著者/肩書 :マーク・リンチ (Mark Lynch) / ジョージワシントン大学教授(国際政治学)尚、同教授は、フォーリンアフェアーズ誌今年5月・6月号の掲載論稿『イスラエル“一国制度”が現実しつつある』の共同執筆者の一人。同稿はハマス、イスラエルの深刻な衝突発生を予見し警鐘を鳴らすものだった(当ブログ上の翻訳ご参照)。
(論稿主旨)
10月13日早朝、ガザ地区北部在住のパレスチナ人120万人に対し、イスラエル軍から警告が発せられた。来るべき地上侵攻を前に、24時間以内に退避せよ、との忠告だ。之にに先立ち、10月7日、ハマスはイスラエル南部に奇襲攻撃を仕掛け、イスラエル市民一千人以上を虐殺、100人以上を人質に取ると云う衝撃的事態が発生、イスラエルは之に対する報復として、「ハマスを組織として消滅させる」と、その目的を公言したのが、上述地上作戦だ。
ハマスが、ガザ地区を囲む防護境界線を突破した時点で、イスラエル軍による地上攻撃実施は不可避と見られた。そして、ワシントン政府は、イスラエルの反撃計画を完全に後押し、同国へ自制を促す態度は一切見せる事はなかった。政局が事態によって過熱する中、米国内で最も目立って声高な主張は、ハマスに対し極端な対抗策を打つべしと云うものだった。論評者達の中には、ハマス攻撃を裏で支援したと云われるイランに対し直接軍事行動を呼びかける者さえ複数出現する始末だ。
然し、ワシントン政府は今こそ、頭を冷やして、イスラエルを自滅の道から救うべきだ。ガザ侵攻が実施されれば、それは人道上と徳義上のみならず、戦略上も悲劇に帰するだろう。それは、イスラエルにとり自国の長期的安全保障を著しく損ない、又、パレスチナ側には計り知れない犠牲者が発生する丈に止まらず、米国にとっても、中東並びにウクライナに於ける自身の核心的利益を脅かし、更には印度-太平洋の秩序を巡る中国との競合に於いても不利に働くのだ。現在、イスラエルが犯そうとしている悲劇的過ちを止める事ができるのは、唯一米国バイデン政権丈なのだ。その理由は、イスラエルに対し同政権のみが、独自の梃(てこ)の作用並びに、イスラエル安全保障を従来密接に支援して来た実績を応用し得る立場に在る為だ。米国がイスラエルに対し共感を示す以上は、ワシントン政府は、方針転換をし、イスラエルが米国の同盟国として、戦争法を遵守すべきであると強く申し入れるべきだ。そして、イスラエルが、無辜のパレスチナ市民の強制移転や大量殺戮を招かぬ手法でハマスと戦う道を見出すべき点に、米国は強く固執しなければならない。
不安定な国家
この度のハマス攻撃は、イスラエルとガザの間に20年以上続く現状を形成して来た一連の諸前提を覆す出来事だ。事の経緯を辿れば、2005年、イスラエルは一方的にガザ地区から撤退したが、同国による事実上の同地区支配は継続した。即ち、イスラエルはガザ地区境界線と領空を完全に管理下に置くのみならず、ガザ地区の人々の行動、諸財、電気、資金に対し、(エジプトと親密な連携をとり)防御壁の外部から厳しい管理を継続的に実行して来た。一方、ハマスは、ガザに於ける法定選挙に勝利した後、2006年に権力を握り、更に2007年、パレスチナ自治政府が米国の後押しを得てハマス勢力排除する試みが失敗すると、その後、ハマスがガザを完全掌握するに至ったのだ。
斯くして2007年以来、イスラエルとハマスとは、互いに居住まいの悪い状況を維持して来た。即ち、イスラエル側はガザ地区周囲に、息も漏らさぬ封鎖体制を敷き、同域内経済活動を厳しく制限し同住民に対し過大な人道上の負担を強いて来た。一方、これらの事態が、結果として、ハマス側では全ての経済活動を地下トンネル建造とハマスが仕切る闇市場の発達に投じたのだった。そして、時折衝突が発生する度に―具体的には、2008年、2014年及び2021年―イスラエルは、人口密集したガザ都市中心部へ大規模空爆を実施し、基幹設備を破壊し何千人もの民間人を殺害、ハマスの軍事能力を削ぐと共に、彼らが挑発すれば見返りに、高価な代償を支払う点を示して見せた。然し、これらを以ってしても、ハマスによるガザ掌握権を弱める効果は殆ど見られなかったのだ。
