著者/肩書:ステファン・コトキン(STEPHAN KOTKIN)/ フーバー研究所上席研究員
(論稿主旨)
ウラジミール・プーチンは、昨年10月7日に71歳を迎えた。偶然、この同じ日、ハマスがイスラエルを攻撃し、この露西亜大統領はその狼藉をも恰好の誕生日プレゼントとばかりに利用した。即ち、ハマス攻撃を以って、彼のウクライナ侵攻の意味すり替えを図った。多分、余程祝意を表したかったのか、10月末、彼は、ハマス幹部のモスクワ招待を露西亜外務大臣にわざわざ手配させ、その舞台で両者が同じ利益を共有する旨を強調して見せた。その数週間後、プーチンは、2024年3月に実施される、謂わば、市民に選択権のない選挙に、自身5期目の大統領として立候補する意向を公表。更に12月には定例年末年記者会見を開催し、集まった従順な御用ジャーナリスト達の群衆へ、ウクライナ戦争に於ける西側諸国の疲弊に就いて、彼の独善に満ちた肉声を拝聴する有難い特権を提供した訳だった。彼は生放送中継が行われたその会見中、豪語し曰く「前線の略全体に亘り、我が軍は、どう控え目に見ても、情勢を優位に展開している」と。
今年2月16日、反政府活動家アレクセイ・ナワリヌイ、47歳が、北極圏に位置する重罪人刑務所で突然死した旨が、露西亜政府監獄局から発表された。彼は、この流刑地から尚も、プーチンの国民投票に対し、如何に抵抗すべきかの具体的諸指示を与えつつ、何百万人ものフォロワー達と連絡を維持していたのだった。それから一ケ月、3月17日の選挙終了後、巷では「プーチンの選挙勝利を発表出来る段階に至る時迄、クレムリン政府は暗殺実行を保留していたに違いない」と大勢が確信したのだった。
プーチンは、自身を「新しい皇帝」と称している。然し、本物の皇帝ならば、差し迫る跡目問題や、現有権力維持を如何に図るかで、心を砕く必要などない。しかし、これら諸問題に汲々とするのがプーチンだ。その結果、彼は諸選挙の成り行きを注意深く試算する事も強いられるのだ。現在、彼は自身の大統領任期を2030年迄設定した。この時、年齢は78歳に達する。露西亜の男性平均寿命は67歳にも満たない。一方、60歳を超えた者は、80歳迄生きる可能性が高いが、露西亜人で100歳を超える者は稀だ。何れの日か、プーチンもこの年齢層に仲間入りする。そして、死からは、あのスターリンでさえも逃れる事は出来なかった。
プーチンの前任者、ボリス・エリツィンは、「後継者を指名し、且つ同者が穏便に権力の座に就くよう導く、“皇帝”」になる事を望んだ、稀な人物であると云えるだろう。即ち、1999年、エリツィンは、深刻な慢性疾患の悩みに加え、彼の退任後に、彼自身、及び彼と汚職を共にした仲間達“エリツィン・ファミリー”が投獄される恐怖に苛まれていた。其処で、彼の自由の身と功績を保全する為に、彼が後任として選抜した人物が、プーチンだった。「露西亜の事を、よろしく頼むぞ」とエリツィンはプーチンに遺言した。
2007年、エリツィンは、下野した身の儘に76歳で没した。然し、彼を保護した、当のプーチンは、自分の後ろ盾となったこの人物の事例に背いたのだった。即ち、エリツィンが直面したと同じ、最大任期連続2期と云う制約を認識したプーチンは、2008年、政治権力のない人物を大統領に指名して据え、自身は、首相の地位に一時転出した上で、2012年に直ぐ大統領へと返り咲いて3期目を勤めた後、更に4期目に入った。そして最終的には、彼はいかさまな法制定を誘導、憲法改定によって任期制限を事実上撤廃する事に成功した。一方、スターリンの場合も又、彼の持病が悪化しても尚、権力に対する強烈な執着を見せた。彼は、後継者が誰であるかを承認する事を頑なに拒否し続けた。挙句の果て、遂に致命的激甚な卒中に襲われた彼は、床に倒れ、自ら洩らした小水の溜まりの中に昏倒する末路を迎えた。
然し、プーチンはスターリンではない。そのグルジア出身の独裁者は巨大な権力を構築する間、何千万人の国民を飢餓で死に追いやり、人々を強制労働収容所や地下処刑室へ送り、更に差配を誤った国家防衛戦争を強行したのだった。これとの対比で、プーチンは、急ごしらえに悪辣な権力を手にいれる一方、彼が選択した戦争に数十万人の兵士を送り死に至らしめた。両者に差は在るが、並べて考察すると、更に興味深い一面が浮かび上がる。つまり、スターリン体制下では、組織立った支配政党を有していたにも拘わらず、所詮、同体制は“彼”抜きには存続し得ない事を歴史は証した。然し、一方、1991年に始まったソヴィエト連邦崩壊過程では、その後、凋落が尾を曳く最中に在り乍ら、プーチンが新しい独裁体制を築き上げる事に成功している。プーチンによる、この「脆弱性」と所謂「経路依存症(旧来の歴史に束縛を受ける)」との融合は一体、何処から生まれたものだろうか。その背景には多くの複雑な諸要因が在り、容易には解きほぐす事は困難だ。即ち、地政学、帝国国家としての出自、及び、深く根差した戦略を重視する文化、等が絡み合うのだ。(19世紀の露西亜人風刺作家のミハイル・サルトィコフ=シチェドリンが、自身の祖国に就いて特筆し曰く、「5年から10年置きに全てが劇的変化を遂げるものの、200年間を通して見れば何一つ変わらない国なのだ」と。)それでも、プーチンが如何に、又何時まで政権を継続するにせよ、彼の個人的独裁体制、及びより広範から問題を捉えれば、露西亜国家自体が、将来に向け複数の重大問題に直面しているのは確かだ。
