著者/肩書:サムエル・チャープ(SAMUEL CHARP)/ランドコーポレーション上級政治研究員。元米国務省政策企画事務官。又、『勝者なき戦い ~ウクライナ危機とソヴィエト崩壊後のユーラシア覇権が招く甚大な被害~』の共同著者(Everyone Loses:The Ukraine Crysis and the Runious Contest for Post-Soviet Eurasia)。
(論稿主旨)
去る2022年2月に露西亜(ロシア)がウクライナ侵攻した時、それは、米国と同盟諸国にとっては迷いようのない明白な瞬間だった。即ち、彼らが直ちに取り組むべき使命が眼前に在った。ウクライナ反撃を支援し、露西亜が犯した違反行為に対し同国を罰する事だ。然し、西欧陣営の反応が斯くの如く当初より明らかだった一方、向かうべき目標 ―つまり、この戦争を如何に終わらせるか― に就いては漠然とした儘の状況に置かれた。
この曖昧さは、米国政策の欠陥と云うよりは、寧ろその特性なのだ。2020年6月、ジェイク・サリバン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)はこう述べた。「我々は、現時点で“戦争終結”の観点を敢えて考慮しない。その代わり、先ずは戦場に於いてウクライナ勢力が最大限増強を図れるよう、今日、明日、そして来週に我々が出来る事に集中する。そして、然る後に、最終的な交渉のテーブルに付けるよう支援する所存だ」と。この対応は、紛争開始後数ケ月のあの時点では適切なものだ。当時、同戦争の軌道は全く不透明で推断を許さぬものだった。即ち、ウクライナ大統領ウォロディミル・ゼレンスキーは尚も、交戦相手国のウラジミール・プーチンと会談する用意があると云い続けた為、西側諸国はキーウに対し、今日は実現している戦車や長距離ミサイルは疎(おろ)か、地上配備型精密ロケットシステムすらも未だ供与せぬ状況であった。然し、今後、常に問題になるのは、自国兵士が戦ってもいない戦争の問題に関し、ワシントン政府が見解を述べ立てるのは困難な点だ。祖国の為に戦い、死んでいるのはウクライナ人達だ。従い、何時戦いを止めるか、最終的に決めるのは彼ら自身であり、ワシントン政府が抱く停戦思惑等は無関係と云うのが基本路線だ。
然し、今や米国は、如何にすれば戦争を終結させ得るか、その理想的シナリオを捻出すべき時期なのだ。15ケ月に及んだ戦闘により明らかになったのは、双方陣営共に ―譬(たと)え、外部からの支援を以ってさえも― 相手を打ち負かす程の決定的な軍事上勝利を得る力量がないと云う事だ。即ち、ウクライナ軍がどれ丈領土を奪還しても、露西亜はウクライナに対し永続的に脅威を与える能力を保持する。一方、ウクライナ軍も又、露西亜に占領された国土に対し、いつでもこれらを危険に晒す丈の能力を維持するに止まらず、更に露西亜国内の軍事及び民間を標的とする事で露西亜側の負担を重からしめる事が可能だ。
上述した諸要因から、今後何年にも亘り、破壊的で、何れの陣営にも明確な結果を生むことなき紛争が継続して行く公算が在る。斯(か)くして、米国と諸同盟国は将来戦略に関し選択を迫られる事になる。即ち、今後数か月の内に、交渉によって本戦争の停戦実現を目指すべく、直ちに舵を切り始めるか、さもなければ、今をやり過ごし、更に数年の後にそれを行うかだ。もし、時を待つ選択をした場合、紛争の基本環境は現在の膠着状態が続くだろうが、一方、戦争の代償 ―即ち、人的、経済的、及びその他の面― は数倍にも膨れ上がるのだ。斯様に、今や我々の世代に於いて、最も重大な影響を与える国際的危機となったこの戦争に対し、有効な戦略とは、米国並びに同盟諸国が、戦争終了へと焦点を移し、之に向けた事態誘導に着手する事だ。
協議を開始せよ
先述した構想を、今後数ケ月の間に現実化する為の第一段階は、先ず、米国政府内で「外交政策」に向けた道筋造りに着手し進展を図る事だ。
「ウクライナ安全保障支援イニシアティブ(the Security Assistance Group-Ukraine)」は、全く新たに設立された米国軍事指揮組織で、現在、同国向け援助と訓練業務に従事し、米国軍中将の配下、300人のスタッフにより運営されて来た。一方、米国政府内には、現在、常勤で外交上の紛争処理専門に当たり得る、たった一人の米政府高官も存在しない。