やがて、イスラエル指導者達は、この両者均衡が恰(あたか)も永続するかのように考えるようになった。即ち、過去イスラエルが3倍返しの軍事報復を以ってハマスの冒険主義的行動に対し都度反応した結果、ハマスはこれらを教訓とし、最早ガザ地区内の規則を遵守して満足する立場に至ったと、イスラエルは信じて疑わなくなったのだった。譬(たと)え、それはハマスがパレスチナ・イスラム聖戦機構(PIJ)等の小規模軍事ジハード諸党派の反抗を取り仕切る役を担うにせよ、イスラエルは之を過小評価し事実上容認したのだ。又、2014年の軍事衝突の際、イスラエル軍(IDF)が、ガザ地区内へ短期地上侵攻戦実施の際に難渋した苦い経験から、更なる地上戦に踏み切る野望は萎えていた。そんな中、イスラエル高官達は、ガザ地区封鎖に伴う非人道的状況に関し年中絶える事のない国内外からの諸批判を馬耳東風と聞き流し、ガザ地区を取り敢えず棚上げし満足する一方、ヨルダン川西岸に於いてはイスラエル人入植者を拡大させ、挑発的行動を加速的に増大させて来たのだ。
これに対し、ハマス側は異なる考えを抱いていた。多くの識者達が、ハマスの戦略変更はイランの影響によるものと分析するが、之は正しくない。ハマス側にはその行動を変容しイスラエル侵攻を実施するに足る彼ら自身の諸事由が存在したのだ。ガザ封鎖の状況に挑む為、2018年にハマスが取った初期の手口は、「祖国への大行進」として一般に知られる、非暴力に基づき、パレスチナ人を大規模動員した抗議行動だった。処が、イスラエル軍兵士達が同群衆へ発砲した為、この行進は大量の犠牲者を伴う流血の惨事で幕を閉じた。
そして、ハマス側の思考は次の通り展開する。即ち、イスラエルがパレスチナ人達の家屋を没収し、イスラエル指導者達がアルアクサー・モスク(イスラム教の代表的聖地の一で、イスラエルの一部過激派は、之を破壊した上でユダヤ教寺院建設を訴えた)への挑発行為に出た事を巡り、2021年にエルサレムで双方の大規模衝突が発生した。そして、その際、ハマス指導者達はイスラエルへミサイル攻撃を仕掛ける事によってこそ、幅広い層のパレスチナ人の賛同と顕著な政治的利益を獲得できると確信したのだった。
加えて、更に最近は、ヨルダン川西岸に於いて、イスラエル人による土地収奪、及び軍事力を頼みとした入植者によるパレスチナ人達への攻撃が継続的に拡大加速し、これらに怒りを覚えたパレスチナ人達が群衆化する事態が生じていた。それにも拘わらず、米国、並びにイスラエル支援を受けているパレスチナ自治政府も、これら諸問題を取り上げる能力もなければ、その意欲を見せる事もなかったのだ。
又、イスラエルとサウジアラビア国交正常化の調停を試みる米国行動が大きく報道された。同事態の進捗は、ハマスにとって域内環境が最早挽回不可能な迄に悪化して行く中で、彼らが断固とした行動を取る機会は恰(あたか)も窓口が閉ざされるが如く滅しつつあると感じ、彼らを追い詰めたとしても不思議はない。
更に恐らくは、ベンヤミン・ネタニヤフ首相が導入した司法改革に反対し、イスラエル国内に騒擾発生するのを見て、ハマスは、敵国の分断と注意が逸れた弱みに付け込む好機が訪れたと判断した公算が高い。
イランが果たして、今般攻撃の時期や奇襲作戦の内容に関し、ハマスに対し如何程の動機付けを与えたのかは、現状不明だ。イランは、ここ数年間、ハマスへの支援を増加させ、 シーク派軍事集団並びに、米国とイスラエルが後押しする当該領域内秩序に異を唱えるその他組織で構成する、所謂「枢軸抵抗勢力」を通じ、その諸行動を束ねようと目論んで来たのは確かだ。
然し、当件状況判断に際しては、上述したハマスが斯かる行動を取るに至った、より広範な同地域の政治情勢諸要因を見落としては大きな誤りとなる。