プーチン体制は、自身を砕氷船と呼び、米国主導の人道に基づく国際秩序を粉々に砕いて前進する姿に譬(たと)える。現に、ワシントン政府や同盟諸国、更に友好諸国は、彼の企てに――リビア、シリア、ウクライナ、そして中央アフリカの地に於いて――再三再四、驚かされて来た。そして、我々は、次なる暴挙が世界に再度驚愕を齎(もたら)す事態を恐れる状況だ。然し、もし長期的観点へ視座を転じればどうなるだろうか。即ち、如何なる指導者も死から逃れられない現実や、より大きな構造的諸事実に照らす時、果たして「露西亜は、今後10年、或いは更にそれ以降の時代で、進化を遂げるのか、又は進化できないのか?」と云う問題こそ、着眼されるべきなのだ。
露西亜の歩む顛末の予想確率を読者が追い求めるならば、それは賭け屋にでも聞いてもらう他ない。そうではなく、西欧諸国の高官やその他政策意思決定者の立場ならば、その為すべきは、幾種類かのシナリオを考慮する事だ。即ち、現在の諸傾向を基に、其処から想定外の事態にも対応できる、行動手順策を導き出すのだ。シナリオを想定する目的は、事が起こった時に驚いて慌てずに済む為だ。処(ところ)が、云う迄もなく、世界は驚愕する出来事の連続で、屡々(しばしば)予測不可能な事態が発出する。所謂、黒鳥(ブラックスワン)の出現である。従い、想定作業には謙虚さが必要だ。それでも、尚、露西亜の将来像として五つのシナリオが想定可能である。米国及び同盟諸国はこれらを念頭に置いて諸事備えるべきだろう。
多数の大統領政権を経て、ワシントン政府が、苦い体験から学習したのは、露西亜、又、この点に於いては中国も同様に、これらの国を変える有効手段を、米国は持たないと云う点だった。即ち、ユーラシアの広大な大陸に於いて帝国として起源を有し、米国建国は疎(おろ)か、況(ま)してや西欧諸国の連携に遥かに先立ち、古代文明の繁栄を誇る国々だ。故に、彼らはジョージ・バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』に登場するような、道端の浮浪少女が会話を修練し貴婦人へと生まれ変わるような玉ではない。つまり、云わんとするのは、彼らが独裁主義や帝国主義者体制を変じ、米国の主導する国際枠組みの中に於いて、責任ある一員になる目は、先ずないと云う事だ。もし、彼らの国体を変革しようと試みれば、其処には必ず相互に非難の応酬と幻滅が生じる丈(だけ)だ。
プーチンや中国の習近平のような指導者は、彼らが期する道筋を安易に突然変じる事がない。裏返せば、彼らが今日の地位にあるのは、この気性による処が大きいのだ。従って、ワシントン政府とその友好諸国は、露西亜の軌道を変じる力を自らが持つと過信するのは禁物だ。その代わりに、展開して行く諸事態に対しそれが如何なるものであれ、備える事が賢明な策だ。
シナリオその1 露西亜が仏国のような道程を辿る可能性
仏国は、官僚制と君主政治の伝統に深く根差しつつ、一方、革命的風土に満ちた国家である。複数の革命によって君主制度が廃止されたものの、再び、王政と皇帝政治と云う忌まわしい体制に逆戻りし、そして再度それらは姿を消し、今度は共和政治が登場し、又去って行った。更に、仏国は巨大植民地帝国を構築し、そして消失した。その上、幾世紀にも亘り、仏国統治者は、ナポレオンにその典型例を見る通り、近隣諸国を脅かしたのだった。
これらの伝統が今日尚も生き続けている例は多い。仏国思想家、アレクシ・ド・トクヴィルが、1856年にその著作『旧体制と革命』(The Old Regime and the Revolution)に鋭く考察した通り、過去からの断固たる決別を期して為(な)された大革命の諸努力は、結局、無意識の内に政治経済統制主義の土台を補強する結果に終わった。共和政体制を強化させる過程に於いても、仏国君主政治からの遺産は象徴的に残存を遂げ、その事例はヴェルサイユや他所、或いは尚も遍在するブルボン王朝の統治者達の銅像、更には、パリ一極に強大な権力と富を集中させる、異常な中央集権型統治に見られる。又、仏国帝国としての正規版図を奪われた後でさえも、同国は極めて誇り高き国家であり続けている。即ち、その市民や賞賛者達は、自国は「欧州並びに世界に於いてある種特別な使命を担う」との消し難い精神を包含する文明である、と見解し、仏国の言語に関しても、それが遥か国境を越え使用される(日常使用される仏語の60%は、自国以外の人々が喋る)事実からも裏付けられる、と云う訳だ。然し、何よりも決定的に重要なのは、今日の仏国は法秩序を重視し、最早近隣諸国を脅さない点だ。
露西亜も又、統制政治経済主義と君主制の伝統、並びに革命の伝統との双方を合わせ持つ点が仏国に共通する。前者は、将来、如何なる政治体制の性格の中にも生き続けるだろう。後者の革命は危険に満ちた伝統と云え、それは、今日現在は進行形ではなくなったものの、然し尚も、諸機構や人々の記憶の中に生き続け、折に触れ、新しい着想と牽制的訓戒の両面の源泉として機能を果たしている。
