当号は、中東戦火を特集し、米国が取るべき外交策、イスラエル政府の失態分析、及びハマスのテロ戦略、それぞれの視点から3篇の論稿を掲載する。
即ち、中東状勢専門家ファンタピィーは、今般ハマスとイスラエル抗争突発が米国中東政策を激変させたが、禍転じて福となす修正外交策を提言。又、元イスラエル軍諜報局長官のヤドリンは、ハマスの脅威拡大兆候を見過ごしたネタニヤフ政権を糾弾の上、イスラエル国家安全保障確保の為に、ハマス武装勢力一掃貫徹と後のガザ統治策を献策。最後に、テロ研究の専門家クローニンは、ハマスの小なる利を生かした「非対称性」戦略を論じる。
一般投稿は、米国外交政策の改善提言3篇、対中政策提言3篇、及びアフリカ地域の民主義に関する論が1篇。先述中東特集の3稿と合わせ、当月は総計10本を集録する。その中で、フィリップ・ゼリコウ(元米国外交官)の『米国政治手腕の衰退』は、興味深い論稿だ。国家の政治力が劣化しているのは、日米共通の大問題と見える。ゼリコウは、国際的難題が斯くも同時に山積するのはこの半世紀来世界が初めて体験する事態と指摘、一方、それにも拘わらず、之に対応すべき米国政府内の人材が乏しく、望まれる成果が得られぬ問題を危惧、政治家と高官達の資質回復と改善の必要を説く。又、同稿は各国諸地域から寄せられる問題解決の支援要請に対し、米国が全て応えるのは固より不可能で、選別的外交に成らざるを得ない事実を指摘。その点を踏まえ、本邦の立ち位置と針路を吟味戦略する上でも同稿は必読の論である。
又、今月書評欄は、ノーベル賞受賞経済学者、ポール・クルーグマンが評者に登場、『米国が仕掛ける経済戦争 ~米国政府が濫用する最強兵器の実態~』と題し、刮目すべき論評を展開。我々は、Tik Tokアプリのバックドアから吸い取られた情報が中国政府に筒抜けである等、同国スパイ活動に対し、脅威と憤りを感じるのが日常だ。処が、クルーグマンが評する書籍『アングラ帝国~米国が世界経済を如何にして己の武器に変じたか~』は、こうした一般的常識が、実は世間知らずで片手落ちな事を明らかにする。即ち、現実には米国こそが、世界中を網羅する海底光ファイバーケーブルは米国経由する点を利用し、実質、全ての情報をそっくり把握するスパイ大国なのだ。そして、9/11事件を機に当局の行動制御が緩和され、今や彼らはこれらを最大限盗視、利用する。更にデータ情報取得に加え、資金面では、世界中のドル決済を司るスイフト(SWIFT)システムを通じ、地球上の送金履歴をも全て把握可能なのだ。これら強大な権力実態が同書に明かされる一方、クルーグマンは行き過ぎに一定の歯止めを掛ける国際規範制定の必要性を訴える。
当月掲載論稿一覧下記の通り。(訳者ショートコメント付き)
【投稿論文】
1)『中東地域を再定義する戦争 ~ 変遷を遂げる同地域を安定させる為に米国がすべき事 ~』マリア・ファンタピィー、ヴァリー・ナスル共著(The War That Remade the Middle East ~How Washington Can Stabilize a Transformed Region~ By Maria Fantappie and Vali Nasr)
<論稿要旨>
一帯一路構想やサウジ・イラン国交正常化の電撃仲介で存在感を高めた中国に、米国は泡を喰い中東地域で巻き返しを展開していた。即ち「印度・中東・欧州経済回廊」構想を対抗提案し、湾岸地域の雄たるサウジアラビアに対しては、軍事協定、民生用途の原子力開発の協議並びに、同国とイスラエル国交樹立調停推進(その際パレスチナ建国問題は暗黙裡に無視)、更に難敵イランには経済制裁緩和の見返りに核開発凍結検討と矢継ぎ早に手を打ったのだ。そして、諸策軌道が見え始めたその矢先、10月7日、ガザ地区ハマスの越境攻撃がこれら全てを覆した。おまけに、紛争当初、バイデン政権がイスラエルのガザ攻撃へ賛同表明した行為は世界の反感を招いた。斯かる、逆風の環境下、ファンタピィーは、激震地中東に対する米国政策の修正を提言。
