当月号は、時節に則し興味深い諸論稿を集録。ガザ紛争とウクライナ戦争が継続し、民間人犠牲者が絶えない状況下、この問題を国際法の観点から考察するのが、イエール大学法学校教授のオーナ・A.ハサウェイによる論稿、『国際法の縛りから逃れつつある戦争 ~ガザ紛争とウクライナ戦争で露呈した国際法の限界~』だ。これ迄の来し方を振り返り、国際法の効果と不具合を分析し、修正の提言を行う。
即ち、文明開闢来数千年、人類同士で無慈悲な戦争が無数に繰り返される中、17世紀にして初めて最低限の三つの禁止条項(毒の使用、降伏兵の殺戮、そしてレイプ)が、国際法の父と呼ばれる和蘭人哲学者フーゴ・グローティウスにより初めて提唱された。記念すべき一歩だったが、それ以降も規制対象外の、拷問、処刑、民間人殺害、敗戦国民の奴隷化は容認された。その後、18世紀に兵士と民間人とを区別する概念が発達し、19世紀に初のジュネーブ条約成立で、病院、医療従事者、患者の保護を見る。 20世紀、3千万人以上の民間死者が出た第二次大戦を教訓に、ジュネーブ条約等を以って無防備都市の攻撃禁止等、更に軍と市民との区別に於いて保護強化を加える流れが生じたと云うのが近代迄の流れだ。処が、それを逆行させたのが、9.11を契機とする非国家組織との戦争の出現だ。然も、この事態に対し米国は自国都合による法解釈と運用(「軍事民生の二面性」理論を以って攻撃対象施設を広げ、且つ「民間人による敵対行為とそれに伴う軍事的損失の均衡尺度」に関し大砲で雀を撃つが如く拡大解釈)を行い、市民に不利益な攻撃を増加させる道を開き、英仏やイスラエル等他諸国もそれに追従した。斯くして、戦争に於いて民間人に悪魔的厄災が降り注ぐ元凶は、米国にその端を発するばかりか、更に米国優先のダブルスタンダード(米軍を国際刑事司法の縛りから超越させる体制)を敷き自身の保身を図って居るのだった。就いては、先ず、米国自身が襟を正し、改善に向け行動すべきを説く。
又、現在尚もイスラエルのガザ攻撃が止まぬ中、イスラエル人歴史家トム・セゲフからの投稿『永遠に戦争を止めないイスラエル ~紛争解決の意思がなく、紛争を管理し続ける同国の歴史的体質~』は実に衝撃的内容だ。即ち、イスラエルとパレスチナ、双方の有権者達は大多数が共に、領土を分割し互いが共存する解決策を拒絶し、それは国家と民族の集団意識の根源に根差すもので今後も不変とする主張だ。その結果、両陣営は過去百年の内、実に75年間を武力闘争に費し、結局、この種の問題は永続的な解決が不可能で、寧ろ「紛争を管理する」対処へと発想転換する以外方法がない。就いては「“平和”なしの状態でも、双方が許容可能にして且つ安全に存在可能な事態を創出する」事こそが最終ゴールなのだ。従い、著者が求めるのは“非永続的な平和構想”ではなく、今般の悲惨な紛争を教訓に、双方による「決定的な“紛争管理”」あれかしとする。之は悲しい現実だが、正に事態当事者の識者からの提言は、極めて説得力が在る。
一方、ウクライナ戦争の仕掛け人、プーチン率いる露西亜国家の将来を予測する興味深い論稿を提供するのは、ステファン・コトキン(フーバー研究所上席研究員)だ。彼に拠れば、露西亜には5つの道筋が在る。元王朝国家で領土拡大と革命経験した点で仏国と共通点を持つ観点より、露西亜がやがて仏国のような平和的国家へと変貌する、との一つの可能性が示唆されるが、実現性は低いと著者は判定する。次に、中国との関係深化が進むと、双方国力規模の観点より、寧ろ、露西亜は中国の家臣の如き立場に陥るとのシナリオがもう一つの可能性。但し、現実は両国関係を約する確固たる条約が存在せず、習とプーチン両名の人的関係と口約束に基づくもので、何れかが死去すれば関係が崩れる脆さを秘める。第三は、露西亜が北朝鮮へ急接近する道。現在、北朝鮮は中国に従属する立場だが、これに類似し、将来、北朝鮮が露西亜へ従属する関係が生まれるとの説だ。然し、北朝鮮には中国の間に尚も共同防衛条約が存在し、従い、北朝鮮が過度に露西亜と緊密化を図る策は、中国により阻止される可能性が高い。第四は混沌の露西亜。現在も周辺地域へ混乱を齎(もたら)すのがプーチン方針だが、斯かる国家は、指導者の死去等、国内異変の発生によって、自国自身が混乱し混沌化する危険を大いに秘める。第五の道は、縮み行く露西亜。このシナリオは、同国の直面する人口減少、殊(こと)、労働人口減(ここ20年足らずの間に9千万人から8千万人を切り、更に主力層となる29歳から39歳の労働力に占める比率も今後10年で縮小見込)が労働生産性向上の足枷となり、早晩、大国としての経済成長を維持出来なくなる見通しだ。之はプーチン独裁の継続如何に拘わらず生じる筋書で、其処でロシアは、西欧との対決を無際限に推進するのが無理だと悟る時が来る。但し、その場合、露西亜は、屈辱に甘んじつつ上記第二シナリオの中国への接近を余儀なくされる可能性も残る。(掲載論稿『五つの露西亜の将来 ~米国が為すべき備え~』より)