遂に深刻な分岐点へ達したパレスチナ情勢
ハマスの攻撃に対し、当初イスラエルは、従来に比し一層、大規模な空爆作戦と共に、更に封鎖を苛烈化し、食糧、水、及び電気の供給を断った。イスラエルは予備兵力動員を掛けて30万人規模の軍を境界に配置し、今や目前に迫った地上侵攻作戦に備えている。そして、同国はガザ地区民間人に24時間以内に北部への避難を呼び掛けた。所詮、物理的に不可能な要求だ。何故ならガザ市民に逃げ場はない。高速道路は破壊され、生活基盤は瓦礫と化し、使用可能な電気や動力は殆どない上に、限られた数しかない病院や避難所施設は全て北部の標的地域に現存する。ガザ市民が同地区から脱出を望んでも、エジプトへと通じる町、ラファは爆撃を受け、―そして、エジプトのアブドル・ファッターフ・エルシーシー大統領は避難に対し好意的協力を申し出る気配もないのが実態だ。
ガザの人々はこれら諸事を承知している。彼らは避難勧告を人道的配慮の表明とは考えない。彼らが信じる処は、イスラエルは、当時ナクバ(nakba)と呼ばれた、あの悲劇を再度繰り返すつもりだと云う事だ。つまり、1948年の中東戦争に於いて、パレスチナ人達がイスラエルから強制的に退去させられた事態だ。今般、戦火が止んだ後、彼らがガザへ再び帰還を許されるなどとは、彼らは夢にも信じていないし、又、信ずるべきではないのだ。従い、ガザ市民が戦闘から逃れる為の人道回廊設置を強く求めるバイデン政権の策は、類を見ない悪手なのだ。同回廊により人道上、何某(なにがし)かの成果が上がるにせよ、同策によってガザからの人口移動が加速され、永遠に住処を奪われる避難民達の大集団の波を新たに生む事となる。そして、之は、現ネタニヤフ政権内の極右主義者達に対し、同様の手段をエルサレムとヨルダン川西岸に於いても行使する為のロードマップを、明確にして且つ堂々と提供する事を意味するのだ。
ハマス攻撃に対する、イスラエル側のこの反応は、大衆の怒りから発せられたもので、且つ、現状では、イスラエル国内及び世界の指導者達からの政治的喝采を生んでいる。然し、これら政治家達の見解が、果たして、十分に熟慮を重ねたもので有るかは疑わしい。即ち、ガザ地区に加え、ヨルダン川西岸、或いは、更に広範囲な地域へと、紛争が拡大する潜在的危険を何処迄認識しているか疑問なのだ。更に、一度(ひとたび)ガザで戦闘が始まった場合、如何に同地区での戦争を終結させるかに関し、彼らが真剣に取り組んでいる様子は窺えない。そして、何よりも彼らの思慮に最も欠いているのは、ガザ地区民間人へ集団攻撃が加えられる事に対する徳義上並びに国際法上の問題、及びそれに不可避的に生じる人的損害に就いてだ。
ガザ侵攻作戦自体が、多くの不確実性を含んでいる。ハマスが、イスラエルによる斯かる反撃を予め想定しているのは間違いない。従い、地上侵攻して来るイスラエル軍に対しても、ガザ市内で長期に亘る武力抵抗を十分準備している筈だ。ハマスは、イスラエル軍が斯かる戦闘にはもう長年従事した経験がない点に付け入り、今回多くの死傷者を負わせるようと目論んでいる。(近年のイスラエル軍事実績は、完全に一方的な侵攻作戦で、この7月にヨルダン川西岸所在ジェニンの避難キャンプを急襲した如き事例だ)。一方、ハマスはイスラエル軍攻撃を抑止する為に、人質を盾とする陰惨非道な計画を既に仄めかしている。イスラエルが早期に勝利を手にし得る可能性もあるが、事態はそう簡単に運ばない公算が高い。それ処か、イスラエル作戦行動が、地上市街の空爆や、北部への人民退避強制を伴う事によって、同国評判が著しく棄損すると云う代償を被るだろう。そして、戦争が長引けば長引く程、世界中がイスラエルとパレスチナ双方の死傷者の様子を目の当たりとし、更に予想外の騒擾を各地に誘発するだろう。