彼女の献策は、ガザ地区紛争停止とパレスチナ建国問題を最優先に位置付けた上で、従来路線を生かしつつ、鍵となるサウジアラビアを梃とし、同国の指導力を頼みに、イスラエルとパレスチナ両国共存に向けた協議、更に同国とイラン国交を利して中東へ組み入れ、緊張緩和を以って同国核兵器開発を阻止する事だ(米国自身もサウジアラビアとの軍事協定実現により、同域内均衡維持のバックアップを目する)。尚、イランの核開発問題は、現行国連経済制裁が失効する2025年10月がタイムリミットになる。時間が限られる中で至難の道と見受けられるが、パレスチナ問題勃発前に米国が推進目論んだ諸策に比べれば、これら修正策は寧ろ実現可能性が高いと彼女自身が評する、骨と肝の太い提言だ。
2)『惰眠と油断の中に居たイスラエル ~安全保証確保の為に必要なガザ地区の戦争~』エイモス・ヤドリン、ウデイ・エヴェンタール共著 (Why Isreal Slept ~The War in Gaza and the Search for Security~ By Amos Yadlin and Udi Evental)
<論稿主旨>
ハマス攻撃はこの機に起きるべくして起こったのだ。ネタニヤフは、ガザを実効支配するハマスが秘める過激性を見くびり、抑止策が有効に機能すると錯覚する裏で、実は同派は着々と力を養う中、諜報経験者の忠言に耳を貸さずに自身の保身と地位に執着する間に、早期警戒を含む危機管理体制は劣化を辿った。イスラエルとサウジの接近による政治的緊迫下の情勢に拘わらず、襲撃当日も宗教祭日に多くの兵士に休暇を与えた隙に、イスラエル軍が対ロケット砲と対トンネル対策に絞った防御の裏をかく形で、ドローン攻撃とブルドーザーによる壁突破と云うハイテク、ロウテクの巧みな融合による大胆な地上侵攻をハマスが実施したのに対し、イスラエル軍は為す術も無く阻止する事が出来なかった。之は最早人災で、同政権の過失は調査機関による検証が必要だ。
イスラエルが本来の防衛要綱に立ち返り為すべきは、先ずはガザ地区のハマス中枢神経(指揮作戦所、トンネルを含む軍事諸設備、武器工場等)を破壊し軍事能力を減殺し、同組織による統治を排除する事だ。その後に幾年要しようと人質の全員奪回を目する。一方、ハマスへの精密な地上攻撃や空爆は継続し、イスラエル国境線近傍には緩衝地帯を確保する多くの戦略的要塞拠点を構築する必要がある。但し、政治的に、イスラエルは同地区を永久支配する意図を持たない。武装勢力一掃後は、嘗てのオスロ合意を基礎とするパレスチナとの二国共存を視野に入れた安全と安定を目指す政治協議を実施すべきだ(但し、二国共存策を過去徹頭徹尾拒絶して来たハマスは必ず同協議から排除されるべきだ)。これら推進過程に於いて、米国と欧州(英、仏、独)との連携に加え、湾岸アラブ諸国の後押しを得るべく、皮切りにイスラエルとサウジアラビアとの国交関係実現が必要と訴える。
<訳者コメント>
イスラエル元空軍少将で軍諜報部を歴任したヤドリンの専門的分析には見るべきものがある。一方、冒頭、彼は今回のハマス襲撃による惨殺と誘拐は、一日で1200名の市民が殺害された規模に於いて、ホロコースト以来の同国が被った残虐行為と強調する。その反面、イスラエル軍地上侵攻に伴い発生したガザ地区パレスチナ民間人被害に就いては、実に空々しい記述で責任逃れを決め込む。即ち「イスラエル軍は、ガザ市民に対し人道回廊を手配の上避難勧告し、更に民衆密集居住地帯のハマス標的の攻撃を回避した」が、「ハマスの市民を盾とする策略の結果、頻繁な市民の犠牲が出た」と括り、「イスラエルは他の民主国家の事例を上回る配慮を以って民間人犠牲者の防止に努めており、引き続き戦争法の規範を遵守する」と述べている。
然し、斯かる叙述を真に受ける読者はいないだろう。イスラエルは婦女子の犠牲発生を意に介さずガザ攻撃を連日反復している。イスラエル人が歴史の荒波を生存する中に培われた「異常な迄の自己防衛本能」に対し世界界から批判が集中する。
非道な攻撃を仕掛けたのはハマスの側であったが、イスラエルが過剰な反応で応じた結果、何が起こったか。紛争前「二国共存」は既に死に体で実現不可能な選択だと、世界の大半は認識していたが、今や、イスラエルの元軍人迄もが同構想を復活させ目指す方向性が定まりつつある。無法な暴挙が、平時では生じ得ない流れに歴史の歯車を押し動かす様を、我々は、先の安倍元首相銃撃後に同派と統一教会が共に瓦解した事案に加え、今般、ガザで再び目の当たりにする事となった。
(了)
3)『ハマスが持つ非対称性の優位性 ~テロリスト集団を倒す為に必要な策は何か?~』オードリー・カース・クローニン著 (Hamas’s Asymmetric Advantage ~What Does It Mean to Defeat a Terrorist Group?~ By Audrey Kurth Cronin)
