域に於いて、露西亜は広く知られた存在であるのに対し、ウクライナはそうではない。アフリカ指導者達の内、公けにプーチン戦争を批判した者は少数だ。それ処か、ある者達は、プーチンの言を受け売りするよう説得されてしまったのかも知れない。実はこれ迄、グローバル・サウスの中に於いては、ウクライナが穀物の主要輸出元として意識される事は少なく、又、同国自身も貧しい国であり、一人当たりGDPは、穀物の輸出先であるエジプトやアルジェリアと比べ大差ない事すら知られていないのだ。

 然し、幾分か期待が持てる事象もある。それは、ウクライナ国民が、彼らの置かれた立場をグローバル・サウスの人々に伝える事により、モスクワ政府による卑劣な「飢餓政策」の実態を公けにし、その阻止を試みているからだ。そして、ウクライナが米国や欧州からより高性能な武器供与を受けた結果、露西亜軍による黒海支配は弱まったのだ。7月にはトルコの調停の下、ウクライナと露西亜が合意書に署名した事により、ウクライナは一定の穀物を黒海経由しアフリカと亜細亜諸国へ供給可能となる筈であった。それにも拘わらず、同合意の署名翌日、ウクライナの穀物輸出拠点であるオデッサ港に対し、露西亜はミサイル攻撃を実施した。更に、その数日後には、ウクライナの穀物有力実業家をミサイル攻撃で殺害を図った。斯かる妨害工作の中、世界へ穀物を供給する為の確実な方法は、ウクライナの兵士達がへルソン州へ再進撃し黒海へと至って勝利を得る事なのだ。

帝国主義との最後の戦い

 ウクライナが戦う相手の暴政体制は、実は半面、植民地主義権力でもあるのだ。自治獲得が意味する処は、自国指導者を選出する民主主義原則を守る事のみならず、国家としての格、即ち、それ自体の尊厳を手に入れる事である。つまり、露西亜指導者達は、主権とは限られた幾つかの国家にのみ認められる特権で、ウクライナの場合は植民地以外の何物でもないとの考えを抱く点は明白なのだ。従い、ウクライナが勝利すれば、当然同国主権に加え、一般的な国家主権の諸原則が防衛された事を世界に示す事が出来る。そして、旧植民地から独立した他諸国の将来に対する期待をも改善させるだろう。ノーベル賞受賞経済学者のアマルティア・センが論じた通り、帝国主義が惹き起す飢饉は、食糧不足が原因ではなく、政策決定と配分の問題なのだ。従って、ウクライナが勝利する場合には、グローバル・サウスへの食糧輸出が再開されるだろう。之によりグローバル・サウスの甚大な飢饉リスクと政情不安が排除され、一方、戦争勝利したウクライナは、気候変動を含む世界共通の諸課題への協力提供が可能となろう。

 欧州にとっても、ウクライナ勝利と露西亜敗退は不可欠のシナリヲだ。EUは、それ自体が全体主義終焉後の諸国家による共同体だ。ある国々は嘗て、正に全体主義国家の中心であり、又、幾つかの国々は全体主義終焉後の周辺諸国である。ウクライナ人達はEUへ加入する事が、脆弱な周辺環境に鑑み、同国独立を確保する為の道だと理解する。従い、ウクライナが戦勝する場合、EU加盟への道筋を含むものでなければならない。同様の理由から、実際には、この戦争に負けると考える露西亜人達も多いのだ。今日、法と寛容の伝統を誇る欧州諸国でさえも、実の処は、先の帝国主義戦争に敗戦した後に民主化を果たしたばかりである。ウクライナ領土内で帝国主義戦争を仕掛ける露西亜と云う国は、法の秩序を尊重せず、又、ウクライナ領土を支配する露西亜と云う国に自由選挙は許されない。然し、そんな露西亜の国にも希望はある。それは、プーチンにとって負の遺産となるが、同国が敗退した時だ。つまり、露西亜が如何なる宣伝をしようと、モスクワ政府は、日露戦争を始め一定頻度で戦争に負けており、軍事的敗退の後に、毎回政体改革の時期が訪れるのは、近代露西亜史が示す通りである。

 露西亜の残虐行為によりこれ以上ウクライナ内に死者が出るのを防ぐ為にも、何よりも大至急ウクライナ側の勝利が望まれる処だ。戦争の結末は世界に重大な影響を及ぼすが、それは肉体的苦痛や飢餓と云った現実世界の中に止まらない。即ち、様々な未来を決定付ける価値観の領域に対しても作用するのだ。ウクライナ国が果敢に抵抗を試みる姿は、民主主義とは人間の危機と人間の根本諸原則に係る問題である事を、我々に再認識させて呉れた。そしてウクライナが勝利すれば、民主主義に新しい伊吹を与えるだろう。現在、戦時下にウクライナ軍の戦闘服の胸を飾る、三叉の鉾がデザインされたマークに関し、その由来を辿ると、同国伝統を遥か古代の歴史に迄遡る。今日、民主主義を再検討し、そして再興する為の参考として、以下に之を引用し本稿を締め括りたい。

