(訳者ご挨拶)
2024年大統領選に向け、昨今共和党候補にトランプ優勢が報じられる。世界にとり、あってはならぬ事態だろう。同国知識人に在り得ぬ選択でも、無知蒙昧な大衆の支持が大きいのか。ヒトラーの事例もある。ヒトラーが元首に上りつめたのは彼の謀略や暴虐によるのでなく、大衆支持だ。そうならぬよう、米国の良識と一般市民の啓蒙に期待するが、結局選ぶのは彼ら自身故、本邦でやきもきした処で詮方ない。せめて祈りを込め、此処に『マチス自叙伝』(コールサイン“ケイオス”)の邦訳連載を開始します。先のトランプ政権に国防長官として身を置きながら、同政権から決別した同氏の波乱に満ちた半生の記録です。同書が出版された2019年当時、日本では寧ろ「商業界の指導者論に通ずる書」との観点で取り上げられたが、之は甚だしい読み違えだ。同書は『文民統制の規範の下、一介の軍人として生涯を国に捧げた男の苦衷を描く』独白録で、金儲けの次元を遥かに越えた、国家への奉仕をテーマとしている。逐次連載を掲載し、大統領選前の今年10月迄には完訳予定です。
日向陸生
2024年1月31日
【訳文】マチス自叙伝 ~コールサイン“ケイオス”~ ジム・マチス著(ビング・ウエスト協力)
(原書:Call Sign Chaos ~Learning to lead, By JIM MATIS and Bing West, 出版社Random House(New York)2019年発行、P300)
<第一回配信>
~ 身を挺し良識を守らんとする全ての人々に捧ぐ ~
プロローグ
それは2016年11月末、ワシントン州のコロンビア川沿いの故郷で、感謝祭休暇に私が寛いでいる時だった。次期副大統領に選出されたペンス氏から思いがけず電話をもらった。米国国防長官就任を私に打診し、トランプ時期大統領と面会する気があるかを問うものだった。私は大統領選挙に一切加担せず、又、トランプ氏と会ったことも話したこともなかったので、私の驚きは尋常なものではなかった。その上、連邦法により、元軍人は議会承認ない限りは、退役後7年半は国防大臣職に就く事が出来ない点を私は承知していた。この手続きを克服し国防大臣就任を果たしたのは、1950年のジョージ・マーシャル元将軍以外に先例なく、私の場合は退任後まだ3年半しか経過していない為、自分が候補者に適任とはとても思えなかった。それにも拘わらず、ともあれ私はニュージャージー州ベッドミンスターへ面談に向かった。
西から東へ米国横断する長距離フライトは、米国が世界に果たす役割に就いて自分の考えを熟考し纏めるには格好だった。デンバー空港を離陸した際、客室乗務員からの、お決まりの機内安全放送が私の注意に留まった。「機内圧力が低下すると、自動的にマスクが降りてきます。先ず、ご自分のマスク着用してから、周囲の他のお客様をお世話下さい…」これ迄幾度となく耳にし、聞き慣れた言葉が、この時は啓示の如く響いた。即ち、我々が指導的役割を果たそうとするなら、先ずは自国内でしっかり準備を整える事が先決で、更にもし、他諸国をも助けようとする場合には尚更なのだ、と。
翌日、私は車に迎えられ、トランプ・ナショナル・ゴルフ倶楽部へ到着し、脇の入り口から建物に案内され、其処で20分程待ちぼうけさせられた後、簡素な会議室へ入室を促された。私は、次期大統領、次期副大統領、そして主任スタッフと幾人かの人々の紹介を受けた。私達は軍事問題に関し意見交換し、双方見解は、一致する部分も異なる部分もあった。トランプ氏は広範な話題を提起し、その態度は始終友好的で、話し合いは40分間に及んだ。