(論稿要旨)
国家対テロ集団の対決は、武器と技術の進歩により、嘗ては歴然と存在した力量差が縮小。今回ハマスの奇襲攻撃は、古典的戦法にハイテク技術を活用し、小組織である故の非対称性を最大限生かす戦略が用いられた。武力による勝利が不可能なハマスにとり、世界の同情を集め、共感と支援を得る事こそが、抑々(そもそも)の目的だったのだ。イスラエルは、相手の暴虐に更に暴力を以って応酬し、謂わば、敵の思う壺に嵌ってしまった。イスラエルが情勢挽回可能な策とは、唯一、自制を以ってこの罠から脱する事だ。
4)『自信を喪失した超大国 ~米国は自身の築いた世界を見限るべきではない~』ファリード・ザッカリア著 (The Self-Doubting Superpower ~America Shouldn’t Give Up on the World It Made~ By Fareed Zakaria
5)『米国政治手腕の衰退 ~危機時代に瀕する中に再度力量を取り戻す方法~』フィリップ・ゼリコウ著(The Atropfy of American Statecraft ~How to Restore Capacity for an Age of Crisis~ By Philip Zelikow)
(論稿要旨)
昨今、米国が不適切な国際政策を打ち出す事例が多数なのは、当国政治手腕、特に外交政策に携わる人材の劣化が原因だ。正しい設計図は、適正な能力を備えた人材から生まれる故、政府内にノウハウと技能を蓄積する体制を再度整える事を急務と訴える(嘗て20世紀には、同要因が機能した結果、米国は有効な政治手腕を発揮する事が出来たと見解)。
6)『保守的国際主義が陥る症状~内向きな共和党外交政策を逆回転させる為の提言~』コーリー・シェイキィ著(The Case for Conservative Internationalism ~How to Reverse the Inward Turn of Republican Foreign Policy~ By Kori Schake)
7)『台湾問題に於ける有効な牽制の策 ~中国に対し威嚇一辺倒を改める緩和策提言~』ボニーS.グレイザー、ジェシカ・チェン・ワイス、トーマス J.クリステンセン共著(Taiwan and the True Sources of Deterrence ~Why America Must Reassure, Not Just Threaten, China~ By Bonnie S. Glaser, Jessica Chen Weiss, and Thomas J. Christensen)
8)『中国との壮大な戦い ~長く続く闘争に備えよ~』アンドリュー F.クレピネビッチ著 (The Big One ~Preparing for a Long War~ By Andrew F. Krepinevich, Jr.)
9)『アフリカ民主主義の危機 ~政治不機能の予兆として頻発するクーデター(不機能の結果としてでなく)』コンフォート・エロ、ムリティ・ムティガ共著 (The Crisis of African Democracy ~Coups Are a Symptom―Not the Cause―of Political Dysfunction~ By Comfort Ero and Murithi Mutiga)
10) 『国際経済を中国の影響を受けにくい体質にする策 ~米国が取るべき選別的戦略~』ピーター・ハレル著 (How to China-Proof the Global Economy ~America Needs a More Targeted Strategy~ By Peter E. Harrell)
【書評】
『米国が仕掛ける経済戦争 ~米国政府が濫用する最強兵器の実態~』評者ポール・クルーグマン(The American Way of Economic War ~Is Washington Overusing Its Most Powerful Weapons?~, By Paul Krugman)
(了)
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