 古代ギリシャの神々、アスィーナとポセイドンは両者一体となる事が可能だろう。つまり、アスィーナは公正を司るのみならず聖戦の女神だ。又、ポセイドンは戦(いくさ)に専心するのみでなく、商業も司る神だ。古代アテネの人々は、アスィーナを守護神と定めたが、同時にポセイドンも神と崇めアクアポリスに泉を造った。その地は、正しく、彼が振るった三叉の鉾が打ち据えたと神話の伝える地点だ。ウクライナが勝利した暁には、この異なる両者の価値が再統合されるだろう。即ち、女神アスィーナの象徴する熟考と繁栄、及びポセイドン神の象徴である確固たる決意と交易である。ウクライナが同国南部を奪還すれば、嘗て古代ギリシャ人達の補給回廊として機能した海上領域が再開され、自治を賭けて危険を顧みる事がなかったウクライナ人達の事蹟が世界を照らすに違いない。詰まる処、オリーブの木を得るには闘う為の三叉の鉾が必要なのだ。平和は勝利の後にのみ訪れる。世界はオリーブの枝を手に出来るかも知れないが、それは単衣(ひとえ)に、海へ続く道の奪回を巡るウクライナの戦い如何に懸かっている。

(了)

【訳者後注】

*1)ペリクレスによる国葬演説:

ペロポネソス戦争(アテネとスパルタの覇権を巡るギリシャ全域の戦争)に於いて、その初年(BC431年)、アテネ側の戦没者国葬に際し指揮官ペリクレス(BC495 – 429年)が行った弔辞。内容概要は、末尾補足欄を参照。

*2)トランプスキャンダルの脇役としてのゼレンスキー:

2019年7月、当時のトランプ大統領が、ウクライナ、ゼレンスキー大統領と行った電話会談の中で、軍事支援を取引材料とし、次期大統領選競合候補、民主党バイデン氏の情報を見返りに得ようとしたとされる、謂わゆる「ウクライナ疑惑」を指す。当時、バイデンの子息(実業家)に関し折しもウクライナに纏わる汚職疑惑が報じられ、トランプはバイデン蹴落としを画し、職権を利用し同関連情報提供をウクライナのゼレンスキー大統領に対し入手打診を試みたとされる。トランプは議会から本件を追求され、同年12月弾劾訴追を受けた。

*3)オバマ大統領対する露西亜からの人種差別攻撃:     

露西亜側は、黒人オバマ大統領を猿に喩え侮辱する諸行為を繰り返した。2014年8月、同大統領誕生日に合わせ、在露、米国米大使館の壁面へ、猿に似せた顔の大統領がバナナを食べる漫画をレーザーグラフィック照射し、2016年には露西亜メディアで、同大統領へ“最優秀モンキー賞”を贈呈し揶揄する映像が放映された。これら下劣な中傷に対し、オバマ政権は公式に一切反応せず黙殺を貫いた。

<*補足欄> ペリクレスの国葬演説概要:

『戦史』(トゥキュディデス著、久保正彰訳、岩波書店)から抜粋。説明書きは本ブログ責任者による。

同演説は、上注記通り、アテネ指導者ペリクレスが、当該戦争戦没者の葬送儀式に際し、アテネのポリス市民を前に行った演説。以下に大まかな儀式段取り、演説構成と弔辞内容(抜粋)を参考に記す。

 ギリシャ世界を二分したペロポネソス戦争の初年、紀元前431年の冬、アテネ側は古来の習慣に従い、その年の戦没者を弔う葬儀を執り行った。儀式は杉の木桶に収められた戦死者達の遺骨を市内の霊壇に祭り、葬送前二日間、供物が供される。然る後、アテネポリス郊外、ケラメイコス所在の国営墓地迄、参列者が棺を車に乗せ行列をなして送り(海戦で散った者達は遺体がないので、代わりに空の棺架に被いを掛けたものを運ぶ)、同地に埋葬し終えた直後、出席した市民達(同盟国も参戦した為、異国人も含まれる)に対し、代表者が弔辞を述べる。この任に当たるのは、市民によって最も優れた指導者が選出される習わしで、この時ペリクレスが指名されたのだった。

 同演説は、市民に対し、改めてアテネ民主政治の優秀性と守るべき価値を謳い、同国が育んだ自由な気風と責任感と犠牲心溢れる市民の気質を称えるものだ。然し、彼は弔辞主旨に沿い、英霊を称えつつも、演説の主題は、生ける市民達に対し同国家の民主体制とその理念を再認識せしめ、彼らが誇りと責任をもって引き続き命を賭し、アテネポリス体制を存続させるよう激励、督促する事に在った。

【ペリクレスの演説 ~その構成と内容概要~】

(1)冒頭:(推定所要時間 約2分) 