コトキンの上述分析には見るべきものがあり、各シナリオに則し米国の取るべき対応策を提言するが、例の如く、話が日本に及ぶ途端、その驚くべき浅薄な見識が露呈する。それは、第四の露西亜が混沌化するシナリオに於いて、その機に乗じ、日本が千島列島、樺太、更には浦潮斯徳(ウラジオストック)へ武力侵攻し、嘗ての帝国領土奪還に動くとの見通しを披露する件に現れる。彼の論文全体の信憑性をも危うくする的外れ極まりない見解だ。尚、日本に対する同氏偏見は従来から一方ならぬものが見られるも拘わらず、本邦出版界や大手有力紙がそれを助長するが如く振る舞って来た点も大きな問題と云わざるを得ない(末尾に補足追記)。
扨て、当月号でもう一つ注目すべきは、地球温暖化問題を扱う『気候変動対策は有効に機能する ~目標未達成に落胆せず、寧ろ、成果が上がりつつある分野に一層の注力を図ろう~』と題する投稿だ(タフツ大学ケリー・ギャラガー教授)。各地で打ち続く戦争による環境負荷は甚大だ。莫大な砲弾・ミサイル及び諸兵器が消費され、広汎な領域で建物・施設が破壊され、ホルムズ海峡緊張から海上物量ルートは迂回航路で無駄な燃料消費を余儀なくされ、やがて破壊され尽くした国の再建・復興需要が起こる暁には、更にセメント・鉄鋼等各資材生産過程で、本来無用だった余計な温室化ガスの排出を見る事になる。人類が最優先で当たるべき課題は温暖化対策なる点は、今や自明であるに拘わらず、戦争遂行指導者達は逆にその加速に手を貸し、自国のみならず、世界中が洪水、竜巻、熱波、旱魃、山火事、凍土沈下、水没等の危険に自ら吞まれ行くのは、如何にも愚かしい話で、況してや戦争景気に浮かれている場合ではない筈だ。斯かる悩みに心が晴れない人々に対し、ギャラガー教授は意図的に明るい見通しを提供、励まそうとするかの如くで、その心意気は高く評価したい。彼女は「温暖化を喰い止めるのは、まだ間に合う」と世界を鼓舞する。抑々、2016年COPが発布したパリ協定が掲げた全体目標は、気温上昇を産業革命前対比で、摂氏2度以下(努力目標は1.5度以下)に抑えるもので、之こそが、もし突破されると最早後戻り不可能な最終防衛線とされて来た。然るに、現在、想定以上の温暖化が進行、譬え各国がパリ協定の取極約束を遵守しても、2030年迄に1.5度上昇し、今世紀末には2.1から3.4度の上昇が見込まれると云う、極めて悲観すべき事態なのだ。そんな中でも、彼女は、未だ挽回の可能性を指摘する。即ち、破滅から脱する為の仕切り直しとして、今後10年以内で、一旦は上昇を1.5度に迎える事が無理だとしても、世界の排出ピークを今後数年以内に持って来て、それ以降の20年間で全体排出量を劇的に削減させる事により、今世紀末での気温上昇を1.5度以内に保つ事が可能であり、その為の諸策を提言する。時間切れは迫りつつあり、世界が最優先で真剣に取り組むべき問題だ。
又、当月号は米国のライバル中国に関し「中国は世界を再編出来るのか?」と題して特集、三名の論者主張を紹介する。それぞれ視点は異なるが、習近平の推進する中国戦略に対抗し、米国が長期的競合に勝利すべく諸策講じる手法が提言される。
先ず、『中国衰退論は幻影だ ~米国の最も手強い相手として中国は侮れぬ~』と題するエヴァン・メディロスの論稿は、中国コロナウィルス収束以降、経済不振を示す諸指標から同国は成長ピークを過ぎ衰退に向っているとの説が取り沙汰される中、斯かる視野狭窄に陥り同国を過小評価してはならぬと警鐘を鳴らす。即ち、経済は尺度の一つに過ぎず、中国の軍事・外交諸策を含む地政学上の力量は依然強大にして、習近平の掲げる公式目標、建国100年に当たる2049年の国家復興計画の完成に向け歩を進めている。従い、「中国衰退」を前提とした諸対策検討は危険な誤りで、一時的に経済停滞する中国ですら、米国の経済的且つ戦略上脅威となる点を弁(わきま)えて対策せよと訴える。