その後、次期大統領は私を倶楽部ハウス玄関のギリシャ風列柱をあしらった正面階段迄見送ると、其処には報道陣が待ち構えていた。私は、てっきり自分は此の儘、スタンフォード大学フーバー研究所に戻り、探求を続け各地を講演して回る、ここ数年間営んで愛着も湧いた生活に帰るものと、その姿を思い描いていた。と云うのも、面談の中で、私は強くNATOを支持したし、イエメンでの捕虜拷問の問題に就いては深刻視せず軽く受け流した為、恐らく新大統領は別の候補者を当たるに違いないと心積りしたのだった。記者達が撮影フラッシュを焚き、質問を叫ぶ中、階段でトランプ氏の隣に立っていた私は、その週で二度目の仰天をした。彼は私を評し報道陣にこう云った、「彼こそが本物だ!」。数日後、私は候補者として正式に任命された。そして、議会の規定免除手続きと上院による承認可否次第とは云え、スタンフォード大学の美しく活気に満ちたキャンパスへもう戻る事はないのだと私は悟った。
トランプ氏は、国防長官の任務を果たせるかと面談で私に質問し、私は出来ると答えた。私自身はその職務に就きたいと願った事は一度もなく、その機を捉え、我が国の国防推進を担うに足る有能な人物を複数名推挙もした。一方、それでも私は、所謂“最も偉大な世代”と称された両親の元、文字通り彼らが二人とも第二次大戦に従軍経験を持つ中で育て上げられ、その後、自分自身も40年以上の海兵隊を通じ人格形成された人間だ。従い、公共奉仕は栄誉であり且つ義務との考えが私の根底に在る。もし、大統領から何かするよう頼まれた場合には、塀の上に立って、飛ぶか飛ぶまいか、手を拱(こまね)いて逡巡していても始まらないのだ。ある米国大手運動靴メーカーの有名なスローガンに在る通り、正に「行動に移せ!」である。準備が出来ているからには、承諾の意を示すべきなのだ。
尚も現在実験途上と云える米国民主主義や、或いは我々が過ごす人生に於いても、防衛問題と政治信条との間には厳格なる一線が画されねばならない。民主党か共和党かに関係なく、時の大統領から要請が在れば、国家の為にひと肌脱ぐべきなのだ。「政治は水際で喰い止められ、それを越え来たりて介入する事なし」との信念は私の骨身に染みつき、今日の私を形成して来た。そして、ロッキー山脈西部の故郷での生活がどんな満ち足りて、又、この40数年に及ぶ海兵隊在任期間中、顧みる事が出来なかった家族達と漸く共に過ごせる時間が何事にも代えがたい貴重なものであったにも拘わらず、私が先の信念を枉(ま)げるつもりは全くなかったのだ。
職務を遂行出来ると私が大統領に答えたのは、その準備が整っていると考えたからだ。幸いな事に、私は偶然、その職責に精通する立場に在った。と云うのも、1990年代、私は上席秘書官として、ウィリアム・ぺティーとウィリアム・コーエンの二人の国防長官に仕えた経験が在った。更に、国防副長官ルディ・デ・レオンの軍事補佐官も務めた。これらの経験から、国防長官の責任が如何に広く且つ重いかを私は間近に見て自分なりに把握した。その職務は重大だ。我が国の初代国防長官は自殺に追い込まれ、同職を法的に、或いは政治的に無傷で全うした者達は僅かである。(*訳注:ジェームス・フォレスタル初代国防長官1952年死亡。自殺とされる)
我々は戦争に直面し、然も、米国史上で最長の武力戦闘が継続する最中に在った。私は、親族に宛て最愛の人の戦死を知らせる多くの手紙に署名し、他国が静観する中、戦時体制下に国防省を率いる仕事は、その結果として如何なる諸局面を生むのかを思い知ったのだった。何百万人もの米国軍兵士並びに民間人が世界中で彼らの任務を献身的に遂行し、且つそれを支える為に投じる国防予算規模が如何に膨大であるかに就いては、世界のどの国の国内総生産丸一国分をも、上位24ケ国を除けば、凌ぐ程であるのだ。私個人としては首都ワシントンへ戻りたいと云う希望は特になかった。同都市特有の喧噪や政治劇に私の血は騒がない。かと云って、其処で与えられる巨大な役割が私の手に負えないとは思わなかった。寧ろ、兄弟殺しにも匹敵する不義が政治的茶飯事なワシントンに於いても、殊(こと)防衛問題に関しては党派を問わずに、私は支持を得られるとの自信を抱いていたのだった。