(・・弔辞代表に指名された者として、古来の仕来りに従い、戦没者へ賛辞を捧げる自身の立ち位置と心構えを説明・・)(内容省略)

(2)賛辞を述べるに際しての前置き:(推定所要時間 約2分)

(・・祖先への感謝、父への感謝を述べた後、賛辞を述べる環境の前提条件を以下の通り確認する・・)

<以下抜粋>

「我らが如何なる理想を追求して今日への道を歩んで来たのか、如何なる政治を理想とし、如何なる人間を理想とする事によって今日のアテナーイの大をなす事となったのか、之を先ず私は明らかにして戦没将士に捧げる賛辞の前置きとしたい。この理念を語る事は今この場に誠に相応しく、又、市民も他国の人々もこの場に集う者すべて、之に耳を傾ける者には益する所があると信ずる。」

(3)アテナーイの政治理念説明:(推定所要時間 約2分)

<以下抜粋>

「我らの政体は他国の制度を追従するものではない。人の理想を追うのではなく、人をして我が範を習わしめるものである。その名は、少数者の独占を排し多数者の公平を守る事を旨として、民主政治と呼ばれる。我が国に於いては、個人間に紛争が生ずれば、法律の定めによって全ての人に平等な発言が認められる。だが一個人が才能の秀でている事が世に判れば、無差別なる平等の理を排し世人の認めるその人の能力に応じて、公けの高い地位を授けられる。又、譬え貧窮に身を起こそうとも、ポリスに益をなす力を持つ人ならば、貧しさ故に道を閉ざされる事はない。(後略)」

(・・個人生活は互いに干渉せず自由である点を述べた後・・)

<以下抜粋>

「だが事公けに関する時は、法を犯す振舞いを深く恥じ懼れる。時の政治を預かる者に従い、法を敬い、特に、侵された者を救う掟と万人に廉恥の心を呼び覚ます不文の掟とを、厚く尊ぶ事を忘れない。」

(・・又、市民には癒しの場が存在している事も再確認行う。即ち、「我々は又、如何なる苦しみをも癒す安らぎの場に心を浸す事が出来る」として、一年の四季を通じ、ポリスが主催する各種競技、祭典が滞りなく行われ、又、行き届いて管理された市民達の家々の佇まいは美しく日々の疲れを癒し、大ポリスの繁栄のお陰で市内は常に豊かな物資に溢れている現状を指摘する・・)(内容省略)

(4)敵側勢力(スパルタ)に対する優位を強調し士気を鼓舞(推定所要時間 約2分)

<以下抜粋>

「又、戦の訓練に目を移せば、我らは次の点に於いて敵側より優れている。先ず、我らは何人に対してもポリスを解放し、決して遠つ国の人々を追うた事はなく、学問であれ見物であれ、知識を人に拒んだ験しはない。敵に見られては損をする、という考えを我々は持っていないのだ。何故かと言えば、我らが力と頼むのは、戦の仕掛けや虚構ではなく、事をなさんとする我ら自身の敢然たる意欲を置いて他にないからである。子弟の教育に於いても、彼我の距りは大きい。彼らは幼くして厳格な訓練を始めて、勇気の涵養に努めるが、我らは自由の気風に育ち乍ら、彼我対等の陣を構えて危険にたじろぐ事はない。(中略)ともあれ、過酷な訓練ではなく、自由の気風により、規律の強要によらず勇武の気質によって、我らは生命を賭する危険をも肯んずるとすれば、はや此処に我らの利点がある。何故なら、最後の苦悶に堪える為に幼少より苦悶に慣れ親しむ必要がない。また死地に陥るとも、常に克己の苦悶を負うて来た敵勢に対して些かの怯みさえも見せぬ。之に思いを致す時、人は我がポリスに驚嘆の念を禁じ得ないだろう(後略)。」

(5)アテナーイ人の美徳を再認識し自尊心強化(推定所要時間 約2分半)

<以下抜粋>

「我らは素朴なる美を愛し、軟弱に堕する事なき知を愛する。我らは富を行動の礎とするが、いたずらに富を誇らない。又、身の貧しさを認める事を恥とはしないが、貧困を克服する努力を怠るのを深く恥じる。そして己の家計同様に国の計にもよく心を用い、己の生業に熟達を励む傍ら、国政の進む身に充分な判断を持つよう心得る。唯、我らのみは、公私領域の活動に関与せぬものを閑を楽しむ人とは言わず、ただ無益な人間と見做す。そしてわれら市民自身、決議を求められれば判断を下しうる事は勿論、提議された問題を正しく理解する事が出来る。理をわけた議論を行動の妨げとは考えず、行動に移る前に事をわけて理解していない時こそ却って失敗を招く、と考えているからだ。この点に就いても我らの態度は他者の習慣から隔絶している。(中略)だが一命を賭した真の勇者とは他ならず、真の恐れを知り真の喜びを知る故に、その理を立てて如何なる危険をも顧みない者の称とすべきではないだろうか。又我らは、徳の心得に於いても、一般とは異なる考えを持つ。我らのいう徳とは人から受けるものではなく、人に施すものであり、これによって友を得る。(中略)こうして唯我々のみが、利害得失の勘定に捕われず、寧ろ自由人たる信念を以って結果を恐れず人を助ける。」