次に、『中国との競争に勝利せよ ~中国との競合は管理するのでなく、米国による勝利が必須だ~』と題する、マット・ポティンガーとマイク・ギャラガー共著の論は「中国共産党は、自由主義を掲げる諸大国との共存を永遠に望まない」前提に立ち、同国を弱体化させる為の諸策推進を提言。米ソ冷戦当時にレーガン大統領が発した「ゴルバチョフよ、ベルリンの壁を毀(こぼ)て」とのメッセージが正当にして且つ戦略上機能した事に準(なぞら)え、今こそ、米国は習主席に対し「中国市民を統制する長城壁を毀(こぼ)つか、或いは風穴を開けよ」との姿勢を貫くべきとする。現行バイデンの対策不足を指弾し、中国との戦争(hot war)を回避し、且つ冷戦で敗退しない為には、防衛・通商・技術・外交諸戦略の強化を図る以外に手がないとの認識だ(裏返せば、中国戦略は米国及び友好国の利害を損なう大きい脅威が急迫している状況が論稿で詳述される)。
一方、エリザベス・エコノミーは、国際秩序への影響力の観点から米中競合を分析する。侮れないのは、中国が巨大インフラ等、数々の諸構想を戦略的に展開し、グローバルサウスを含む諸国に広く網を掛け、賛同諸国を増やし、国連を含む諸国際機関でも影響力を増加させる戦略は、既に米国に遥か先行し且つ奏功している。背景に在るのは、米国主導による現行秩序下に必ずしも国際的諸課題が有効に解決されていない点だ(コロナ感染症拡大、気候変動、過剰債務国、及び食糧不足等諸問題に加え、米国自身が経済制裁を振かざし、WTO等国際機関へ資金的圧迫を加える振る舞いは世界から不興を買って来た)。中国が仕掛ける国際秩序変革の挑戦に対しては、米国自身が寧ろ改革者として先手を取り、パートナーを拡大し諸分野で事態改善に努め巻き返しを図り対抗すべしと訴える。三作三様、何れも力作にて、内容吟味、比較検討せられるべき提言だ。
当月は、これらに加えて、米国対抗勢力に関し、イラン問題、並びに対抗諸勢力が連携し米国に当たる事態に就いて、各々一稿掲載。更に、英国の野党労働党議員による同国政策論と、米国の諜報公開戦術に関する論稿、二篇を掲載、総計11本の投稿が集録された。
*コトキン論文に関する訳者補足:
元プリンストン大学教授のステファン・コトキンは植民地政策を推進した英国帝国主義の礼賛者である一方、日本の太平洋戦争時の従軍慰安婦や民間人攻撃等に関し、異常に誇張された数字と錯誤した認識を憚らず披露し不当な指摘を展開して来た。(『終わっていなかった冷戦』フォーリンアフェアーズ誌 2022年5月・6月号 掲載投稿論文 当ブログでも邦訳紹介)
一方、これに対し、本邦マスメディアの対応はどうか。当該論文邦訳を刊行した出版社は、読者に対し理由説明も無い儘、問題箇所を綺麗さっぱり削除して同論文掲載(フォーリン・アフェアーズ・ジャパン社発行、「フォーリン・アフェアーズ・リポート」2022年6月号)。又、大手有力紙はコトキンの歪んだ対日観を事前にチェックせず、ウクライナ問題に関する対談記事を掲載(2022年3月20日付讀賣新聞朝刊、鶴原徹也編集委員)したのは、問題論稿発表前のタイミングとは云え、軽率と云わざるを得ない。
戦前、ヒトラーの「我が闘争」が日本軍人間で愛読され心酔する者達も現れたが、ヒトラーが日本を侮蔑した記述はすっかり邦訳から削除されていたと云う。爾来、事勿れ主義で、不都合な真実に目を背ける本邦メディア体質は根本的に変じない。ジャニー喜多川の性加害問題も同根だ。鬼畜老人の葬儀に、各社盛大なる花輪香典賛辞を以て列席し置きながら、海外経由で問題発覚すれば責任逃れの掌返しを平然と行うのである。メディア内部から自己改革が望めない以上、国民一人一人が監視の目を強化する以外に改善の道はないだろう。
【Foreign Affairs誌5月・6月号掲載論文一覧】
1)『中国が目指す新たな国際秩序 ~挽回の為に米国が其処から学ぶべき事~』エリザベス・エコノミー著(China’s Alternative Ordre ~And What America Should Learn From It~)By ELIZABETH ECONOMY フーバー研究所上席研究員。元米国商務省中国担当顧問(在任2021-2023年)
2)『中国との競争に勝利せよ ~中国との競合は管理するのでなく、米国による勝利が必須だ~』マット・ポティンガーとマイク・ギャラガー共著(No Substitute for Victory ~American Competition With China Must Be Won, Not Managed~)By MATT POTTINGER AND MIKE GALLAGHER 前者は元米国家安全保障会議亜細亜上級部長(2017-2019年)、国家安全保障副顧問(2019-2021年)、後者は 元米共和党下院議員(2017-2024年)、議会で中国共産党特別委員会の議長を務めた。