12月末、私は飛行機でワシントンに入り上院に於ける任命承認手続きを開始した。
この本は、自身の海兵隊での経歴が、如何にして私をあの瞬間に立ち至らせ、そして斯かる重大な職責を引き受けさせたのかを語るものだ。海兵隊では、何に措(おい)いても先ず、順応力、即時対応力、そして達成力を叩き込まれる。然し、各位は自己研鑽によって、海兵隊員に相応しい力量を習得する事を求められる。海兵隊に於いて未熟な成果は決して受け入れられず、従い、目標未達に対し厳しく率直な批判が加えられ、全力を出し100%目的達成した場合のみ及第点が与えられるのだ。然し、自身の経歴を振り返れば、私が間違いを犯す度(たび)に、そして実に多くの失敗をしたのだが、それでも海兵隊はその都度、私を昇進させた。彼らは、これら過ちの体験も私に対する指導の一部で、更に物事に正しく対処する所作を身に付ける為に必要な過程であると承知していたのだ。海兵隊は、来る年も来る年も私を鍛錬し、身に付ける必要のある特技を都度習得させ、想定外の事態にも対処可能なように教育を施して呉れたのだった。
刈り上げ頭の軍隊式外観と、皺一つないパリッとした軍服、及び厳しい規範の下に、海兵隊は、ある種、独特の独立性と唯一無二の独創的思考を持つ兵士達を育成して来た。従い、斯様な人物達に私が出くわすのが常で、その場所は、これ迄に私が数多く指揮を取った派遣先各地や、何十の海外諸国、或いは多くの大学キャンパスとその場所を問わなかった。海兵隊は優れた軍事力を誇るが、之を以って、兵員達の知的自由を殺すものでは決してなく、又、創造力に満ちた解決諸策を見出す為に彼らが訓練で身に付けた思考法を代替するものでもない。彼らは、戦闘で屡々(しばしば)血の犠牲を払って得た諸教訓から導いた、彼ら独自の教義を無論、熟知している。然し一方、それらが決して独断に陥ってはならぬ点をも十分心得ている。行動を評価する場に於いて、想像力を欠き、狭い教義の世界に逃げ込もうとする者は、海兵隊では悲惨な目に逢う事請け合いだ。つまり、それが戦場だろうが、教室内、或いは飲み会であろうが場所に拘わらず、又、受け手当人の感受性にはお構いなく、そんな場合には率直で容赦ない批判が浴びせられる。然し、之には理由が在る。と云うのは、例えば、働き盛りに訪れる、所謂、中年の心理危機にもし陥った時、同僚や上司、或いは部下が、より柔軟性に富んだ妙案や歴史が証明する諸選択肢を、それらが教義に必ずしも一致しないものも含め、提供して呉れる環境さえ在れば、それを乗り切るのは難なき作業だからだ。
全ての組織に共通し最も重要なのは、正しいチームを選出し組成する事だ。昇進や重要な役割を部下に与える際、その選抜に最重要視すべき資質が二つあると私は教わった。即ち「率先力」と「積極性」だ。任務を共にする部下達に対し、私はこれら特性が彼らに申し分なく備わっている事を常に期待して来た。如何なる組織でも、その行いに相応しい評価が伴うものだ。海兵隊組織には、彼らの任務に曖昧さは一切ない。「彼らは、何時でも、如何なる場所も気候をも、ものともせず戦い抜けるよう準備を整えた海上兵力であり、そして任務が解かれた後は、模範的善良な一市民として地元社会に戻る事を期す、」以上である。この信条故に、海兵隊は敵からは畏怖され、世界中の同盟諸国から賞賛されている。それと云うのも、海兵隊が率先力と積極性を世界に発揮した賜物なのだ。
