【投稿論文】「目論見から逸れた誤算 ~覇権の偽りの夢に米国が尚も捉われる理由~」(原典: The Reckoning That wasn’t ~Why American Remains Trapped by False of Hegemony~ Foreign Affairs March/April号 2023年、P6-21)

著者:アンドリュー・ベースヴィチ(ANDREW J. BACHVICH) 

肩書:ボストン大学教授(国際関係、歴史)。シンクタンク、クインシー研究所(Quincy Institute)会長、共同設立者。

(論稿主旨)

  私がまだ幼稚園に通っていた頃、シカゴの公営住宅に住む私の一家は、当時1952年から1953年に掛け放映された連続ドキュメンタリー『海上の勝利(Victory at Sea)』を視聴する為、幾晩も中古のテレビの前に全員集合したものだった。NBC局が制作した26篇からなるこのシリーズは、士気を鼓舞する音楽と厳粛なナレーションと共に「第二次世界大戦は、その多くを米国の奮闘に負って、自由主義が悪魔に勝利する結果を得た、正当な闘争であった」との見解を提供するものだった。米国は人民の為の戦争を遂行し、何百万人もの市民が国の呼び掛けに応じて戦ったのだ。

 其処(そこ)には、魅力的で極めて壮大な歴史が語られた。そして、それは真実でもあった。即ち、万事が米国の観点から描かれたとは云え、番組は直接的にして、適切、且つ強い説得力があった。敢えて、同シリーズにもし過剰なメッセージが含まれていたとしたら、それは「この悍(おぞ)ましい戦争の結果、米国が世界の優位性を支配する、新時代を生んだ」との見解だ。

 このシリーズ番組は、私に深く影響を及ぼした。私の両親が共にその戦争に従軍した事実も手伝ったろう。彼らや他の同世代の人々にとって、独逸と日本に抗した大いなる聖戦は、彼ら自身の人生を決定付けるに止まらず、将来世代の人生すらも運命付けるかのように見えた。

 一方で『海上の勝利』は、今後来る数々の困難も暗示していた。最終話のタイトルは「平和を設計する」と銘打ち乍ら、その種の内容を含んでいなかった。それに代え、寧ろ、警告めいた言葉が伝達された。即ち、「単機から投じられた、たった一発の爆弾で7万8千の人類が一瞬にして消滅した」との抑揚なく重々しい口調のナレーションをバックに、カメラは破壊しつくされた広島を水平に移動し映し出した。そしてナレーターは「二つの原爆。そして第二次世界大戦は終結した」と結んだ。その後、解放された強制収容所と祖国へ帰還に向かう兵士達のシーンが粗悪な画像で一瞬映し出される。更に「自由世界は明日に向け進軍を続ける」との不可解な言及と共に、英国首相チャーチルが「堅固な意思、果敢な抵抗、寛大な度量、そして善意の重要性」を激賞する様が引用され、一連のシリーズは粛々と幕を閉じた。即ち「歴史上、未曾有に破壊的となった先の戦争が、政治的並びに徳義上如何なる意味を持ったのか」に関し、視聴者はその答えを番組に見つける事は出来なかった。

 唐突な番組のエンディングは、後日思えば、極めて合点の行く話だった。結局の処、『海上の勝利』がテレビ放映される頃迄には、大戦中に同盟を結んだ特定諸国が敵意に満ちた競合関係と化し、米国が日本に投下したよりも遥かに殺傷能力が高い核兵器製造を互いに競う最中であり、更に、米軍は再度戦争に従事し、今回は朝鮮半島に於いて、然も勝利とは程遠い結末に終わるであろう紛争の渦中に居た。譬(たと)え、誰かが平和を設計したとしても、それは棚上されざるを得なかったろう。少なくとも、ある事が確かに云えた。即ち、嘗て世界に冠たる米国の優位性は、今や挑戦を受ける立場に変じつつ在ったのだ。

 それにも拘わらず、第二次大戦は、正しい出来事の記憶である事を証する、権威ある起源となって、大半の米国人達の中で存在し続けた為、冷戦もその種の続編であると認識された。即ち、第二次世界大戦に米国が発揮した指導力により独逸(ドイツ)第三帝国と日本帝国主義を打破した如く、ワシントン政府はソ連の脅威を跳ね返し、そして自由主義の存続を確実なものとするだろう、と皆は考えた。斯くして、先の大戦と冷戦とは、米国の集団的想像力の中に合体し、其処から規範的教訓が生み出されたのだ。つまり、他国より優れた軍事力を下支えとして、米国が世界を主導する事は、所謂「定言命法」(義務により行動が決定されるという論理主義)と化したのだ。