念の為に云えば、独裁的ロマノフ王朝は、絶対主義的ブルボン王朝よりも、遥かに無制約な状態だった。そして、その結果、露西亜革命は仏国革命と比較してすら、それより遥かに残虐で破壊的なものとなった点が否めない。又、仏国に比較し、露西亜が失った帝国版図は、先ず、海外所在地でなく隣接する陸地であった事と、更に、帝国君臨が遥かに長期に亘り、実に近代露西亜の存続期間の殆どが含まれる。加えて、露西亜の場合、モスクワによる一極国内支配度は、仏国に於けるパリ集中統制より遥かに強力だった。その上、露西亜の地理的版図拡大は、仏国のそれをも矮小に見せ、現に欧州で同国を戦争に巻き込んだのみに止まらず、コーカサス地帯、中央亜細亜、及び東亜細亜へも進出を果たしたのだった。斯かる露西亜と多くの共通項を持つ国家は極僅かである中、恐らく仏国にはどの他諸国より多くの類似点が在る。
現代の仏国は間違いなく大国であるが、一部には非難する向きもある。即ち、経済産業統制主義が過剰であると見做す見解、不平等な富の分配を平準化させる為に高額となった税率、更に社会主義的風潮が蔓延している点、等だ。又、一部の人々は、仏国が大国であると自負する振舞や、自国文化を熱狂信奉する様を咎め立てする。更に、他の人々は仏国が移民達との同化を拒む問題を憂慮する。仏国の斯様な、或いはその他諸観点に関し、失望は禁じ得ないとは云え、同国は「繁栄を遂げ且つ平和的な露西亜の現実的模範像」としては、最も近しい姿を提供していると考えられる。もし、露西亜が仏国のような国家―― 即ち、嘗ての絶対王朝主義と革命が盛んな時代を脱し、今や法律規範に則した民主主義国となり、近隣諸国を脅かす事もない――になるとしたら、それは、高度な社会制度の実現と見做して良いだろう。
然し、忘れてならないのは、仏国は多くの紆余曲折を経て、漸く今日の姿になった点だ。それらは枚挙に暇ない――ロベスピエール革命政府の恐怖政治、ナポレオンによる悲劇に終わった拡張政策、ナポレオン3世が仕掛けた、自身による政権転覆(選出された大統領から皇帝へと変貌)、パリコミューンによる政権掌握、第二次世界大戦下の瞬く間の敗戦、それに続くヴィシー政権下での対独逸協力体制、自国植民地のアルジェリアとの戦争、そして、1958年にドゴールが政界復帰して以降、同大統領による超憲法的諸行為、等々だ。これらの経緯を踏まえ、露西亜に於いても、ドゴールのように上意下達で強権を駆使し、自由主義秩序の醸成を手助けする人物の登場が望まれる、とする見解は、或る意味、魅力的でもある。然し、そのような、うまい解決策は、目下、露西亜の近しい未来に到来する兆しは一切ない。又、たった一人の男が今日の仏国を造り上げたなどと信じるの者は、聖人伝記の作者以外には居ない。同国の場合、幾世代にも亘り、数々の不安定な諸局面に直面する中で、不完全乍(なが)らも、法整備、市民への生活便宜提供、及び自由にして開かれた公共社会、と云った、民主主義下の共和制国家としての、専門的諸機構を曲りなりにも発達させて来たのだ。これらの過程を全く欠く露西亜に於いては、エリツィンがドゴールになれなかったのは問題の本質ではない。寧ろ、西欧式で安定した憲政秩序の観点に比較し、1991年時点の露西亜が、当時の仏国とは比べようもなく程遠い状況であった、と云う事実こそが問題なのだ。
シナリオその2 縮小する露西亜
「仏国に類似する国家への転換」を歓迎する向きが、一部露西亜人に存在する可能性を否定はしないが、残りの国民大部分にとり、斯かる結末は決して許容されないだろう。“プーチニズム”として昨今取り上げられる思潮は、その由来を1970年代、露西亜言語に関する定期刊行物と奉仕諸集団の活動とに遡る。即ち、之は権威主義的にして、反西欧主義に根差す憤慨と、自国に対する神秘的な国家主義、そして、表面上は伝統的価値観を重んじ、更には、スラブ主義、ユーラシア主義、及び東方正教会の三つの教義から支離滅裂にいいとこ取りをして合成した代物なのだ。読者は、この発想を賞賛するある人物を想像出来るだろう。彼は、独裁主義的国家主義の主導者で、米国が露西亜破壊に必死に励む点に揺るぎなき信念を抱く一方、露西亜の長期展望に於いては暗雲立ち込めるのを深く憂慮し――従い、この点をプーチンに対し批判展開も辞さない者だ。そして、この手の人物は、ウクライナ戦争が露西亜を蝕むとの主張を論理的に、プーチン体制に対し訴え出る者だ。
処(ところ)で、露西亜の人口構成比問題は、軍部大物や多くの一般国民は云うに及ばず、殊(こと)、“血と土”を掲げる民族差別的な国民国家主義者達には、実に頭の痛い問題だ。1992年以降、相当数の移民を受け入れて来たにも拘わらず、露西亜人口は減少している。労働層人口は2006年、90百万人を頂点とした後、今日は80百万人以下に止まるという、極めて憂慮すべき傾向なのだ。ウクライナ戦争による戦費増大は防衛産業基盤を嵩上げしたが、この優先順位の高い産業分野に於いてすら、同国労働人口の縮小による壁がより一層明白である。即ち、同産業内で必要とされる熟練労働人口数が、実は500万人も不足する事態に陥っているのだ。更に、最も生産性が高いと云われる20から39歳までの年齢層の全労働人口に占める比率は、今後10年で減少が見込まれる。唯でさえ、戦争によって途方もない露西亜人死傷者数が一層悪化する中、減り行く同国人口を逆戻りさせる手立ては存在しない。況してや、プーチンが国際裁判所から告訴された、“ウクライナから子供達をさらって来る”策を以って解決出来る類の問題ではない。