よしんば、イスラエルがハマスを倒壊させる事が出来たとして、その後、彼らはガザ地区統治と云う難題に直ぐ直面する。イスラエルは同領域を2005年に放棄した後、周囲を無慈悲に封鎖し、空爆する行為を、その間、何年も繰り返して来たのだ。ガザの若者達は、イスラエル軍(IDF)を、決して解放軍としては歓迎しないだろう。同地区を解放したとて、イスラエル兵士達が民衆から花束やキャンディーで祝福される事はない。つまり、イスラエル側にとり、最善と呼べるシナリオですら、それは、長く尾を曳く反乱鎮圧作戦の継続を依然として強いられ、然も、それは過去幾度も失敗をくりかえした歴史がある地に於て、最早何も失う物がない民衆を相手とする、極めて独特な敵対的環境下での統治を強いられる事態に遭遇する点を覚悟せねばならぬ。
一方、最悪の場合、この紛争はガザ地区丈に止まらない。つまり、不幸にして事態は拡大するだろう。即ち、ガザ侵攻が長引けば、ヨルダン川西岸内に、膨大な圧力が生じる。処が、斯かる事態は、最早、パレスチナ自治政府大統領、マフムード・アッバースの対応能力を遥かに越える問題であり、寧ろ多分、彼自身は拡大抑止しようとする積極的意思すら持たないだろう。一方、昨年来、イスラエルが弛みなく徐々にヨルダン川西岸の侵食を進めている事実並びに、入植者達の行う様々な挑発行為は、パレスチナ人達の怒りを買い、彼らの不満は蓄積し既に沸騰点に達している。ガザへの地上侵攻が、ヨルダン川西岸のパレスチナ人達を遂に分別を見失った行動へと駆り立てる事態が懸念される所以だ。
又、一方では、ネタニヤフ政権の略前例を見ない戦略的失策に対し、イスラエル国民の怒りは抗し難い迄に高じる中、野党党首のベニー・ガンツが、確たる代償を払う事もなしに ネタニヤフが政治諸課題を解決する手助けをし、戦時下挙国一致内閣に参画する機会を手にしたばかりか、その際、極右主義者イタマール・ベン・グヴィールとベザレル・スモトリッチ両名を排除する事はなかった。この決定は極めて重要な意味を持つ。と云うのは、斯かる不安定な環境下に於いて、それはヨルダン川西岸やエルサレムに於ける挑発行為―これらは、昨年ベン・グヴィールとベザレル・スモトリッチが先陣を切ったものだ―が今後も止む事なく継続される事を示唆するからだ。事実、一層の事態悪化が予断を許さないのは、入植者達の間では、あわよくばヨルダン川西岸の一部乃至全域を併合し、在住パレスチナ人達を追い出す機を伺う動きが既に存在する為だ。之が最も危険で恐れるべきシナリオだ。
ヨルダン川西岸での深刻な衝突は―それが新たなるインティーファーダの誘発か、或いはイスラエル人入植者による土地収奪かを問わず―ガザ地区の破壊と相俟って、甚大な反動を生じるだろう。又、それは、正しく同時に、イスラエルによる「一国制度の現実」と云う悲惨な実態を赤裸々に露呈し、これ迄、同実態を頑固に否定して来た、同国最保派の者達も最早弁解の余地がない事態となるだろう。更に、その闘争は、再度パレスチナ人達が大量出国を余儀なくされる事態への引き金となり得る。この場合、彼らは新たな難民の波と化し、現況只ですら過剰な負担を強いられ危険水域に在るヨルダンやレバノンへ流入し、或いは、周囲の民族が異なるシナイ半島内にエジプトにより強制的に封じ込められる事態が出現するだろう。
事態はガザ封鎖区域から周辺諸国へと飛び火する危険性が大きい
アラブ諸国の指導者は根っからの現実主義者達で、何を置いても我が身の生存確保と自国利益に心を砕く人々だ。従い、誰一人としてパレスチナ人に代り自身を犠牲にする気持など更々持ち合わせない。それにも拘わらず、そうなる事を前提とし、米国並びに対イスラエル政策を推進した、ドナルド・トランプ前大統領と、之に続くジョー・バイデン大統領、両政権のその想定自体が抑々(そもそも)大間違いなのだ。然し、アラブ諸国指導者達と雖(いえど)も、殊(こと)パレスチナ問題が絡む場合には、怒りに駆られた大規模大衆の抗議運動に持ち堪(こた)えるにも限界が在るのだ。例えば、サウジアラビアでは、もし政治的代償が取るに足らない程度であるなら、バイデン政権が固執して止まぬ同国とイスラエルの国交正常化に就いても之を良好に推進する可能性は十分に在る。然し、今や、パレスチナに於いてアラブ人民衆が空爆を受ける残虐な映像が流布する中、国交正常化への機運は沙汰止みせざるを得ないだろう。