 1945年に第二次大戦で米国が辛くも手にした勝利とは、実際の処、確固と実証されたものでも、今後の魁(さぎがけ)でもなかった点が判明する。即ち、それは全ての幻影の根源だと証されたのだ。つまり、1960年代、莫大な費用を投じつつ、国を割ったヴェトナム戦争は、それらの幻想を打ち砕いた。処が、1980年代末に共産主義が崩壊すると、それらは直ぐに又復活した。そして、更に9/11以降、ワシントン政府が世界的な「テロとの戦争」追求と云う誤った拡張路線を標榜した結果、「米国の軍事的優位性は疑わしい」とする諸見解が、又しても露わとなった。

 長期化したアフガニスタンとイラクの戦争が残した失望感に満ちた諸結末からは、本来であれば、ある警鐘が打ち鳴らされるべき筈であった。それは、今を去る事67年前に英国が仕出かした失敗に類似する事例に対する戒めだ。即ち、1956年、英国政府はスエズ運河の管理を再度エジプトから取り上げる為に、挙(こぞ)って軍事介入を提唱した挙句、結局、エジプトのナセル大統領の名声をより広める事になった。それに続く大失敗により、時の英国首相アンソニー・イーデンは退陣に追い込まれ、本件は前代未聞の屈辱的事態に終わった。イーデンと敵対する英国労働党々首ヒュー・ゲイツケルは、スエズ運河に関する一連の作戦行動を「英国の栄光と声望に対し、挽回不可能な汚点を残した悲劇的愚行」と評した。そして、この評価に異論を挟む専門家は殆ど居なかった。この危機により、英国は、自身の帝国主義計画が遂に行き詰まった事を思い知られた。即ち、鞭を振るって弱者を整列させるが如き旧来手法は最早通用しなくなったのだ。

 過去の米国に於ける20年間は、或る意味、英国が体験した「スエズ動乱時代」の渦中に居たに等しく、従って、我が国に於いても、それと同様の効能が得られた可能性を秘めていたのだ。然し、米国外交政策に影響力を持つ者達は新たな行動に出る事を拒絶し、“世界は米国に一層強力な軍事力を求めている”との神話に固執した。イラク戦争の失敗も、アフガニスタンに於ける“善なる戦い”を拡大させるワシントン政府を止められず、結局この無謀な行為は、2021年、混沌の中に恥辱に塗れた撤退劇で幕を閉じた。

 本来、これらの出来事によって、第二次大戦と冷戦に象(かたど)られた時代、並びにこれらの戦争によって生まれた大望の終焉が告げられる筈であった。処が、かなりの部分、ウラジミール・プーチンのお陰を以って、その機会は瞬く間に過ぎ去ってしまった。露西亜のウクライナ侵攻により、力を誇示する、米国の戦後伝統が復活したのだ。米国史上、最も長期化したアフガニスタン戦争に関する記憶は、20年前にワシントン政府が決断した、悲惨なイラク戦争への突入と同様、人々からすっかり立ち消えてしまった。この要因も相俟って、「”世界の指導者たれ”との表層的責務を正当化した結果、これら大失敗へと至った」同じ過ちを、米国は今や再び犯す構えを見せているかのようだ。 

 ウクライナ戦争は、スエズ紛争型の教訓を、しかも敗退と云う不名誉は被る事なしに得られる、米国にとって最後の機会と云えるかも知れない。これ迄、バイデン政権はウクライナ問題に対し、実践的で且つ自制的な点に於いては、先ず異論ない対応をして来た。然し、ジョー・バイデン大統領及び側近達が同戦争に就いて語る際には、米国権力に関し、時代遅れで、偏狭な善悪を強要し、更に無謀に大風呂敷を広げた理想を度々示唆している。同政権が示す、この大袈裟な姿勢を、ウクライナ戦争に伴う真の米国利益に相応した、分別ある評価に修正し、合致させ得るならば、バイデンは、政府有力者達が抱く覇権への固執を止められるかも知れない。つまり「米国はもう世界に於ける役割を果たさなくてもいいのよ」と母親が子供を寝付かせる際に御伽噺を説くが如く、彼らに示してやる展開になれば、それは思いがけない贈り物と云える。