又、前述の労働人口構成比問題を補うに足る、労働生産性向上の確保策と云うのは、現在、望むべくもない。例えば、「生産の工程自動化」の観点では、その規模と速度に関し、露西亜の地位は全世界で最下位に近い。即ち、ロボット化比率は、世界平均とは比較にならぬ程に微小だ。更に、ウクライナ戦争拡大が政府予算を圧迫する以前の段階に於いてすら、露西亜の教育に対する予算支出は、世界順位で驚くべき低位置にランクされる状況だ。
プーチンは、過去2年間に亘り、自国経済の未来を自らが積極的に奪ったと云える。つまり、彼が発動した圧政と徴兵は、露西亜国内から、若手技術労働者達を何千人と云う規模で海外逃避させる事態を招いた。愛国意識に欠如したこんな若者の流出は嘆くに値しないとの、過激国粋主義者達による指摘は、精神論上は正しいかも知れないが、現実には、大国としての地位維持の為には、それら若者が不可欠だと云う事を、大勢の人々が内心は理解しているのだ。
経済制裁下に於いても、露西亜は経済活動に不可欠な多くの機械諸部品を尚も輸入可能だ。それは、ユーラシア大陸に広範に延びる自国地理特性、及び世界各地との長年の繋がり、それに加え、日和見主義に基づいた錬金術に拠る賜物だ。斯様に、露西亜の持つ臨機応変の才覚と、更に国民が戦争に慣れ始めた状況下に拘わらず、同国のエリート達は、極めて不都合な統計資料を、実は認知している。つまり、露西亜は製品輸出国である為、同国長期的発展の成否は、先進国からの技術移転を受けられるか否かに大きく依存するのだ。
処が、プーチンのウクライナ侵攻によって、露西亜は西欧諸国を技術移入の源として活用するのが困難化した。又、本来、露西亜にとってイスラエルはハイテク製品とサービスの輸入元だったが、先般、彼がハマスの無政府主義を象徴的に受容して見せた行為は、両国関係に無用な緊張を与える事態になった。又、より一層、切実な面に於いて、露西亜エリート層は先進諸国と物理的に切り離されてしまったのだ。彼らがアラブ首長国連邦に設けた隠れ家は快適であるかも知れないが、欧州と比較すれば、それらの別荘や子息達を通わせる全寮制学校等教育サービスの点で、遥かに及ばず、失う物は甚大なのだ。
「露西亜の独裁制国家体制が戦時下に於いて尚も強靭である」との特徴は、今般プーチン政権下に於いて、又しても証明されたと云える。但し、それは同時に様々な負の側面を伴うものだ。即ち、プーチンは、国内の投資と産業多様化政策を著しく欠く一方、若年労働層縮小の厄災的大問題、並びに、同国技術水準の後退と沈下の促進に手を貸しているのだった。国内の熱烈な国家主義者達――その多くはエリート層である――は、当然これらの事実を知っており、「露西亜は自ら敗退の軌道を進んでいる」点を認めざるを得ない状況に追い込まれる。そして、多くの者達は、既に内心ではプーチン体制を次の通り結論付けたのだった。つまり、「プーチンは、老境に至りつつある個人独裁体制の生存を図る為に、自国が大国として栄え生存して来た栄誉ある歴史と同体制との融合を狙っている」のだと。
歴史的に見れば、この様な認識が蔓延する場合、海外への過剰展開を改め、代わりに国内活性化へと、速やかな針路変更がその国で生じるのが、少なく共(とも)常であり、露西亜も例外ではなかった。即ち、昨夏、傭兵組織の指導者エフゲニー・プリゴジンが、暗殺集団を率い首都モスクワを目指し侵攻する事態を発した。処が、この行為から、軍の高官達が勝ち馬に乗るが如く、彼の行動に同調する展開にならなかった。その結果、彼は作戦中止を余儀なくされた。然し、他方、この乱が発生した際、体制支持者達は時を移さず、直ちにプーチン守る行動を取る事も又なかったのだ。このエピソードは、抑圧された体制内部に、ある種の空洞が生じていると云う、プーチン政権に対する国民信認は万全ではない点を図らずしも提供した訳だった。
露西亜の縮小は、プーチンの退任が早まった結果に生じるかも知れないし、又は、彼が天寿を全うした後に訪れるかも知れない。或いは、プーチン統治に対し政治的脅威となる一派による排除の動きは一切伴わずに、このシナリオが彼を襲う事もあり得る。その形態はともあれ、一度(ひとたび)これが生じると、その時、西欧に抵抗する為の資源を最早永遠に失う事実を認識した露西亜は、略(ほぼ)確実に、戦術的な対処行動を取らざるを得なくなるだろう。その際の可能性の一つが、屈辱的ではあるが中国への依存を強める策で、この場合、それと引き換えに、法外な代償を支払うと共に、活性的な欧州との絆を永久に失う危険を冒す事となるのだ。
シナリオその3 露西亜が中国の家臣となる場合