上院での指名承認公聴会に備える為、私が1ケ月に及び諜報書類に目を通す間、非常に良く分析された多くの報告書に触れた。私はそれらを読み、我が国の防衛力は技術優位性を含め、嘗ての強味が甚だしく劣化しているのを知り、愕然とした。再度その強味を研ぎ澄ます為には集中的な努力を必要とする。私の現役最後の10年間は、中東でテロとの戦いに明け暮れていた。その時期と私が現場部隊を離れて以来3年の間に、無計画な予算が状況を深刻に悪化させ、現在及び将来に於ける軍備の備えを損なう事は、戦場の如何なる敵よりも甚だしかったのだった。
海兵隊員として自分にこれ迄叩き込まれて来た流儀は、文民たる長官職の役割を果たす為には、それに相応しい修正が必要だと私は承知していた。即ち、我が国が直面する主要な脅威を特定する作業から、国防軍へ実施すべき教育方針、予算、そして戦争の性格自体が急速に変貌する問題に取り組む為の指導者選抜に至るまで、これら各政策を立案する仕事をこなすには、従来と異なる新しい技量が求められるのだ。然し、この時になって改めて納得いった事が在る。海兵隊では、隊員が昇級する度に誰もが必読書一覧を手渡される。そして、階級が上がるに従いその領域が益々拡大して行った、その狙いに思い至ったのだ。人は、読書を通じ、将来の道筋を照らすに役立つ、歴史上の深い知識が培われる。我々は、こうしてゆっくりではあるが確実に「日の下には新しきものあらざるなり」(*訳注:旧約聖書“伝導之書”の著名な一節)と云う点を学んだのだ。即ち、地球上には必ず先例が存在し、適切な情報さえ揃えておけば、自らが犠牲者となる危険を回避出来る選択肢を、必ず見出せるのだ、と。
それ迄数十年間に亘り私が叩き込まれて来た様々な習慣の成果が、此処に花開いたのだ。それらは多岐に亘る集中的訓練の賜物だ。戦術や作戦及び戦略を学び、数々の成功と挫折を経験し、同盟諸国軍と政治団体を知り、人的諸問題を捌く経験をし、海兵隊がその指導に固執した歴史の勉強(ただ本を読む丈では役立たぬ)等々、これらの成果が開花した。私が退役した時、斯くも長い間勤務を続け、然も、冒険に満ちた経歴の中に常に適宜な時に適切な場所の配置を得る事が出来たのは、何とも幸いであったと改めて思い知った。次期大統領に私が国防長官の職を務める自信があると答えたのには理由が在る。数十年間の研鑽に加え、有能か無能かで問題対処の結果がどうなるかを見続けて来た体験は、然もこれら諸問題はこれから私が遭遇する事案に類似した性格である為、今後の私の職務遂行に大いに資する点を知っていたのだ。
今、来し方を振り返えれば、それは明白だった。階級昇進に従い、読むべき課題図書の網羅領域が拡大する仕組み、常に私に極めて高い水準の目標達成を課したコーチやメンター達、海兵隊部隊が重要視した順応力、組織造り、及び批判的思考、そして私が洋上や外国で過ごした歳月は、決して私自身は目指して望んだ事はなかったが、全てこの職務に臨む為の準備だったのだ。運命か、神意かによるか、はた又、軍歴の中で与えられた様々な諸機会がそうさせたかは定かでないが、国防長官を打診された時、私がその準備を最大限に整えた状態に在った事は確かだ。
傲慢や身の程知らずから云うのではない。もし、国防長官の重責をもう一度担う気はあるかと尋ねられたなら、私は即座にyesと答えるだろう。本来、満期4年を務め上げる所存だったが、私は道半ばで退任した。斯くして、国務に奉仕する私の職務は終わりを告げた。本書では、如何にして私が国家へ奉仕する人生を始めたかに就いて述べる事にしよう。