 然し、事態は寧ろ、之とは逆に動く危険性がある。即ち、ウクライナ問題とは「軍事力に裏打ちされた優位性を米国が確保すべく、新しい時代に備える為の厳しい試練」である、とバイデンが位置付ける事によって、彼自身がこの考えに強く捉われ、そして、これ迄、彼の政権が注意深く調整を図って来た政策自体が、彼の遠大にして且つ方向を誤った尊大な演説内容へと一層近似していく可能性があるのだ。そして之が延(ひ)いては、我が国を全く異なった、より大きな悲劇的誤算へと導く可能性を秘めている。

敵か味方か、単純に過ぎる二元論

 冷戦下に於ける米国政策の謂わばロゼッタストーンとして、大戦後世界に関し最も権威ある見解を表したのがNSC-68(国家安全保障会議報告第68号)と云う極秘文書で、1951年に当時ポール・ニッツ率いる国務省政策企画局の面々が草案したものだ。この書類は「賞賛すべき多様性、懐深い寛容、自由社会に於ける法治性」を証しつつ理念を追求し、冷戦時期に於ける米国の一貫した政策諸条項を設定するものだった。自由社会と対比させ、ソヴィエト連邦は「隷属化された社会」であると記述し、同社会は「ソヴィエト国家の人民が例外なく絶対的権力に支配され」、且つ「絶対的権力はソヴィエト統治下の全ての共産党諸組織と諸国家に及ぶ」とした。

 NSC-68は、説得力に満ちた明晰な内容を以って米国覇権の手本となる。その特徴は曖昧さを排除し明白な主張を述べた点だ。「発展を通じ今や狭くなった世界に於いて、諸国間に秩序不在の状況は、次第に許容限度を越えつつある」とし、この現実が米国に対し「世界を主導する責任」と同時に「自由と民主主義の原則と両立する諸手法を通じ秩序と正義を実現する義務」を負わしめた。ソヴィエト脅威を封じ込める策や、世界飢餓や災害地へ食糧援助を行う丈では不十分との見解だ。即ち、米国がソヴィエトに対抗する能力と積極性とを持つべきであると。之を念頭に、ワシントン政府は、世界の警察力に相応しい、支配的軍事力を構築する事を自らに約したのだった。斯くして、それ以降、本来あるべき米国政策は、軍事上の優勢力に対し謂わば“付随品”の地位に甘んじる事になったのだ。

 NSC-68を生み出した冷戦から数十年を経た今日に於いても、同秘密文書に織り込まれた、マニ教(*訳者後注)の如く善悪二元論的な外観は、時の経過にも拘わらず減じる事がなかった。それを現わすのが、最近のバイデンの演説だ。彼は、先述国務省のニッツが提唱した中心命題で且つ宇宙観であった“民主主義対専制主義の戦い”の結果如何に、人類の運命が懸かっているとの主張に近来頻繁に固執している。その尺度を、国防省予算規模、海外軍事基地数、或いは武力行使の選好度等、何れで測るにせよ、彼は米国軍事力の優位性を揺るぎない信条とする姿勢である。世界は国際化及び技術進歩により益々狭くなり(他方では宇宙とサイバー空間へと拡大し)、その結果、米国軍事力の活動範囲がそれに連れ膨張して行った過程に関しては、殆ど異論の生じる余地はない。

 然し、米国覇権の目指す目的が「信頼性ある武力行使により世界の秩序と公正を打ち立てる」事に在ったとすれば、その結果たるや、どう贔屓目(ひいきめ)にみても功罪は相半ばする。1950年以降、英語圏やパリ、或いは東京近辺に住む人々の暮らしは比較的良好に推移した。然し、これに対し、グローバルサウスに暮らす何十億の人達はそうは行かなかった。即ち、個人の自由と安全を、人々が健康で長寿を全う出来る暮らしの実現に結実させた実例は寧ろ稀だ。それら地域に於いて「政府が個人の権利と法規定遵守を尊重する」のは期待に止まり実現には至らなかったのだ。

 無論、事態がもっと悪化した可能性はあっただろう。例えば、冷戦下、米国が巨額の国費を費やし配備した何千発もの核弾頭の内、ほんの何発かが使用される事態も起こり得たのだ。それは幸い回避されたものの、現実に生じた事態はそれでも十分悪しきものであるのは確かだ。1950年以降、米国の大義の下に実施された諸戦争(更にその他、秘密裡に実行された多くの諸軍事介入)に関し、その主導過程と結末を回顧すれば、其処に在るのは、無謀にして、法を踏み外し、壮大な浪費を記した悍(おぞ)ましい記録の数々だ。