(6)此処で一旦、主題を纏めて聴衆に記憶の整理をさせる:(推定所要時間 約2分)

<以下抜粋>

「纏めて言えば、我らのポリス全体はギリシャが追うべき理想の顕現であり、我ら一人一人の市民は、人生の広い諸活動に通暁し、自由人の品位を持し、己の知性の円熟を期する事が出来ると思う。そして之が単なるこの場の高言ではなく、事実を踏まえた真実である証拠は、斯くの如き人間の力によって我らが築いたポリスの力が遺憾なく示している。」

「何故ならば、列強の中で唯我らのポリスのみが試練に直面して名声を凌ぐ成果を勝ち得た、唯我らのポリスに対してのみは敗退した敵すらも畏怖を強くして恨みを遺さず、従う属国も盟主の徳を認めて非難をならさない。斯くも偉大な証績を以って我が国力を衆目に明らかにした我らは、今日の世界のみならず、遠き末世に至る迄世人の賞嘆の誠となるだろう。我らを称えるホメーロスは現れずともよい。言葉の綾で耳を奪うが、真実の光の下に虚像を暴露するが如き詩人の助けを求めずともよい。我らは己の果敢さによって、全ての海、全ての陸に道を打ち開き、地上の隅々に至る迄、悲しみと喜びを永久に留める記念の塚を残している。そして斯くの如き我がポリスの為に、その力が奪われてはならぬと、今此処に眠りについた市民らは雄々しくも彼らの義務を戦の場で果し、生涯を閉じた。後に残された者も皆、この国の為、苦難をも進んで堪える事こそ至当であろう。」

(7)当演説の背景と意図を再度確認した上で、戦没者を追悼:(推定所要時間 約4分半)

(・・先ず、長く語ったその理由を以下に説明・・)

<以下抜粋>

「このような栄誉を担う諸君と、そうでない敵勢にとって、この戦に勝つか負けるかは全く違った意味を持つ事を諸君に自覚して貰いたかった。又一つには、明瞭な礎の上に戦没者の功を明らかにしたく思ったからである。(中略)」

「今この地に安らぐ者達の最後こそ、一個の人間の徳を何よりも先んじて顕示し、これを最終的に確認した証しである、と私は思う。(後略)」

(・・そして追悼を以下に述べる・・)

 <以下抜粋>

「(前略)彼らの中には一人として、富を愛づる未練さから卑怯の振舞いをなした者はなく、又、貧窮から脱し逸楽を願う心から死をためらう者もなかった。己の満足よりも敵に対する報復を恋い求め、これこそ万死に値する最高の美と確信して、死を覚悟で敵を討ち、至高の祈願を全うする事を決意した。そして定かならぬ勝敗の運を希望に託し、目前に迫る敵戦列に対して全てを己が槍と盾に託す事を潔しとした。危険の最中に残っては、命の限り立ち尽くす事こそ、退いて身を守るより貴しと信じて、彼らは来るべきものを生命で受け止め、己が名を卑怯のそしりから守った。遂に死の手に掴まれた時、恐れは去り、生死の分明は取るに足らぬ偶然の定めという誇らかな覚悟が宿った。」

「こうしてこの市民達は、我らのポリスの名に相応しい勇士となった。残された者達は、道のより安らかならん事を祈るがよい、だが敵勢に向かっては一層果敢なる戦意を夢忘れてはならぬ。(中略)」

「諸君は、唯報国の勧めに満足する丈でなく、我らポリスの力の日々の営みに心を刻み、ポリスを恋い慕う者とならねばならぬ。そしてその偉大さに心打たれる度に、胸に強く噛みしめて貰いたい、嘗て果敢にも己の義務を貫いて廉恥の行いを潔くした勇士たちがこの大をなしたのである、と。彼らは身は戦の巷に倒れようとも、己が有徳をポリスの為に惜しむべきではないとして、市民が捧げ得る最美の寄進を差しのべたのである、と。何故ならば、彼らは公けの理想の為に己が生命を捧げて、己が名には不朽の賞賛を克ち得たるのみか、衆目のしるき墓地に骨を埋めた。(後略)」

「彼らの英名を若し諸君が凌がんと望むなら、幸福たらんとすれば自由を、自由らなんとすれば勇者たるの道あるのみと悟って、戦の危険にたじろいではならぬ。(中略)」

「誇りを持つ人間ならば、怯懦の為に屈辱を舐める苦しみは、祖国を信じ力の限り戦い乍ら突如生命を絶たれるよりも、遥かに耐え難いと思うからだ。」

(8)遺族に対する言葉と心掛けの指南:(推定所要時間 約3分)