親プーチン派露西亜エリート達は、組む相手として西欧よりも勝る選択肢を入手出来たと挑戦的に豪語する。中国との提携だ。然し、過去、棘のあった両国関係を知る多くの分析者達にとり、この中露の結び付きは意外だった。1960年代、両国は悪名高い決裂を体験、国境線を巡り短期間だが戦火を交えた。紛争は、公式な国境制定を伴い解決を見たものの、大清帝国時代に簒奪した領土を尚も統治し続ける唯一の国家が露西亜であり、中国人達はこれを不当な条約として非難した。それでも、中露両国の関係強化は疎外されず、大規模な共同軍事演習は継続され、寧ろそれは過去20年間で頻度と地理的観点に於いて拡大した。つまり、この二国は、NATO拡大と西欧によるウクライナ介入に対し不平を抱く点で完全に見解一致し、特に露西亜にとりウクライナ戦争に対する中国からの支援は今や不可欠なのだ。
中国・露西亜の関係回復の事例は、プーチンと習が台頭する以前に遡る。1980年代、鄧小平は、従来路線を変じ、露西亜に背を向ける策を実行、それは毛沢東が1960年代、70年代に行った類似策より遥かに重大な意味を持った。即ち、鄧は中国製品の輸出経路を米国市場に確保した。之は、日本、韓国、及び台湾が経済発展を通じ先進国へ移行したと同じ手法だ。鄧が共産主義ソヴィエト連邦と離婚、替わりに、事実上、欧米の資本家達との経済的結婚を果たすと、それが驚異的な繁栄時代の幕開けとなり、国内には中間所得層を生み出した。それでも、中国と露西亜の関係は依然密接だった。鄧がお手盛りで指名した後任者、江沢民は、嘗て露西亜工場での実習体験を有し、彼は米中間の婚姻関係を損なう事なく、露西亜を愛人の立場で復縁を果たした。つまり、江は露西亜へ大量の契約注文を発注し、略(ほぼ)見捨てられた状態だった露西亜軍需複合産業を蘇生させ、一方、中国自身も武器生産と軍備の近代化を図った。1996年、江沢民とエリツィンは両国の「戦略的パートナーシップ」を宣言。両国間の相互貿易取引は左程多くなかったものの、中国の経済活況が、露西亜民間企業にとっては、生産が略(ほぼ)死に絶えていた状況から、嘗てのソヴィエト時代の水準に迄復帰させるのに間接的な寄与を果たした。即ち、中国の需要増加が国際需要を逼迫させ、産業資材の市場価格を押し上げたが、これら諸財とは、鉄鋼から肥料に至る迄、正に旧ソヴィエト連邦が嘗て低品質で大量生産に励んでいたものだった。斯くして、丁度、米国が嘗て中国の中間層形成に一役買ったと同様、今度は中国が、魔法のように露西亜の中間所得層を形成し、プーチン体制下に経済活況を出現させる事に貢献したのだった。
それにも拘わらず、両国間で人々の社会や文化的関係は希薄だ。露西亜は文化的には欧州人で、中国語を話せる者は僅かだ(英語との比較で)。嘗ては、共産主義世界の中心地を誇った、モスクワ時代の遺産として、一部の中国高齢者は露西亜語を話すが人数は限定的で、中国人学生が大挙し露西亜の大学へ留学したのは遠い日の記憶だ。露西亜人達は中国の覇権に憂慮を抱き、そして、多くの中国人達は自国に比し遥かに劣悪な露西亜のネット環境を嘲笑する始末だ。又、中国共産党内の熱烈な信奉者は、嘗てモスクワ政府がユーラシア大陸と東欧の共産主義を破壊した事蹟を今も恨みに思っている。
そして、これら脆い基盤を補っているのが、プーチンと習との深い個人的関係だ。この二人は、男同士の親密な関係を築き、両者は権力掌握して以降、なんと42度と云う驚くべき頻度で会合を重ね、公けに「最良の友」(プーチンが習を呼んで)と賞賛すれば、「親愛なる友」(習がプーチンを指し)と呼び合う関係だ。二人の、謂わば、似た者同士の独裁主義一辺倒の資質は、反西欧主義、特に反米主義を貫き通す事を通じ、尚一層強化されて行くのだった。
然し、嘗ては弟分だった中国は、今や兄貴分に立場が変じた為、両独裁者の同胞達が諸関係を見直し、「包括的戦略パートナー」と云う標語を、2013年に発表した。公式記録では、2023年には、露中の貿易取引額が2,300億ドルを上回った。物価調整後の比較で、30年前には僅か160億ドル程度に過ぎなかった両国取引額は、2010年代半ばに780億円へ急増している。尚、2023年の上記統計値は、キルギスタン、トルコ、及びUAE等経由する、所謂迂回取引額、推定何百億ドルが除外されている点も留意が必要だ。
中国は軍用機エンジンを今も露西亜から輸入するが、それ以外は、露西亜が反対に殆どの輸入を中国に頼っている。西欧からの経済制裁は、露西亜の国内自動車産業が主力とした中国向け輸出に大きな打撃を与えた。モスクワ政府は現在、かなりの外貨を中国人民元建で保有するが、これらは中国からの輸入財決済にのみ使用可能だ。一方、天然ガス輸送大型案件は、シベリアから新たにパイプラインをモンゴル経由で敷設し、中国へ通す大計画なのだが、ここ数十年間に数え切れぬ程の会合を、双方が重ねて来たものの未だ最終合意に至らない。これは、中国指導者の明察により、エネルギーやその他を露西亜に強く依存する事を回避した結果だと云える。寧ろ、現実には、中国は太陽光や風力発電の分野で既に世界の頂点に位置し、更に原子力エネルギーに於いても、国際的トッププレイヤーとして露西亜を凌ぐ事を目論んでいるのだ。