 20年前に始めたイラク戦争は、ベトナム戦争に次ぎ、米国が行った愚かな軍事作戦の骨頂である点を露わにした。堰を切るが如く自由化の津波が押し寄せ、中東政治体制を変革させるだろうとの期待に沿って実施された、このイラク解放作戦は、多くの戦没者と破壊尽くされた町々と云う何とも痛ましい遺産を生んで終わった。それでもその後暫くの間は、同戦争を支援した人々は「イラクの独裁者サダム・フセインを権力の座から排除した事で世界はより良くなった」と自らを慰めていたものだった。然し、今日に於いては斯かる主張を支持する如何なる詭弁も最早存在しない。

 第二次世界大戦以降、米国軍が払った全ての犠牲は無価値であったと云い切れば、それは余りに酷だと、多くの一般的米国人は思うかも知れない。然し、イラク戦争の結末が例外だったと云うより、それは寧ろお決まりの定石だったとの結論は最早、動くまい。1950年にトルーマン大統領が下した、朝鮮半島38度線北側への米軍侵攻の決断は壮大な愚行であったにも拘わらず、またぞろ、それを凌ぐ大失敗が、その15年後、今度はリンドン・ジョンソン大統領によるベトナム戦争への米軍参戦決定により繰り返された。更に、2001年初開始された、アフガニスタン戦争により“泥沼化”と云う言葉の意味を思い知らされる事となる。イラク戦争に関して云えば、2002年、当時イリノイ州知事だったバラック・オバマが、米軍侵攻実施が迫る事態を次の様に公然と非難した内容に対しては、今も何人も反駁出来ない。つまり「米国の身勝手な思想理念を我々の喉に無理やり突っ込み、臨時雇いの兵隊達(予備役兵)を使って行う、実に馬鹿げた、浅慮で、皮肉な行動である」と。

 それにも拘わらず、何れの事案に於いても、それぞれの選択は「世界を主導する米国の役割上、その時には必要なものであった」との確固たる主張に沿って実施された。即ち、NSC-68に根差す論理に依れば、南北朝鮮を自由化し統一する機会や、或いはベトナム共和国が共産主義の手に落ちるのを見過ごすような事があれば、それは無責任の極みだと云う訳だ。従い、タリバン勢力がカブールに権力温存する事も同様に容認する訳には行かなかったのだ。然し、イラクに於いては、サダムが大量破壊兵器を保有(そして更に開発推進計画保持)するとの申立てに関し、もっと真剣に受け止めて対応を図っていれば、彼を排除する選択は政治且つ徳義上に必要な措置であったと見做された可能性もあったのだ。

 処が、これに反し現実には、どの場合にも、「杜撰(ずさん)極まりない過った判断」―これより他に表現の仕様がない―によって、貴重な米国の富と何千人もの米国人の生命(そして何万人もの非米国人も同時に死亡したのは云う迄もなく)が無駄に失われたのだ。ブラウン大学の戦争費用研究チームに依れば、9/11テロ以降の米国軍事行動の累積費用は凡そ8兆ドルと推定され、この額は、先にバイデン政権下に成立した、押し売りがましい「米国再生」インフラ計画予算に比較し、その数十倍にも上る規模なのだ。更に加え、それら軍事諸作戦が、費用を上回る成果を為し遂げたとは到底、認め難い。

 それにも拘わらず、「介入を選好する」理論は、これら諸事例の全てに於いて、依然無傷の儘に生き残ったのだ。そして、バイデンですらも、彼は当時副大統領としてはアフガニスタンへの米軍拡大投入に対し異を唱え、更に大統領として最終的に兵を退いた本人であったのだが、「米国軍事力の有効性は継続する」との基本的信条を尚も断念するには至らなかった。その証拠に、アフガニスタン戦争敗退後、彼が取った対応は国防費増加の提案だった。更に、議会は同案に反対する処か、(共和党の防衛費増額要請を吞み)一層の増額に応じたのだった。