(・・遺族に対する慰めと、残された者達、親、兄弟、遺児、寡婦たちへの励ましとそれぞれの今後とるべき行動の留意点を述べる・・)

<以下抜粋>

「こう考えればこそ、此処に集まっている戦死者の親達には、憐れみの言葉を語るまい、唯一言、私は慰めの言葉を伝えたい。(後略)」

(9)弔辞締め括り:(推定所要時間 約0.5分 )

<以下抜粋>

「仕来りに従い言葉によって述べるべきものを、私は死者に捧げた。行為によって彼らが受けるべき埋葬の礼は既に滞りなく行われ、彼らの子らが受けるべき養育は、この日から成年の日までポリスが国費によって行うであろう。この特典は、斯くの如き試練に耐えた勇士らとその子らに、ポリスが捧げる栄冠である。徳に至高の誉れを与うる国は、徳集まり国政栄える、と云う。ともあれ、嘆きを身内の者に尽くし終われば、此処を立ち去るがよい。」

(演説了) ・・・・ 推定所要時間 総計約20分半

【ブログ責任者評】

 今から凡そ2,450年を遡る当時、ケラメイコスの丘の国営墓地でペリクレスの演説に立ち会った市民で、心動かされなかった者は一人たりとて居なかっただろう。当時は、演説者が高壇に立ち肉声により行う演説である。マイクも無ければ、テロップも原稿も無い。それでも、彼の弔辞は、雄弁にして明白、決然たる信念に貫かれ、構成は周到にして、細部は網羅的、実戦の指揮官たればこその迫力と説得力を有し、戦没者達を称えつつ民主政治防衛とアテネ国家繁栄の為に市民の為すべき道を力強く平易に、且つ市民に迷いなきよう懇切丁寧に寄せては返す波の如く波状的に畳みかけ訴える、俊逸なものだ。

 抑々(そもそも)ペリクレスは、歴史上第一級の政治家である。当時のアテネに在って「指揮官は、軍事をも含む外務担当の最高職であり、有能経験者と目される市民が10名選出された。任期一年であるが、ペリクレースはその死に至るまで15年間殆ど連続してこの職にあってアテーナイの外交政策を指導した(前出『戦史』訳者注より)」。この事実は、ペリクレスが、自己の見識、並びに金銭に対する潔白さに著しく優れ、そして市民からの厚い信頼と高い評価を然も連続し永く勝取っていた事を物語る。当時の指導者達は、周知の通り、市民決議により、追放も受ければ、失策に対し罰金をも課されるのだ。甚だしい場合には、生前の背信行為が死後に暴かれ、わざわざ遺体を掘り起こして国境外へ遺骨破棄(遺体の国外追放)される憂き目にさえ逢った。市民を代表し政治を担う者は、自らの生命は無論、自身の名誉(それは死んで遺骨となった後も)を賭す覚悟が求められたのだ。

 「それに引き換え…」と、今の日本の政治に目を転じ、嘆き節を発する人々は多い筈だ。無論、桁違いなスケールのペリクレスと現代政治家達を同列に論じる事自体が酷と云うものだが、一体、我が国に於いては、誰が日本国の行く先と子孫達の繁栄を真剣に考えているだろう。第一、大半の政治家に覚悟は感ぜられぬ。古歌に「男子憐れむべき蟲 門を出れば死の憂いを懐く」(企喩歌、無名氏)と詠うが如く、特に政治家は生命を賭すべき職業だ。嘗て原敬首相も、井上準之助日銀総裁も凶弾に倒れたが、彼らは遺書を常に懐に職務に当たっていたのが、近来の者達と異なる点だ。又、福井県の町助役風情が王侯貴族の如く振る舞い高級背広等、原子力事業関係者に対する賄賂に血税を湯水の如く散じる行政腐敗事件が在ったが、当人の死後は一切お咎めなしとするのが我が国の現状だ。国家への背信者は、譬え遺骸になっても国外へ放擲し、家族、孫までも被害弁済の責に連座する古代アテネの民主政治と比較し、どちらに正義があるだろうか。抑々(そもそも)国政に携わる者は、死後祖国の土にぬくぬく葬られるのを前提とする考え自体が甘いのではないか。先の太平洋戦争で海に散っていった若人達に思いを馳すべきだ。片や、毎年、祭りのように靖国参拝実施し愛国心を誇る議員一団が在るが、之が売名行為でないと証するには、年一度と云わず毎朝参拝励行するか、或いは、己の遺骨を死後太平洋上散布方遺言宣言するかして、特攻隊員始めとする遺骨なき戦没者達に寄り添う誠意と覚悟を、先ずは示す必要があるのではないか。