其処で、休戦協定に関しては、バイデンは大統領特使を一名指名すべきだ。そして、ウクライナ危機下、外務省が殆ど全ての関連資金に関する権限に就いて制限される状況に鑑み、斯かる特使は外務省に優越する権限を有するべきだ。その上で、次の段階として、米国は「戦争終結」に関する非公式協議を、ウクライナとG7及びNATO諸国とで開始すべきなのだ。
同時並行し、米国は、同戦争に関する定期的連絡ルートを、米国、ウクライナ、及び露西亜を含め設置する事を検討すべきだ。この接触ルートは、抑々(そもそも)停戦交渉を目的とするものではない。それは、当事者達が継続的に接触を図る事を主眼とし、更に、一ケ所の対話窓口を開閉させる形態ではなく、謂わば「集団接触方式」とすべきだ。之に類する事例が、主要諸国と国際諸機関の代表者達が集まって非公式集団を形成し、定期的な会合を持った、バルカン戦争(*訳者注: 1992-1995年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。クリントン大統領政権下、米国主導によりデイトン合意で停戦実現した事例)に於いて、当時実施された方式である。更に、こうした交渉は公衆の面前で実施されるべきで、例えば、2015年に調印に至った、イランとの核合意に関し、米国から同国に対し初期に接触を開始した際の形態がその典型例だ。
以上述べた諸努力を以ってしても、停戦合意に至らぬ可能性は十分在り得る。成功する確率は決して大きくない。よしんば、交渉で合意成立しても、その結果に完全に満足する者は恐らく誰もいない公算が高い。
朝鮮戦争休戦協定の事例を振り返ろう。同協定が調印された当時、之を米国外交の勝利と見做す者は誰一人いなかった。それは、結局、それ迄「完璧な勝利」を挙げる事に慣れっこになっていた米国公衆は、「夥しい兵士の血を流しながら曖昧な決着」に終わる戦争を経験した事がなかったからだ。然し、それにも拘わらず、以来70年近くに亘り、朝鮮半島が再び戦火に見舞われる事はなかったのだ。加え、韓国は1950年代の戦災の焼け跡から立上って経済大国へ成長し、遂には民主主義国として繁栄を謳歌した。
従い、戦争後のウクライナに関しても、同国が「強力な安全保障を西欧諸国から約束される中、韓国と同様の経済的繁栄と民主主義の浸透した国家と成る」事は、それ自体を純粋な戦略上の勝利と呼べるのだ。
休戦協定に基づく終戦の場合には、ウクライナは ―最低限、それが一時的に止まるかも知れないが― 本来の領土を全て確保する事は叶わない。それでも、それに代え同国は経済を復興し、そして戦死者発生と町の破壊を終わらせる機会を得る。モスクワ政府が占領する諸地域を巡り、ウクライナは変わる事なく露西亜との紛争が継続するが、その後に及んではこの戦いの展開は、専ら政治、文化、及び経済の領域に限定され、其処ではウクライナは欧米からの支援を梃(てこ)に事を有利に進められる筈だ。その好事例が、1990年の独逸(ドイツ)の再統合の成功だ。同国も平和条約の後、分断と云う境遇に遭遇し乍らも、非軍事的な諸分野の係争に精力を注いだ結果が奏功したのだ。
一方、露西亜-ウクライナ休戦協定を以ってしても、西側陣営と露西亜との闘争は終わらぬが、双方直接軍事衝突の危険は劇的に減少し、戦争が世界に与える諸帰結も軽減されるだろう。
多くの批評家達は、この戦争は飽くまで戦場に於いて決着を見るべきと主張し続けるかも知れない。然し、之らは、戦線に如何なる移動が生じようとも「最終的な結末は、約束されたものからは常に遥かに程遠い」と云う“戦争が有する構造的現実を変ずる事は出来ない”鉄則を軽視する見解だ。米国と同盟諸国は、ウクライナに対し、戦場と交渉の場との両面を同時に支援する体制に在るべきで、今こそ、それらを実行する時なのだ。
(了)
(他章 順次掲載)
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