過去数年間、アラブ諸国の指導者達は、国民の反イスラエル抗議活動は一種のガス抜き手段として放置するのが常で、大衆の憤懣を外部の敵に向けさせ、指導者自身の極めて芳しからぬ実績への批判回避策に利用して来た。今回も彼らは、之に倣うと予想され、その結果、批判者達は大規模な抗議行進や怒りの論評掲載を意に介さず実施するだろう。然し、2011年に吹き荒れた、所謂アラブの春は、一地方に於ける抗議活動がいとも簡単に短期間で周辺を席巻し、長期安定を誇った独裁政権を倒壊させる迄に域内を飲み込む大波と化する点を決定的に証明した。つまり、アラブ諸国の指導者達は、街中に大規模な抗議デモを許せば、彼ら自身の権力が危うい点を既に重々承知する。従い、彼らがイスラエル寄りであると民衆から見られて、抗議行動が深刻化に至る事態は、何としても避けたいと考るのだ。
然し、斯かる環境下、彼らが親イスラエル的行動に消極的なのは、自身の権力の座に固執するばかりがその理由ではない。抑々(そもそも)アラブ諸国の体制は、その利益追求に当たり、多くの複雑な分野を、地域領域や国際的並びに国内に於いて網羅する必要がある。この為、特にアラブ世界に於いて彼らの影響力強化や主導的立場を求める野心的指導者達は、その時々の風向きを読む事に、皆、長けているのだ。斯かる中、過去数年間の内に、サウジアラビアやトルコ等、各領域内の勢力国家が、それぞれ米国の重要事案に於いて意図的に米国国益に逆らう行動を取る事態が出現した。即ち、彼らは露西亜のウクライナ侵攻問題では米国への肩入れを回避し、原油価格の高騰を放置し、更に中国との関係深化を図った。これら意思決定が物語るのは、ワシントン政府は、これら諸国の忠誠を最早従前のように当てには出来ないと云う事実だ。更にもし、米国高官達がパレスチナ問題に関しイスラエル側の過激な反応を明白に支持した場合には、尚更である。
米国が現状路線を推し進めた場合、前述のアラブ諸国による米国からの離反は、米国にとって単に当該領域内の地勢変化の脅威を意味する丈に止まらない。そして、状況は、最も恐ろしい、を通り越し更に酷い事態に展開し得る。即ち、ヒズボラが容易に戦争に引き込まれる公算が高いのだ。現在の処、同組織は挑発を避け、注意深く対応を調整している。然し、イスラエルによるガザ侵攻は、ヒズボラにとって彼らが行動を起こさざるを得なくなるレッドラインに触れた可能性が高い。もし、紛争がヨルダン川西岸やエルサレムへと拡大すれば、先ず間違いなく、之はレッドラインを越える事態だろう。米国とイスラエルは、これ迄ヒズボラの参戦抑止に努めて来たが、その危険は、もしイスラエル側軍事行動が加速すれば各段に増大する。そして、万が一、ヒズボラが紛争に加勢した場合、同組織が威力に優れる攻撃ミサイル能力を動員する中、イスラエルは、ここ半世紀間で経験した事がない、初めての二正面戦争へ対峙余儀なくされるのだ。この事態でイスラエルばかりが不利なのではない。場合によって、例えば、レバノンはイスラエル側の報復的空爆作戦を被り、国家存続も危うくなるだろう。同国は昨年の主力港爆発と経済崩壊の中に既に青色吐息状態であり、再度攻撃を受ければ甚大な打撃となる為だ。
処が、米国及びイスラエルの一部政治家や批評家達に戦争拡大を歓迎する向きがある。特に、彼らは対イラン攻撃を提唱する。イラン空爆の提唱者達の大半は、既に数年前からその立場を取っているものだ。然し、今般、ハマスの奇襲は裏でイランが支援したと云われている状況が、一方では、テヘラン政府に対し敵意を抱き同国への武力行使を画する者達の連携を拡大させる可能性が在る点に留意すべきだ。