本書を執筆する目的は、私が学んだ教訓を伝える為だ。軍関係者と民間人とを問わず、もしお役に立つ点が在れば幸いだ。米国民の税金により私の40年間に亘る教育費用を支えて頂いた点に感謝しつつ、私の得た教訓の幾つかは、他の人々にも得る処が在るように願う次第だ。私は古いタイプの人間だ。現職トランプ大統領に就き本書は言及しない。この後に続く各章では、私が予期もしなかった職務に挑むに当たり、何故私は準備が出来ていたのかを語ろう。但し、今日の熱い政治諸事情に就いては取り上げない。私は、公共の信認に尽くす公僕の立場に在るのは今も変わらぬ為だ。
本書は三部構成である。それぞれ、直接的指導力、幹部としての指導力、そして戦略的指導力に就いて記す。第一部では、私の人格を形成した生い立ちと、その後入隊し、ベトナム戦争従軍世代の強者(つわもの)海兵隊員達によって私が鍛え上げられた事、又、私自身が初めて戦場で海兵隊を率いた時代を記述する。この頃の指導力とは、相手と面と向かって直接的に行うもので、軍隊を私が指導する中で屡々(しばしば)個人的な強い絆が築かれ、それは兄弟より強いものだった。
第二部では、7千人から4万2千人迄の多岐に亘る規模の軍隊を私が率いる中で実施した指導力を記す。この段階では自らの部下達の名前を覚えるのは最早不可能だ。従い、此処で求められる指導力とは、私が恐らく直接見掛ける事すら稀な、甲板で働く最若手の海兵隊員や初めて戦場に出る新米兵達に対しても、私の意図する処と懸念点が、配下の各指揮系統を通じ、手に取るように伝達され、そして理解される方式でなければならない。
最後に、第三部では、戦略的レベルに於いての指導力の諸課題とそれを克服する諸技術を掘り下げて行く。又、文民と軍部との相互作用に就いて、上級武官の立場から焦点を当てるが、其処では、軍指導者達は、戦争の厳しい現実と、政治指導者達の人間としての野望との間の調整を図る事に尽力が求められる。そして、この複雑さが支配する世界に於いて浅慮は禁物で、さもないとその帰結は甚大にして、大悲劇にも為り兼ねないのだ。
絶えず勉強し順応する習性は私が閣僚の一人として入閣以来身に付いた習慣だ。其処での私は、先の軍隊の役割を遥かに凌ぐ、膨大な資源を委ねられた身であったからだ。そして、一日の終わりに、常に職務に最善を尽くすよう心が鼓舞されたのは、過去の戦争の英霊達が私を見守って呉れるのを感じたからであり、且つ又、過去ワシントンの政治的栄枯盛衰を認識した上で、尚も憲法と米国民を守らんとして自身の命を戦場に賭するのを厭わぬ、忠実で信頼厚い愛国者達を指導して我が国に貢献する仕事に対し、細やかな誇りを感じた為だ。
全経歴を通じ、私が拘わった点を凝縮する手書きのカードがある。私はそれを、この数年間、常に防衛省の机上に置き、海外へ派兵実施する数々の命令書に署名して来た。曰く「汝がそれに署名するは、米国民生活に確(しか)と十分に貢献し、且つ我が軍を死地に赴かせるに値せるものなりや?」と。この問いに「値した」と私は答えるだろう。戦死した兵士のご遺族の悲しみは永遠に消えぬ。それでも、金星勲章を授与されたご遺族に対し臆さずそう云えるのは、私がこれ迄に教えられて来た様々な教訓に裏打ちされた結果なのだ。
(プロローグ 了)
【訳者からの補足とおまけ】
トランプ政権発足直後から、同政権内情を暴く、所謂「暴露本」が続々発刊され、元閣僚による著書も含め、どれも良く売れた。一方、マチスは上記『コールサイン・ケイオス』プロローグに自身で「私は古いタイプの人間だ。現職トランプ大統領に就き本書は言及しない。」と語る通り、同書にトランプ大統領との確執に関する記載は一切なく、彼はその後も固く口を閉ざし続け、その節義を重んじる孤高の姿は人々に感動を与えたのだった。