露西亜のエリート達は、自分達の国を「米国が属国化又は分断する決意を抱く」と想像する丈で、その事態に対し猛烈な非難を展開する。その一方、彼らは、プーチンが示す露西亜の対中国服従に就いては、概ね異を唱えてはいない。更に最近、露西亜の評論家達は、13世紀露西亜のノヴゴロド公国を統治した、アレクサンドル・ネフスキーの事例を引っ張り出す事がしきりだ(同国を含む諸公国が統合拡大しモスクワ大公国として台頭、後の露西亜帝国の前身となる)。即ち、当時、二正面に敵対勢力と対峙したネフスキー公は、西欧からの十字軍との決戦を選択し、独逸(ドイツ)騎士団を“氷上の戦い”(1242年)に打ち負かした一方、蒙古(モンゴル)による侵攻は受け入れ、彼らが中央亜細亜を横断し、キプチャク・ハン国の首都となるサライに迄至り、露西亜公国として君臨する事を認めたのだった。評論家達がこの物語から導く解釈は、西欧教会が露西亜正教会を滅ぼす決意を固めていたのに対し、蒙古は露西亜からの貢納を求めた丈だった、と云うものだ。従い、今日同様に、中国に従属したとしても、露西亜は出自独立性を放棄せずに済む一方、もし、西欧に対抗する力を失う場合は、そうはいかない、と云う訳だ。
然し、この理解はまやかしだ。現に、露西亜国内の学校教科書が洩れなく「蒙古のくびき」と呼ぶ、“モンゴル勢力の支配”から自身を解き放つ為に、露西亜人達は実に数百年の歳月を要した一方、西欧との関係に就いては、この数百年間、露西亜自身が西欧化する事なく、その関係を維持し得たのだった。然し、非西欧化の維持は、無論、自由主義秩序下に於いて露西亜が非自由主義を貫こうと奮闘する場合を除けば、それは必ずしも“反西欧”を意味するものではなかった。即ち、ソヴィエト連邦崩壊後、その新しい国境線の内側に、反西欧的ではない露西亜は一時存在していた。プーチンがその環境を許容出来ないと断じる迄の20年間は。処が、今や、プーチンは西欧との懸け橋を自ら焼き落としておきながら、西欧がその放火犯だとして非難する。そんな彼にとっては、中国の善意以外、他に依る術はないのだ。
両国関係に大きな不均衡が一層拡大傾向である点を以って、一部分析者達は「露西亜は中国の家臣」になると論評する。然し、現実に、ある一国を自分の臣下とするか否か、その判断を下せるのは中国自身丈なのだ。何故なら、その場合、中国は、露西亜の政策並びに人事体制に就いてすらも命令を下し、且つそれらに伴う責任を背負い込む覚悟を要するからだ。然し、現実に、中国が露西亜に対し責任を負う条約上の拘束は一切存在しない。従い、プーチンは齢(よわい)70になる習の口約束丈が結局頼りだが、習も不死の身でない。それでも、この二人の指導者は、“米国が唱える覇権”を批判する点に於いては、今後共、密接に一致協力を図るだろう。そして、習とプーチンには「それぞれが安全に独裁政権を維持し、各々の領域を支配する為に適した“国際秩序”を実現する」と云う、双方共有する約束が存在する限り、いずれの側も、敢えてそれを望む訳ではないのだが、両国関係は、事実上、“露西亜が中国の家臣の如くの立場”に向かうとの方向性が予想可能だ。
シナリオその4 露西亜が、中国にとって 北朝鮮のような立場と化す場合
露西亜の中国依存が高じて行くと、プーチンや彼の後継者は、北朝鮮と中国が実際に体験した両国の“矛盾した関係性”に着想を得る可能性があり、一方、その傾向を危惧する習近平や彼の後継者は、その二の舞を踏まぬようにと、露西亜との依存関係強化に躊躇する事態も寧ろ生じ得る。具体的には次の通りだ。
朝鮮戦争当時、毛沢東は、平壌(ピョンヤン)救援の為の中国介入行為を「唇亡びて歯寒し」の諺を引き正当化した。つまり、中国にとり朝鮮は緩衝地帯の役を為し且つ相互依存の関係に在る事を譬(たと)えたのだ。然し、後年、中国側専門家の一部は、対北鮮支援の意義に疑念を抱き始める。特に2006年、同国が核実験を傲慢に敢行して以降、北朝鮮指導者は国連制裁(中国も制裁参加)に直面し乍ら、尚も積極的に計画推進し、核兵器とミサイル開発に従事、遂にその射程はソウルや東京のみならず、北京と上海をも圏内に収めたのだった。
それにも拘わらず、中国指導者達は、結局2018年に平城政府支援方針を再決定する。背景は、北朝鮮が食糧、燃料、及びその他多くの重要諸物資供給を過度に中国依存する状況下、北京政府は金正恩を身動きの取れぬ支配下に置く事が出来たと考えたのだった。
然し、平壌政府支持者達は「歯も時として唇に喰いつき兼ねない」との警告を折りに触れ発して来た。現に、北京政府指導者達は、金が自身にとり支援国たる中国に対し、幾度となく背く事態を目撃余儀なくされたのだ。一例は、朝鮮国外でその身柄保護に中国が当たっていた、金の異腹の兄である金正男が、2017年、金正恩の手によって暗殺された件だ。金は、中国にとり平壌体制の崩壊回避こそが最重大関心事である点を見透かし、北京政府に対し、彼が公然と抵抗をした処で結局は許されると確信した上で及んだ犯行だった。
つまり、もしも、北朝鮮体制が崩壊すれば、朝鮮半島は、米国の同盟国たる韓国の庇護の下に再統一される事態となる。これは、当時の休戦協定以来、70年間以上も未決着の朝鮮戦争が、最終的に中国の敗北に帰する事を意味する。中国が同半島内の緩衝地帯を喪失すれば、周辺環境は一層敵対化し、北京政府の悲願である台湾併合に向け、諸選択肢と国内実行計画表は複雑化し修正を迫られる。歴史的に見ても、朝鮮半島の動乱は中国大陸への波及が避けられない。例えば、朝鮮からの難民流入は、それ丈でも中国北東部と更にはより広領域を不安定化させる危険を孕むのだ。つまり、北京政府は、現在ある意味、平城政府に対し「逆依存」に陥った手詰まり状態と云える。習近平が、斯かる北朝鮮事情に加え、更に露西亜との関係に於いて、類似のジレンマに身を置くのを避けたい、と考えても不思議はない。