3)『中国衰退論は幻影だ ~米国の最も手強い相手として中国は侮れぬ~』エヴァン・メディロス著(The Delusion of Peak China ~America Can’t Wish Away Its Toughest Challenger~, by EVAN S. MEDEIROS)ジョージワシントン大学ウオルシュ外交学校、亜細亜研究委員。オバマ政権下に特別顧問兼国家安全保障会議亜細亜部門上級部長を務めた。
4)『変動する基軸 ~米国と敵対する諸国が連携し、国際秩序転覆を目論む実態~』アンドレア・ケンドール=テイラーとリチャード・フォンテーヌ共著(The Axis of Upheaval ~How America’s Adversaries Are Uniting to Overturn the Global Order~, by ANDREA KENDALL-TAYLOR AND RICHARD FONTAINE 前者はシンクタンク新米国安全保障センター上席研究員、元米国家情報会議の露西亜・ユーラシア情報官(在任2015-2018)。後者は同上シンクタンクCEO、元米国務省国家安全保障会議に勤務、且つマケイン上院議員の外交顧問を務めた。
5)『五つの露西亜の将来 ~米国が為すべき備え~』ステファン・コトキン著(The Five Futures of Russia ~And How America Can Prepare for Whatever Comes Next~, by STEPHAN KOTKIN)フーバー研究所上席研究員
6)『国際法の縛りから逃れつつある戦争 ~ガザ紛争とウクライナ戦争で露呈した国際法の限界~』オーナ・A.ハサウェイ著(War Unbound ~Gaza, Ukrine, and the Breakdown of International Law~, by OONA A. HATHWAY)イエール大学法学校教授
7)『イランが狙う秩序崩壊 ~そのイスラム共和国家の目論む中東再編策~』スーザン・マロニー著(Iran’s Order of Chaos ~How the Islamic Republic Is Remaking the Middle East~,by SUZANNE MALONY)ブルッキングス研究所副社長
8)『永遠に戦争を止めないイスラエル ~紛争解決の意思がなく、紛争を管理し続ける同国の歴史的体質~』トム・セゲフ著(Israel’s Forever War ~The Long History of Managing―Rather Than Solving―the Conflict~, by TOM SEGEV) イスラエル人歴史家
9)『進歩的現実主義 ~新たな国際的進路を英国が歩むべき理由~』デイビッド・ラミー著(The Case for Progressive Realism ~Why Britain Must Chart a New Global Course~, by DAVID LAMMY)英国労働党議員。野党シャドーキャビネットの外務大臣
10)『諜報と情報開示 ~諜報公開策による戦略優位性上の得失~』デイヴィッド・V.ギオエ、マイケル・モレル共著(Spy and Tell ~The Promise and Peril of Disclosing Intelligence for Strategic Advantage~, by DAVID V.GIOE AND MICHAEL J.MORELL)著者は前者が英国キングスカレッジ教授(諜報及び国際安全保障)兼元CIA諜報員、後者は元CIA副長官。
11) 『気候変動対策は有効に機能する ~未達成目標に落胆は禁物、寧ろ、成果が上がりつつある分野に一層の注力を図ろう~』ケリー・シムズ・ギャラガー著(Climate Policy Is Working ~Double Down on What’s Succeeding Instead of Despairing Over What’s Not~, by KELLY SIMS GLLAGHER)タフツ大学教授(エネルギー・環境政策)
興味深い論稿を幾篇か選び、順次翻訳掲載する予定です。
(了)
文責:日向陸生
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