2020年5月末、白人警官の粗野な所作で黒人男性が死亡した、ミネソタ州の事件を発端に、各地で抗議が沸き上がった。大阪なおみ選手が「黒人の命も大切」とメッセージを発したのは記憶に新しい所だ。5月31日、ホワイトハウス近くのラファイエット公園で抗議集団と警察隊との衝突が生じた。トランプ大統領は、予て「暴動は州兵を以って対応する、略奪には発砲を辞さぬ」旨をソーシャルメディアで発信(之によりツイッター停止処分)、更に上記騒動の翌日、6月1日には、同公園近くの著名な福音派教会を訪問し、自身が聖書を掲げた写真撮影をする為に、未だ混乱明け遣らぬ中、同教会への道を確保するべく、抗議集団を力で排除した一件も物議を醸した。
この時、遂にマチスは沈黙を破り、アトランティク誌に投稿、「トランプは米国を分断しようとする前代未聞の大統領だ」と糾弾し、国民の団結を呼びかけたのだった。此処に、同投稿記事全文の和訳をご参考に供します。
又、マチスが国内一致の重要性を訴えるのは、主張として一貫し、『コールサイン・ケイオス』のエピローグにもそれは如実に表れている。本来、冒頭でエピローグを明かすのは禁じ手ですが、この度は、連載開始のおまけとして、当書エピローグ邦訳を、上述投稿記事と共に、先行お届けします。
【補足1】2020年6月4日付 アトランティク誌掲載(The Atlantic)、” IN UNION THERE IS STRENGTH “ )ジム・マチス投稿文
団結こそ力なり
今週生じた一連の騒動を目の当たりにし、私は怒りを感じると共に愕然とした。米国最高裁判所、正面入り口の上部には「法の下に万人平等なり」と刻まれた語句が大きく掲げられている。先の抗議行動を起こした人々は、正にこの点を求めたに過ぎない。それは健全にして且つ人民が一致して求める欲求で、我々全ての国民が支持する事を認められるべきものだ。一部少数の暴徒化した者達に目を奪われ、本題を見落としてはならない。先の諸抗議は、何万人もの人々の良心によって明示されたれたもので、彼らは、人民として、又国家として、我々が目指す価値感に従って、恥じる事なき生き方をすべきだと主張する人々なのだ。
私が50年程前に軍に入隊する時、憲法護持と遵守を宣誓した。この誓いを立てた兵士達に向け、如何なる状況下であれ、同胞たる市民達に憲法で保証されている諸権利を“侵害せよ”との命令が下るとは、夢にも思わなかった。又、それ以上に私を驚かせたのは、それらの光景が、最高司令官として国軍指揮権を担う身であり、大統領に選出された、その男にとっては格好の宣伝材料として、異様なシャッタ―チャンスを提供した事だった。
我が国の軍服を着た軍隊に自国民を“制圧”する目的に出動させ、国内の町々を戦場と見做すが如きの如何なる考えをも、我々は断固拒絶すべきだ。国軍を国内出動させるのは、余程の例外的状況下に限られ、然も州知事の要請によってのみ認められるべきものだ。先日、首都ワシントンで我々が目撃した通り、軍隊を使った対応は、必ず其処に衝突を惹き起こす。然し、それは、本来在ってはならない、国軍と市民社会との衝突と云う、謂わば、欺瞞の衝突だ。制服に身を包む男性及び女性兵士達にとって、市民とは、彼等がその保護を誓った対象であるのみならず、彼ら自身もその一員に属する。従い、これら両者が対峙する事態は、本来、市民と兵士間の相互信頼の絆を結ぶ為に不可欠な、正に徳義上の根幹に背くものなのだ。
公共秩序を維持する為には、一方では、その時の市民達の状況と、他方では、当該地域指導者達の能力と、この二者に負う処が大きいが、殊(こと)、その指導者が所轄地域社会に深い理解を有し、且つ市民への道義責任を果たし得るか否かと云う点が極めて重要なのだ。