もし戦争がイランに拡大した場合、計り知れない諸危険が生じる。つまり、イスラエルに対する報復攻撃に止まらず、イラン側は湾岸諸国の原油積み出し港を攻撃し、更に戦火はイラク、イエメン、更にイラン同盟諸国が支配する前線地へと拡大する虞が在る。これら諸危険を認識するが故に、これ迄の処は、対イラン最熱狂的タカ派衆ですら攻撃論を自制している。この姿勢は、2019年当時、サウジアラビアの石油施設へのイラン攻撃に対し、トランプが対イラン報復攻撃を選択した際にも、彼らは自粛したと同様である。
又、イランによる関与問題を過小に取り扱おうと努める米国及びイスラエル高官達からの情報が、今日に於いて断続的に洩れ聞こえて来る現況からも、彼らは紛争拡大を回避する事に利ありと認識している点も窺える。然し、これら諸努力を以ってしても、戦争が長引いた場合に如何なる力学が働くかは全く予断を許さない。今、世界は稀に見る悲劇の入り口に立たされていると心得るべきだ。
戦争犯罪は犯罪として裁かれねばならぬ
イスラエルに対し、同国過激主義者達の掲げる諸目標に同調しつつ、ガザ侵攻を求める輩達(やからたち)が居るが、彼らは自分達の同盟国を戦略的且つ政治的悲劇へと追い込もうとしているに等しい。何故なら、之により将来発生し得る潜在的な代償は、何れも殊(こと)の他、高くつくのだ。それを測る尺度に、イスラエル及びパレスチナ人の死傷者数、混乱が長期化する可能性、或いはパレスチナ人の大量移出の何れを用いるかは、最早問う迄もない。更に、紛争拡大の危険性は深刻にして極めて大である。取り分け、ヨルダン川西岸とレバノンが最も危うい地域だが、潜在的には遥か広範な領域へと飛び火する可能性が大いに在る。一方、之によって、単に復讐心を満たす目的を越え、将来により大きな便益が齎(もたら)される可能性があるかと云えば、それは極めて低いのだ。更に、云えば、米国がイラク侵攻に至って以来この方、大失態が到来するに先立ち、当該政策の得失に関し、政府から事前説明が明瞭に為された験しがないと云う点は誠に嘆かわしい事実である。
それ丈でなく、徳義上の問題が不明瞭だ。ハマスが、イスラエス市民を残虐に攻撃し、重大な戦争犯罪を犯した点に疑問の余地はなく、この事実に対しハマスは責任を負うべきだ。然し、その一方、ガザ市民を壁で包囲した上で空爆を実施し、更に住人を強制退去させると云う、イスラエルによる集団的抑圧行為も又、明らかに重大な戦争犯罪に該当する。此処に於いては、説明責任が果たれるべきのみならず、寧ろ、国際法の順守こそが求められるのだ。
イスラエル指導者達は、これら諸規範を問題視せぬ可能性はある。然し、米国にとって同規範は、その他優先度の高い政治諸課題に於ける諸条件の観点に照らし、戦略的深刻な挑戦を突きつけられるに等しい大問題なのだ。即ち、ウクライナ戦争に於いて、同国を露西亜の残虐な侵略から守るべく、国際的諸規範を強調する米国が、片やガザに於いて同基準を横柄に無視するのは、明らかな矛盾なのだ。
バイデン政権は、ハマスの攻撃に対し反撃するイスラエル支持の立場を鮮明にした。然し、本来は、イスラエルに対し米国が持つ独自関係の強味を今こそ発揮し、同国が歴史的汚点とし記憶され兼ねない惨劇を仕出かすのを制するべき時なのだ。
ワシントン政府が現在進める政策は、根本的に誤った戦争をイスラエルが開始するの手助けするのみならず、他国が戦闘に加勢するのを牽制しつつ、同時に国際法の観点からイスラエルが説明責任・透明性を課されぬよう取り計らう事により、同戦争の帰結に関して迄も同国保護を約する性格のものだ。つまり、米国が斯かる行為を行えば、自身の国際規範と自国勢力圏利益を損なう代償を伴う点を理解すべきだ。万一、もしイスラエルによるガザ侵攻が現在予想される経路を取り、大量虐殺と怨恨の連鎖を伴う事態となれば、バイデン政権はこの選択を将来悔いて止まぬ事となろう。
(了)
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