英雄アイゼンハワー将軍を歓迎し、軍拡を憂慮した後年の彼に注目せぬ国民達

 前述した思考様式が根深く存続し続けた一つの理由として、野放図に拡大した米国国家安全保障体制が揮った影響力が挙げられる。この点に関し云えば、ドワイト・アイゼンハワー大統領が行った1961年1月の退任演説に言及された、ある有名な諌言は今日尚その妥当性を失わない。その発言中、アイゼンハワーは警告を与えた。つまり、現在、軍需産業複合体の手中に、不適切に付与された権力は、将来大きな厄災を齎(もたら)す迄に拡大する可能性を秘めるのだ、と。一方、彼は解決策も提示した。それは、即ち「警戒の目を光らせる、そして知性豊かな一般市民」によって、我が国の「防衛分野に於ける軍と産業とによる巨大な機構」を監視下に置き、安全保障と自由と双方の繁栄を期する事であった。然し、彼の抱いたこの期待は、置き忘れられた。国家安全保障に関わる諸問題に対し、米国民達は注意を払うより、無関心に堕する傾向であると証明する結果になった。多くの米国人が今でもアイゼンハワーを崇敬する。然し、その対象は、彼ら自身が新規に発想転換する際に大いに参考とすべき、1961年当時の大統領アイクではない。それは、飽くまで、第三帝国を無条件降伏へと追い込んだ、1945年当時の将軍アイクなのだ。

 第二次世界大戦の勝利によって、新たな目標概念が米国政策に授けられ、之がその後NSC-68号文書として成文化された。然し、一方、それは米国に足枷を嵌める事にもなったのだ。学者のデイヴィッド・ブロムウィッチが最近の著書に記述する通り「第二次大戦により、我々米国民はその概念に捕らわれ、其処から逃れられなくなった」のだ。重要な諸点に於いて、米国国家安全保障政策に纏わる逸話は、過去70年の間、常に前述概念を保持し又更新する試みに常に集中している。その場合に、度を過ぎた目標と云えたのは、もう一度、それに匹敵する勝利を手にしようと画策し、其処で安全保障、繁栄、差別化、並びに特権―或いは、より広い意味に於いて云えば、それは米国の条件に沿って運営される世界であり、同時に、自由と民主主義を拡散すると云う自ら任じた使命を通じて正当化される支配、を図ろうとした点だ。

 処(ところ)が、ベルリンの壁崩壊に続く、共産主義崩落と1990-91年の湾岸戦争勝利により、短期間ではあったものの、その理想の世界へ恰も手が届くかに思われた。これらは、結果として、その規模として、先ずは異論なく、1945年当時の勝利に匹敵するものだった。斯くして「歴史の終わり」とも云われたこの状態は、唯一の超大国が「世界に欠く事の出来ない国家」として一極軸による秩序の下に統治する状況へと行き着いた。然し、今日に於いては、この様な表現は「白人の重責」や「全ての戦争を終結させる為の戦争」と同じ範疇に入る。つまり、皮肉の意のみに使用されるのだ。然し、これらは、1989年以降に政界エリート達を襲った中毒症状を如実に反映している。つまり、世界中の悪人達を打ち据える目的から、米国が冷戦に乗り出して以降、高尚と目される理由の為に身を献じるに至った、如何なる国家に於いても、米国が為したよりも更に著しい混沌状態を惹き起こし、或いは背負いこんだ事例はないのだ。

 理念によって焚き付けられた、ワシントン政府内に於ける大酒の酒宴の如き空騒ぎは、2016年、トランプが米国政治をひっくり返すその時まで続いた。大統領候補として、トランプは「米国を最優先に置く」との従来と異なる道筋の実現を約束した。この一見、心地よい響きを持つ語句には、実は、爆弾級の含意が含まれ、嘗て英国がナチスの侵略に抵抗した際、同国の代わりに米国が介入する可能性に対し、国内に広く反対が唱えられた事態を彷彿とされるものだった。然も、トランプは、好戦的な外交策を単に緩和化する約束に止まらなかった。彼がそれを認識していたか否かは兎も角、彼の行為は、米国の戦後外交政策の徳義的基礎を投棄するとの脅(おどし)に等しいものだったのだ。

 2016年、大統領選に向けたある選挙集会で、トランプは、彼独特のまくし立てる口調で、「NATO諸国は、応分の負担を支払っておらず、米国から搾取をしている」と不満を申し立てた。更に曰く「そして、我々は斯かる事態に一体なにをしたか? 何一つしていない。彼らは不足分を遡及して支払うか、さもなくば、退場すべきだ。それで、もしNATOが解体するなら、解体させればよいのだ」と。彼は、後の大統領就任演説の際も含め、繰り返しこの問題を蒸し返した。そして「我々は、他国の国境防衛に努める一方、自身の国境防御を顧みず、その間、米国内インフラ設備は荒廃と老朽化に打ち捨てられた」と主張し、次の通り誓った。「斯様な様は金輪際、在ってはならない。今日以降、米国第一主義で行くのだ」と。