第4代米国大統領ジェームス・マディソンは曰く「兵力が僅かな状況下にも、或いは、たった一人の正規兵士さえ居ない場合でも、米国は一致団結する限り、国の分断を目論む外敵にとって頗(すこぶ)る手強い相手となる。何故なら、何十万人に下らぬ退役軍人達は何時でも皆、銃を取る準備が出来ているからだ」(論文集フェデラリスト No.14より)。抗議する市民達に対し、軍隊を以って当たる必要性は決して認められない。市民こそが国の救世主たり得るのだ。寧ろ、我々はある共通目的の為に、一致結集する事が必要だ。然し、その大前提とし、法の前には何人も平等たる点が先ず保証されねばならない。
ノルマンディー上陸作戦に際し、各軍から兵士達に伝達された指令も、又、彼らに団結の重要性を思い起こさせるものだった。曰く「我々を崩壊させようとナチスが掲げたスローガンは“分断し、そして征服する”である。然し、我が米国の之に対する答えは“団結は力なりぞ!”」と。同様に、今般の危機を克服する為にも、国民に結束を呼びかける必要がある。我々には勢力争いを超越する器量があると信じる事が大切だ。
ドナルド・トランプは国民を纏める事に専念しない、私が生涯初めて見る米国大統領だ。彼は国民を団結させようとする、その素振りすら見せない。彼は国の分断を図っているのだ。斯くして彼が恣意的に3年間行ったその帰結を、今、我々が目の当たりにしている。今、我々が目撃しているのは、彼の未熟な指導力がこの3年間に惹き起こした結末だ。市民社会に本来備わる力を以ってすれば、トランプ抜きでも、我々は団結可能だ。ここ数日間の出来事が露呈する通り、それは決して簡単な作業ではない。然し、之を成し遂げるのは同胞市民達に対する我々の責務だ。又それは同時に、誓約を守らんとして血を流した過去の世代、並びに我々の子供達の代に対する義務なのだ。
新しい目的意識と他人を思い遣る心とを持てば、我々は、この試練の時も逞しく乗り切る事が可能だ。先の感染症拡大に直面し、地域社会の安全の為に命を賭するのは兵士丈でない事を我々は身を以って体験している。多くの米国人達が、各地の病院、食料品店、郵便局、その他多くの施設で、最前線で体を張って、同胞の市民達や国に奉仕したのだ。
先般、我々が見た、行政権限乱用により惹き起こされたラファイエット公園の騒動は、実に恥ずべき事態で、我々は本来もっと全うな対応を取れた筈だ。権威の座に在り乍ら、憲法を軽んじる人間達は、排除した上で、その責任を取らせなければならない。同時に我々は、リンカーンが云った「良心の声(最良の天使達)」を思い起こし、団結を取り戻すにはその声に耳を傾ける必要が在る。
その為に、我々が出来る唯一の策は、今、新たな道に踏み出す事だ。即ち、真の意味で、国家建立時に目指した理念の原道に立ち返ってこそ、国内外から信頼と尊敬を集める国に返り咲く事ができる。
ジム・マチス
(了)
【補足2 『コールサイン・ケイオス』エピローグ】
【エピローグ】自国内の一致団結が必要な米国
嘗ての米国は内に結束し、外には同盟諸国対し求心力を発揮した。然し、現在、我が国の人民が分断に見舞われている。多様性に富みつつも一致団結する文化を保持する軍隊出身者である私が、今日、最も懸念するのは、本来相手とすべき国外敵対勢力ではない。国内の分裂こそが最大の敵なのだ。今や我々は、互いに反目し合う諸集団に分裂し、感情に駆られ、双方への軽蔑が募る。これでは、共通点を再発見し解決を見出す道が遠のき、国の将来は危機に瀕するだろう。嘗てリンカーンは、ゲッティスバーグの演説で、我が国が新たなに自由な国家として誕生した旨を宣言した。今日の市民社会が崩壊の危機に面する状況は、地下に眠るかの偉大なる解放者をさぞかし困惑させ悲嘆させるに違いない。