 ペリクレス演説を再読し、感慨を深くした事が在る。今年、日本国民は、奇しくも二つの国葬演説に触れた。国葬当日、前総理による弔辞(9月27日)と、それに続く国会での現野党所属、元総理の追悼演説(10月25日)だ。国内メディアは双方共を絶賛する基調だったが、之自体が本邦マスメディアの見識不足を物語る。抑々、前者は居並ぶ海外国賓を前に、故人から拝借した贋作エピソードを堂々と披露し臆さぬ点は問題外(政治家身内の結婚式ならスピーチ使い廻しも結構だが)、後者は与野党慣れあいの典型で、国家元首経験者たる者、この時ぞ与党の過ちを修正し、具体的対案を提示すべき処、その使命を忘れ、昔話と自己弁護で故人に媚びるが如きものであった。

 しかし、これら格調高からぬ国葬スピーチは極表層的現象に過ぎない。ペリクレスと日本の政治家、そしてアテネ市民と日本国民を対比すれば、2400年余の年月を経て奇しくも同じ民主主義を標榜する国家であるにも拘わらず、本来なれば、悠久の時を経てりっぱに進化を遂げて居るべき現代日本の政治体制は、寧ろその根底が逆に著しく劣化しているのだ。

 先ず、大半の国会議員は職業政治家と堕し、国や国民の利益より、自らの職を守り、私利極大化を最優先、その手段として徒党に群れ、視野は現職期間を出でぬ為、国家重要課題を先送りにし、国の運命を危うきに陥れている。議員の懐と、国民の財布は、それが税金であれ国債であれゼロサムゲームに変わりなく、議員の懐は国民からの搾取で豊かになる。それ故、古来、政治家に清貧が求められて来た所以だ。然るに、己に不都合な悪事を隠蔽し、予算ばら撒きとイベント招致で国民の目を逸らし、結局は国民の犠牲の基に高額報酬を搾取し貪っている議員が居るとすれば、それは小さなプーチンと異ならず、本来、直ちにバッチを外し辞職すべきなのだ。

 一方、アテネ市民に対し、日本国民の国防意識が比較にならぬ程希薄なる事は明々白々の事実だ。無論、日本は平和憲法を戴き軍事行動は文民統制下に自衛隊に委ねられているが、それが故に、政治家は無論、一般国民も税金さえ払えば、自分達を守る為に血を流してくれるのは、自衛隊と同盟国の米軍と心得て疑わず、此処で全ての思考は停止して来た。然し、今般のウクライナ戦争は、思考停止のまま安逸な眠りの中にあった人々の目を覚まさせた。露西亜に突如攻め込まれたウクライナは、国を守る為に一般市民も銃を取らざるを得なかった。一方、露西亜側とて兵力が不足すれば、臨時徴集が一般人へ及ばざるを得ないのだ。つまり、国民にとって防衛とは遠い他人事ではなく、各位が祖国を守る為に命を懸ける意思と覚悟を持っている事が独立国家存続には究極の大前提なのだ。果たして日本国民はどうなのか? 持っていよう筈がない。戦後誰もそのような教育を受けて来なかったのだ。この覚悟なくして、如何に多額の予算を投じ、高性能の武器配備を論じた処で、それは所詮張り子の虎に過ぎず、甚だしい本末転倒と云わざるをえない。拙速に、攻撃用ミサイル購入に前のめりになる以前に、政府は、先ず国民全世帯に一振りの日本刀を配布し(刀狩りの逆様だ)、各位は之を以って日本の独立を志した祖先達に思いを馳せ、自分達がその遺志を継ぎ、万一の場合には之で日本の伝統と精神に殉じ命を懸ける覚悟を固める事が先決だ。

 私を狂人呼ばわりする前に、思い出して頂きたい。如何に、現政権が不真面目で出鱈目な防衛政策に始終しているかを。弾道ミサイル迎撃用「イージス・アショアー」設備配備計画中止を防衛省が突如発表したのは、2年前の2020年6月だ。未だ記憶に残る通り、抑々同計画が大きく躓いたのは、2019年6月に同省が発表した配備計画の内容に、あろう事か、その配備候補地選定に於いてデータ改竄による重大な背信行為が在った事だ(適地条件の重要項目である「配備地から周囲の山を仰ぐ角度“仰角”」を過大に改竄し、19ケ所の候補地から意図的且つ不正に9ケ所を排除し、自衛隊基地が所在する秋田新屋演習場へ誘導的に決定した)。同省はこの原因を、初歩的な地図の読み違えと説明したが、それが本当なら尚更大問題で、国防そして人命に係わる重大戦略に於いて、敵地は疎か自国の地形もまともに読めない軍隊に如何なる作戦行動が期待出来ると云うのか。敵陣の地形を読み違えば戦闘で部隊は全滅する。同省は日本国兵士の命を預かる自覚があるのだろうか。全く、国民及び自衛隊員を愚弄する話だ。杜撰、無責任、人命軽視は、1944年、旧帝国陸軍牟田口中将が敢行したインパール作戦の代名詞だが、防衛省は未だに旧陸軍の悪弊を免れ得ぬのかと背筋が寒くなる出来事であった。最終的に当時の河野大臣が計画中止に踏み切ったのは英断と云えるが、米国国防長官とは異なり、我が国では腰掛け的に略1年置きにころころ大臣が変わる中で、果たして文民統制は効いているのか。又、それ以前に、政府自体が、米国に云われるが儘野放図に唯武器を買うのではなく、本来あるべき国家防衛構想を独自に立案、検証する知見と能力を備えているのだろうか?