 これら異端的な諸主張が、米国外交政策を担った有力者達が自信喪失して行く引き金になり、以降彼らは、其処からまだ完全に回復出来ない状況だ。無論、トランプ固有の虚言癖と歴史無知から察すれば、彼自身が「米国第一主義」なる言葉が何を意味したかを本当に把握していたかは定かでない。仮に、トランプが理解していたとしても、彼の唖然とさせられる無能力や短期的視野によって、現状の存続をそのまま許す事となっただろう。結局、トランプ政権期間中、9/11以降開始された終わりなき戦争を引き摺った。諸同盟関係も無傷で残った。斯くして、極(ごく)些細な調整が為された丈で、米国海外軍事展開も維持された。国内では、軍需複合産業群が繁栄を続けた。即ち、世間から殆ど注目を惹かぬ儘、莫大な費用を要する米国核攻撃能力の近代化計画が依然推進維持された。要するに、NSC-68号文書に示された規範の核心諸点は、「第二次世界大戦が何かしら妥当な政策判定基準と位置付けられる」との確信と共に、今回、尚も生き続ける事になったのだ。つまり、世界の病を癒すべく、積極的な米国権力の海外行使に関し、之を支援しない者に対しては誰であっても「孤立主義者」との渾名(あだな)が投げつけられたのだった。

 然し、世界に於ける米国の役割に関し、同国指導者層の思考は依然、過去に捕らわれて行き詰まる中、一方、世界環境自体は大きな変革の途上に在ったのだ。そして、正に此処に、トランプ政権の抱えた矛盾の本質がある。即ち、トランプが、戦後体制との決別を宣誓した事態によって、政権有力者達は却って防御を固め、NSC-68号文書構想を猛烈に護持する行動に着手した。時は、津波の如く押し寄せる様々な難題に対し、米国が対処を余儀なくされている最中、然もこれら諸問題に対し、彼の基本構想は最早、殆ど物の役に立たないにも拘わらず、である。これら諸案件の長いリストは次の通りだ。中国の台頭、気候変動深刻化、米国南部国境管理能力の喪失、蒸発するが如く逸失し行く労働者層の機会、薬物中毒死の急増、激甚な感染症蔓延、加えて、人種、民族、社会経済状況、党派、及び宗教に基づく集団の区分だ。これら分断が2016年トランプの大統領選挙を焚き付けた結果、彼は、破れはしたものの選挙戦で前回よりも得票数は増加し、それにより彼をして、敗退した後も、憲法規定を擲(なげう)ち、平和的大統領権限移譲の阻害を試みる所業を可能ならしめたのだった。

神話創造者達への道を歩み始めたバイデン

 斯くも打ち続く、失敗と欠陥露呈、更にこれらに取り組む為には必要な戦後構想を生み出せない状況は、恰も、大きな時代転換となった“スエズ動乱”の到来を告げるかのようであった。米国政策史上、バイデン政権は正に転換期に差し掛かったのだが、歴史が転換する事はなかった。同政権途上に、米国々家戦略は、当時まだ認知されざる様々な矛盾により紛糾した状態に陥っていた。中でも特に顕著だったのが、米国が軍事力で世界を主導すると云う、今となっては空虚な規範に対し、同政府が尚も固執し続けた点だ。当時、同規範の妥当性は減退し、その目的追求に投じる諸資源は衰退し、更に国際秩序の中に米国の特権的立場を保つ様々な見通しも減少していた、にも拘わらずだ。結局、外交政策に係わる有力者達は、武力を背景とする米国優位性に替わる手立ては―とりわけ露西亜によるウクライナ侵攻を証拠に挙げ―存在しないと云い張った。

 この見解の下、ウクライナ戦争によってNSC-68号文書が再認可されたと云える。然し、今回、事の違いは明白なのだ。露西亜は最早赤軍ではないばかりか、それとは似つきもしない。プーチンが核使用を決しないない限り―これは発生確率の低い展開であるが、露西亜による脅威は所詮、米国の安全保障に対し取るに足らないものだ。キーウ侵攻も儘ならなかった露西亜軍は、ベルリン、ロンドン、パリや、況してやニューヨーク市の脅威にはならぬ。そして、露西亜軍が為した愚行により、欧州民主主義諸国家間に於いて「もしこれら諸国がその気になって尽力すれば、諸国域外に対しても安全保障を拡張する力量がある」との議論を下支えする結果になった。要するに、ワシントン政府にとっては、本来、この戦争は「露西亜問題は何処かの他所事(よそごと)」である」との認定を強化して呉れるべき筈のものだった。然し、そうはならなかった。議会がウクライナ支援に割り当てた予算額は、2022年11月から11月の間で凡そ500億ドルに上った。本来これら金額が、気候変動緩和、国境対策強化、或いは米国労働者層の不安改善に役立てられる筈のものだったのだ。結局、バイデン政権は、これらの活性化目標を、ウクライナ武装よりも遥かに低い緊急度に位置付けたのだ。