2010年、アフガニスタンのマジャール戦闘終盤のある日、私は、海兵隊員と海軍兵が二人で近傍の灌漑用水路で涼を取り、ずぶ濡れのまま寛いでいる処へ出くわした。私は普段通り「よう、若者達、調子はどうだね?」と彼らに声を掛けた。 「絶好調であります!」と海兵隊員が叫ぶと、「全く問題ありません」と海軍兵も笑顔で応じた。 当時、前線の生活環境は極めて厳しかったにも拘わらず、彼らの平然とし且つ意気盛んな様を目の当たりにし、私は深く思う処が在った。即ち、前線から離れた内地で生じ、放置すれば益々国民の分断化を招く、多くの事柄は、今、此処で若い兵士達が耐え忍び立ち向っている逆境に比べれば、何と些細な事であろうか、と。
私が確信するのは「我々の民主主義は未だ実験途上である」と云う事だ。従い、場合によっては逆回転し後退する可能性をも秘めるのだ。揺るぎない民主主義の諸原則に基づき、且つ相互尊厳が保たれる限りに於いて、活発な討議や大声で反対を訴える事には、諸手を挙げ大歓迎するのが私の信条だ。私は米国憲法をこよなく愛して止まぬ男だ。憲法序文には、その目的に「国内の平穏を確保し、福祉を遍く増進する」事が謳われている。策謀に満ちた今日の政治劇よりも、遥かに全うな事が為され得る点は、皆、信じて疑わない筈だ。我々の壮大なる民主主義の実験が、党派主義によって妨害されてはならない。
私は、特定政党を支持しない。職業軍人として私が誇らしく思うのは、私がどの政党に投票したかが固く守秘され、又、同様に誇るべきは、私が何れの政党の大統領にも忠誠を尽くした点だ。ある政党の大統領の下に職務から解かれ、別の政党下の大統領下にも職務を全うした。私は政治的に常に中立を保ち、私を導くものは歴史の教訓と戦略上の重要性以外にはない。
ジョン・ケリー将軍は、私の親友にして且つ共に戦った戦友だ。彼は、アフガニスタンで子息のロバートを失っている。そして、こう云うのが常だった。「戦死した息子や娘の親御達が知りたい事はたった一つだ。つまり、その為に彼らが犠牲となった、当該目的は、それが如何なるものであれ、成功に向け成し遂げられたか、それを確信したいのだ。つまり、よもや、反対に“この作戦遂行は代償が大き過ぎる”とか“全く酷すぎて堪え得ぬ苦痛だ”、或いは“撤退方針に変更しよう”と云う展開にならなかった事を祈るのだ」と。更に「彼らは、国家指導者達の命ずるまま、喜んで戦地に赴き、そして大半の場合、任務達成の為に己の命を賭したのだ。彼らは最後の瞬間まで、目的が成功するのを見届けたかったに違いないのだ。親なら誰でもこう思うのが当然だろう?」と。
兵士を志願するのは極(ごく)一部の市民に過ぎない。彼らは我々にとり、選ばれた少数の精鋭達だ。従い、彼らを戦場に送るのは、如何なる政治家であれ、それに先立ち、危険と代償を吟味の上、明確な目的達成が可能との合理性ある確信を得た場合に限られるのだ。
我々が現在直面する分断の病に関しては、私は克服可能だと信じている。我が合衆国貨幣にはどれも、ラテン語「E pluribus unum」の刻印が在る。多くのものから一つを為すという意だ。
我々の先人達が、移民の集合体である自国が党派に分断されるのを避ける為に、モットーとして掲げたものだ。将来を担う世代の人々の為に、この信条は守り通さねばならない。
「多様なる人々、数(あまた)集(つど)いて、一致団結すべし」(E pluribus unum)
(エピローグ 了)
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