 斯かる重大事件を体験して居り乍ら、日本国民は何処迄もお人良しだ。全てを水に流してしまった。そして現総理は能天気に、予算を支配出来る事案で、巨額の金が動き、然も個別に取り組みやすい、今般の防衛費見直し問題に対して勇んで飛び付いて、大風呂敷を広げ、再び米国に云われるが儘武器購入を視野に意欲を燃やし、いそいそと財源計算を始め、一方マスメディアは、大した異論もはさまず、恰も既定路線であるかの如く盛んに報道を繰り返す事態が発出している。これら政府とメディア一体となった無軌道な暴走は、前述防衛省による深刻な背任行為が明らかとなった時に、はっきりけじめをつけなかった事に起因する。本来、当該事案は、関係者全員頭を丸めて報酬返却し、経緯と責任は徹底追及されるべき問題であったろう。それらを曖昧にしたのが当時の安倍政権であり、追求の手を緩めたメディアは政界との慣れあい以外何物でもないにも拘わらず、今に至りそれを反省する気色もない。

 彼らの偏向した姿勢は、今年7月8日の安倍総理銃撃に関する報道にも顕著である。当日、事件現場で取り押さえられた犯人に対し、周囲の群衆の一人から「お前、何ちゅうことすんねん!」と悲壮な罵声が上がった。テレビ映像を見た私も同じ気持ちだった。然し、メディアは如何なる事案にも冷静に真実を報道するのが責務だ。処が、当日、大半のニュースメディアが、犯人の動機に就いて報じたのは「特定の団体に恨みがあり、安倍元首相と団体が繋がっていると思い込んで反抗に及んだ。政治信条に対する恨みではない」と云うものだった。“統一教会”の名を伏せたのは、明らかに同教会への忖度であり、犯人の病的な“思い込み”と断定し、“安倍政権の方針”は実行犯ですら支持しているとの雰囲気を醸し、2日後に控える参議院選に向け与党に配慮した内容だ。本来、この時点で報道されるべきは「旧統一教会と祖父の代から密接な関係を持ち、自民党選挙活動で幅広い支援を見返りに受けていた安倍首相に政治信条の恨みはないが、同教会の被害者としてこれ以上犠牲者が出るのを防ぐには、同首相暗殺するしかないと思い込んだ」と云うのが正しいのは、今や国民の誰もが知る事実だ。然し、報道はタイミングが重要なのだ。選挙前に上述の正しい報道がされていれば、参院選の結果は全く違ったものになった筈だ。即ち、昨今世論が示す岸田政権への低支持率が示す通り、自民党は惨敗を喫していたのだ。メディアと政権の癒着と慣れあい体制により、国民は先の参院選で正しい判断を下す機会を阻害された。本来ならば、メディアを相手取り憲法違反と選挙やり直しの訴訟が方々で発生してもおかしくない。詰まる処「防衛費をGDPの2%を念頭に増額」なる自民党の選挙公約が国民に支持されたとする解釈自体が、虚構に立つものだ。それにも拘わらず、メディアは厚顔にも自身で操作した選挙結果を基に、今度は更にマッチポンプのように防衛費に関し表層的増税理論を食いものに視聴率を追う姿は笑止だ。彼らは恐らく己の為した罪の大きさに気付いていない、乃至は目を背けている。もしも、数万人の命を奪う大津波が迫っている情報を仮に隠匿すれば、それは万死に値する。今回の報道で幸い死人は出ていないものの、本来必然に生じたであろう歴史的津波を、自己都合により意図的な偏向報道で世論操作し故意に阻止した行為は、露西亜プーチンの米国選挙不正介入に準じるものだ。今こそ、業界関係者は、CBSニュースのプロデューサー、ローウェル・バーグマンが退社時に、権力におもねる同社幹部達に吐いた有名な捨て台詞を真剣に受け止めるべきだろう。「恥を知れ! 貴様らは一体、小商人か? 報道人の誇りを捨てたのか!」

(*注:同氏は、ブラウン&ウィルアムソン社タバコ訴訟を巡る報道に規制を掛けようとしたCBSに抗議し、1998年退社、その後カリフォルニア大学バークレー校で教鞭と取る。事の経緯は、映画『Insider』マイケル・マン監督、1999年作品にも詳しい)