奇妙に聞こえるかも知れないが、露西亜と北朝鮮に決して大差はない。無論、国土比較で、前者の領有面積は後者の142倍に上る。又、北朝鮮はある種の王朝を保持し(金一族の後継者は政党議会による名目的な承認手続きを経るとは云え)、これは露西亜にない制度だ。更に、北朝鮮は公式な中国の同盟国であり、1961年の相互防衛条約に両国調印以来、北京政府にとっては世界に唯一存在する同盟関係国だ(中国の一部評論家は、その後、北朝鮮の核兵器開発の進展を以って、万一北朝鮮が攻撃を受けた場合にでも、最早、中国は防衛義務を負わぬと見解する向きもあるが、条約自体は現在も正式に破棄されてはいない)。一方、視点を変え、北朝鮮が競合する韓国と対峙する状況に鑑みれば、同国は露西亜と云うより嘗ての東独逸(ドイツ)に類似すると云える(同国は既に消滅し久しいが)。
両国には、上に列挙した違いや更に多くの相違点があるものの、露西亜は尚、一種の「巨大な北朝鮮」になり得ると心得るべきだ。それは「国内に圧政を敷き、国際規範に逸脱して孤立し、核武装し、極端に中国に依存し乍らも、時として北京政府に歯向かう事も出来る国」と云う特徴を意味する。
2022年2月のウクライナ侵攻時、プーチンは果たして北京政府に対し、事前に情報共有を何処迄図っていたか今も定かではないが、彼が中露両国による「無制限の友好関係」樹立の共同声明発表に漕ぎ付けると、ウクライナへの侵攻直後、習は露西亜の行動を支持するかの如き態度を取り呼応した。
一方、中国はウクライナ和平案を発表。その後間を置かずに、習主席はモスクワへ飛び、首脳会談を実施した。その訪問中、クレムリン宮殿の有名な飾り階段に、習がプーチンに伴われ共に登壇する場面が演出された。この階段は、1939年、当時ナチス政権下の独逸外務大臣のヨアヒム・フォン・リッベントロップが、スターリンと外務大臣のヴャチェスラフ・モトロフと連れ立って降りつつ、独ソ不可侵条約(所謂ヒトラー・スターリン条約)の締結を誇った歴史的現場だった。
これに先立ち、ウクライナのゼレンスキー大統領政権は、「中国側の和平案が曖昧乍らも検討に値する」として同書面を受領した経緯が在ったのだが、それにも拘わらず、クレムリン政府報道官は、透かさず平和の可能性を強く否定して見せた(斯くして、中国側がキーウ政府へ展開した事務方レベルでの和平根回し工作は、このちゃぶ台返しで完全に潰えた)。
又、後日、中国外交官が「習主席は、ウクライナ戦争に核使用しない旨の言質を露西亜側から引き出す事に成功した」と欧州向けを意識しつつ全世界へ自慢げに発表した。然し、その直後、プーチン政権は「露西亜によるベラルーシ域内への戦術核兵器配備の実施」を公表し、冷水を浴びせたのだった(中国側は同配備に批判を展開)。
これら諸事態は何れも、露西亜が、意図的に中国をあからさまに軽視した訳ではない。それでも、専門家達の見立ては、「モスクワ政府は、北京政府に歯向っても、代償を払わずやり過ごし得る関係に――意図するとしないに拘わらず――進化しつつある」と云う評価で、換言すれば「露西亜が中国にとって北朝鮮と同類の国」へと変貌するシナリオが在り得る、と彼らは考えるのだ。
プリゴジンの乱発生以降、ことさらに、習主席は「中露二国とその人民にとっての本源的利益」と彼が称するものを強調して来た。その意図する処は「二国間のこの特別な関係が、クレムリンの現プーチン現政権に止まらず、それ以降も継続する」点を暗示する事だ。
背景に習の抱える事情がある。即ち、専制国家の中国にとって、北面の国境線を接する露西亜を失う事態――つまり露西亜が米国との絆を強めた末、中国の緩衝地帯としての機能を失う局面――丈(だけ)は到底許容出来ないのだ。それは朝鮮半島が親米的政権により統一されるシナリオと比較しても、中国に対する脅威はより一層、激甚で深刻となる。
もし、そうなると何が起こるか?「重要戦略物資である石油及びガスの供給経路を露西亜内陸部に保持する」と云う、中国が万一海上封鎖を被った場合の影響を部分的に緩和する策が、少なくとも危機に瀕する。但し、この場合、露西亜から買い付ける物資が中国に齎(もたら)す便益が事実上軽微なものであったとしても、現実は「露西亜が西欧へ靡(なび)くのを阻止」する策そのもの自体が、寧ろ、北京政府にとって尚も国家安全保障の最重要課題なのだ。と云うのは、もし、露西亜が米国寄りに変じる場合、西欧諸国は中国に対し監視諸行動を集中的に加速化する余地を得る(これは、リチャード・ニクソン米国大統領が毛沢東と中国国交回復を果たした結果、西欧側が行動監視対象を中国からソヴィエト連邦に転じ得たと逆の流れだ)。その際、中国にとり最悪なのは、露西亜を最早緩衝地帯として当てに出来ない環境下、自己の広大な北面国境防衛線を維持する為に、他地域から膨大な諸資源を突如はがして、北面へ再配備を余儀なくされるシナリオが出現する、と云う事なのだ。