 バイデンがウクライナ戦争を語る際の広範な諸条件は、前時代の美辞麗句を彷彿とさせるものだった。「さあ、この時が来た。我々の責任と、歴史そのものへの決意と意識とが問われる瞬間なのだ」。これは彼が2022年2月、露西亜がウクライナ侵攻後、僅か1週間足らずの時期に行った一般教書演説で唱えた内容だ。更に曰く「そして、我々が民主主義を救うのだ」と。然し、このような瞬間や事業とは、約束と決意の表明に止まらず、恰も犠牲を払って苦渋の決断を行うかの如き響きを持つ。然し、ウクライナに関し米国が為す尽力にこれらは必要ない。即ち、それは飽くまで一つの代理戦争であり、斯くしてバイデンは賢明にも、“民主主義の存続に係わる利害”とは云うものの、米国軍がウクライナの為に戦闘する事態は生じない。それにも拘わらず、同政権の修辞的な弁舌は、NSC-68号文書を思い起こさせ、更にマスメディアによる際限ない論評によって一層悪化し、「ウクライナ戦争が、米国を再び歴史の舵取り役として、人類を同国の望む運命へと導く為に召喚した」かの様な印象が造り出された。然し、これこそは、これ迄この国を在るべき道から幾度も踏み誤らせた、正しく一種の思い上がりに過ぎない。

 思えば、斯かる自己満足な姿勢と決別し、米国が世界で果たす役割を理解し、その実現に向け語るに於いて、然るべき責任に裏打ちされた手法を見出すには、これが最後の機会だったのだ。然し、どうやらバイデンはこの機を逸する決断をしたようだ。同政権の2022年国家安全戦略からの次の引用を見れば、それは明らかだ。

=引用始=

 米国が果たすべき指導力が世界中で斯くも強く求められる状況は、是迄も常にそうであったと同様である。我々は、国際秩序が将来如何に形造られるかを決する、戦略的競争の真っ只中に位置しているのだ。種々の諸難題が世界中の人々に影響を及ぼし、これらの問題を各国で共有すると云う事態は、世界規模での競合激化を招来し、又、正に今時に於いては、その実行が一層困難化する中でも、諸国家は各自その果たすべき責任と役割に向け精進する事が求められると云う状況である。これに対し、米国は我々の価値観を主導し、我が国の同盟及び友好諸国、並びに我々と利害を共有する全ての者達と緊密に足並みを揃え、協調して行くのだ。自由で開かれ、安全で繁栄した世界を尊ぶ、我々の理念を共にしない国々の奇なる諸行動に対し、我々の将来が不安定に晒される事態を来たすのを、我々は許容しない所存である。

=引用了=

 それらしい語句で並び立てられたこの内容は、誰しにも一定の納得感を与えるものの、明快さと正確さを欠き、包括的な政策基礎となり得ない。戦略文書を銘打ち乍ら、実態は寧ろ、戦略性の欠如を露呈するものだ。

ジョージ・ケナンの手法

 今日、米国に必要なのは戦略目的を明確に示す指針だ。之を以って、死に体と為り乍ら尚もゾンビのように生き続ける、NSC第68号の条文規範に代替する必要がある。余り知られぬ事実だが、第二次大戦勝利に続いて訪れた絶頂期の頃、実は同規範に替わる代案が既に提言されている。即ち、冷戦が勃発した1948年当時、ニッツの前任政策企画局長だった、ジョージ・ケナンは、空想的な思想理念に捕われる事なく、米国政策の成否を計測する手法を提案している。米国は世界50%の富を保有する一方、同国が世界人口に占める比は僅か6.3%と云う当時の状況を踏まえ、彼は次の様に示唆する。「我々が取り組むべき問題は何か? それは、我が国の安全保障に対する実害発生を防ぎつつ、この不均衡な状態を維持可能とする国際関係の規範を考案する事である」と。

 即ち、世界から羨望の的である、米国の物質的豊かさに就いては、之を保持、且つ増大させつつ、同時に米国民の安全確保するのが、彼が提案した規範の狙いだ。ケナン曰く「同目的達成の為には、“如何なる感傷や白日夢に捕われず”に、緊急性が高い国内目標に集中する事が必要だ」と。そして彼が更に続けて記すのが「米国は、得てして、“利他的発想や世界に恩恵を施そうとする豪勢な驕り”に陥り易い」との警句だ。