 一方、政府に関して云えば、要は順序が違っている。重大だが困難な事を後回しにし、どうでも良いやり易いところから手を付けるのは稚児の振る舞いに等しい。例えば、北朝鮮拉致被害者問題はどうなったのか? 誘拐された国民を取り返すか否かは独立国家の沽券に係わる事案だ。年に幾度か思い出したようにメディアの前に現われ「最優先課題としてあらゆる手を尽くす」と云うのは、余りに被害者家族を軽視した対応だ。同家族の高齢化に加え、拉致された当人達とて後50年は生きられぬ。現政権対応は、此のまま、ぬらりくらりと手を打たぬ儘、関係者全員が死に絶え、問題の自然消滅を待つ卑劣極まりない策と非難されても仕方あるまい。出来ぬなら出来ぬで「我々の力は及ばない」とはっきり認め、状況と理由を説明の上、目標修正なり凍結宣言するのが寧ろ正しい策だ。一体、これ迄、当件に体と命を張って真剣に取り組んだ日本人は、小泉純一郎元首相とアントニオ猪木二氏の唯二人と云う事であろうか。

 「一念岩をも通す」と故事に云う。独立国家を守る為には、古代アテネ市民の如く国民一人一人が強い信念を持つ事が必要だ。日本の各世帯に、もし日本刀が配布され、国民は毎朝ラジオ体操代わりに、庭先に等身大の藁人形を設え「拉致被害者を返せ!さもなくば斬る」と各々一斉に打ち掛かれば、北鮮の指導者と雖も、5千万人の刃が常に自分に向けられていると悟り、連夜悪夢にうなされる事だろう。其処が交渉開始の第一歩だ。刀で原子爆弾に勝てないと思うのは誤りだ。何も今更、嘗ての「万歳突撃」をせよと云うのではない。国を守る為の精神的支柱を持つ事が重要なのだ。更に、先の大戦と異なり、今の日本は孤立無援ではない。ウクライナ戦争に見る通り、強い意志を持って正義の旗を挙げれば同盟・友好国の応援も望めるのだ。又、仮に、最悪、正義の刃が卑劣な核兵器で焼き尽くされようとも、日本民族の尊厳と遺志は歴史に残るのだ。私を過激派呼ばわりする前に次の事蹟を思い起こして頂きたい。

 1960年代後半、ヴェトナムの仏教僧が路上に焼身自殺を図る映像が日本のテレビニュースで毎週のように報道された。ヴェトナム戦争に参戦した米軍に対し、武器を持たぬ宗教家達が身を挺して行った抗議行動だ。犬死と嘲笑う向きもあったが、果たしてそうだろうか。自分達の国の行方は自分達で決めると云う、彼らの鉄の意思、そして、それが叶わねば命をも捨てて抗議する彼らの覚悟が世界へ発信されたのだ。結局、圧倒的火器兵力に勝った亜米利加との戦争にも屈せず、その後の大国中国人民解放軍との戦争に負けなかった同国の雄姿は、広く畏敬と尊敬の念を集め続け今日に至るのだ。この強靭なる独立国家のその基は、身を焼いた仏教僧等に象徴される、彼ら国民に共有された尊厳と信念の賜物に違いあるまいか。一方、拉致問題に抗議し、己の身を焦した日本人は、今の処いない。

 最後に、職業政治家に今一度話を戻そう。本邦に於いて、政治家は恰も地方の造り酒屋か老舗旅館の如く、世襲されて異としない風潮は、とんでもない話だ。又、現役政治家が引退示唆する際、身内に地盤を譲るのを当然の如く述べるのも見当外れも甚だしく、現総理もお手盛りで子息を秘書官に任命して恥じぬも、率先し悪弊を垂れる最たる事例と云える。抑々、政権世襲制は北朝鮮のような非民主政治の手本であり、更に大概、二代目、三代目は質が落ち(例外がないではないが)、その足りぬを、本来公正であるべき選挙の主旨に反し、不平等に手にした親の地盤や人脈で補うものでしかない。国を恙なく営む為に、世襲を断じたのが古来の知恵で、中国起源に遡る古代王朝の初代聖天子、堯は子息が愚昧である為、位を舜に譲り、舜も又子息を愚物と知り、能力本位で兎に位を譲る事により国土発展の基は築かれたのだ。一方、現代は公選であるからには、有権者の側にも大いに責任がある。単に地元の既得権を期待し、世襲議員に投票する地域住民の意識が変革されなければなるまい。況してや、援助交際議員や演歌歌手が当選する事自体、日本政治が世界から嘲笑の的となろう(後者タレント議員で党員数を稼ぐ1970年代式の旧戦法が未だ通用する事自体、日本の恥とすべきだ)。

 日本にペリクレスが登場するには相当の年月を必要とするだろう。その時迄は、政治家の理想像として彼方に遠く輝くペリクレスに、せめて1ミリでも近い人物を選挙で選出し、それから一歩でも遠い人物は常に糾弾し遠ざけ政治上質化を進める事が国民の責務であろう。

(了)

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