従って、北朝鮮がこれ迄、中国に対し度々(たびたび)反抗的行動を取ったと同様、露西亜も又、中国利益に反する行動を仕掛けて来る事態を想定した上で、それらを受け止める心積りを中国は持たざるを得ないのだ。
シナリオその5 混沌化する露西亜
プーチン政権は、国民に対し混乱や未知の将来への脅威を煽る事によって、国内からの反抗や変化を求める圧力を躱(かわ)すのを常套手段として来た。然し、露西亜が東欧から中央アフリカ、更に中東へと混沌化の種を熱心にまき散らせば、何時か自身がその犠牲となり墓穴を掘る可能性も否定出来ない。これ迄、プーチン体制が一定のしぶとさを見せて来たのは確かだ。つまり、戦争規模拡大による過度な圧力にも持ち堪え、西欧諸国からの制裁諸措置は極限迄に強化されたにも拘わらず、国家崩壊するとの予想は、尚、証されていない。然し、露西亜域内の諸州は、歴史的にサンクトペテルブルクとモスクワの二都からそれぞれ監督を受ける体制に在るが、過去凡そ100年の間、監督する側とされる側が共に、予期せぬ諸事態を経て、すっかり衰退を来している。斯かる脆弱な状態下、近い将来、露西亜が解体の憂き目に遭うと示唆する、実現可能性を秘めた多くの諸仮説が存在する。例えば、国内謀反が発生、連鎖拡大し制御不可能となる場合、或いは、当局の対応能力を越える、大規模自然災害が同時に複数発生する場合、又は、核施設が事故により、さもなくば故意的に破壊された場合、若しくは、最高指導者の事故死か暗殺死、等々だ。露西亜のように、法秩序を欠き、体制腐敗している国家に於いては、突如、漲る水が滝から決する如きの事態に対し、耐性が軟弱であるのが常だ。もし、これらの突発事態の収拾に失敗すれば、混沌化という対価を支払う羽目になだろう。
露西亜が無政府状態に晒された場合にも、嘗てのソヴィエト連邦の如く溶解してしまう事はないだろう。同連邦、最後のKGB主任分析官が自国を憂えて述べた言葉を借りれば、「ソヴィエト連邦は、チョコ菓子のようなもの」だったのだ。即ち、連邦を構成する15の共和国は、謂わば個々の国が予(あらかじ)め“割れ目を施された板チョコレート”のように境界線を仕切って集合し、その折り目に沿ってバラバラに切り取る事が出来るのだ。これと反対に、露西亜連邦の場合、多くはその境界は民族別の居住地を区切るものではなく、自治区としての権限もない、飽くまで領土単位で構成されている。居住民は飽くまで露西亜国民との正式肩書で、大半の場合、絶対多数民族として名目上の実態も伴わず、その立地は往々にして、タタールスタン共和国、バシコルトスタン共和国、マリ-エル共和国、サハ共和国のように、内陸部奥深い(それぞれ、ボルガ川中流と支流下流域、ウラル山脈南部西麓、モスクワ東方600kmのボルガ川東岸、及び東シベリア)。
一方、露西亜に於いても、例外的に、北カフカス連邦管区のように東欧と国境を接する緊迫した地帯では、連邦が部分的に崩れる可能性はある。又、露西亜連邦にとって、地図上、地方の小さな飛び地であるカリーニングラード州は、本土から400マイル以上も隔絶し、リトアニアとポーランドに挟まれている地勢環境から不安定化し易い。
もしも、混沌状態がモスクワをも完全に飲み込んでしまう場合には、何が起こるか? 先ず、中国は、広大な黒竜江(アムール川)流域の占領に動く可能性がある。清国時代、同地域を露西亜ロマノフ王朝へ割譲余儀なくされた意趣返しである。又、日本は、北方領土、即ち露西亜が南千島列島と呼ぶ島々、及び樺太(サハリン)に対し、武力により領有権を主張するかも知れない。これらは嘗て日本が支配した土地で、更には、露西亜革命の最中に日本が出兵し占領した、極東主要地帯の一部(ウラジオストックからイルクーツク以東の一帯)に対しても、再領有を試みる可能性は否定出来ない。一方、フィンランドは、嘗て彼らが統治したカレリア地方大半部の再奪取を画策するかも知れない。これらの一連の事態により、露西亜国内は全国的な破綻に見舞われるか、或いは、露西亜政府が大動員令を発した場合、却って逆目に出て、一層混乱が長じる可能性を秘める。
斯かる大混乱の最中、露西亜が主要な領土を喪失する事態にならない迄も、その場合、犯罪組織やサイバー犯罪集団の動きは、野放しの儘に一層活発化するだろう。更に、核や生物兵器が、開発者達と共に国外へ拡散する可能性が在る。これはソヴィエト連邦崩壊時に懸念された悪夢だが、幸い、このシナリオが基本的に回避された、主たる理由は、当時、ソヴィエトの多くの科学者達は、尚も将来の露西亜回復を期待し、国に留まる選択をした為だ。
然し、もし、再度、同様の事態に至れば、その時、これら露西亜人達は、自国に対して抱く憤懣と将来の希望とを秤(はかり)に掛け、果たして忠誠心を貫くか否かは、予測不可能だ。露西亜の混沌化が核等の流出を招いた末に、必ず世界終焉のシナリオに直結する、と迄は断言する事は出来ない。然し、その可能性は残る。即ち、所謂アルマゲドンの危機は繰り延べられこそすれ、その回避は保障の限りではないのだ。
(次章以降順次掲載)
文責:日向陸生
*尚、当ブログ翻訳文章は生成AI機能一切不使用です。
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