 ケナンの手による、この長文覚書は、米国が戦後世界に於ける諸問題に如何に対処すべきかに関し、相当程度、詳細に亘り示している。無論、当時の世界環境は、今日最早存在しない。従い、彼が分析した特定の諸事態は現代に適用出来ないが、これら分析が伝えるその精神は、尚も今日傾聴に値するのだ。即ち、同精神の根底に在るのは、現実主義、覚めた真面目さ、そして自らの限界を評価する能力、それらと共に、目的の有用性、原理原則、更にはケナンが“労力の節約”と呼んだ考えを重視する姿勢である。1948年当時、彼が懸念したのは「米国が先の大戦の間に発芽した、“非現実的で普遍主義的諸概念”へと傾倒して行く可能性」である。

 ケナンが言及した1948年当時以来、米国の経済的突出は減退したとは云え、今も消えない。即ち、米国人口が世界に占める比率は僅か4%強に過ぎないが、尚も世界の30%の富を保有する。一方、その富の国内配分は劇的に変容した。1950年に0.1%の米国人が同国の10%の富を支配。今日、彼らが支配する富は約20%迄増加した。一方、財政健全性は後退。今日の国家負債は31兆ドルに膨らみ、連邦予算赤字は2010年以降、平均年間1兆ドルを超える状態だ。

 グロテスクな迄に拡大した不平等と無思慮な浪費が相俟って、それが長く続いた結果、斯くも計り知れぬ程の裕福さを授かった国家が、気が付けば国内機能不全と海外危機に対処出来ない事態に陥って居るのだ。軍事的な優位性を以ってしても、国内結束と政府自己規律と双方共が欠如した状況を補う事は出来ない。抑々(そもそも)、自分の国をまともに管理できぬ者が、世界を主導する役割だの、況(ま)してや、民主主義の対抗軸として独裁主義を設定する、殆ど観念上の戦いに於いて勝利するなど到底叶わぬ期待と云わざるを得ない。

 ワシントン政府が至急に為すべきは、ケナンが1948年に提示した助言に従う事だ。政治家達は何世代にも亘り、これらの言を顧みなかった。即ち「無益な戦はやめ、国家の基本的約束を履行し、一般人に全うな生活の見通しを与えよ」との警鐘である。先ず着手すべきは、米国軍を、国際権力支配の道具立てではなく、米国民防御を目的する組織へと再構成する事だ。

 それらを実行する手段は次の通りだ。一等最初は、核兵器廃絶すべく、核拡散防止条約に則り、同条約義務履行に真剣に取り組む事だ。そして、米国中央軍を皮切りに(訳者注:同軍は1980年創立され、中東管轄しイラク、イラン戦争遂行)、その他地域統合軍諸司令部の廃止。斯くして、海外在米軍の縮小。軍備の供給契約企業に対し、予算価格超過分の支払禁止。こうして、恰も回転式ドアが巡る如く、軍需複合産業に資金が流れる仕組みを断ち切るべく、鍵を掛ける。戦争行為に関する議会権限は、憲法に特定された範囲に再定義し健全化を図る。防衛予算はGDPの2%(これでも十分世界に優位性確保可能)を上限とし、宣戦布告行為は禁ずる事である。

 フォーリン・アフェアーズ誌上これ迄掲載された中で、恐らく最も有名な論稿は、1947年、匿名“X”としてケナンが投稿したものだろう。彼は其処で述べて曰く、「崩壊を避ける為に米国が行うべき道は、自身の最良なる伝統に叶う能力を身に付けると同時に、自国が偉大な国家として保持するに足る価値を持つ点を証明する事である」と。今日に於いては、斯かる伝統自体が既に打ち砕かれている状況に在るものの、それでもケナンの忠告はその重要性を失っていない。即ち、「正義の軍事行動により再度勝利が手に入る」との妄想を以って、現在米国を悩ます病巣を取り除くのは不可能なのだ。それに代え、嘗てアイゼンハワーが求めた如く、「警戒心と十分な知識を備えた一般市民達」の存在こそが、今の時代に求められる。換言すれば、遺憾ながら我々の時代特徴となってしまった「米国軍事力の過った行使と米軍兵達の誤った損耗」に就いては、今後それらを決して許容せず、断固拒否する社会へと変化する事が必要だ。

(了)

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